2話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第七章 2話】(七月・文月)
タイトル:片岡源五右衛門と、回転壁トラップの悲喜劇
1.小タイトル:墨の教訓と、新たな招待
安兵衛殿が「へのへのもへじ」となって帰還した翌日、浅野邸では、その報告を聞いた家臣たちが、複雑な表情を浮かべておりました。
「……安兵衛殿が、あの安兵衛殿が、まさか落とし穴とは……」
「いや、これは誰にでも起こりうることぞ。次は拙者が参る!」
そう名乗りを上げたのは、片岡源五右衛門殿でございました。三章にて、吉良邸への使者選別会議の際、「殿自ら賄賂を配りに行くなど!」と拳を握って立候補したものの、目が血走りすぎて即座に却下された、あの熱血漢でございます。
「片岡殿、お気持ちは分かるが、くれぐれも冷静に……」
内匠頭が涼しい顔で釘を刺しましたが、片岡殿は「心得ております!」と力強く頷くばかり。本所松坂町には、また夏の強い日差しが照りつけておりました。
2.小タイトル:縄跳びの罠と、入れない片岡殿
吉良邸の庭、安兵衛殿が落ちた落とし穴の脇には、新たなトラップが待ち構えておりました。
「これなる『回転壁トラップ』、まず手前にございますこの『縄跳び』を通過せねば、壁にたどり着けぬ仕掛けにございます」
一学が示したのは、地面から胸の高さほどを、シュンシュンと音を立てて回転する太い縄。一定のリズムで回転しており、これを跳び越えなければ、奥の回転壁エリアへは進めない構造でございました。
「ふっ、このような縄、武士たる者、容易く通過できようぞ!」
片岡殿は鼻息荒く構えると、縄が地面をかすめる瞬間を狙って、勢いよく飛び上がりました。
「うおおおッ!」
ビシッ!
「ぐわっ!?」
縄が見事に片岡殿の足を捉え、その場でズシャッと転倒。
「な、なんの……! もう一度ッ!」
片岡殿は何度も挑戦いたしましたが、リズムが取れず、縄に引っかかっては転び、引っかかっては転びを繰り返すばかり。額に汗を浮かべながら、十回目の挑戦でも、また縄に足を取られて転倒いたしました。
「殿……あの、これ、入る前の、入口の縄跳びでございますが……」
小県小人の佑が、申し訳なさそうに、上野介に小声で囁きました。
「うむ、分かっておる。だが、見ているだけでも実に楽しいものよなぁ、なはは!」
3.小タイトル:ようやく入った回転壁、出られない恥
十数回目の挑戦で、ようやく片岡殿は縄を飛び越え、奥の回転壁エリアへと足を踏み入れました。
「は、入ったぞ……! 入りさえすれば、もうこっちのものよ!」
しかし、その先で待っていたのは、四方を囲む壁が、ゆっくりと、しかし途切れることなく回転し続けるという、出口の見えない円形の小部屋でございました。
「むっ……? 出口は……どこに……」
片岡殿が壁を見渡すと、確かに一箇所だけ、隙間のように見える「出口らしき場所」がございます。しかし、壁全体が回転しているため、出口もぐるぐると位置を変え続けており、どこに向かって歩けばよいのか、まったく分かりません。
「ええい、ここだ!」
片岡殿が出口らしき方向へ駆け寄ると、出口はすでに別の場所へと移動しております。
「な、ならばこちらかッ!」
再び駆け寄っても、また出口は移動済み。片岡殿は回転する壁の中を、ぐるぐると追いかけ回されるばかりでございました。
「ぐぬぬ……ぐぬぬぬ……! こ、これは一体、どういう仕掛けだッ!」
宿直部屋の縁側では、幕府書院番組頭次席として出向中の豪文字盲之助殿が、虫眼鏡で覗き込みながら、唸っておりました。
