演技
漣が聞こえる。その音がだんだんと近づいている気がする。その事実に気づいて美枝は恐怖に震えた。今ではスタンガンのダメージは軽減されて身体を動かすのに支障はない。しかし今は手足を縛られて声も出ないようにされていて抵抗をしても無意味で、誰かを呼んでもくぐもった声しか出ない。
なんとなくだが美枝は分かっている。見てはいけない物を見てしまったからこれから消されるのだ。しかも手足は解けない程度に軽く布で縛られているから下手すると拘束したという痕跡が見つけにくいかもしれない。
それにこの状況的に海に捨てられる。いや、溺死に見せかけてそのまま捨てられるに違いない。そうなれば恐らく死体はふやけて検査が難しくなる。
あまりにも酷いことになるに違いなかった。
――ッ。
もう堤防の先まで来てしまった。この海に放り込まれてしまったら、浴衣では泳げずに溺れてしまう。補助浮力になり得る靴も、服も、ペットボトルも何もない。というか頭を押えられるだけでも危険だ。
死が、すぐそこまで迫っていた。
そしてそれが自分の死だと考えると怖くてたまらなかった。
お願いっ!
誰か――っ!
必死に願う。今はただそれしか出来ないのだ。無力な自分も嫌だが、こんな終わり方なんて受け入れられるはずがない!
いやだ!
死にたくない!
その時だった。
「はーい。そこまで」
「「「ッ!」」」
聞き覚えのある、しかしここで聞くにはどうにも場違いな声が聞こえた。
「誰だ?」
「警察の浜崎です。直ちにその子を離しなさい」
目隠しはされていなかったからそこにいる人物が誰なのか伺うことが出来た。なんとそこにいたのはスーツらしきものを着込んだミリアだった。しかし先ほどとは違って髪を黒く染めている瞳もカラーコンタクトだろうか、焦げ茶色のそれで、容姿の美しさは残しつつ、普通のヒトらしくなっていた。
やっぱりあの色は目立ちすぎたからだろう。
しかしミリアの手には警察手帳があって証票と記章を提示している。一体どこからそれを持ってきたのか甚だ疑問であったが、美枝は安堵感と共にここに来てしまったミリアが心配で仕方なかった。
それと美枝がいるのは小さな堤防の先で、ミリアは男たちの退路を塞ぐように堂々と仁王立ちしている。強行突破と海に飛び込む以外では逃げ道がない立ち位置だった。
「警察、だと!?」
ターコイズブルーのアロハシャツの男に指示されて美枝を運んでいた2人の男が狼狽したかのように慌て出した。彼らにも犯罪をしている自覚はあるのだろう。警察と聞いて慌てないヒトがいるのならあまりにも犯罪を重ねすぎた者か、絶対捕まらないという相当な自信の持ち主だけかもしれない。
しかしアロハシャツを着た男は全く動じずに口を開いた。
「姉ちゃん。本当に警察か?見た感じ内地人のようだが?それに若すぎやしないか?」
今までの沖縄弁はどこへやら。彼は標準語で話し出した。
それに対してミリアは飄々とした態度で、薄く笑みを浮かべていた。
「ああ、それは美容を頑張ってるからね。よく褒められるのよ。それと確かに私はここじゃない本土の方から来たけど、最近こっちに飛ばされてね。所謂左遷よ。挽回するためにも早速個人的に祭りの見回りをしてたらまさかこんなことになるなんて」
「……」
ミリアはやれやれといった風に肩を竦めて首を左右に降る。その仕草からはないはずの疲労感が伝わってきた。それだけの演技をしている。ミリアが嘘を言っているのは確かだ。しかしこんなアドリブをさらさらと言えるなんて流石としか言いようがない。
役回りは刑事だろうか?
しかし次の瞬間、ミリアは、さて、と声を漏らし。
「もうすぐ私のお仲間も到着するけど、公務執行妨害を犯してでもここから逃げたいのかしら?」
「どうして最初から抵抗する前提なんだ?」
「だって手慣れてるでしょ?油断したら何されるかわかったもんじゃない。悪足掻きは止めてその子を離しなさい」
しかし男たちは動かない。身構えてミリアを睨みつけている。警察というのはそれなりの体術――逮捕術など――を身に着けているものだ。ミリアはどこか隙のない立ち方をしていて、いつでもすぐに動ける体勢でいる。それが男たちを警戒させていた。
暫くの間、両者の間に沈黙が降りる。どちらも警戒したように動かない。
ミリアは内心物凄く緊張していた。完全に演技をしているから今は気づかれてない。ただこれ以上時間が経つと色々とやばい。
実のことを言うとミリアは全く格闘技の心得はない。もっと言うならば逮捕術ってなに?というくらい無知である。格闘技と聞けば空手か柔道くらいしか思い浮かばないし、背負投げしかそれっぽいのを知らない。もちろんできるというわけではなく、知識としてである。
それでも男たちを警戒させているのは、今までの仕事の経験とエヴェリンの戦闘術の演技からくるハリボテの威圧感である。あとは自分は結構強い警察官だという暗示にも近いほどの自信からだった。
本当なら彼女はこんなことをしてはならない。自分が巻き込まれて二次被害が出てしまうから。しかしだからといって何もしなかったら美枝が危なかった。今も危ないけど。
それでもちょっとだけこの状況を楽しんでいるのは絶対秘密だ。
そこで不意に耳元で彼女しか聞こえない声が響いた。
『ミリアさん。応援が来ました。一緒に保護します』
