伍話
「こっちだ」
綾人が先を歩く。清和は言われるままについていくしかなかった。
フワがひらひらと隣を浮かんでいる。
時たま野良猫を見つけてはちょっかいをかけていた。猫には当然フワの声も手も届かない。
それでもフワは構わず、通り過ぎる猫のそばにひざまずいては何か話しかけていた。
(とっとと着いてこい。僕から二、三メートルしか離れられないんだろうが)
「何処まで行くのさ」
「つべこべ言わず来い」
「これは『マヨイガ』の要領だね」
フワが楽しそうに言った。ちょうど猫に飽きたらしく、ふわりと清和の隣に戻ってくる。
「マヨイガ?」
「うん、ほら伝承とかであるでしょ?訪れた者に富や幸運をもたらす、山中の幻の家っての」
「……僕、オカルトとか信じないタイプなんだが」
「清和がそれいう?」
「これは幸運なんてもたらさないがな。マヨイガを元にした『目隠し』の霊術だ。人も霊も寄せ付けないようにな」
綾人は前を向いたまま答えた。説明しながらも、足は止まらない。清和はあわてて追いかけた。
「この街に来て感じてたけど、街中に薄らだけど結界を貼ってるんだね。この為かな」
「ああ。あとはお前みたいな異物を感知するための探知器でもある」
「ふーん」
「何がなんだか分からん」
路地を折れ、また折れ、気づけば人の気配がすっかり薄れていた。国道から離れて少し歩いただけのはずなのに、車の音が遠い。さっきまであれほど賑やかだった夜の街が、まるで遠くの話のようにくぐもっていた。
音が、ゆっくりと薄れていく。足音だけが、細い路地に小さく響いた。
これは『マヨイガ』とやらの効果なのか、ただの路地の静けさなのか、清和には判断がつかなかった。
「着いたぞ」
「! デカ! こんな神社なんで……ああ、だから『目隠しの霊術』ってのか。マジかよ」
さっきまで何もなかった場所に、大きな神社が建っていた。鳥居から奥まで続く石畳。鳥居の近くには狛犬ならぬ狛狐があった。尻尾を立て、しっかりと参道を守るように向き合っている。
両側に並ぶ石灯籠が、白い光を静かに落としている。本殿の屋根が夜空に黒く浮かんでいる。人気はないが、その静けさは不気味ではなく、むしろ凜としていた。
街の音が全部ここで止まっているような、そんな澄んだ場所だった。
「お参りした方がいいかな」
「別にいい」
「清和ってみーはーだよね。どうしてもお願いがあるなら僕が叶えるのに……」
「お前に頼むのはこりごりだ」
「とっとと入れ」
〜〜〜〜
石畳を歩く足音だけが、境内に響いた。
本殿の横手に、小さな建物があった。綾人が躊躇なく引き戸を開ける。中は古い和室だった。畳が敷かれ、低いテーブルが置いてある。古い木と線香のかすかな香りが漂っている。壁には護符が並び、棚には数珠や塩、聞き覚えのない道具が整然と並んでいた。
使い込まれた道具の多さが、この場が長く使われてきたことを示している。生活感と非日常が奇妙に同居している。
「わぁー、ひろ〜い」
「大人しく座っとけ」
綾人が奥に消え、すぐに戻ってきた。湯呑みを二つ、盆に乗せて持ってくる。
「粗茶だが」
「あ、どうも」
(礼儀正しい!)
あの入り方のときの威圧感と、今の所作がまるで合わない。清和はそっと湯呑みを受け取りながら内心驚いた。程よく温かかった。
「おい」
「ん?」
「これやる」
綾人がぽいっと投げた。フワが空中でそれを受け取る。みかんの形をしたスクイーズで、握るとじんわりと元の形に戻っていく。ぷにぷにとした感触が掌に伝わるらしく、フワは何度も繰り返し押しながら表情をほころばせた。
「わぁ、みかんの匂い! ぷにぷにしてる〜」
「お前なら、実体を持てるだろ」
「ありがとう〜」
(面倒見が良い!)
霊に実体のあるおもちゃを渡す発想があるとは思わなかった。清和がじっと見ていると、綾人は少しだけ視線を逸らした。
「っで、さっきの質問の続きだ、おっさん」
(前言撤回!無礼!)
