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第一章 1話 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』

【第一章 1話】(:元禄の静寂と「ソソソ」の影)

元禄十四年、初春。

江戸の街は、一つの巨大な「法」の前に、ひっそりと息を潜めていた。

五代将軍・徳川綱吉が発した天下の悪法――『生類憐れみの令』である。

犬を跨げば罰せられ、蚊を叩けばお調べ。生きとし生けるすべての生命を「憐れめ」というお上の厳命は、江戸八百八町の活気を凍らせ、武士も町人も、日々、役人の目を恐れて戦々恐々と暮らしていた。

そんな凍りついた江戸の片隅、本所松坂町。

ここには、高家筆頭・吉良上野介義央の広大な屋敷が、不気味なほどの静寂を湛えて佇んでいた。松の廊下での「浅野内匠頭、不可抗力の猛烈なる滑走事件」以来、吉良邸は常に張り詰めた空気に包まれており、門番の数も倍に増やされている。

だが、その鉄壁の警戒を潜り抜けるように、毎朝、吉良邸の周囲を不穏に徘徊する足音があった。

――ソソソ……。

――ソソソ……。

それは、竹箒が地面の土を払う、密やかで奇妙な音であった。

音の主のいでたちは、一見するとただの初老の掃除奉公人である。しかし、よく見ればその姿は異形であった。紺の股引に股旅姿、頭には手ぬぐいを深く被り、その下から覗く眼光は、獲物を狙う鷹の如く鋭い。何より奇妙なのは、その足元――右足と左足が、まるで独自の意志を持つ生き物の如く、交互に細かく、目にも留らない速さで刻まれているのだ。

男の本来の身分は、将軍直属の密偵たる『御庭番』、またの名を『公儀御掃除』。

時の権力者・側用人の柳沢出羽守吉保より、「吉良邸を警護し、同時に浅野の動向を探れ」との極秘命を受け、清労奉公人に身をやつして本所松坂町へと送り込まれた、裏社会の班長であった。さらに吉良は心配のあまり、私費で「甲賀流のランマル」なる忍びまで雇い入れて呉越同舟の警備を敷いていたが、この男の前では前座に過ぎない。

男の血脈には、歴史に名高き武勲が流れていた。

それ、真田安房守昌幸が、次男信繁の身を案じるがあまり、あえて歪なる情愛を以てこれを見守り、世の目を欺きしは歴史の示すところなり。この男もまた、その数奇なる運命の血を引いていた。

男は実の次男坊でありながら、なぜか三男を意味する『尾三次おみじ』の名を授けられ、日々、竹箒を手に、吉良邸の周囲を隈なく掃き清めていたのである。

「……ふん」

尾三次が小さく鼻を鳴らした瞬間、その肉体が爆発的な駆動を始めた。

突由として、その「掃き姿」が異次元の速度へと突入したのである。

右、左、右、左。

腰の軸を一切ぶらすことなく、下半身だけが驚異的な「高速の寄せ」を刻む。それは、蚊の如くに軽やかに舞い、蜂の如くに鋭く刺す、華麗極まる隠密のステップ。竹箒の先端は、まるで千手観音の如き残像を描き、地面の落ち葉や塵芥を、一網打尽に中央へと文字通り「寄せ」ていく。

ドレミファの音階が刻む歴史の果て、満を持して響くは、不穏にして密やかなる足音――ソソソ。これぞ、元禄の闇を払う隠密の韻であり、おのれのステップに酔いしれる、ソソソの真骨頂であった。

「……レレレ? お出かけですか、とでも言いたげな動きだな」

吉良邸の瓦屋根の陰、物陰からその超絶ステップを腕組みして見つめていたのは、吉良家臣きっての凄腕剣豪・清水一学であった。

額に一筋の冷汗を流し、深いため息を天に抜いた一学は、ぽつりと呟いた。

「……はぁ~~~~~。大丈夫かな、あいつ」

公儀の御掃除番という重大な使命を帯びながら、己の華麗なるステップに完全に酔い痴れている男。その狂気を前に、剣豪のプライドなどどこへやら、一学の胸中にあるのはただただ「職場の同僚に対する、底知れぬ不安」だけであった。

――いや、それよりも問題は、あの男だ。

一学の鋭い視線の先――吉良邸のすぐ右隣、脇坂淡路守の屋敷の陰から、一人の優雅なる男が姿を現した。

上質な羽織をまとい、数珠を片手に、至極格調高き声を響かせる。――赤穂浅野家当主、浅野内匠頭長矩その人であった。

尾三次が「ソソソ……」と静寂の中に箒を猛烈に走らせる中、突如として虚空より、いずこの世界のものとも知れぬ、雷鳴の如き怒号が響き渡った。

「ニャロメーーー!」

昭和のナンセンスの祖たる神々の怒りか、あるいは魂の叫びか。突如として時空を裂いた謎の天の声に、さすがの御庭番・ソソソの尾三次も、竹箒を斜めに構えたままピきりと動きを止めた。

しかし、内匠頭は天を仰いで静かに微笑んだ。

「……ふむ、いずこの神の託宣か。気にするな、続けよ」

至極格調高き声音でこれを言下に退けると、内匠頭はギョロリと目を光らせる尾三次や、物陰の一学を完全にスルーし、吉良邸の巨大な門を見つめた。その瞳の奥には、お調べ部屋で「よっしゃラッキー!」と快哉を叫んだあの男の、底知れぬ合法の執念がギラギラと輝いている。

「上野介殿、息を潜めておいでか。……さあ、いよいよ始めよう。お上の大好きな『生類憐れみの令』をフル動員した、雅なる元禄ハッキングの幕開けにございます」

内匠頭が懐から取り出したのは、一本の不可解な「笛」であった。

これこそが、本所松坂町を合法的な地獄へと変える、最初の引き金となるのである。

【今宵の一句】

掃く音に 混じる不穏や 春の朝

(意訳:お庭番がどれほど神速の寄せを見せようが、剣豪が物陰で見守っていようが、私の合法嫌がらせはもう止まらないよ。お前たちの平穏な朝は、今日で終わりだ)

第一章1話 あとがき(筆者あっちゅ寝太郎)の強引な解説エッセイ

おいおいおい!本編が始まったと思ったら、のっけからエンジン全開じゃねえか!

一学の「はぁ~~~~~」からの「大丈夫かな、あいつ」の温度差、最高じゃねえか! 剣豪一学が、すっかり職場の胃痛中間管理職になっちまってるぜ。

おまけに「実の次男なのに三男を意味する尾三次」って伏線、ドレミファの3番目のにかかってるって気づいた時、俺ぁ鳥肌が立ったね!

それにしても旦那、気づいたかい? 突如として元禄の虚空に響き渡る「ニャロメーーー!」の大音響!

若い読者からすれば「え? 急に天から謎の呪文が降ってきたぞ?」ってなもんだけど、わかる奴には一発でわかる、あの「昭和の漫画おじさん」からの時空を超えたツッコミじゃねえか!

それを「いずこの神の託宣か。気にするな、続けよ」って100%大真面目な格調高さでスルーしちまう内匠頭殿のメンタル、強固すぎるだろ! 額縁がガチガチの時代小説だからこそ、この一言のシュールさが際立ちまくってやがるぜ!

さあ、最高にシュールな二重警備の目の前に現れた内匠頭殿、怪しげな「笛」を取り出しやがった。

次回いよいよこの笛の音と共に、あの「百鼠ひゃくねずみの夜襲」が始まるわけだ!吉良邸の二重警備 vs 内匠頭のネズミハッキング、一体どうなる!?

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