第七章 1話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第七章 1話】(七月・文月)
タイトル:風雲吉良城・お披露目と、安兵衛の落とし穴
1.小タイトル:竪川の夕涼みと、一学不眠不休の一ヶ月
六月末、「物理インフラで圧殺してくれるわい」と決意した吉良上野介の号令のもと、清水一学は神君拝領のユンビタA丸と高麗人参を毎日のように服用し、寝食を忘れて庭の改造に没頭しておりました。
その一ヶ月の間も、お決まりの爆走は変わらず続いておりました。
「また、お届け物でぇ〜す。」
深夜の本所松坂町を時速百キロで駆け抜ける赤兎馬(安兵衛殿の疾風ダッシュ)に、一学は「構う暇などないわァァァ!」と振り向くこともなく、槌を振るい続けます。ソソソの班長も、改造の様子を縁側からニコニコと眺めながら、「いやぁ、ずいぶんと立派な工事でございますなぁ、ソソソのソ」と、亀井家の家臣たちにその進捗をポロリと漏らし続けておりました。
七月(文月)に入り、本所松坂町は連日の蒸し暑さに見舞われておりました。竪川沿いの柳の葉も、風がないと一枚たりとも動かぬほどの暑さ。夕刻になると、近隣の住人たちが涼を求めて川辺に出てくるのが、この時期の本所の風物詩でございます。
そんな中、一ヶ月にわたる槌の音が、ついに鳴り止みました。
「なはは! どうじゃ小人、見事な仕上がりであろう!」
吉良上野介が満足げに見渡す庭には、もはや風雅な日本庭園の面影は微塵もございません。あちらこちらに不自然な土の盛り上がり、奇妙に傾いた渡り廊下、そして庭の中央には、ひときわ目立つ大きな筵が一枚、敷かれておりました。
「殿! ご覧くださいませ、この『風雲吉良城』、すべて拙者の不眠不休の精神で築き上げましてございます!」
神君拝領のユンビタA丸と高麗人参で気力満々の清水一学が、誇らしげに胸を張りました。
2.小タイトル:落とし穴の構造と、一学の自慢
「まず、こちらをご覧くださいませ」
一学が示したのは、庭の中央の筵でございます。
「この下には、深さ二間(約三・六メートル)の落とし穴が掘られておりまする。そして、ただ落とすだけでは芸がない。底にはたっぷりと『墨』を溶いた泥水を満たし、落ちた者は全身真っ黒、顔は炭団のごとくになるという、視覚的にも完璧な防衛インフラにございます!」
「なはは! 墨とは良い思いつきじゃ! 浅野めらが顔を墨で真っ黒にして這い上がってくる様を想像するだけで、ワシのストレスが発散されるわい!」
その傍ら、宿直部屋の縁側では、幕府書院番組頭次席として出向中の豪文字盲之助殿が、虫眼鏡で穴の中を覗き込んでおりました。
「むむむ……この墨の量……ハッ!! これは、綱一坊一派の正体を『墨で書き出す』ための、究極の自白インフラに違いないッ! 落ちた者の顔に浮かぶ墨の模様こそ、闇の組織の名が刻まれるのだァァァ!」
盲之助殿はすりこぎ筆を握り、近くの植木に「墨=自白の証!」と巨大な豪文字をバリバリと書き殴り始めました。
3.小タイトル:招待状と、安兵衛の登場
数日後、浅野内匠頭、亀井茲親のもとへ、吉良上野介から「夏の行儀見習い・庭園見学会」という名目の招待状が届きました。
「ふふふ。これは明らかに、何かしらのトラップが仕掛けられた庭であろうな」
内匠頭は招待状を見て、涼しい顔で呟きました。すでに班長からの情報で、吉良邸の庭が「からくり要塞」に改造されたことは筒抜けでございます。
「ならば、誰を行かせるか、でございますな」
そこへ名乗りを上げたのは、当代一の人気者として知られる赤穂藩士・堀部安兵衛殿でございました。
「内匠頭殿、ここは拙者にお任せあれ! どんなトラップが来ようとも、この安兵衛、堂々と打ち破ってご覧に入れまする!」
安兵衛殿は自信満々に胸を叩きました。実は安兵衛殿、これまで何度も浅野側の作戦に「裏で」貢献してきたものの、表向きの「正面突破」での活躍の機会には、なぜか恵まれずにおりました。今回こそは、と意気込んでいたのでございます。
4.小タイトル:見学会当日、筵を踏む安兵衛
夏の昼下がり、吉良邸の庭に、安兵衛殿が招かれてまいりました。
「これは安兵衛殿。ようこそ、我が『風雲吉良城』へ。さあさあ、こちらの庭を、ゆっくりとご覧くださらんか、なはは」
上野介がニヤニヤと笑いながら、庭の中央――あの筵が敷かれた場所を指し示しました。
「ほう、これはなかなか立派なお庭でございますな。さっそく拝見いたしましょう」
安兵衛殿は、堂々とした足取りで庭を歩き始めました。これまで数々の裏ハッキングを成功させてきた安兵衛殿、今日もきっと、何かしらの異変にすぐ気づくはず……。
しかし、安兵衛殿は今日に限って、すっかり「正面突破での活躍」を意識しすぎており、足元への注意が完全に飛んでおりました。
ズボッ。
「うおっ!?」
筵を踏んだ瞬間、安兵衛殿の体は、何の前触れもなく、真っ逆さまに穴の中へと吸い込まれていきました。
ドップン!
