治安とゴミと祭りの後
とある建物のすぐ隣。そこは駐車場の横に存在していて、その場所には仮設トイレが設置してあった。花火大会で沢山人が集まることから臨時的に増設されたトイレである。そしてそこに向かって歩く人影が1人。
「うわ、暗っ。う〜ん、やっぱりハヤトについて来てもらった方が良かったかな?」
あまりの心細さにそう呟くもすぐに彼女は頭を振った。どんなに暗くて怖い場所でも流石に男子であるハヤトについて来てもらうのは恥ずかし過ぎる。花火大会の屋台でラムネを飲みすぎたのと、昼と夜合わせて美味しいものを食べすぎたのが祟ったようで少しお腹の調子が悪い。ホテルのトイレに行けばいいだけの話だが、トイレに篭もるところなど健二やハヤトには絶対見られたくなかった。いや、知られたくもなかった。
だからわざわざこうやって近場の場所に来たのである。誰の目もないことだし。まあ、別に急ぎというわけもない。ただ調子が悪いだけで焦っているわけでもないのである。
「うう……。なんで仮設トイレって夜だと不気味なんだろ」
その仮設トイレは結構古いタイプのもので、20年以上前から使われていた気がする。もはや生まれる前の時代の産物というのはどうしても怖い話を連想してしまうのだから本当に嫌だ。
だが、この時だけは恐怖よりも羞恥の方が勝った。家族なら気にしないが、やはり友達やその家族となると気にしないなんて無理。食べすぎた過去の自分を呪ってしまう。
そしてその樹脂製の扉に手を掛けた。ゆっくり開けば真っ暗な空間がそこにはあった。
「え?電気ないの?」
まさかこの時代に電気の一つも点かないなんて。
花火大会のために設けたんだよね?
美枝はそう思ったが、実はそうでもない。本当はすぐ横にスイッチがあってそれを押せば電気が点くのである。最近はセンサーで何でもできるからこういうアナログみたいなものは絶滅しつつあるわけで、だから美枝が最初に気づかなくても仕方ない。いつもなら扉を開けた時には既に電気が点いているのだから。あまり衛生的ではないが気にしてなどいられない。
そして美枝も暫くして漸くそのスイッチを見つけた。
………………。
それから用を済ませた美枝は仮設トイレの外に出る。しかし慣れからか、やはりスイッチを切ることを忘れてしまい、数歩歩いてそのことに気づいた。
「あれ?これって――」
踵を返し、スイッチに手を掛けた時だった。
ふと仮設トイレの隣に設置されたゴミ箱が気になった。それもやはり年代的な樹脂製のゴミ箱で、今までは暗がりで分からなかったがゴミがそこから溢れているのだ。
世の中には割れ窓理論というものがある。それによれば軽微な犯罪を徹底して取り締まり続ければ凶悪犯罪を含めたあらゆる犯罪を抑止できるという考え方である。対偶に言えば、ゴミのポイ捨て程度の犯罪を抑止できなければ凶悪な犯罪をほとんど取り締まることができなくなるということ。治安が悪い場所は汚いというイメージがあるが、実のところ汚いから治安が悪いのだ。
環境問題がどうとかそういう話よりも治安という視点で美枝は放っとけなかった。これで社会がちょっとだけ良くなるのならいくらでも拾おう。
しかしゴミ箱の裏側に何かがあるのが見えて彼女は手を止めた。
「なに?これ」
手に取って見るとそれは黒いありきたりな肩掛けカバンだった。どれくらい放って置かれたのか、とても薄汚れていてガムまでへばりついている。流石に誰も拾おうとはしないことは明白だった。それでもそれを片付けようと彼女は手を伸ばすが、それがおかしなことであることに気づけなかった。
「ん?」
しかしそのカバンの口が開いていてそこから見える物に美枝は気になってしまった。もしここで引き返していたら何もなかったかもしれない。しかし彼女はそれを手に取ってしまった。
「え?ええっ!?うそ……」
美枝が手にした物。それはなんと拳銃だったのだ。
想像しなかったとんでもなく物騒な物を手にしてしまって美枝は思わずそれを取り落としてしまう。重く鈍い音と共に拳銃が床を跳ねた。それだけで安田のおもちゃではないことが分かってしまう。
美枝は思わず後ずさりしてしまった。そしてすぐにそこから離れようと振り返って、何かにぶつかってしまう。
