第三章 1話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第三章 1話】(小タイトル:音速無音馬の「定期ポスティング」)
1.嵐の夜の、不気味な無音
三月(弥生)の初旬、江戸の街にはまだ冬の名残を帯びた激しい雨風が吹き荒れておりました。
ゴウゴウと鳴り響く嵐の中、吉良邸の物見櫓の上では、清水一学が寝不足の目を血走らせながら、宿直の任務に就いていた。
前月の「小石」によるからくりネズミ箱の騒動以来、吉良邸の警戒態勢は最高レベルに引き上げられていたが、だからこそ一学の精神は限界を迎えつつあった。
「……静かすぎる。風の音の裏で、何かが動いておる気がしてならん……」
一学がその並外れたダンボの耳をピクピクと尖らせ、雨音の向こう側の微音を必死に聞き分けようとした、まさにその時でございます。
2.時速百キロの「定期ポスティング」
漆黒の闇の向こうから、一切の足音を立てずに、何かが猛烈な勢いで吉良邸の正門へと突進してきました。
内匠頭が特注させた「ナイキの無音シューズ」を四つの蹄にガッチリと履いた、例の無音走行馬である。その速度は嵐の風をも追い抜く、時速百キロの赤兎馬並みの猛スピード。
あまりの速さと無音さに、地上の門番たちは突風が吹いたとしか認識できなかったが、耳が良すぎる一学の鼓膜だけは、すれ違いざまに放たれた、あの音速の残響ボイスを至至近距離で叩きつけられた。
「また、お届け物でぇ〜す。」
凄まじい残響を残し、無音馬に乗った赤マークの飛脚は、クシャクシャに丸められた書状をフリスビーのように吉良邸の敷地内へ投げ入れると、そのまま一瞬で闇の彼方へと消え去っていった。
3.ノイローゼ一学の叫び
「ひ、ひえええええ! 出たァァァ! 闇の組織の定期ポスティングだァァァ!」
一学は物見櫓の上で腰を抜かし、涙目で頭を抱えて叫んだ。
「おのれランマル君、追え!……って、バカ野郎、重要な密書を持たせて、ランマル軍団ごと上杉に出張させたのは拙者だったァァァ! 誰も追えねえぇぇ!」
一学が自分のポカにガチ泣きしながら櫓を駆け下り、宿直の面々と共に門前へ駆け寄ると、そこには案の定、親の仇かというほどにクシャクシャに丸められた、上質な「正式な書状」がポツンと落ちていた。
一学が震える手で必死にシワを伸ばして読むと、そこには怪しい数式と謎の暗号記号がズラリと並んでいる。そして、その一番下には、ご丁寧に以下のような意味不明なヒントが添えられていた。
『ヒント:玄関の敷居をまたいで、右斜め後ろを振り向くと……?』
4.バグる脳と、見えない陽動
「右斜め後ろ……? いや、振り向いても物置の壁しかねえよ! 分からん! ヒントのせいで、さらに意味が分からん! 脳がバグるゥゥゥ!」
一学はクシャクシャの書状を抱えたまま、完全にノイローゼになって白目を剥いた。
実はこれこそが、浅野側が仕掛けた周到な「陽動作戦」。吉良邸の防衛の要である清水一学の目を、この本所松坂町のポスティングへと完全に釘付けにし、警備を完全に麻痺させるための罠だったのである。
吉良邸が謎の暗号文を前に大騒ぎしているその頃、江戸城下の別の場所では、浅野側の真の狙いである「経済ハッキング」の牙が、静かに剥かれようとしていた。
(第2話へ続く)
【今宵の一句】
無音馬の 声だけ響く 嵐かな
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(吉良殿、お庭のライトアップにうっとりしている場合ではございませんよ。音もなく届いたクシャクシャの暗号に一学が白目を剥いている間に、お前たちの『外部の隠し蔵』を握る小栗金満路と小県こびとの佑の二人の足元に、ハットリ君がソソソと忍び寄っているよ。せいぜい今のうちに、その自慢の庭で美味しいお酒を飲んでおくがいいよ)