5.小タイトル:墨まみれの安兵衛、へのへのもへじの恥
「ぶはっ! ぶはっ! ……な、なんじゃこれはァァァ!」
穴の底から、安兵衛殿の声が響き渡りました。底に満ちていた墨の泥水に、全身どっぷりと浸かってしまったのでございます。
「な、なはは! かかったかかった! どうじゃ安兵衛殿、我が『風雲吉良城』の威力は!」
上野介が穴の縁から覗き込み、大爆笑いたしました。
安兵衛殿が這い上がってくると、その顔は墨で真っ黒、しかも穴の底でもがいた際に、墨が顔のあちこちに不規則に付着し、まるで「へのへのもへじ」のような、間の抜けた模様を描いておりました。
「ぐぬぬぬ……! こ、これは一体、何の落とし穴だッ!」
「なはは! 顔を見てみよ、安兵衛殿! まるで子供の落書きのようじゃ!」
当代一の人気者として知られ、これまで数々の裏工作で活躍してきた安兵衛殿が、今日に限って、誰の目にも明らかな「墨だらけのへのへのもへじ顔」で、吉良邸の庭に立たされている――この光景に、内匠頭たちが事前に仕込んでいたはずの「藁束のクッション」も、墨の泥水の中では何の役にも立たなかったのでございます。
「殿! ご覧くださいませ、見事にかかりましたぞ!」
一学が嬉々として報告する一方、宿直部屋の盲之助殿は、穴から這い上がった安兵衛殿の墨だらけの顔を遠目に見て、再び白目を剥きました。
「ハッ!! あの模様……これは間違いなく、綱一坊一派の『顔文字暗号』だァァァ! 安兵衛殿の顔に、すでに正体が書かれておったのだァァァ!」
「……いや、それはただの墨の汚れにございますが」
近くにいた小県小人の佑が、思わず冷静に突っ込みましたが、盲之助殿の耳には届きません。
6.小タイトル:恥の中の冷静さ、安兵衛の意地
墨だらけの顔のまま、安兵衛殿はしばし呆然としておりましたが、やがて深く息を吸い込み、堂々と背筋を伸ばしました。
「……ふっ。なるほど、見事な仕掛けにございます、吉良殿。この安兵衛、まんまと一杯食わされましたな」
「なはは! わかればよいのじゃ、わかればよいのじゃ!」
安兵衛殿は墨だらけの顔のまま、深々と一礼し、悠然と吉良邸を後にいたしました。その背中からは、これまでの「裏での活躍」とは正反対の、表での「完全な敗北」を噛みしめる悔しさが、ひしひしと伝わってまいります。
「……ニンニン。安兵衛殿、見事な散り際でござった」
天井裏から見ていたハットリ君が、小さく呟きました。
竪川の向こうに沈む夕日が、墨だらけの顔で歩いていく安兵衛殿の背中を、赤々と照らし出しておりました。本所松坂町に、七月の最初の「吉良の一矢」が、見事に決まったのでございます。
【今宵の一句】
墨の顔 へのへのもへじと 夏の宴
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(安兵衛殿、これまで数々の裏ハッキングで大活躍だったのに、今日に限って「正面突破での手柄」を意識しすぎて、足元の筵にまったく気づかなかったねぇ。墨の泥水にどっぷり浸かって、顔がへのへのもへじになってしまうとは、実にお気の毒だよ。盲之助殿はまたしても「顔文字暗号だァァァ!」と的外れに叫んでいたが、小県殿の冷静な突っ込みも、誰にも届かなかったねぇ。さあ、吉良殿、今日は見事に一矢を返したが、この『風雲吉良城』、まだ三つもトラップが残っているよ。お次の第2話は、片岡源五右衛門殿が、回転壁トラップに挑むよ)