「むむむ……片岡殿が、回転する壁の中で出口を探し続けておる……ハッ!! これは、綱一坊一派が時空そのものを歪め、出口を『存在しない場所』へと移動させる、究極の空間ハッキングだァァァ!」
盲之助殿はすりこぎ筆を握り、近くの植木に「出口=時空の歪み!」と巨大な豪文字をバリバリと書き殴り始めました。
4.小タイトル:目が回り、偶然の脱出、そして腰砕けの惨状
片岡殿が回転壁の中を追いかけ回されること、しばし。
「うう……目が……目が回るぞ……ぐ、ぐるぐると……」
延々と同じ方向に回り続ける壁を目で追い続けたことで、片岡殿の視界はすっかりぐらぐらと回転し始めておりました。
「もう……どちらが出口か……いや、どちらが上か下かさえ……」
そして、ついに片岡殿はその場にふらりとよろめき、たまたま倒れ込んだ先――それが、偶然にも回転壁の「出口」と一致したのでございます。
ぐらり。ズルッ。
「あっ……」
片岡殿の体は、出口からそのまま庭へと転がり出てまいりました。しかし、目が完全に回ってしまっているため、まっすぐ立つことができず、両足はガクガクと震え、まるで生まれたての子鹿のように、その場にぺたりと腰砕けに座り込んでしまいました。
「で……出られた……出られたが……足が……足に力が入らぬ……」
腰砕けのまま、地面に座り込んでいる片岡殿の姿を見て、上野介は腹を抱えて大笑いいたしました。
「な、なはは! 縄跳びに入れず、回転壁から出られず、出てきても腰砕け! 三段構えの大失態じゃ!」
「殿、見事にかかりましたぞ!」
一学も誇らしげに頷きます。
5.小タイトル:盲之助の的外れな一矢・その五、片岡の意地
腰砕けで地面に座り込んだまま、片岡殿は、しばし呆然としておりました。
その時、宿直部屋の盲之助殿が、興奮した様子で庭先へ駆け寄ってまいりました。
「片岡殿! 片岡殿はご無事か! あの回転する壁の中で、何か『暗号』のようなものを見聞きされなかったか! 綱一坊一派の正体に繋がる、何か……!」
「……暗号、でございますか……」
片岡殿は、目を回しながらも、しばし考え込みました。
(……確かに、壁の中で、何度も同じ場所をぐるぐると見ていたが……あれは、ただの壁の木目であって……いや、待て、もしやあの木目の模様こそ……)
片岡殿が何か言いかけたところで、近くにいた小県小人の佑が、慌てて口を挟みました。
「い、いえ! あれはただの壁にございます! 片岡様、深く考えすぎるのは、お体に障りますぞ!」
「……む、うむ。そう、だな……」
片岡殿は、目を回したまま、ふらふらと立ち上がり、腰砕けの足取りで、何度も壁にぶつかりながら、吉良邸を後にいたしました。
竪川を渡る夏の夕風が、ふらつく片岡殿の背中を、そっと押すように吹き抜けていくのでございました。
【今宵の一句】
縄跳びも 越せず壁にも 目が回る
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(片岡殿、安兵衛殿の墨の教訓を「誰にでも起こりうること」と気合いで乗り越えようとしたのに、まさか入口の縄跳びで十回以上転ぶとは、実にお気の毒だねぇ。ようやく入った回転壁の中では出口を追いかけ回され、目が回って偶然脱出したものの、腰砕けで地面に座り込んでしまったよ。幕府出向の盲之助殿が「暗号を見聞きされなかったか」と尋ねた瞬間、片岡殿が壁の木目を本当に陰謀だと思い込みかけたのは、小県殿の機転がなければ大変なことになっていたかもしれないねぇ。さあ、吉良殿は二日連続で見事な一矢を決めたが、この『風雲吉良城』、まだ二つもトラップが残っているよ。お次の第3話・4話は、大高源五殿が、すりこぎ筆連動トラップに挑むよ)




