イングスの思いやり
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春の風が草原の草を撫で、城塞都市の門の中に外の清々しさを教えようと吹き込んでいく。
レノンを経由しガーデ・オースタンに入った一行は、オルキ国出発から7日目の昼に会議場の前へとたどり着いた。
宿泊するホテルは国際会議側の負担であり、案内されたのはシルトンホテル・ベイリーン。ガーデ・オースタン共和国の首都で1,2を争う高級ホテルだ。
「シルトンホテルだったら、トリスがいたりしねえかな」
「あいつはゴーゼ出身じゃなかったか? ゴーゼ解放の英雄の末裔とか、そんな家柄だったはず。ガーデ・オースタンのホテルにはいないだろ」
「自社のホテルが国際会議の出席者の宿泊先になるなら、社長として来る可能性はあるんじゃないか」
「だとしても、オルキ国以外の国との付き合いも長いだろうし、挨拶を交わすくらいがせいぜいかな」
温暖な気候で晴れの日が多く、降水量は少なめだが南の山地から豊富な水量の大河が流れ込む豊かな土地。1年を通じて気温が10度を超える事が殆どないオルキ国の代表達には少々暑いと感じる。
「春の時点で既にオルキ国の夏より暑いかもしれませんね。セイスフランナの方が確実に暑いのに、2年も住めばオルキ国の気候に慣れてしまって」
「オルキ国の夏なんて、夏だから半袖で歩くと意地になってるだけで普通に寒いもんな」
「そうですね、寒さには強くなったかもしれません。雪やマイナスの気温なんて、私には無縁だと思っていました」
「さーて、一応はレノンの招待を受けて出席するゲストの立場だから……まだ会議場には入れないんだっけ。案内の人が付いてくれるんじゃなかったか」
「レノンの代表らと合流するまではむやみに動かぬ方が良かろう。夕方の会食までホテルで待っておけとの事であったから、18時にロビーへ下りてくれ」
レノンから案内をしてくれた者も、国際会議の会場へと行ってしまった。
国際会議は今日から開催されていて、加盟国だけで色々な議題と採決が行われている。最終日となる2日目の終盤に国際会議に加盟したい国によるプレゼン、審査および承認がある。今回で言えばオルキ国の審査だ。
それまではレノンの招待を受けて会場に入る「関係者」に過ぎない。
「じゃ、ホテルに行きますか」
首都の地理が分かるフューサーのおかげで特に困る事はない。1人1つのスーツケースを転がしながらホテルに着き、早めのチェックインを申し出ると、ホテルのフロントスタッフはあからさまに怪しむような視線を向けた。
ドレスコードの指定は聞いていないが、一応はオルキ国の正装、つまりフォーマルな格好をしている。イングスもそうだし、オルキにもベストを着せた。
だが、どう見ても20代前半の集団、イングスに至っては見た目が16,17歳。
そんな一行が気軽に泊まれる程、シルトンの敷居は低くない。
金持ちは時々半袖シャツに短パンといった装いで来る事もある。しかしその場合は大抵顔を見ただけで分かる程度には認知度が高いか、常連だ。
天井から下がるシャンデリア、高級そうな赤い革のソファー、刺繍の施された大きな絨毯。
調度品の1つ1つ、絵画の1つ1つが美術館に飾られていてもおかしくない。その空間において、オルキ国一行は金持ちにも要人にも見えずやや浮いていた。
極めつけは、受付の女性が放った一言だ。
「ご予約はお済みでしょうか。失礼ですが、ペット同伴でお泊りの場合、ケージに入れていただく事が条件となります」
「吾輩をペット呼ばわりだと? 失礼な奴だ」
オルキが心外だと抗議をする。急に喋り始めた猫に、受付の女性は目を見開き口をパクパク。
見かねたアリヤがニッコリと笑みを作り、予約の名と、オルキが何者かを伝えた。
「お、オルキ国ご一行様……も、申し訳ございません!」
