陸話
「ここ…だな『八坂高校』」
「人がいっぱいだね!」
綾人に高校の文化祭に来てと誘われた。
土曜だったし予定もなかったのでフワと来た。今までは土曜がまともに休みになったことがなかったから、せっかくなのでちゃんと過ごしたかった。
「ところで清和?」
「ん?」
「この祭りって何を祀ってるの?文化祭てことは文化?この街の伝統みたいなの?」
「……あー、今の祭りにもそういうのあるが。これは違うな」
「?」
「文化祭は何かを祀ってるわけじゃない。学生が主催でたこ焼きやお化け屋敷みたいな出店を経営して、自分たちで楽しむものだ」
「まぁ、地域を発展させるって意味合いならあってるかもな」
「そう、なんだ。いいね。うん。すごくいい」
「フワ?」
フワは校門から覗き込む人の列をまじまじと眺め、目をきらきらさせていた。色とりどりの手書き看板、呼び込みの声、どこからともなく漂ってくる揚げ物の匂い。
何もかもが、フワが知っている「祭り」とは違うのだろう。それでも、楽しいという感情はちゃんと届いているらしく、その顔には満面の笑みが広がっていた。
「あ、居た!」
「ああ、綾人君」
「来てくれたんですね!清さん!お迎えに来ました」
あれから、ちょくちょくメールでやり取りしてメル友になった清和と綾人。
やり取りをしていて気づいたことがある。
那岐綾人という高校生は、同年代の友人がいない。
家が霊術師の家系というのが、その主な原因だろう。現代でそれをオカルトと笑い飛ばさず、しかも周囲に隠しもせず活動するとなれば、自然と距離を置かれる。
本人も悪意があってやっているわけではない。本気で「危ない」と思って警告しているのに、周りからは「変な子」としか受け取られない。
その結果として、小中学はともかく高校では友達と呼べる存在がほとんどいないのだとか。
加えて、家族にもあまり本音を話せていないようだ。そんな中で清和とメール友達になったこともあり、少しメンヘラ君になっている節がある。
まあ、将来が心配なのは確かだった。
「あ、ありがとう」
「懐かれたねぇ、清和」
「お、チビも来たな。ほら!スクイーズ!今度は桃だ」
「わーい!ありがとー」
「いいの?こっち来てお店のこととかは?」
「はい、大丈夫です!俺、元からシフトに入れられてないので!」
「………」
(本当に心配になってきた。いじめではないよな?)
「……それは、大丈夫なの??」
「シッ!フワ!触れるな!」
〜〜〜〜
校内に入った。
廊下を進むたびに、にぎやかな声と食べ物の匂いが強くなる。机を押し出して販売スペースにした教室、手書きの看板、マイクで呼び込みをしている生徒。
あちこちから笑い声が聞こえてくる。フワは清和の隣で、目に入るものすべてに小さく反応しながら浮かんでいた。
「清さん、何か食べたいものあります?アテンドしますよ」
「ん〜、小腹空いたし、焼きそば食べたいな」
「こっちです」
綾人がさっと先を歩き始める。その背中が、心なしか少し嬉しそうだった。案内することが嬉しいのか、来てもらったことが嬉しいのか。
たぶん、両方だろう。
「焼きそば二つ」
「清さん、二つも食べるんですか。大食いですね」
「ん、違う違う」
「はい、お待ち!」
「どーも、はいお一つどーぞ」
「え、あ、俺に…」
パァーッと顔が明るくなる。それがあまりにも素直で、清和はつい目を逸らした。こんな顔をするんだな、と思った。
「誘ってくれたお礼な、どっか座れるとこ……」
「清さん、清さん、いいとこありますよ」
〜〜〜〜
屋上。
ここまで来ると、下の喧騒が遠くなった。歓声も音楽も、空気をひとつ隔てたように柔らかくなっている。秋の風が吹いていた。校庭の木が揺れているのが、手すりから見えた。