「わっ……あ、す、すみませんっ!」
「おっとぅ、一体ちゃーしたんやん?」
そこにいたのは少し大柄でターコイズブルーのアロハシャツを着た男性だった。その姿はトイレの電気で照らされ、こんな暗がりでもその男性の容姿が容易にわかった。
そして彼は気さくな笑みを浮かべて問いかけてくる。それに美枝は動揺を隠しきれないまま彼に言った。
「け、拳銃が……拳銃があったんですっ!」
「ほう?拳銃が?」
美枝には知りようもないことだったが、彼は射的場の店主だった。祭りが終わって片付けも済んだのだろう。そして用を足しに着たというところだと美枝は思っていた。
「とにかく警察に連絡しないと!」
「ああ。うれーいりゆーねーんどー(ああ。それは必要ないよ)」
「え?」
疑問を投げかけようとして美枝は腹部に強い衝撃を覚えた。バチッという音と共に僅かなフラッシュが瞬く。身体がビクッと跳ねて全身から力が抜けた。
「あ……」
そして美枝は強烈な痛みと共にその場に倒れ伏せる。身体が全く言うことを聞いてくれず、もはや何がなんだか分からない。自分になにが起きたのかすら理解できない。ただ放心状態でいることしかできなかった。全身が痺れて、まるで何かに思い切りぶつけた後みたいだった。
何が起きたのかと言えば、スタンガンを喰らったのだ。よく映画などで気絶させたりするシーンがあるが、実はスタンガンで気絶させようとすると結構大変だったりする。なぜなら安全性を考慮して造られているからである。気絶するほどの電流など流せば後遺症が残ったり、最悪感電死してしまう。そんなの護身用の武器とは言わない。もし気絶させたいなら首の神経に電気を流し続けなければならないかもしれない。
「おいっ。運ぶんどー」
「わかやびたん(わかりました)」
店主が暗がりに声を掛ければ2,3人の人影が現れた。すぐ近くに車があってそこから来たらしい。
「くぬひゃー、ちゃーすんがやー?(こいつどうするんですか?)」
「見られたんんやん。騒ぎんかいないん前んかい沈めいん(見られたんだ。騒ぎになる前に沈める)」
「わかやびたん」
美枝は身体が動けずとも彼らの会話を聞いていた。沖縄弁はからきしだったが、その雰囲気となんとなくのニュアンスでこれから自分がどうなるのかを理解する。しかしそれでも身体は動かなかった。声も上手く出ない。必死で身体を動かそうにも、声を発しようにも頼りなく溢れるだけで、軽々と運ばれていった。
怖い。
誰か、助けて――。
それを偶然ミリアが目撃してしまった。ハヤトに言われて来てみればこの有様だ。正直映画とかのフィクションを見過ぎて、もしくは演じすぎてあまりにも冷静な自分にミリアは驚いている。逆にその驚きで目を見開いていた。そしてすぐに端末を取り出すと《アサヒ》を呼び出した。
「《アサヒ》!緊急事態だよ!」
『そのようですね。ではエヴェリンさんとソフィアさんに連絡しましょう。2人ならどうにかしてくれるでしょう』
「何言ってるの?今からあたしが助けるんだよ!」
『……』
ミリアの言葉に《アサヒ》は一瞬――実際は人間では知覚できないほどの時間――今聞いたことが疑わしく彼女の言葉を精査した。ネット越しに伝えられた音声データが欠損していないか、クラッキングを受けたのではないか、そういうありとあらゆる可能性を検証してしまったくらいに。しかし聞き間違いではなく、ミリアは自分が助けると言った。
確かミリアには全く戦闘能力がなかったはずだ。映画撮影用の派手で有効性の低い格闘技と多少の科学魔法を身に着けているが、それではどうにもならないだろう。
『馬鹿な真似をするんですか?』
「Whatッ!?馬鹿とは失礼な!あたしはただやるべきことをやるだけだよ!」
『とか言って楽しんでません?』
「まあ、すんごく新鮮で楽しい体験だけど、今はそれどころじゃないでしょ?」
そこで《アサヒ》は敢えて当て付けのように溜息を吐いた。
『本当に、浜崎家のヒトは自分の命を軽く見すぎですよ。浜崎先生も、ハヤトさんも、エヴェリンさんも、エレナさんも、ミリアさんも』
「別に軽く見てるわけじゃないんだけどなぁ」
そしてミリアは端末の時計を一瞥してその時間を見た。
「う〜ん。警察って普通何分くらいで駆けつけるっけ?まあ、いいや。適当で」
