アリヤの決意
「パパがあの日どんな思いでお前を送り出したか。国民も今、アリヤを国外に逃がさないといけない原因となった連合国に対し、怒りの沸点を超えているんだ」
声だけは渋く、しかし涙を流しながら喜ぶアリヤの父に、他国の代表らもやや引いている。
「お父様、私も幾夜泣き過ごしたか数えきれません。ずっとセイスフランナの事を想っておりました」
「パパの事は、パパの事も想っていたんだな? お前がいなくなりもう2年が経とうとしている、パパは何度も国とお前を天秤にかけ、心揺れていたんだよ。さあ、会議が終わったら一緒に帰ろう」
「えっ」
ケヴィンとフューサーが揃って驚きの声を漏らした。アリヤとはもう長く一緒に過ごし、共に島の黎明期を乗り越えた仲間だ。アリヤが国を去る可能性など、これっぽっちも考えていなかったのだ。
「お父様……」
「連合国の脅威はまだ続いている。海上は封鎖したが、陸路や空からの備えにはまだ不十分だ。それでも今はお前を国外に出した事を後悔しているよ」
「わ、私は……」
元々アリヤは国外に一時避難するつもりで船に乗った。その船が海上で襲われ、王女だと気付かれずに通訳士として連れ回される事になった。
そうでなければ避難先の国で穏やかに過ごし、毎日でも電話で近況報告出来たし、状況が好転すればすぐにでも帰るつもりだった。
他国に移住し、そこで生きる決意をさせようなど、国王は微塵も考えていない。
アリヤもたまたまオルキ国で助けられただけで、移住目的で移り住んだ訳ではなく、連合国の脅威が和らぎつつある今、もう避難生活を送る必要もない。
「国で皆が待っている。魔獣のオルキ王にはアリヤを救い出してくれた感謝として、どんな協力も約束しよう。オルキ王、今は時間がないため礼は後ほど。さあ、我々の席は向こうだよ、行こうアリヤ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って下さい!」
アリヤは当然のように手を引く父親に抵抗する隙も無く、慌ててオルキ国の面々へと振り返る。
呆気に取られるフューサーやケヴィン、オルキも声を掛けるがどんどんアリヤは遠くなっていく。
100以上の机と座席が並び、騒めく会場の緩やかなスロープを、2人が下っていく。
セイスフランナの王と王女が自国の席に向かうのは、平時なら当然の事。再会を良かったと微笑む他国の要人までいるくらいだ。
その時、ちょうどイングスが帰って来た。
「アリヤは帰りたいのかい」
そこに大きくてよく通るイングスの声が響いた。
あまりによく聞こえるものだから、雑談をしていた各国の出席者も自然と喋るのを止め、イングスへと視線を向ける。
「アリヤは帰りたいのかい」
イングスが再び呼びかけ、セイスフランナの国王もやっと歩みを止め、振り返った。
「アリヤは我が国の王女だ」
「そんな事は聞いていないよ。アリヤは帰りたいのかい」
「国に帰る、当然の事だろう」
「君がアリヤを国外に送り出したんだよ」
「ああ、その通りだ。だから帰ってきてもらうんだ」
「君が勝手に送り出したのに、今度は勝手に連れて帰るのかい」
国王を相手に君呼ばわりとはずいぶんだが、生憎イングスには敬うという感情はない。
イングスにとって、相手はオルキ国の国民であるアリヤを勝手に連れ去ろうとする人間でしかない。
「勝手? 当然の事だろう、アリヤは私の娘だ」
「君の娘はどうしたいのかい」
「私と一緒に帰るに決まっている」
「君が決める事ではないでしょ。君は自分の娘の考えを聞こうとしないのかい」
「聞かなくても」
「オルキは国民の考えを聞くよ。聞かなくちゃ分からないからね。君の娘は君の国民じゃないのかい。君は国民の考えを勝手に決めつけて聞きもしない王様なのかい」
イングスの言い方に、ケヴィンもフューサーも、いや他国の出席者も内心ヒヤヒヤしていた。
相手は経済大国セイスフランナの国王だ。この場でセイスフランナに物申せる国など幾つもないのだ。
「僕はアリヤがどうしたいのか、聞かなくちゃ分からないよ」
セイスフランナの国王は、ようやくアリヤに何も聞いていない事に気付いた。
