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社畜青年と亡者少年  作者: 月凪


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15/20

拾弍話 

 皿洗いが終わって、彩夢がソファに戻ってきた。


「一つ聞いていいかしら、巫部さん」


「なんですか」


「あなたの家、昔は別の名前だったんじゃない?」


 清和は少し考えた。


「……知らないよ、そんな何代も前のこと」


「そう」


「ああ、ただ」


清和は思い出したように呟いた。


「うちの家系、女系が多くて、長女は嫁ぐんじゃなくて婿に来てもらってたらしいな。うちも母さんも、婆さんも姉妹しかいなかったし、僕も上に姉が二人いる」


「そう」


 彩夢は湯呑みを両手で包んだまま、フワを見た。フワは清和の膝から床に移動して、桃型のスクイーズをぷにぷにしている。


「フワ殿、伺ってもいい?」


「うん」


「清和さんの血筋に、覚えはある?」


 フワの手が、止まった。


 部屋が静かになった。台所の水栓が、かすかに滴る音だけがある。


「……これはお二人に聞いた方がいいかもしれないけど」


 彩夢が少し間を置いた。


「神田という苗字に聞き覚えはない?」


「かんだ……?」


 綾人が目を細めた。


(どこかで見たような、おばあちゃんの家の……いや、もっと最近……)


「……」


「フワ」


 清和が聞いた。


「お前、何か知ってるか」


 フワはしばらく黙っていた。スクイーズを握ったまま、動かなかった。


「うん」


「うん、て」


「俺が初めて出会った巫女、巫部伽耶」


「あの子が、清和につながる家系の先祖だと思う。血筋的に」


「……は」


「清和の家、女性が多くて婿を取ることが多かったって今言ったでしょ。受け継がれる間に、名前が神田から巫部に変わった。でも元は同じ」


清和はしばらく、何も言えなかった。


「それで神田はたぶん——俺が生きてた頃の、苗字だよ」


「っ!」


 清和の頭の中で、何かがはじけた。


(そうだ、あの夢の——表札に)


 夢の中で見た光景が戻ってくる。集落の入口に、古い木の板が立てかけてあった。文字が彫られていた。あの時は気にも留めなかったが、今なら分かる。あれは家名だった。


(神田)


「余り自信は無いけど」


 フワが続けた。


「そうだって、俺の中の何かが言ってる。たぶん俺の家系の誰かが伽耶で——伽耶の子孫が清和だ」


(フワのお姉さん)


 あの夢の中で思った言葉が戻ってくる。弟の名前を呼んで何が悪いのよ、と笑っていた娘。その血が、何百年もかけて、今ここに来た。


「じゃあ、俺は」


「うん」


「フワの、何になるんだ」


「すっごぉーく遠いところの子孫、かな」


 フワがようやく顔を上げた。


 黒い目が、清和を見ていた。


「ずっと前から気づいてたのか」


「……初めて会った時から、なんかそんな気がしてた。でも」


「でも?」


「言ったら清和が、縁があるから一緒にいなきゃって思うかもしれないと思って」


「……は?」


「血の縁とか、そういうのじゃなくて。清和が清和だから、一緒にいたかったから」


 清和は何も言えなかった。


 綾人が台所の入り口に立ったまま、黙って聞いていた。彩夢が湯呑みを置いた。


「それで黙ってたの、ずっと」


「うん」


「バカ」


「えぇ」


「でも」


 清和は一拍置いた。


「ありがとな」


〜〜〜〜


 それが起きたのは、その直後だった。


 部屋の外が、真っ暗になった。


 窓の向こうが消えた。空も、道も、隣のビルも——真っ黒になった。昼間の光が、一瞬で引き取られたように。


 部屋の気配が、変わった。


 空気が一瞬でひやりとした。温度ではない。質感が変わった。フワが飼い馴らしていた、この部屋の安心感のようなものが——薄れた。綿が水を吸うみたいに、ゆっくりと、でも確実に。