「俺まだ23なんだけど」
「? 俺より7つ上じゃん。十分おっさんじゃん」
(クソガキィィ)
「その発言、20超えたら後悔するよ」
「清和大丈夫だよ、俺からしたら2人ともまだまだ可愛い子供だよ?」
「ありがとうフワ、嬉しくない」
「はぁ。で、僕とフワのことだっけ」
「ああ。ソレとアンタがどうしてそんな強い『縁』を持ってるのか吐け」
清和は湯呑みを置いた。
「フワは」
「山で拾った」
「は??」
「ん〜、微妙にあってるけど不服」
「これ以上のことは子供には聞かせられない」
「な! なん、でだよ」
フワがくすくすと笑いながら口を挟んだ。
「どうしてもフワのことを話さないといけないなら、お父さんやお母さんに来てもらえばいいじゃん!」
「え! それはそれでちょっと面倒……」
「清和? めんどくさがり良くないと思うよ?」
「いや、だってよぉ」
「ん、だよ」
「「え」」
声が、詰まっていた。
「んでっ、だよ。グス。ガキ扱いすんな!クソがぁ!ズズッ」
「な、泣いてる……」
「泣いて、ねぇ、グス」
綾人は視線を畳に落とし、傍らのスクイーズを強く握った。フワに渡したみかんではなく、自分用のメロン型の方だ。
小さくつぶれて、またゆっくりと戻っていく。その繰り返しだけが、静かな部屋に小さな音を立てた。
「あ〜、泣かしたー。清和が年下の子泣かしたー」
「いーけないんだ、いけないんだ〜」
「ちょっと黙ってろ!」
(まじでやめろ)
清和は慌てた。
(人様の家で高校生男子をマジ泣かせてるなんて、あまりにも問題、もしもしポリスメン案件だ)
「どいつもコイツもガキ扱いしやがってぇ、姉ちゃんが凄いからって、グズッ」
「学校の奴だって、俺がせっかく危ないって教えてやってるのに、変な奴扱いしてさぁ、ズズ」
清和は口を開きかけて、閉じた。
姉と比べられる。本気で動いているのに周りに分かってもらえない。
——なんとなく、身に覚えがあるような気がした。ポジションは全然違うが、その「伝わらなさ」の感触だけは。
「ああ、えっと違うんだよ。フワとの出会いには人がその、死んじゃってたりして。あまり子供には聞かせたくないんだ」
「んなもん、大丈夫だし。俺、霊を払う『払い屋』だぞ。人間の生き死になんてどうってことない」
「そっ、そうだよなぁ! いやぁ、それにしてもかっこいいよな、払い屋。その数珠とかイカしてると思う!」
「……ぐす、ズズッ」
「ふーん、わかってんじゃん」
綾人の声から、少しだけ棘が抜けた。鼻を一度すすって、目元を手の甲でさっとぬぐう。清和はそれを見てみぬふりをした。
(フワ、綾人君の頭撫でるのやめなさい。煽ってるようにしか見えないから)
フワは特に気にした様子もなく、綾人の頭にそっと手を置いたままにっこりと笑っていた。綾人は振り払いもしなかった。
「えっと、フワのこと話した方がいい?」
「……別にいいや。アンタ無害そうだし、チビはチビで悪霊ってわけじゃなさそうだ。異質すぎるだけで」
(異質過ぎる?)
「帰っていいよ。チビがいれば問題なく帰れるだろ」
「うん、この程度の術式なんてことないよ〜」
「この程度いうな!」
〜〜〜〜
玄関。
石畳に足を踏み出すと、さっきの静けさが戻ってきた。綾人が引き戸を閉める音が、境内に短く響く。
「清和〜早く」
フワが鳥居の前で手を振っている。みかんのスクイーズを大事そうに片手に握ったまま。
「えっと、お邪魔しました」
「なぁ、これ」
「え」
綾人が手を差し出した。数珠だった。
「俺の霊力を込めてるから御守りにはなると思う。あと、一応連絡先も交換してくれ」
「あ、はい」
二人でスマホを取り出す。番号を打ち込む音が、夕暮れの境内に小さく響いた。
「じゃあ」
「ん」
清和は鳥居をくぐった。石畳から地面に変わる感触。それと同時に、街の音がじわりと戻ってきた。車の音、遠くの声、コンビニの看板の点滅。
フワが隣に来て、受け取った数珠をしげしげと眺めていた。
「ねぇ清和、あの子、いい子だね」
「……そうだな」
「それ、そこそこ効果あるから。俺のいない時はつけときなよ」
「ふーん、あの子霊力あるってのも本当なの?」
「そこから信じてなかったの??……霊術を扱えてる時点でこの時代じゃあ、かなりの子だと思うよ」
「そう」
清和は手の中の数珠を少し握ってから、ポケットにしまった。
「てか、聞き流してたけどその『霊力』ってなんなんだよ」
「霊力ってのは簡単にいうと人間に宿る防御のためのエネルギーだね」
「防御?」
「そ、人間の魂は常に『穢れ』に狙われている。穢れに障られると人は陰鬱になり、自身や周囲を傷つけてしまう。その穢れを防いでくれるのが霊力さ」
「ふーん。ってことは人間には全員あるってことか?でもさっき霊力を持ってる綾人は珍しい的なこと言ってたろ」
「霊力を宿していることとそれを扱えることは全くの別物だよ。そこは生まれ持った才能の部分が大きい。あの子はきっと先祖代々の霊術師の家系だから扱えるんだね」
「お前があの夜、社長を『隠した』のも霊術ってヤツか?」
「……俺の場合、少し違うんだけど大まかにいえばそうだね」
「霊術ってのは霊力を防御としてではなくエネルギーとして引っ張って、神々や自然から加護を受けるんだ」
「へぇ、便利そうだな」
「清和も特訓してみる?」
「面倒そうだから、いい」
「もう」
夜の道を、二人で歩いた。
〜〜〜〜
ピコン。
その日の夜。
「き、清和、まただよ?」
「え、もう。会話一区切りついたろ」
「学校の話じゃなくて、今度はお姉さんの話みたい」
フワがスマホの画面を覗きながら言った。清和は思わず手を伸ばす。
「フワ、返しといて」
「身体貸してよ」
「スクイーズ触れるならスマホも触れんだろ」
「微妙に疲れるんだからね!これ!」
霊術師とメル友になった。




