4話: 『吉良殿、絶対切腹しないで仕返ししてやる!』
【第二章 4話】(小タイトル:大石のトリセツ、再び。「箱だけ」の心理戦)
「……アチラの動向を、ソソソ(探索)してまいります」
吉良邸のお掃除奉公人にして、柳沢吉保の特命を帯びた大物密偵・ソソソの尾三次が、お隣の脇坂淡路守の屋敷へ、今日も今日とて「出稼ぎ調査(という名のサボり)」へと消えていった、ある日の夕暮れ時のことでございます。
実はこの頃、尾三次の心の中で、何かがプツリと切れかかっていた。
最初は柳沢様のためにと張り切っていた隠密任務だったが、昼は公式な庭石の力仕事、夜は正体不明の嫌がらせへの警戒、さらにはその間を埋める公式返礼品の往復ステップ。
「やってられっか、こんなバカバカしいお役目……。こんなことに命を懸けてるなんて、アホらしくて徐々にやんなっちゃったな」
さすがの班長も、この不毛な贈り物合戦にすっかり嫌気がさし、心は確実に「サボり」の方向へと傾き始めていたのである。
そんな吉良邸の門前に、お昼間だというのに再び、あの「公式の御用飛脚」の姿が現れた。
彼らは一切の無駄口を叩かず、ただ一言も発さぬまま、門前に「一分の隙もない超高級な漆塗りの大箱」を厳かに置いて、サッと風のように去っていった。
のし紙には、例の不気味な偽名『播州の風流人・小石』とだけ認められている。
「……おい一学、今度は何だ。また深夜の牛鍋の残りを温め直すような真似は御免だぞ」
色部家老が青い顔で、昼間に堂々と届いた箱を睨みつける。
「色部様、そもそも『小石』などという大名や旗本、この江戸に居ましたかいな……?」
一学が涙目で首を傾げる。もしこれが、吉良家を呪う何者かの仕業だとして、大騒ぎして公儀(幕府)に知られでもしたら、「高家筆頭のくせに、どこの誰とも分からぬ者に怯えて、おみっともない」とお咎めを受けかねない。だから、どれだけ怖くとも、この奇妙な贈り物の存在は内々に処理し、必死に「隠す」しかなかったのだ。
「待たれよ。拙者の耳に、妙な音が聞こえまする……」
清水一学がその並外れたダンボの耳をピクピクと動かし、漆塗りの大箱にそっと耳を寄せた。
――チクタク……。
――チクタク……。
箱の奥底から、規則正しく時を刻む、微かで、しかし冷徹な金属音がお昼の静寂に響いていた。
「な, 何だこの音は!? 生き物ではない……時を刻んでおるぞ!」
「……まさか! これは昼間の浅野殿とは別の、もっと恐ろしい闇の組織の陰謀に違いねえ! 夜は牛肉で油断させ、昼は爆弾を送りつける。四六時中仕掛けてくる、南蛮渡りのゼンマイ仕掛けを用いた『からくり爆弾』じゃァァァ!」
一学の叫びに、吉良邸の宿直の武士たちは色を失った。
仕掛けた側は、あからさまな嫌がらせとお上にバレぬよう、あくまで風流の範疇として「巧妙にしらを切る罠」を昼間に堂々と張っているだけなのだが、誰も正体を知らぬ吉良側は、勝手に斜め上の「闇の組織」の恐怖へと脱線していく。
「いかん! 触るな! 刺激するな! 毛布をかけろ! 全員退避じゃァァァ!」
色部家老の指示のもと、家臣たちは公儀にバレぬよう涙目で箱に何重もの布団と毛布をかぶせ、庭の隅へと押しやって全員が物陰に身を隠した。
それから半日。
吉良邸の面々は、いつ爆発するかもわからぬ恐怖のチクタク音に怯え、生きた心地もしないままガタガタと震えて過ごした。夜が明けても誰も配置に付けず、警備の指揮をとる一学もノイローゼ寸前である。
「……ハァ、ハァ……。もう限界じゃ。拙者が一刀の下に斬り捨てて、中身を確かめてくれる!」
夕方になり、ついに精神が崩壊しかけた一学が抜刀し、決死の覚悟で漆箱の蓋を激しく叩き斬った!
パカッ。
「うわあああ放水しろォォォ!」と家臣たちが叫ぶ中、中から転がり出てきたのは――。
ただの小さな「ゼンマイ仕掛けの木彫りのネズミ」であった。
「……は、箱だけ……? 中身は空っぽ……?」
一学が刀を構えたまま、ポカンと口を開けた。
そうなのだ。これこそが、あの正体不明の差出人『小石』による、「開ける恐怖」を巧みに突いた高度な心理戦。吉良邸を一日中パニックに陥らせるためだけの、ただのからくり箱だったのである。
公式な顔をして届く浅野家からの、断れない「武家ルール」の波状攻撃。
同じく昼間に堂々と届く『小石』からの、意図の読めない「不気味なしらを切る罠」。
まんまと「音だけ」で丸一日警備を麻痺させられた吉良邸。しかし彼らはまだ、このバカバカしいからくり箱の騒動の最中、お隣の脇坂殿が不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていることに、気づく由もなかったのである。
【今宵の一句】
からくりの 音に怯えて 夜が明ける
【あっちゅ寝太郎エッセイ】
(吉良殿、ただの木彫りのネズミの足音に、大の大人が揃って毛布をかぶって震える始末。これぞ見事な滑稽さ。一体誰が、何のためにこの箱を届けたのか? 公儀に怯えて必死に隠そうとするそのお堅いプライドこそが、お前たちを縛る最高の檻なのだよ。せいぜい次の『小石』からの箱を開けるときも、正体不明の影に怯えながら、命がけで刀を抜くがいいよ)