「勝手に入っていいの?」
「ダメっすよ?」
「ダメっすなの?」
「まぁ、バレないですよちゃんと『隠す』んで」
「ああ、霊術だっけ?」
「はい、今日は余り強力なの無理ですが屋上にいるくらいなら『隠せ』ます」
「俺もできるよ?しよっか?」
「いいお前は、絶対いい」
「えーん」
「チビ!今日は特に大人しくしとけよ!姉さんに気づかれたらやばいからな!」
「ああ、綾人より強い霊術師ちゃん同じ学校なんだねー」
「グズッ、なんで、ひく、それ言うんだよ、ウッグ」
「バッカ、おまっ——綾人君気にしないで、アイツは適当に言ってるだけだから。ごめんねちゃんと言っとくからぁ」
「ねね、焼きそば食べないの?冷めちゃうよ?」
「お前は謝れぇ!」
〜〜〜〜
「グス、じゃあ、仕切り直して『隠す』な」
「よっ!待ってましたぁ、かっこいい綾人君を見せてくれ!」
「清和は人をおだてるのうまいねぇ」
「だぁってろ」
綾人は目を閉じ、綾人がゆっくりと息を吐く。
『在他人』(あらずびと)
静かな声だった。先ほどまでの涙の気配が消え、綾人の紫紺の瞳には集中の色が戻っている。空気が、ほんの少しだけ変わった気がした。
外の楽しげな声や音は変わらない。景色も変わらない。ただ、ここにいるという感覚が薄くなるような、妙な感じだった。
「へぇ」
「これで『隠れた』、のか?」
「はい、一番簡易的な術式ですけど、この人混みなら却って目立ちませんよ」
「清和、清和試しに屋上からなんか叫んでみてこの前テレビでやってた【少年少女の叫び】みたいに」
「やだわ、恥ずかしい」
そう言って焼きそばを啜る清和。
鉄板の香りが残っている、悪くない味だった。
「なかなかにうまい」
「こっちのたこ焼きもうまいっすよ」
「清和、俺も食べたい」
「チビはお前は無理だろ、さっき渡したスクイーズで我慢を…」
「食べたら返せよ」
「わーい」
すっ。
音もなく、フワの姿が消えた。
「えっ」
「あああーー!清さんがチビに乗っ取られたぁー!!!」
「え、違うよ借りただけ……」
(綾人君落ち着いて)
「あああ!!!悪霊退散!!」
〜〜〜〜
「落ち着いた?」
「はい、すいませんでした。フワ様」
(フワ、お前つよいんだな)
「霊力を手に込めて引っ叩いただけだよ」
(綾人君、吹っ飛んでたけど)
「アヤトガオオゲサナンダヨ?」
(ちゃんと謝っとけ)
「ごめんね、綾人」
「いえ、滅相もありません」
(わぁ、すんごい距離取られてる)
屋上の端に吹っ飛んだ格好のまま、綾人は正座してフワin清和を見ていた。目が完全に敬語になっている。
「でも、今その状態で居られるのはちょっと……」
「え、あ!そっか!忘れてた!」
(なんだ?)
「すぐに返す……あ、遅いかも」
「げぇ、マジで?!」
バーン。
屋上の扉が豪快に開く。
蹴破ったかのような勢いだった。
「ちょっと!ここからとんでもない霊力の余波を感じたんだけど!!何者?!」
「う、姉ちゃん」
「綾人?っ!その人……」
少女が警戒の眼差しでフワin清和を見た。視線が鋭い。気配を読んでいる目だ。
『人払』(ひとばらえ)
間髪入れず少女が術を唱える。
その声は低く、落ち着いていた。長い黒髪を白い布で一つ結びにした少女が、片手を前に静かに伸ばしている。
吊り上がった目が、狐を思わせる鋭さで空間を見渡した。弟の綾人と同じ紫紺の瞳だが、光の質がまるで違う。今は完全に、戦闘の目だった。
周囲の空気が変わった。
人払い、という言葉の通り、誰かが近づいてくる気配が一瞬で遠のいていく。さっきまで遠くに聞こえていた文化祭の歓声が、急に薄くなったような気がした。
(な、なんだ?)
