3話 : 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第五章 3話】
:ユンビタA丸の半覚醒と、東照大権現の空き瓶デバッグ
1.小タイトル:五月の長雨と、水田氾濫の佑の「可愛い水攻め」稼働
季節は五月、皐月。江戸の街を、ジメジメとした梅雨の長雨が容赦なく襲いました。連日の豪雨により、吉良邸のすぐ近くを流れる竪川の水位は、みるみるうちに上昇していきます。
この天候を待っていたのが、亀井邸の新築現場の床下に潜り込んでいた、浅野土木部の隠密土木コンサル・水田氾濫の佑でした。
「へへっ、水位のハッキング、完了っす。大河原の兄貴、システム起動しますよ」
水田氾濫の佑が、亀井邸の新築排水インフラのバルブをカチャカチャと逆流設定に書き換えます。すると、多胡外記が配置した「お清め魔石」が地下の水脈を呼び寄せ、竪川のドロドロとした泥水が、吉良邸の床下にだけピンポイントで、チョロチョロチョロ……と逆流し始める、浅野土木部特製の「可愛い水攻めシステム」が完全稼働したのです。
「小人、小人〜! 清水殿、やはり床下がジメジメいたします! 今月の修繕バジェットが、泥水と共に流れていきまする〜!」
金庫番の小県小人の佑がソロバンを抱えてセコセコと悲鳴を上げますが、時すでに遅し。吉良邸の畳の下は、じわじわと濁った泥水に浸食され始めていきました。
しかし当然、浅野と亀井の仕掛けは完璧に隠蔽されており、吉良側には一切バレておりません。
2.小タイトル:お決まりの爆走と、一学に授けられし神君拝領のユンビタA丸
その夜も、深夜の本所松坂町に例のお決まりが駆け抜けました。
「また、お届け物でぇ〜す。」
郵便赤マークの誰かが時速百キロで爆走し、クシャクシャの書状を投げ込んで消えていく。しかし今宵の一学には、書状を拾い上げる気力すら残っておりませんでした。
不眠症の限界を超え、今や立つことすらままならない一学の姿を見かねた金庫番の小県小人の佑が、上野介から預かった蓋付きの薬壺をセコセコと差し出します。
「清水殿、これでは警護になりませぬ。これなるは、神君家康公が諸大名へ広くお配りになったと伝わる、秘伝の超スタミナ薬『ユンビタA丸』にございます。高家筆頭たる吉良家には、ありがたくもその拝領品が蔵に眠っておりました。上野介様が『一学のノイローゼを何とかせよ』と直々にお出しくださったものにございます。これを飲んでシャキッとくだされ、小人、小人」
「うう……かたじけない、背に腹は代えられん……」
一学は薬壺の蓋をむしり取り、琥珀色の丸薬をグイッと一飲みにいたしました。
その瞬間、一学の脳内に、見たこともない高速のデータが直接流れ込んできたのです。
「おお……おおお、おおおッ!? 身体が、熱いッ! 脳のバックエンドがギンギンに輝きおるわァァァッ!」
睡眠不足の限界脳に、ユンビタA丸の超成分が完全覚醒。宿直部屋の隅では豪文字盲之助殿が虫眼鏡を目にハメて「清水殿、お前の目が怪しく黄緑色に光っておるぞ! ハッ、これも綱一坊のハッキングに違いないッ!」と白目を剥き、すりこぎ筆で「一学、黄緑色に覚醒す!」と障子にバリバリと書き殴っております。
3.小タイトル:天才の戦術眼と、東照大権現の空き瓶デバッグ
しかし、上野介が一学を励まそうと善意で持ち出した拝領品「ユンビタA丸」が、睡眠不足の限界脳に過剰投与された結果、思わぬ大バグを引き起こしたのでございます。浅野側は何もしていない。吉良邸は自ら自滅への道を歩み始めたのでございました。
一学の聴覚は異常なまでに拡張され、多胡外記の魔石が床下に集めた、わずかな「ピチャ……チョロ……」という水の音を、脳内で爆音として受信してしまったのです。
しかし、一学の戦術眼は本物でございました。
「……見える! 見えるぞッ! この泥水の重低音……隣のインフラの因果律が、すべて脳内にダウンロードされてくるッ! これは、蕎麦割烹・げんばの綱一坊が仕掛けた、合法的水攻めハッキングだァァァッ!」