「フワ殿」


 彩夢が立ち上がった。


 フワは床の上で、動かなかった。目が細くなっている。


「っ、学校の時と同じだ」


「お話はひと段落いたしましたでしょうか」


 声がした。


 どこからでもない場所から。壁の中から、床の下から、天井の向こうから——全部の方向から同時に、伊東の声が聞こえた。


「何処にいるの!」


「いやはや、不思議な縁もあるものですな」


声は穏やかだった。ほとんど感心しているような響きで、部屋に満ちている。


「巫部君がフワ様の子孫だったとは、なるほどなるほど」


「ここはチビの神域だろ!なんで掌握されてんだ!」


「しくったよ」


 フワが言った。声が、低い。


「昨日、力の大半を抜き取られたんだ。それを媒介にすれば神域に干渉できる」


「その通りです!まだ全ては引き出せませんが、少し引き出しただけでこれです!素晴らしい!」


 伊東の声が、どこか浮ついていた。


 彩夢とフワが目を合わせた。


「合わせて」


「ええ」


『裂』


 二つの術式が重なった。


 窓に、縦に一本の線が走った。

線が広がる。ガラスが砕けたわけではない。ガラスの向こうに、別の色が見えた。暗くない外。昼の光がある外。現世の外だった。


「出るわよ!」


「清さんこっちです!」


清和は走りながら窓枠に向かいながら気づいた。


「これ!割れたのは常世だよな!現世の窓は——!」


「現世は無事ですよ、そちらの窓枠を踏み台にしてください!」


「考えましたね」


 伊東の声が、ほんの少しだけ笑いを含んだ。


「境を利用して外に出ましたか。では、また」


〜〜〜〜


 窓から飛び出した。


 三人と一柱。清和のアパートは二階だ。


「清和、身体借りるよ!」


 飛んだ瞬間に、フワが入ってきた。


『風雅』


 風が四方から包んだ。落ちる速度が、ゆるやかになった。


 地面に、静かに着いた。


「よし」


 

『隠』


 フワが続けて唱えた。薄い膜が、四人の周囲を覆う。通りを歩く人が一人いたが、そのまま通り過ぎた。見えていない。


「うちに逃げるわよ!」


 彩夢が先頭に立った。走り出す。綾人がすぐに続く。


 那岐家に向かって走る途中、街の空気が変わった。


 最初は彩夢が気づいた。


「……来てる」


走りながら、小さく言った。


「姉ちゃん、これ」


 綾人が続いて気づいた。走りながら周囲を見渡している。


「何が?」


「結界よ。うちが街中に張ってる穢れの検知用の——それが今、別の目的で動いてる」


 世界にノイズが走った。


 街灯の光が、少し白くなった。色温度が変わったのではない。光そのものの質が変わっている。人の少ない夜道が、さらに人気を失っていく。でも空き地ではない。行く先には人影が、いくつかある。


 止まっている。


「あの人たち何処を見てるんだ?」


「霊感が少しある人間が常世に引きずられてる。私たちと違って『瘴気』に耐性がないから……ともかく!伊東が街全体を常世に変えようとしてるのよ」


「全体を?!」


「さっき奪った力を鍵に使って、街中の結界を一度に動かした。量でごり押しする気ね」


 立ち止まった市民が、ぼんやりとした目で宙を見ている。声をかけると返事はある。でも焦点が定まっていない。水の中にいるような顔だった。


「……私と綾人で対処する」


 彩夢が言った。


「あなたたちは那岐家へ。境内なら伊東の術も届きにくい」


「でも」


「行って。これは私たちの方が対応できる。保護と記憶の処理をしないと」


 綾人が頷いた。頼もしい顔をしていたが、手が少し緊張していた。


「清さん、チビも、気をつけて」


「で、でも」


 子供をこんな場所に置いて先に逃げるのは——清和の頭の中で、言葉にならない何かが引っかかっていた。


「…清さん、数珠、出してください」


「え、あ、ああ」


「そんな不安な顔しないでください」


 綾人が清和の腕にかかった数珠を、両手でそっと包み込んだ。柔らかな光が発せられる。手の中で、確かな熱が生まれた。


「!これって霊力だよな?」


「流石です、もう感じ取れるようになったんですね」


「俺の霊力を再度込めました。これで少しは守れると思います」


「…綾人君」


 清和は、自分の両手で自分のほっぺを叩いた。


「ありがとう。行こう、フワ」


(うん)


〜〜〜〜


 那岐家の境内は、静かだった。


 静かすぎた。


 門をくぐった瞬間に、清和は感じた。

——いや、フワが感じた。体の中から、明確な警戒が伝わってくる。


(待ってる)


(二人)