その《アサヒ》の言葉を聞いてミリアは安堵した。本当なら全身の筋肉を弛緩させてへたり込むように一息吐きたい。しかし今それをやればどうなるかわかったもんじゃない。普通に死ぬかもしれないし、助けられない。
そして唐突に後から数台の車のエンジン音が聞こえてきた。そしてブレーキ音と共にミリアの背後から前照灯の光が眩しく射した。次の瞬間には扉が開かれる音がして、多数のブーツの音が聞こえてくる。
「なっ!?」
前照灯の光に顔を顰めた男たちはミリアの後に現れた集団に驚愕して、動揺した表情を浮かべている。心底吃驚したのか、それともそれ以外の理由からか、彼らの目からは戦意が消失した。
それを見て思わず呆気に取られたミリアは一体誰が来たのか気になったが、まだ何も解決していないから演技を続行する。隙を見せたら逃げられるかもしれないからだ。
「手を上げて投稿なさい。それとも死が望みかな?我々は人質など気にせずに撃つ」
ミリアもそのとんでもない発言に振り向くと、そこには戦闘服で全身を覆ったヒトたちが小銃を構えて男たちに照準を合わせていた。流石に演技をするのもを忘れて開いた口が閉じない。それくらい驚いてしまった。ミリアは知らなかったが、彼らが使っている戦闘服は公開されているどこの組織の物とも違うものだった。
「拘束しろ。尋問は任せる」
そして男たちは順々に両手を上げて投降した。あっさり降伏したのを見てミリアは首を傾げた。警察が来ると言っても全く動揺しなかったアロハシャツの男だって彼らが来たらすぐさまこの有様だ。一体後の集団は何者なのだろう?
まあ、ミリアがどうにも警察に見えなかっただけかもしれないが。
「ミリアさんですよね?」
不意に声を掛けられてそちらに顔を向けると1人の男性らしきヒトがいた。彼はマスク、ヘルメット、ゴーグルを外して顔を見せる。
「はい。そうですけど?」
「コンコルディア沖縄支部支部長の金城湊と申します」
「あっ、エリーがなんかやってる――」
そこでやっとミリアは理解した。コンコルディアのことは母とか家族からそれなりに聞いていた。詳しいことは絶対エヴェリンは語らないのだが、なんか危なそうなことをしているのは聞いた。そしてこのヒトたちはその組織の仲間ということらしい。
裏の組織の黒尽くめのあれみたいな奴ね。
まぁ、印象はかなり違ったけど。
「お願いがあるのですが、ここで見たことは口外なさらないでいただけますか?」
「ああ、はい。分かってますよ。あたしも早死は嫌なので」
「それなら結構です」
彼は感情が読めない表情でそのまま立ち去っていった。それを見送ってミリアは美枝の許に小走りで近寄っていく。
「大丈夫?怪我してない?」
「ミ、ミリアさん。私――」
「怖かったよね。もう大丈夫だから」
「うぐっ……ありがとう、ございます……っ」
拘束を解かれた美枝は、やはり今回のことはかなり怖かったのだろう。最初は我慢していたようだったが、堪えきれずに涙を溢し、すすり泣いてしまった。命の危険まであったのだ。怖くないヒトなどいるはずがない。
だからミリアは彼女を安心させるように強く抱き締めた。頭を撫でて、落ち着かせるように身体を密着させる。ヒトの温もりというものはそれだけで心を落ち着かせる。昔ミリアも母にこうして抱きしめてもらった。
それから暫くして美枝は落ち着いてきたのか、呼吸が整ってきた。
「ごめんなさい……。せっかくのスーツを濡らしちゃって……」
「ああ、大丈夫だよ。だって、これスーツじゃないから」
「え?」
詳細を言うと色々面倒くさそうだったのでミリアは割愛した。というのもこの警察の制服はマナリウムで造っているのだ。前に演じた刑事の制服をイメージして工作しているから色々記憶が抜けているせいで細部はかなり適当である。しかしこの暗がりのおかげで目立ってはいなくて良かった。
しかしここから導かれる結論として、今のミリアは下着以外は全てマナリウムでできていて、それがなければ普通に逮捕されるような格好だ。いや、先に社会的に死ぬ。この形状を維持する人工知能のコアを壊さないように注意しないといけない。
因みにミリアの髪とか色彩の色もマナリウムでごまかしているだけだったりする。
「じゃあ、帰ろう?」
「はい」
その後、ミリアはコンコルディアのメンバーたちにお礼を言って、その場を後にした。どうやらここらへん一帯を暫くは監視するらしいので、また何か事件が起きるということはないだろう。
「あ〜疲れた!こんなに精神を削られたのは久しぶりだよ」
「すみません。私のせいで」
「何いってんの?あんなことをする方がいけないんやから」
2人は道を歩いていく。この先の花火大会の隣の駐車場が集合場所だ。そこで車に乗ってホテルの帰る。ここから歩くと数分は掛かるけれども近いから安心できる。仮にまた何かあってもソフィアが助けてくれるだろう。
そこで、ふとミリアは美枝がまだ元気がないように見えて声を掛けた。
「どうかした?」
「いえ、何でもないです」
「口にしてごらんよ。相談なら聞くよ?」
それを聞いて、徐に美枝は口を開いた。
よかったけど――。
本日も本小説をお読み下さりありがとうございます。
黄霧四塞とは辺りに黄色い霧が満たされた状態のことを指しますが、古代中国だったかな?そこでは天下を乱れる前兆としての意味を持っていたようです。
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