一学の戦術眼は、100%の確率で浅野の裏工作を見抜いていました。まさに天才防衛ハッカーの覚醒です。
……しかし、悲しいかな。ユンビタA丸の過剰摂取によるバグ出力のせいで、その脳内から叩き出された防衛命令は、完全なる狂気でございました。
「者ども、出会えッ! 敵の水攻めを遮断するぞ! 屋敷中のすべての排水口に向かって叫ぶのだ! 『東照大権現―――ッ!!』と大音声で叫びながら、この薬壺を全力で投げ込めぇぇぇッ!」
「は、はいぃぃぃッ!?」
豪文字盲之助殿や吉良家の藩士たちは困惑いたしましたが、黄緑色に目をギラつかせた一学の気迫に押され、屋敷中の排水口やドブに向かって、
「「「東照大権現ーーーッ!!」」」
と絶叫しながら、神君拝領の薬壺をガシャーン、ガシャーンと狂ったように投げ込み始めました。
4.小タイトル:計算外の大デバッグと、浅野土木部の首をかしげる朝
当然、そんな精神論のデバッグで泥水が止まるはずもございません。投げ込まれた薬壺の破片が排水管にソソソと詰まり、行き場を失った竪川の泥水は、吉良邸の床下から「ブフォッ!」「ピュッ!」と激しく逆噴射を始めました。
「ひえぇぇ! 泥水が! 泥水がソロバンを直撃いたしまする〜! 小人、小人〜!」
「そこかぁぁぁッ! 綱一坊のバックドアめ、東照大権現だァァッ!」
天才的な戦術眼で敵の意図を見抜きながらも、神君拝領の薬壺を叩き割って自ら屋敷を「完全な泥水まみれの虚無」へとハッキングしてしまった清水一学。
しかし、この大パニックの中、一学がノイローゼのあまり夜な夜な床板をメッタ刺しにしていた無数の「刀の穴」が、絶妙な換気口・排水口の役割を果たしてしまいました。床下に溜まるはずだった泥水はすべてそこから綺麗に抜け、吉良邸の床下は皮肉にも、サラサラに乾燥してしまったのでございます。
翌朝、亀井邸の新築現場の生垣の陰では、大河原騒吉棟梁と水田氾濫の佑が、首をかしげて図面を覗き込んでおりました。
「おい、水田。計算が合わねえぞ。水が一滴残らず消え失せてやがる」
「おかしいっすね、兄貴。あ、見てください、吉良邸の床板、あちこち刀でメッタ刺しにされて穴だらけになってますよ!」
「……なんだあれは」
二人はしばらく無言で穴だらけの床板を眺め、顔を見合わせてから、ソソソと引き上げていったのでございます。
一方、朝光の中で自分の開けた床の穴を見つめていた清水一学は、奇跡の閃きに打たれました。ユンビタA丸の毒素が抜け、真の防衛ハッカーとしての静かな半覚醒を迎えたのです。
「……乾いている。床下が、乾いているぞッ! 搦め手で来るなら、我が吉良邸にも考えがあるわ!」
浅野と亀井の仕掛けは完璧に隠蔽されたまま。水攻めはまさかの失敗。しかし、吉良邸の床下には原因不明の泥水の痕跡だけが残り、上野介の理不尽なイライラの導火線が、ソソソと火を噴く準備を整えていくのでございました。
【今宵の一句】
東照と 叫んで刺した 穴が勝つ
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(一学殿、上野介様が善意でお出しくださった神君拝領のユンビタA丸、ありがたく飲んだら脳がギンギンになってしまったねぇ。それでも浅野の水攻めを正確に見抜いていたのは実に見事だったよ。ただ、その防衛命令が「東照大権現と叫びながら神君拝領の薬壺を叩き割れ」では、盲之助殿も止めようがないよ。それでも結果的に、お前が夜な夜な開けた床の穴が完璧な排水口になって、浅野土木部の緻密な水攻め計画をまるごと無効化してしまったよ。大河原棟梁と水田殿が朝の現場で無言で顔を見合わせている姿は、実に微笑ましいねぇ。さあ、床下は乾いたものの、上野介様は自分の善意が吉良邸を泥水まみれにしたとも知らずにイライラを募らせているよ。お次の第4話では、そのイライラの矛先がソソソと浅野内匠頭へと向かっていくよ)