「アリヤ……セイスフランナの王女の、アリヤ様ですか」
「今日はオルキ国の大臣として来ておりますので。あの、騒ぎになると困りますから」
オルキ国の王が魔獣である事は知られるようになったものの、実際に見たら猫と変わらない。オルキがそのオルキ王だとは思わなかったのだろう。
観光客のようにスーツケースを押す若者と一緒に現れ、その肩に乗って登場するとは思わなかったのかもしれない。
有名人が訪れる事も多いため、むやみに騒がないよう教育もされている。ただ、急に他国の王女が目の前に現れたなら、驚くことくらいは仕方がなかった。
誰が泊まるかまで連絡が入っていたかは分からない。オルキ国の存在を知る者で高級ホテルに勤めている者であったなら、肩に国王を乗せているのが良くできた人形である事にも気付いているだろうか。
「こ、こちらに宿泊者のサインを……」
「オルキのサインは僕が書いていいのかな」
「だ、代筆も問題ございません」
格式と安心を最高水準で保たなければならない以上、客を厳しく見てしまうのは仕方ない。相手が国王だと分かり、失礼な事をしたと顔を青くする従業員に、アリヤが心配しないように伝える。オルキも従業員に気遣い、問題がないと念押しをした。
「こちらから名乗ればよかっただけの話。誰にでも間違いはある。重要なのは心からの詫びや誠意で応える事、そう思わぬか。それが出来ておるのだから吾輩が責め立てる道理はなかろう」
「ご案内します。さあ、お荷物をお運びしますので」
係の者が丁寧に頭を下げ、皆を上階へ向かうエレベーターに案内する。
と、ロビーの端のソファーに座る人々の中で、見覚えのある人物が視界に入った。
「あれ、トリスさん?」
アリヤの澄んだ声が響き、その人物が入口へと視線を向ける。
「あ、アリヤさん……アリヤ様! みんなようこそ!」
トリスは黒いジャケットに白のスカートを履き、赤いヒールで颯爽と駆け寄って来る。手に持っている小さなバッグにはブランドのロゴがさりげなく刻印されていて、どこからどう見ても金持ちで華やかな女性だ。
「本当に社長なんだな……ああ、社長なんですね」
「堅苦しい喋り方じゃなくていいってば。色々と話したい事はあるし、ホテルの件も話を進めたいんだけど、ちょっと今忙しくて……明日は? 10分でいいから時間貰えない?」
「問題ない、吾輩らは午後からの会議にしか招待されておらぬのだ。11時頃までは良いだろう」
「良かった。じゃあ明日、9時にこのホテルの2階にある会議室へ」
トリスは近くにいた従業員に指示を出し、3階の会議室を抑えるように伝える。その際に準備するべきものまで伝え、その間に別の者に今月の装飾に相応しくないと言って花や絵画を変更するよう指示する。
「すげえ、出来る社長って感じだな。オルキ国に来てすぐの時の態度、何だったんだよ」
「あれはもう忘れて。一応社長だからさ、これでご飯食べてんの。いくら家柄とか見た目とか気を付けても、実力がなきゃダサいでしょ」
「出来る女性って、素敵ですよ。トリスさんにピッタリのお仕事だと思います」
「アリヤさんに言ってもらえるなら嬉しい。昔はさ、親に反抗してモデルで食べて行こうと思った時もあったんだけど、難しくてさ……」
トリスが恥ずかしそうに苦笑いをする。そんなトリスの目の前で、イングスがおもむろに自分のスーツケースを開け始めた。
「どうしたの」
イングスが巾着の中からスッと何かを取り出した。それをトリスの手に握らせる。
「これを使うといい」
「えっと……これ、スプーン? もしかしてお土産? オルキ国のロゴと、この柄のイラストは島長さんだ」
トリスはイングスがお土産を渡してくれたのだと思い、笑顔で感謝を述べる。
だが、イングスの意図はそうではなかった。
「スプーンでご飯を食べると難しくないよ。スプーンで食べるようにしたらいい」




