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第八章 1話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』

第八章 1話 上杉の助っ人と、吉良の人脈総動員

 色部又四郎・ランマル君の参戦

【葉月の江戸・本所松坂町】

元禄十四年、葉月。

江戸の夏は、まだ終わっていなかった。

本所松坂町の空は白く焼け、竪川の水面は陽炎のように揺れている。川沿いの柳は葉を垂らしたまま微動だにせず、荷を積んだ高瀬舟が一艘、ゆっくりと竪川を下っていくだけである。蝉の声が屋根瓦を震わせ、吉良邸の白壁はまるで炭火で炙られたように熱を帯びていた。

吉良上野介義央は、縁側に腰を下ろし、赤穂の塩細工(偽物・本人は本物と固く信じている)をそっと撫でながら、扇をぱたぱたと動かしていた。

「なははは。涼しいのう」

誰も涼しいとは思っていなかった。

〈一〉上杉の使者、到着す

吉良邸の門前に、一台の駕籠が止まったのは、昼八つ(午後二時)を過ぎた頃のことである。

御家人風の供揃えが六名。いずれも日焼けした精悍な顔つきで、腰の物も心なしか他の者より重く見えた。駕籠の簾が静かに上がり、中から現れたのは、四十がらみの端正な武士であった。

色部又四郎。

上杉家江戸留守居役筆頭。米沢から江戸へ、吉良応援のために遣わされた実力者である。

色部は門を見上げ、ひとつ頷いた。余分な所作が何もない。ただそれだけで、周囲の空気がわずかに締まった。

「御免」

低く、静かな声であった。

門番の小者が慌てて奥へ走る。

その駕籠の脇に、もう一人、小柄な影がひょこひょこと歩いてきた。

「ニンニン。久々の江戸、懐かしいでござる」

ランマル君である。

色部又四郎の上杉出張に同行し、半年ぶりに江戸へ戻ってきた一学配下の隠密である。色部の背中を見ながら、ランマル君はそわそわと左右を見渡した。竪川の方角へちらりと目をやり、また色部の背中に目を戻す。

その目が、わずかに泳いでいた。

〈二〉清水一学、感激の対面

清水一学は、玄関先で色部を出迎えた瞬間、思わず目を細めた。

精悍。隙がない。立ち姿だけで格が知れる。

一学は神君拝領ユンビタA丸を本日も適量服用しており、気力は満タンであった。それでも色部を前にすると、背筋がぴりと伸びる感覚があった。

「色部殿、遠路はるばる、かたじけなく存じます」

「いや。吉良殿のご苦労、上杉としても捨て置けぬ。微力ながら」

色部は短く答え、邸内へ目を走らせた。

ゆっくりと、しかし確実に、何かを見ている。

一学はその視線の動きに気づきながらも、今は感激の方が勝った。

(これで吉良邸は安泰じゃ)

心の中でそう呟いた一学の背後で、ランマル君がそっと竪川の方角を向き、

「ニンニン……」

と、かすかに呟いた。

〈三〉お決まり三点セット、本日も健在

その夜のことである。

吉良邸の夜番が眠気と格闘しはじめた亥の刻(午後十時)、竪川沿いの暗闇から、地響きのような音が近づいてきた。

「また、お届け物でぇ〜す」

郵便赤マークのゼッケンを貼った大八車が、時速百キロの勢いで本所松坂町を爆走し、クシャクシャの書状を吉良邸の門へ投げ込んで、次の瞬間には闇の中へ消えていた。

一学は縁側で茶を飲んでいたが、書状が足元に落ちた瞬間、茶碗を取り落とした。

涙目。

白目。

「……また来おった」

その隣で、色部又四郎は書状を一瞥し、静かに言った。

「定期便か」

「左様でございます。毎度毎度……」

一学が震える手で書状を拾い上げるのを横目に、豪文字盲之助が廊下の奥からすりこぎ筆を携えてのしのしと現れた。

「一学殿! これを見よ!」

盲之助は障子に向かい、特大虫眼鏡で書状の文字を拡大し、すりこぎ筆でばばばばと豪文字を障子に書き殴った。

「綱一坊の暗号だァァァ! この爆走は、米沢街道の迂回を示しておるに違いない!!」

色部又四郎が、ふと立ち止まった。

米沢街道。

その二文字に、色部の目が一瞬だけ細くなった。

「……なるほど」

それは、はずれであった。

しかし色部は何も言わなかった。

その夜、縁台でお茶を飲んでいたソソソの班長が、うとうとしながら呟いた。

「ソソソのソ……そういえば、赤穂から誰か来るとかいう話、ちらと聞きましたがねえ……ソソソ……」

誰も聞いていなかった。

〈四〉ランマル君、そわそわす

夜も更けた。

ランマル君は与えられた部屋で横になったが、眠れなかった。

天井を見上げながら、今日見た竪川の風景を思い出す。荷舟の船頭が、こちらに向かってひとつ頷いた気がした。気のせいかもしれない。気のせいでないかもしれない。

「ニンニン……」

ランマル君は小さく呟き、寝返りを打った。

廊下では、色部又四郎がまだ起きていた。

行灯の明かりの中で、色部は今日見た吉良邸の間取りを、頭の中で静かに描き直していた。

トラップが多い。

しかし、多すぎる。

多すぎるものには、必ず、穴がある。

色部はそう考えながら、目を閉じた。

今宵の一句

葉月風 助っ人到着 蝉しぐれ

あっちゅ寝太郎エッセイ

(吉良殿、強い味方が来たねぇ)

色部又四郎という人は、史実でも上杉家の切れ者として知られております。吉良殿のために本当に手を尽くした人物です。そんな色部殿が、吉良邸のトラップ群を見て「多すぎる」と感じてしまうのは、むしろ当然のことかもしれません。強い味方ほど、おかしなところに気づいてしまう。吉良殿、これはちょっと困りましたねぇ。なははは。

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