ミリアは端末を操作し、バイブレーション機能でタイマーをセットした。時間は10分くらい。
『まさかとは思いますけど、無謀すぎませんか?』
「その間にあなたならエリー達を連れてきてくれるでしょ?なら平気だよ」
そこで不意に、あ、とミリアは声を漏らした。
「この格好だと締まらないなぁ。マナリウムも、少ない……」
端末を再び操作して一つのアプリを起動する。そしてそれを耳元に近づけた。
暫くして――。
「あ、ソフィア?マナリウム貸してくれない?」
『……。何に使うんですか?』
「ええっと、人助け?」
『はあ……。危険なことに使わなければいいですよ』
そこでミリアの笑顔が咲いた。
「ありがとう!」
「あとで返してくださいよ?」
「もちろんっ!じゃあね」
そしてミリアは通話を切った。
『……危険なこと』
「気にしない、気にしない!」
端末の画面では《アサヒ》が呆れた表情でミリアを見つめていた。しかし彼女を止められないと判断したのか、《アサヒ》はさっさと退散した。もう既に助けを呼んでいるから大丈夫だろう。
それにミリアが持っているものがあればとりあえず誰かが死ぬことはないと思われる。
「お、来た来た」
暫くして大きな鳥が5羽飛んできた。遠目には鷲のようにも見える。しかしそれはなんとも雑に創ったような模型のようなものだった。外形は鷲なのに羽毛などの起伏がほとんどない。柔らかさが一切感じられない。生気が感じられない、飛ぶための最低限のものしか備えていないマナリウムの塊だった。しかも色が青。急かしたからここに運ぶためだけの最低限の機能しかソフィアは作らなかったらしい。
「それにしてもどこにこんな量を持ってたんだろう?」
それらはミリアの目の前に舞い降りると、突如グシャというあまり良いとは言い難い音を立てて崩れてしまった。ソフィアからの制御を離れたらしい。
それに今度はミリアが自分の脳と崩れたマナリウムを接続する。そしてそれを操作しつつ、今度はその纏っていた浴衣を脱ぎ始めた。周りにこちらに注目するヒトはいない。見ているとすれば《アサヒ》だけだし、どこかに監視カメラがあっても《アサヒ》が消すだろう。
誰かが来ても、まあ、悪いが気絶してもらおう。
忘れてくれないのなら、その時はその時考えればいい。
「さて、準備はPerfectory!そろそろ時間かな?」
そうしてこれからのことを楽しむかのようにミリアは不敵な笑みを浮かべたのだった。
なんでこうなった――?
本日も本小説をお読み下さりありがとうございます。
今日の解説。未来の世界に於いてアナログなスイッチというのは絶滅はしないけど、ある程度無くなっているものだとは思っています。なんか最近コロナで衛生環境が問われる時代になりましたが、そんなの未来ではほとんどの人が忘れているでしょうしあまり関係ないでしょう。いや、知識では知っていても、ああ、そうなんだで済ませる程度の歴史に変わっていることでしょうね。今更第一次世界大戦を終わらせる要因になったとか言われるスペイン風とか、ヨーロッパを恐怖のどん底に落とした黒死病がどうのこうのと言われてこの時代の人間はどうにも思わないでしょうし。ひどかったんだねぇ、くらいで。だから未来ではただ便利という視点に於いてのみで追求された結果、スイッチが減っていったんだと思います。と、なると美枝は電気が点かないことに驚くのも頷けます。この時代の人の感覚で言うと、ポケベルの電源スイッチを入れるような感覚でしょうか?パッと思いつく人はどれくらいいるのかな?見れば直ぐに分かるでしょうけど。
割れ窓理論。結構面白い話ですね。ゴミ拾いは社会のためになるとは言うけれど、環境問題とかそういう利権が絡む理由ではなく治安という自分たちの生活に深く関わる理由があるのですからやる異議ってのはありますね。あれ?これを教育に使えばキッと社会が良くなりますから、美枝が知っているのは自然な考えなのかな?この時代でも子供に教えれば社会が良くなりそう。まあ、やったとしても環境問題を一番前に出してくるだろうけど。
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