「分かった」


 清和は足を止めなかった。


 境内の奥、本殿の前に、二つの影があった。


 一つは人の形をしている。静かに立っている。眼鏡をかけて、スーツを着ている。


 伊東だった。


「よくいらっしゃいました」


 もう一つは、人ではなかった。

黒い、ぼやけた輪郭。何度も向き合ってきた、酒井の怨霊だった。前より密度が高い。境内の石畳が、その足元から黒く染まっていく。


「準備がいいですね」


 清和は言った。


「随分と準備に時間をかけましたから」


「何故、こんなことを?」


「おや、フワ様から聞いておりませんか?まぁいいでしょう、私は神になりたいんですよ。厳密に言えば唯一神、天上より人間を見下ろし試練を与える、自分より上などいない、ああ、想像するだけで心地の良い」


(山神の力をパックっただけで想像力豊かだこと)


「そのために、色々準備をしていたのです。その一つがようやく実った。特に酒井くん!この子は上出来です」


 伊東の声が、懐かしそうに続いた。


「生来の恨まれ体質、腐った性根、ねじ曲がった心根、加えて狭いコミュニティによる悪意の密閉——あのような職場は、怨念や穢れを集め死期を早めるようなもの」


「僕の職場と上司が、思ったよりやばい」


(それは今更だと思う)


「さぁ、貴方の力をすべて奪って輝かしい未来へ!」


(清和、くるよ。変わって)


「ああ、交代だ」


〜〜〜〜


 戦いは、最初から不利だった。


 フワは清和の体の中にいる。外に出ると霊力が安定しない。だから清和の体を使って術を出す。でも一人の体で二人分は、やはり限界がある。


 酒井が動いた。


 清和が数珠を使って弾く。フワが体の中から術式を重ねる。


 でも伊東が動いた瞬間に、それが来た。


『分散』


 低い声で、伊東が一語だけ言った。


 清和の体の中で、何かが引き剥がされた。


 痛みではない。でも感覚として——温かいものが、急に引き離された感じがした。


「っ——」


 フワが、体の外に出た。


 強制的に。


 宙に浮かんでいる。小さな体が、いつもの赤いTシャツで、でも今は霊力が不安定で輪郭がわずかに滲んでいる。


「清和!」


「無事か」


「うん。でも出された、これはまずい」


 清和には、フワが外にいることで自分がどれだけフワに支えられていたかが、急に分かった。体の感覚が、少し薄くなった。術式を使う感覚が、曖昧になった。頼りにしていたものが、急になくなった感覚だった。


 酒井が動いた。


 清和ではなく、フワに向かって。


「っ——フワ!」


「俺は大丈夫だから!」


 酒井の黒い腕がフワを捕まえた。フワが抵抗する。でも力が不安定で、完全には振り払えない。


「おお、やはりあなたには無理ですね」


 伊東が言った。柔らかい声だった。


「酒井君は私に逆らえない。彼はあなたを殺したいそうですが、今は我慢してもらっています」


「なに、が、したいんだ、あんたは」


「見ていてください」


 伊東がポケットから、紫のビー玉を取り出した。


 あの光。あの中に、フワから奪った力が詰まっている。


 伊東の手の中で、紫の光が揺れた。


「さあ、こちらを」


 伊東が、力を引き出そうとした。


 でも——動かなかった。


 ビー玉が手の中で激しく揺れた。拒絶するように。力が形にならない。伊東の指先が白くなった。額に汗が滲んだ。


「……」


「『合わない』のか?」


 清和は、それを見ていた。直感的にそう思った。適性がない。この力は、伊東のものにはなれない。


(清和)


 フワの声が届いた。酒井に押さえられながらも。


(今だよ)


 清和は走った。


 正確には、術を使おうとした。


『風雅』


 音にするのではなく、言葉にした。山の音を思い浮かべて、声に乗せた。


 完全ではなかった。でも、風が足元から来た。一瞬だけ、体が浮いた。その勢いで、伊東に向かって飛んだ。


 手を伸ばした。


 ビー玉が、手の中に入った。


「……!」


 伊東が奪い返そうと手を伸ばした。


 その瞬間に、声が聞こえた。


 どこからでもなく、全部の方向から。夢の中で聞いた、古い何かの声で。


『望む心象を言の葉にし形にせよ』


 清和の頭の中に、子供の頃の絵が浮かんだ。


 魔法使いが、大きな火球を作って悪者をやっつける。そういう話を描いていた、ノートのぼこぼこのページ。誰にも見せなかった絵。誰にも言えなかった夢。


(でっかい、火の玉)


