4話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
「浅野内匠頭、刃傷事件を起こすもお咎めなし! お家健在のまま、吉良殿への合法的な仕返しを開始する――!」
もしもあの赤穂事件で、浅野家が改易されずにそのまま存続していたら?
本作は、そんな歴史のifから始まる、前代未聞の「お家健在型・仕返しコメディサスペンス」でございます。
切腹を免れた内匠頭が仕掛けるのは、武力による討ち入りではなく、現代のハッキングにも通じる緻密でバカバカしい「合法的な嫌がらせ」の数々。
昼は浅野家からの正式な贈答品、夜は謎の偽名「小石」から届く不気味な進物――。昼夜を問わぬ波状攻撃に、吉良殿や清水一学、そしてお隣の脇坂淡路守殿までもが巻き込まれ、江戸中を巻き込んだ大騒動へと発展していきます。
さらに、吉良邸のお掃除奉公人(ソソソの班長)こと尾三次には、元・普請部次長にして柳沢吉保の密偵という驚きの裏設定が……。
お堅い武家法マナーの呪縛と、張り巡らされた奇妙な伏線。
クスッと笑えて、最後にはあっと驚く知略の応酬が繰り広げられます。
歴史の枠をちょっとだけ飛び越えた、人間味あふれる男たちの粋な化かし合いを、どうぞ最後までじっくりとお楽しみください!
第十章 第四話 巨大すりこぎの頭ポカリと上野介の白目
一、すりこぎ仕掛け、まだ生きていた
昨夜の大暴走の爪痕は、まだあちこちに残っていた。とりわけ台所脇、天井から巨大すりこぎを吊るす仕掛けは、撤去されたはずが縄が緩んだまま放置されている。誰も覚えていない、誰の責任でもない——そういうものほど、後で厄介な仕事をする。
二、柱の陰、揺れる
廊下を通りかかった下働きの小者が、ふと柱の陰に目をやった。何かが一瞬、人の形をして揺れたような気がした。気のせいだろう、と思い直した刹那、足が縄に引っかかり、すでに限界まで緩んでいた結び目が、わずかに緩んだ。
そこに誰がいたのか、いなかったのか。確かめる間もなく、影はもう消えていた。
三、上野介、見回りに出る
「うむ、被害の様子、儂自らこの目で確かめねばなるまい」
吉良は珍しく自ら邸内を見回ることにした。高家筆頭たる者、人任せにばかりはしておれぬ、という意地もあったのだろう。一学が止めるより先に、吉良はすたすたと台所脇の廊下へ歩を進めてしまった。
四、頭にポカリ
ちょうどそこへ、わずかに緩んでいた縄が、ついに限界を迎えた。
——ゴツン。
巨大すりこぎが落下し、見事、吉良の頭に命中した。
「な……はは……」
いつもの笑い声が、途中で止まった。
五、白目、決まる
吉良の目が、すうっと白くなった。これまで散々、一学が披露してきたあの表情である。まさか高家筆頭自らがこれを見せる日が来ようとは、誰も予想していなかった。
「殿ッ!」
一学が駆け寄るが、次の瞬間、一学はガタガタと震えながら叫んだ。
「お、お家芸を奪わんでおくれやす! それは儂の一番の得意技にございます! 殿相手であっても、白目の座だけは譲れませぬッ!」
変なところで嫉妬の炎を燃やした一学も、隣で一緒になって白目をむき、当の吉良はしばし宙を見つめたまま、二人並んで言葉も出ない様子であった。
六、ランマル君、また見てしまう
その騒ぎを少し離れた場所から眺めていたランマル君も、ふと視線を感じて柱のほうを見た。誰もいない。いないはずなのに、何かが見ていたような、そんな気配だけが残っていた。
控えの間に戻ったランマル君は、色部への報告で、また言葉に詰まった。
「邸内、本日も平常通り……いえ、その……何かが、おりました」
「何かとは」
「わかりませぬ。ただ、おりました」
七、色部、決意の芽
色部又四郎は、それ以上問い詰めなかった。ただ、ランマル君のこの様子が、ここしばらくで一段と深くなっていることだけは、はっきりと感じ取っていた。
(この邸は、もう以前の邸ではない)
上杉への帰還という二文字が、色部の中で、これまでよりも確かな輪郭を持ち始めていた。
八、盲之助、また一通
騒ぎの片付けの最中、盲之助は廊下の隅でまた一枚、ぐしゃりと丸まった紙切れを拾い上げていた。例の赤兎馬がわざわざ放り投げていく、あの執拗な嫌がらせの書状の破片である。懐の中には、もう何枚目になるか数えるのも面倒なほどの紙が溜まっている。
「綱一坊一派、まだまだ手を緩めぬとみえる……。だが、このクシャクシャの紙切れども、集めて並べれば必ず何かが見えてくるはずだァァァ!」
満足げに頷き、彼はまた懐へと大事そうにしまい込んだ。
九、邸、なお傾く
吉良はようやく我に返り、いつもの調子で「なはは」と笑おうとしたが、その声には、まだ力が戻っていなかった。一学はまだ隣で未練がましく白目をむいている。
柱の陰は、もう何事もなかったかのように、ただの柱として、そこに立っていた。
今宵の一句
柱にも 影にも気付く 暇のなし
あっちゅ寝太郎エッセイ
(吉良殿、自分で仕掛けた罠で自分が白目になるの、もう様式美を通り越して因果応報だよね。それに一学くん、殿の白目に嫉妬して張り合ってる場合じゃないでしょ! でも今回は、ちょっとだけ「本当に偶然だったのか」って匂いがする回だったかも。ランマル君が見ちゃった気配、本人にもよくわかってないみたいだけど、色部さんはちゃんと拾ってる。上杉への帰還、もう秒読みかもしれないなぁ。盲之助くんの懐の紙束、赤兎馬の嫌がらせを全部解読する気満々だけど、そろそろ重くて歩きにくいんじゃないかと心配になってきた。)
史実をよくご存じの方であれば、吉良殿の屋敷の隣は本来、土屋主水正殿の屋敷ではないかと思われるかもしれません。
ですが、本作では作者の好みにより、あえて脇坂安治の末裔である「脇坂淡路守」殿の屋敷を隣に据えさせていただきました。ちなみにこの脇坂家、途中で養子が入って家名を繋いでいるお家柄でもあります。
なぜ脇坂殿なのかといえば、あの松の廊下の事件直後、取り乱した吉良殿にぶつかられて衣類に血を付けられた脇坂殿が、「無礼者ッ!」と吉良殿をピシャリとやったという、講談でお馴染みのあの小気味よい逸話がどうしても好きだからです。このお方なら、内匠頭の仕返しを隣でニヤニヤしながら面白がってくれるに違いないと、物語の妙としてお引越し願いました。
ちなみに、そんな風にいがみ合っていた両家も、現代ではすっかり仲直りをして和解しております。歴史の枠をちょっとだけ飛び越えた、脇坂殿の粋な立ち回りを、どうぞ温かい目でお楽しみいただければ幸いです。




