3話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第七章 3話】(七月・文月)
タイトル:大高源五と、作法クイズの罠・前編
1.小タイトル:二日連続の大失態と、浅野邸の苦い空気
安兵衛殿の墨まみれ、片岡殿の腰砕け――二日連続の大失態に、浅野邸の空気は、いつもの涼しさとは少し違う、重いものになっておりました。
「……これは、いかん。このまま行けば、家臣全員が次々と恥をかかされるだけぞ」
内匠頭が静かに呟くと、傍らに控えていた、俳諧と剣の両道に通じ、江戸の文化人たちの間でも名の知れた赤穂藩士・大高源五殿が、静かに進み出ました。
「内匠頭殿、ここは拙者が参りましょう。安兵衛殿は足元の罠、片岡殿は身体を使う罠でやられました。ならば、次は『頭』を使う罠が来るに違いございませぬ。拙者、俳諧の心得もあり、言葉の機微には多少の自信がございます」
「源五殿……うむ、頼んだ」
内匠頭は静かに頷きました。本所松坂町には、夏の盛りの強い日差しが、容赦なく照りつけておりました。
2.小タイトル:新たなトラップ、「作法クイズ」の門
吉良邸の庭、回転壁トラップのさらに奥には、新たな仕掛けが待ち構えておりました。
「これなる『作法クイズの門』、拙者が出題する高家秘伝の作法問答に、正しくお答えいただければ、安全に通過できる仕組みにございます。しかし、お答えを間違えれば――」
一学が指し示した先には、門の両脇に設置された、巨大なすりこぎ筆を模した装置と、その下に広がる、見るからに深そうな泥のプールがございました。
「不正解の場合、門の上から『お仕置きのすりこぎ』が降ってまいり、さらに足元の床が開いて、泥のプールへ真っ逆さま、という仕組みにございます!」
「なはは! 高家の作法を知らぬ田舎大名には、まさに鬼門となろうて!」
上野介が、お気に入りの「赤穂の塩細工」を抱きながら、ニヤニヤと笑いました。
その傍ら、宿直部屋の縁側では、幕府書院番組頭次席として出向中の豪文字盲之助殿が、虫眼鏡で問題の難易度表を覗き込み、興奮しておりました。
「むむむ……この問題の数々……ハッ!! これは、綱一坊一派の知力を試す『最終試験』に違いないッ! 正しく答えられる者こそ、闇の組織の幹部だァァァ!」
盲之助殿はすりこぎ筆を握り、近くの植木に「クイズ=幹部認定試験!」と巨大な豪文字をバリバリと書き殴り始めました。
3.小タイトル:第一問、源五の余裕
「では、第一問でございます」
一学が、上野介から渡された問題書を、恭しく読み上げました。
「『将軍家へ年賀の挨拶に参上する際、最初に発する言葉として正しいものは、次のうちどれか。一、「新年あけましておめでとうございます」。二、「恭賀新年、誠におめでとう存じます」。三、「あけおめ、ことよろ」』」
「……ふむ」
大高源五殿は、しばし考え込みました。
(一は普通すぎる、三は明らかにふざけている。ということは、二であろうな)
「二、『恭賀新年、誠におめでとう存じます』、でお答えいたします」
「……正解にございます」
一学が、少し悔しそうに告げました。第一問は、源五殿の余裕の表情のまま、無事に通過。門が一つ開き、源五殿は一歩前進いたしました。
「殿、第一問は正解にございましたが、ご安心くださいませ。問題は、これから難易度を上げてまいります」
「うむ、よいよい。むしろ易しい問題で安心させてからの、本番というのも一興じゃ、なはは」
4.小タイトル:第二問、急に難化する作法問答
「では、第二問でございます」
一学が、二枚目の問題書を読み上げました。
「『高家筆頭の屋敷にて、客人として茶を供される際、茶碗を置く位置として正しいものは、次のうちどれか。一、畳の縁から一寸三分。二、畳の縁から二寸五分。三、畳の縁から三寸八分』」
「……な、なんと……」
源五殿の余裕の表情が、一瞬で固まりました。
(一寸三分……二寸五分……三寸八分……? これは、聞いたこともない、極めて細かい作法ではないか……!)
「ど、どうした源五殿、早うお答えを」
上野介が、ニヤニヤと笑いながら、急かしました。
源五殿は、額に汗を浮かべながら、必死に思考を巡らせます。
(……俳諧の心得から考えるならば、五七五の「五」――いや、待て、これは作法の問題、俳諧とは関係ない……。しかし、選択肢の数字、一寸三分、二寸五分、三寸八分……何か規則性があるような……)
「……お答えは、二、『畳の縁から二寸五分』にございます!」
源五殿は、苦渋の選択で、二番目の選択肢を選びました。
「……」
一学が、答えを記した紙をじっと見つめ、やがて、ゆっくりと顔を上げました。
「……不正解にございます」
ガコン。
門の上部から、重々しい音が響き渡りました。
5.小タイトル:降りくるすりこぎと、開く床
「な、なんとッ!?」
源五殿が顔を上げると、門の両脇に設置された巨大なすりこぎ筆が、ゆっくりと、しかし確実に、源五殿の頭上へと降りてまいります。
同時に、源五殿の足元の床が、ギシギシと音を立てながら、左右に開き始めました。
「ぐ、ぐぬぬ……! これは、まさか……!」
「なはは! 残念じゃったな、源五殿! 高家の作法は、そう簡単には学べぬのじゃ!」
上野介が、お気に入りの「赤穂の塩細工」を抱きながら、満足げに笑い声を響かせました。
源五殿の足元の床が、完全に開き切るまで、あと一歩――。
宿直部屋の盲之助殿は、すりこぎが降りていく様子を見て、再び興奮した様子で叫びました。
「ハッ!! 源五殿、不正解という結果こそが、正解だったのだ! これは綱一坊一派の『逆説のトラップ』に違いないッ!」
「……いや、それは単に、答えが間違っていただけにございますが」
近くにいた小県小人の佑が、思わず冷静に突っ込みましたが、誰の耳にも届きません。
源五殿の体は、開き切った床の隙間へと、ゆっくりと吸い込まれていくのでございました。
(第4話へ続く)
【今宵の一句】
寸分の 差にて落ちる 泥の中
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(源五殿、第一問はさすがの余裕で正解されたが、第二問の「畳の縁から何寸」という超細かい作法には、さすがに面食らったねぇ。一寸三分、二寸五分、三寸八分――こんな細かい数字、高家筆頭でもなければ知る由もないだろうよ。盲之助殿が「不正解こそが正解」と的外れに叫んでいる間に、源五殿の足元の床は、もう開き切りそうだよ。さあ、源五殿は泥のプールへ真っ逆さまか――いや、ちょっと待った。お次の第4話、源五殿の運命やいかに)