『ブレイズ』


 言葉にした。


 火が出た。


 完璧ではなかった。思ったほど大きくもなかった。でも、確かに火だった。伊東の手に向かって、真っ直ぐに飛んでいった。


「っ!」


 伊東が後退した。


「きよ、かず……」


 ビー玉は、清和の手の中にあった。



 力が流れ込んでくる。


 手のひらから、腕の内側を抜けて、全身へ。重い。扱いにくい。苦しい、でもたぶん——


 扱える。


 清和の霊力と、フワから奪われていたものが——同じ方向を向いた。


「なぜ」


 酒井に押さえられているフワを、清和は見た。


「なぜだ!なぜお前がそれを使えている!」


「返す」


 フワが目を丸くした。


「あんたの力だろ。返すに決まってる」


 手を、フワに向けた。


 声にした。


『来い』


 それは言霊だった。


 今まで術を使う時と、質が違った。清和自身も分かった。ただの言葉ではない。名前を呼ぶみたいに、糸を力いっぱい引き寄せる向こうに届く声だった。



ググッ


 酒井の腕が、揺れた。


『——来い』


 もう一度。


 フワが、引っ張られるように動いた。酒井の腕を引き剥がして、清和の方に向かってきた。


「清和!」


『そのまま来い!』


 覚えた。声に乗せれば届く、と。言葉に形を与えれば、届く、と。


『神田眞白!』



 フワが、清和の手に触れた瞬間に、力が流れた。


「まさか!『真名』か!」


 フワの輪郭が、定まった。


 いつもより少し、重い気配がする。奪われていた力が戻って、安定した。その光で、酒井の怨霊がぐらりと揺れた。


 フワが向き直った。


 普段のにこにこした顔ではなかった。静かな、落ち着いた顔だった。夢の中で見た子供の顔と、少しだけ似ていた。


「終わりにしよう、酒井さん」


『浄』


 一語だった。


 光が広がった。


 酒井の怨霊が、散るのではなく——溶けた。少しずつ、少しずつ。黒いものが薄れていって、最後には何もなくなった。


 痛みのようなものは見えなかった。


 ただ、なくなった。


〜〜〜〜


 伊東は、いつの間にかいなかった。


 境内に、清和とフワだけが残っていた。


 清和が息を吐いた。全身が疲れている。でも倒れない。


「フワ」


 振り返った。


 フワが、そこにいた。


 いつもの赤いTシャツ、短パン。スクイーズは持っていない。でも、その輪郭が——


薄くなっていた。


「フワ?」


「ちょっと待って」


 フワが言った。でも声が、遠い。


「何が起きてる」


「分からない。でも、なんか」


「なんか?」


「清和の霊力と、混ざった感じがして」


 フワの輪郭が、さらに薄れた。見えているのに、向こうが透けてくる。石畳の模様が、フワを通して見えた。


「フワ!」


 清和は手を伸ばした。


 触れられなかった。もう、その手がすり抜けた。


「清和」


「フワ!消えるな!」


「まって清和」


「フワぁぁ!」 




(ここにいるよ)


 フワの声が、どこかから聞こえた。


 前でも後ろでもない。



 内側から、聞こえた。


 清和は、止まった。


 手を引いた。自分の胸に、触れた。


 フワが、いた。


(清和)


「……」


(ちゃんとここにいる。消えてない)


 清和は、しばらく何も言えなかった。


 境内の石畳が、静かだった。


 酒井の痕跡はない。伊東もいない。夜の境内に、虫の声が戻ってきていた。


 時刻は零時過ぎだった。


 常世と現世では時の流れが違うのかいつの間、数時間が過ぎていたようだ。


「フワ」


(うん)


「出てこれるか」


少し間があった。


フワが、清和の隣に現れた。半透明だった。いつもよりずっと薄い。でも、顔は分かる。


「出られるけど、さっきより力を使う感じ」


「俺の中にいる方が楽なのか」


「うん。たぶんこれぞ、二人でひとつの状態」


 清和は、しばらくフワを見ていた。


「……大丈夫なのか、そういうの」


「清和が慣れてくれれば、きっと」


「そうか」


 清和は、夜空を見上げた。


 遠くで、街の音が戻ってきていた。車の音、どこかの窓から漏れる音楽、犬の声。常世が解けている。


 伊東が去ったからか、彩夢たちが片付けたか。


 以前、誰にも届かない言い訳を頭の中で繰り返していた。午前零時に解ける魔法なんてない、と思っていた。


 でも今は——零時を過ぎた境内で、確かに火を出した。


 不思議な達成感があった


「フワ」


(なに)


「まだここにいるよな」


(いるよ)


「そっか」


それだけ言った。


石畳の上に、清和の影だけが落ちていた。

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