他の選択肢を持っている可能性など全く思いつきもしなかったし、今まで何事においても選ばせる事すらしてこなかった事に衝撃を受けてもいた。
「アリ……」
「私は、私はオルキ国に残ります。この会議にはオルキ国の代表として出席しています。セイスフランナの王女として出席したのではありません」
今までアリヤは王家のしきたりに倣い、国王や方針に抵抗する事も意見する事もなかった。
それが王女の役割であり、自分の全てだと思っていたからだ。
国王も周囲の者も、それが当たり前であってそれを完璧にこなし守り抜くアリヤを褒めた。
一方、オルキ国では自分で何でもこなし、時には自分の意見で場を動かさなければならない。連合軍に捕えられていた時も、オルキ国民になった今も受動的な性格は相変わらずだが、必ずしもそれが自分の役割ではなく、時には悪癖ですらあると思い知った2年だった。
アリヤは幼少のイヤイヤ期を除き、初めて父親の意思を拒んだ。
「アリヤは帰らないと言っているよ」
「帰らない……だと」
「お父様、再会はとても嬉しいです。ずっとずっとお会いしたいと思っていました。けれど私は1度セイスフランナを出た身なのです。国の危機にあって自分だけ国外に逃れた王家失格のただの女です」
「そんな事はない、お前は今も私の可愛い可愛い王女じゃないか」
「いえ。自分だけ危機を逃れ、今更当然のように戻るなんてセイスフランナの国民に顔向けできません。国民を見捨てたも同然ですから。私はセイスフランナの外から、陰ながら支える道を選びます」
セイスフランナ国王の目から、まさに滝と呼ぶにふさわしい量の涙が流れる。
今までの言動からして、ショックを受けた絶望の涙なのか。
それとも17歳で国を離れ、1年の捕虜期間を経て、オルキ国で立派に成長した娘への感動なのか。
「お父様。人は人として成長しなければならない時が来るものです」
「アリヤちゃん……」
「私にとっては2年前、オルキ国に辿り着いた時にそれを迎えたのだと思います」
「アリヤちゃんはパパから離れて生きるというのかい」
「はい。時は過ぎるのです」
アリヤは目に涙を浮かべながらも力強く頷いた。その拍子に零れた雫がキラキラと輝き、赤いヒールのつま先を濃く染める。
ただの雑談の時間が、親子の再会と決意の瞬間への立ち会いに変わった。
周囲からはまばらに拍手が起こり、やがてそれは会場中に響く大きなうねりとなった。
≪皆様、時間となります。次の議題に入るため会場にお戻り下さい≫
ちょうど会場内にアナウンスが流れる。
「……オルキ王。アリヤを、お願いします」
「無論だ、吾輩よりも適任はおらぬだろう。貴様は何の不安もなく自国の事だけを考えておけ」
セイスフランナと親交のある国々の出席者らがセイスフランナの国王を慰め、アリヤの成長を讃えながら去っていく。
「はぁー、イングスが不躾に喋るのを聞いてて心臓が止まるかと思った」
「そうなんだね」
「全然オルキ国を去るなんて思ってなかったけど、手を引かれて行くのを見て、一瞬その方がいいのかななんて考えてしまった。帰るところがあるって事だから」
フューサーにもケヴィンにももう帰る故郷はない。ソフィアは国を捨て、イングスに至っては親や祖国という概念すらない。
「帰り道をなくして、私はオルキ国を唯一のふるさとにすると決めました。勿論、いつかセイスフランナを訪れる事もあるでしょう。けれど、その時の私はセイスフランナにとってただの客人です」
「本当にいいのか? 無理に帰る場所を捨てなくても」
帰る場所のないケヴィンが、親も故郷も健在なアリヤを心配し顔を覗き込む。
「帰る場所を捨てたのではありません。かけがえのないものはそのままに、帰る場所を変えただけですよ」
アリヤはニッコリと微笑みながら、最前列の席で慰められているセイスフランナ国王の後ろ姿を見つめる。
「これからは娘ではなく、対等な立場の代表団として接します。たとえセイスフランナ相手でも、オルキ国の権利は譲りません」
アリヤは思いを断ち切るようにガッツポーズを見せ、一番後ろに用意されたオルキ国の席に着く。
「そう来なくっちゃ」




