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2話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』

刀を抜かない忠臣蔵です。

合法的な嫌がらせだけで、吉良邸を精神崩壊に追い込みます。

大目付は「ほほう」しか言いません。

御庭番は重要情報を漏らしますが誰も聞いていません。

謀略探偵は何でも「綱一坊一派の陰謀」と言います。

笑えます。たまに泣けます。最後は春が来ます。

全話予約投稿済み、毎日更新中。

八章二話 色部の一矢、安兵衛たちの冷や汗

【葉月・本所松坂町、翌朝】

夜明けとともに、蝉が鳴き始めた。

竪川の水面に朝靄が漂い、本所松坂町の屋根々々が白く浮かび上がる。荷を積んだ高瀬舟が一艘、靄の中をゆっくりと進んでいく。川岸の葦が風もないのにかすかに揺れた。

吉良邸では、色部又四郎がすでに起きていた。

夜明け前から起きていた、というのが正確である。

〈一〉色部、邸内を歩く

朝の見回りを申し出た色部に、清水一学は感激した。

「色部殿、かたじけない。では、ご案内を」

「いや、一人で結構」

短く遮り、色部は邸内へ歩み入った。

一学は止める間もなかった。

色部は廊下をゆっくりと歩いた。急がない。しかし止まらない。板張りの廊下を踏む足の間隔が、微妙に変化している。踏んで、聴いて、確かめている。

中庭に出た。

枯山水の砂紋が美しく整えられている。縁石の配置、飛び石の間隔、築山の位置。色部の目がそれらを順番に辿った。

立ち止まった。

築山の手前、飛び石が三枚並んでいる。その間隔が、わずかにおかしい。

色部はしゃがみ、飛び石の縁を指先でそっと触れた。

石の下が、微かに空洞の音を返した。

「……なるほど」

色部は立ち上がり、何事もなかったように歩き続けた。

〈二〉安兵衛、報告を受ける

その頃、浅野邸では。

堀部安兵衛は、ハットリ君からの報告を聞いて、湯飲みを持つ手が止まった。

「色部又四郎が、邸内を単独で歩き回っておる、と?」

「ニンニン。しかも飛び石のあたりで、しゃがみました」

安兵衛の顔から、笑みが消えた。

飛び石の下には、落とし穴がある。七章で安兵衛自身が落ちた、あの落とし穴ではない。別の、もっと精巧に作られた罠だ。表から見ただけでは、まずわからない。

それをしゃがんで確かめた。

「……できる人だ」

安兵衛は静かに言った。

ハットリ君が続けた。

「廊下の踏み方も、普通ではございませぬ。板の音を聴きながら歩いておりました」

安兵衛は腕を組んだ。

七章の落とし穴は、安兵衛自身が落ちた。あれは恥ずかしかった。墨まみれのへのへのもへじは、まだ夢に出てくる。しかし今は、そんなことを言っている場合ではなかった。

「内匠頭様に報告する」

〈三〉浅野内匠頭、静かに聞く

浅野内匠頭は、報告を最後まで黙って聞いた。

安兵衛が話し終えると、しばらく沈黙があった。

縁側の向こうで、蝉が鳴いている。遠くの竪川で、舟が水を掻く音がした。

「色部又四郎」

内匠頭は、その名を一度、静かに呼んだ。

「ロジカルにインプットした。飛び石の件は、当面、触れさせぬこと」

「はっ」

「ただし」

内匠頭は、僅かに目を細めた。

「気づいた者が一人いるということは、仕掛けの精度を上げる好機でもある。謹んで受託」

安兵衛は頷いた。

内匠頭の顔は、涼しいままだった。

〈四〉ランマル君の綱渡り

同じ頃、吉良邸では。

色部が中庭から戻ってきたところへ、ランマル君がひょこひょこと近づいた。

「色部殿、見回りはいかがでしたか?」

「ひとつ、気になるところがあった」

色部は歩きながら答えた。

「飛び石の、三枚目だ。あの下が気になる」

ランマル君の顔が、一瞬だけ固まった。

しかし次の瞬間には、破顔していた。

「ああ、あそこでございますか。あれは以前、地盤が沈んだ跡でございます。一学殿が補修されたと聞いております。ニンニン」

色部は、ランマル君を見た。

一拍、間があった。

「そうか」

それだけ言って、色部は廊下へ戻った。

ランマル君は、その背中が見えなくなるまで見送り、小さく息を吐いた。

額に、うっすらと汗が浮いていた。

〈五〉盲之助の一矢、本日も核心をかすめる

昼過ぎのことである。

豪文字盲之助が、庭先の植木に向かって特大虫眼鏡を構え、すりこぎ筆でばばばばと豪文字を書き殴っていた。

「飛び石ァァァ! この配置は綱一坊の暗号に相違ない! 三枚目の石は北を指しておるのだァァァ!」

色部がその声を聞いて、足を止めた。

「あの者は?」

一学が苦笑いで答えた。

「豪文字盲之助と申します。幕府書院番組頭次席でございますが……少々、独自の見解をお持ちで」

「飛び石が北を指している、か」

色部は盲之助の方を見た。

盲之助の言っていることは、でたらめである。しかし、飛び石に注目しているという点だけは、正しかった。

色部は何も言わなかった。

その夜、ソソソの班長が縁台でお茶を飲みながら、うとうとした拍子に呟いた。

「ソソソのソ……飛び石といえば、昔、赤穂の庭師が作ったとかいう話を……ソソソ……」

誰も聞いていなかった。

今宵の一句

汗ひとつ 拭わぬ顔の 恐ろしさ

あっちゅ寝太郎エッセイ

(吉良殿、強い味方は両刃の剣だねぇ)

色部又四郎という人は、来た初日に飛び石の異変を見抜いてしまいました。吉良殿にとっては頼もしい限りですが、あまり鋭い人が邸内を歩き回ると、いろいろと困ることも出てくるわけです。ランマル君が上手く誤魔化してくれましたが、あの汗は本物だったでしょう。吉良殿、強い味方を呼んだのは良かったのですが、さて、この先どうなりますかねぇ。なははは。

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