「人払いの術式だね。隠しの術とは違って、これは人自体を近づけないものだよ」
(なるほど。わかりやすく説明してもらってありがとう)
「人間?いえ、混ざっ……ない?でも、魂が二つ?」
少女の目が細くなる。清和の体を見ながら、何かを測るように動かない。
「そこの男、いえ、物怪、答えなさい!」
「貴方は何者!?」
「清和?これ僕と清和どっちが答えた方がいいの?」
(いや、どうって、僕今喋れないし)
(というか、状況を正直に話して逆に揉め事にならないか、これ)
「ね、姉ちゃん。落ち着いて!この人達、悪い人じゃないよ!」
綾人が前に出る。
「綾人……ってことがこの人が」
少女の目が、清和の体——というかフワ——に戻る。何かを理解したらしく、表情がじわりと変わった。
(お、なんだか話がついてそうだぞ)
「綾人をたぶらかした男ね!」
(とんでもない誤解をされている!!)
「毎日毎日、スマホを見てはソワソワソワソワし、通知が鳴れば嬉しそうにして、しまいには清さん、清さん………」
(あ、ちょっとお話を……)
「許さぬぞ、巫部 清和!!」
(血涙してる?!)
その目に涙が光っていた。怒りと悲しみが混ざり合った、本気の涙だ。大げさな言い方ではなく、この人は本当に弟のことを——
(これはまずい)
「き、清和ぅ、あの女の子怖いぃ」
(僕も怖い)
「ね、姉ちゃん!清さんは悪い人じゃないって!」
そう言って、清和の前に立ち、庇う綾人。
「キィ!」
(綾人君!綾人君!逆効果!!庇ってくれてるのはありがたいが、それは余計に……!)
ギィン。
そんな最中、突然空間が歪んだ。
金属が軋むような音がして、屋上の景色に裂け目が走る。裂け目の奥が黒い。普通の黒ではなかった。光を吸い込むような、底のない黒だった。その瞬間、学校が影に包まれる。
「!」 「!」
その変化に気づき対処したのはフワと少女だった。
『反逆』(はんぎゃく)
フワが唱えると影の動きが滞る。ぴたりと、止まった。まるで時間が凍ったように。
『小檻』(こもり)
少女が唱えると、三人と一霊を光の檻が包んだ。白い光の線が格子を描き、ドームのように空間を切り取っていく。
屋上の一部の空間のみが切り取られた形で孤立している。外は真っ黒だ。下の校庭の音も、風の音も、全部消えていた。光の内側だけが、静かに息をしていた。
「な、なんだこれ!…って体が戻ってる?」
清和は自分の手を見た。
動く。自分の意思で動く。
「咄嗟だったからつい勢い余って飛び出しちゃった」
フワが申し訳なさそうに言いながら、清和の隣に浮かんでいた。本来の姿——赤いTシャツに短パンの、小さな子供の姿で。
「姉ちゃん、これ……」
「ええ、『呪術師』ね。さいっあく」
少女が低く舌打ちをした。先ほどまでの情念がこもった怒りの形相が、今度は別の種類の真剣さに変わっていた。こちらの方が、素の顔に近いのかもしれない。
「お姉ちゃん、一時休戦だよ」
「わかってるわ、てか貴方にお姉ちゃんってよばれる筋合いは……はぅわ!」
紫紺の瞳が、フワの姿を捉えた瞬間、その顔が音を立てて崩れた。
「かんわぁいい!」
「え、ぎゃ!」
「よーし、よーし!かわいいねぇ、ぼーや」
「わ、ちょ!離して!てか、なんで清和でもないのに触れられるの!こわい!」
「私ほどの霊術師となれば自分の意思で触れられるのよ、坊や。うーりうりうり」
さっきまで血涙を流していた人間と同一人物とは到底思えなかった。清和は静かに距離を取った。
「あー、えっと、うちの姉です。名前は那岐 彩夢、今代最強の霊術師と言われてます」
綾人が清和に向かって言った。その顔には、申し訳なさと諦めと誇らしさが、ほぼ均等に混ざり合っていた。
「清和!!助けてぇ」
「あ、えっと離してやって……」
「あぁん?」
「いえなんでもないです」
「ね、姉ちゃん。この状況は…」
「心配しなくていいわ、綾人。この程度の案件、お姉ちゃんとこの子がいればなんてことないわ」
彩夢はフワを小脇に抱えたまま、光の檻の外——真っ黒な空間を真っ直ぐに見据えた。さっきとは別の意味で、その紫紺の瞳が光っていた。




