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序章 2話 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』

【序章 2話】

江戸城、某所。お白洲の如き厳烈なるお調べの問答。

冷気すら漂う広間の正面に、泰然と座す男がいた。

大目付――金目鯛 煮付のかねめだい につけのすけ

その名の通り、煮ても焼いても食えぬ公儀の冷徹なる監視者であり、金目鯛のごとく一切の感情を排したギョロリとした眼光が、内匠頭を鋭く射抜いている。

「浅野内匠頭殿。……本日、松の廊下における不穏なる挙動、いかなる仔細か」

煮付の佑の声は、低く、重い。

「殿中は公儀の威光を示す神聖なる場所。そこで吉良殿の背後へ向かい、畳を猛烈なる速さで滑り込み、怪しき言葉を囁いたとのこと。これは、上様への不敬、あるいは殿中を騒がせし狼藉と受け取られても文句は言えまい。弁明があれば、聞こう」

一歩間違えれば、この場で「お家断絶」の沙汰が下りかねない緊迫した空気。

だが、お調べの席に座す浅野内匠頭は、微塵も動じることなく、至極涼しげな顔で烏帽子を正した。その佇まいは、まるで茶会にでも臨むかのように雅であった。

「大目付様、いかにも大きな誤解にございます」

内匠頭は、格調高き声音で淀みなく語り始めた。

「それがし、日頃より領民の安寧を祈るあまり、赤穂の砂浜にて健脚を鍛えておる身にございます。本日、松の廊下を歩んでおりますと、己が長袴の裾ににわかに足を取られ、武士の習性として、転倒の衝撃を逃がすべく『受け身』を敢行仕りました。それが、お上の磨き抜かれた見事な畳のおかげをもちまして、いささか滑りすぎてしまったまでにございます」

「滑りすぎた、と申すか」

煮付の佑の片眉が、ぴくりと跳ねる。

「いかにも。刀には一切、指先ひとつ触れておりませぬ。ただの『純粋なる、不可抗力の滑走』にございます。さらに申せば、前を歩まれる吉良殿が、それがしの激しい滑走の音に驚かれ、万が一にも腰を抜かされては公儀の面目に関わると案じました。ゆえに、滑り込んだ勢いのまま『お怪我はございませぬか』と、親身になってお声をかけた次第。これがどうして、狼藉などと言えましょうや」

あまりにも堂々とした、そして完璧な屁理屈であった。

刀を抜いていない以上、武家諸法度の「殿中抜刀」には一ミリも触れていない。やっていることは「畳の上で豪快に転んで、親切に声をかけただけ」である。

煮付の佑は、金目鯛のごとき目でじっと内匠頭を睨みつけた。

しばしの沈悶。張り詰めた空気が室内を満たす。

「……ふむ」

やがて、大目付は重々しく口を開いた。

「刀を抜かぬのであれば、罪には問えぬ。長袴での転倒は、ただの不調法。親切の声をかけたのであれば、それはむしろ美徳の範疇……。よって、今回の件、お咎めなし。放免とする」

「ははっ。寛大なるお裁き、恐悦至極に存じます」

内匠頭は慇懃に深く頭を下げ、厳かにその場を退室した。

――が、一歩お調べ部屋から出て、人目のない廊下へ回った瞬間、その脳内は一変した。

(よっしゃラッキー! 全面勝訴! 言ってみるもんだな健脚の受け身。刀さえ抜かなきゃお役所仕事なんてこんなもんよ! よし、急ぎ赤穂の屋敷へ帰って、大急ぎで吉良ハッキングの作戦を練り上げるぞ。おい上野介、覚悟して待ってろよ。刀で一突きにされるより、遥かに無惨に、お前の日常を合法的にガタガタのズタズタにしてやっからな……!)

表の顔はどこまでも凛々しく高潔な大名のまま、その胸中には、禍々しくもどこかウキウキとした復讐の炎が、激しく燃え盛っていたのである。

一方、その頃。

お咎めなしの知らせを聞いた吉良上野介は、自身の屋敷で清水一学や甲賀のランマルくんを前に、ガタガタと震えていた。

「お咎めなしじゃと!? 浅野の奴、絶対に狂っておる! あの目は、ただの転倒の目ではない! 命を狙われておる……いや、命よりも恐ろしい何かで、ワシを呪おうとしておるのじゃあ!」

何も起きていないのに、吉良邸はすでに異常なまでの警戒態勢と、底知れぬ恐怖に包まれ始めていた。

これこそが、内匠頭の狙い通り。合法的な嫌がらせの幕は、こうして完全に切って落とされたのである――。

序章 2話 あとがき【今宵の一句】

のりの網 すり抜け笑う 春のらい

(意訳:お上の法律なんて、知恵を使えばすいすいよ。お咎めなしで戻ってきた私の笑い声が、吉良のじいさんには雷のように響いていることだろうよ)

筆者(あっちゅ寝太郎)の強引な解説エッセイ

出たよ、大目付の「金目鯛 煮付の佑」!名前の割にガチガチのお役所仕事の極みだな!

内匠頭殿の「親切心で高速スライディングしました」っていう超理論を、「うむ、法律に書いてないからセーフ!」って通しちまうんだから、公儀のシステムも大したことねえぜ。

それにしても内匠頭殿、部屋を出た瞬間の脳内が「よっしゃラッキー!」って、お前はどこの足軽だよ!格調高さと品性のなさが奇跡の同居を果たしちまったな。

さあ、お上の合法お墨付きもバッチリ貰ったところで、次回からはお待たせいたしました!いよいよ本編【第一章 1話(ネズミ放流計画)】へと突入だ!本所松坂町が、合法的なネズミの楽園になっちまうぜ!

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