父の手帳
あと少しで日付の変わる時間。床に就く少し前、ハヤトの部屋は彼の机にあるデスクライト以外の光がなかった。そしてその机に向かってハヤトは椅子に座り、あるものを熟読していた。
しかし。
「……ムズい……」
思わずそう溢してしまうハヤトだったが、それも仕方ないことだろう。なぜなら彼が読んでいたものとは父から受け継いだ分厚い手帳だったからだ。もう少し詳しく言えば父の頭の中身の片隅がそれに記述してある。理解できる者など限られる。
「う〜ん、なんだかなぁ……」
しかしハヤトはある意味悲しくなるような事実に呆れた。疲れた溜息も出てしまう。ご飯も風呂も終えて、身体的にも精神的にも疲れを取ったはずなのに。
何がそうさせたのかと言えば、やはりその手帳で、中身はなんと人工実存の魂の設計についてだったのだ。しかも後半は科学魔法のプログラミング言語についての試行錯誤が書かれている。
「不用心じゃないか?」
そう。人工実存や科学魔法の情報はCONEDsの機密のはずだった。
そんな大層なことをこんな盗めば手に入るようなアナログで残したと?
コピーとか、写真だけでも盗まれるのに。
訳が分からない。
いや、もしかすると偽情報?
大切なものと見せかけて……いやいや、流石にこれは杜撰過ぎる。
なんなんだ、一体……?
手帳に書いてあることを順々に説明していくと、まず魂の要素に関する事柄についてだった。その考察事項である。ただ重要な部分は変な字で隠されて読めない。サンスクリット語みたいな、インドの文字のような気がするが、調べても違うようだ。文字の種類も読み進める内に増えていって、出現する頻度の統計も端末を使っても取れない。
暗号?
読めない。
それでも分かった魂の要素は論理、差別、■■、記憶、■■、■■の6つらしい。それでいてどれも同等のものではなく、そういう区分にできるだけだそうだ。それに名前だけで内容は理解し難い。
そして父が生み出した人工実存、つまり姉たちはこれらの実証のために造られたものらしい。だからそれぞれが観測しやすいようにしてあるそうだ。つまり異常が出ない範囲で6つの要素のいずれかが特化してあると。そう考えれば確かにそのような気がする。
ハルカは確かに■■が特化しているし、ソフィアは論理が特化しているようにも思われる。
エレナはどうなんだろう?
そうしてハヤトはさらに読み進めていく。もちろん全部理解できているわけではないので、曖昧な理解で進んでいった。分からなければ読み飛ばす。それによれば論理、差別、記憶は最初期の人工知能が備えていたものであるとか、最初期の生物は広義の意味で差別しかなかったとか書かれている。そしてこれによれば《アサヒ》は論理、差別、記憶、■■の4つまでは備えているらしい。しかしやろうと思えば■■もあるとか。5つ目はCONEDsの技術では簡単に用意できるだろう。
そんな、世界の人間が理解できていない、知りもしない魂の設計図について読んでいてもハヤトは全く高揚感を覚えなかった。なぜならどんなに読んでもこれで上手く行くようには思えなかったからだ。頭をフルで回転させてもなかなかに想像できない。というよりもそもそもの話。魂とは何かという前提が理解できていないのだから理解が出来ないのも仕方ない。
というのも魂を語る上で父が前提にしていたのは魂はこの世界に存在しないということだった。
意味が分からない。
魂がないのに魂の設計図を完成させた?
んんん??
もうハヤトは読み飛ばすことにした。だってここに書いてあることは無神論を語って神を創るような論理を展開しているのだから。神がいない前提で、神を創ると言われているようで、どんな天才でもすぐには理解できないだろう。ハヤトには当分分かりそうにない。理解できるかも怪しい。
きっと父の思考はひねくれて、さらにそこからひねくれたものであったのだろう。
「もういいや。いつかソフィアにでも聞こう」
気が向いたらソフィアとか理解しているであろうヒトに聞くことにした。
ペラペラと捲っていき、科学魔法の話の内容に入る。とはいってもやはり細かい技術のことはわからないので、分かる所だけを読んでいく。
そして魔法陣に関する文章に辿り着いた。どうやら使っているプログラミング言語は基本的にC言語辺りを参考にしていて大部分の構造は同じらしい。それでも電子世界で実行するのと現実世界で実行するのは違うので、違うところも多々ある。それにヒトの思考をできる限り忠実に具現化するためにかなり面倒臭いシステムを構築しているみたいだ。
そして多数の《アリア》が連携して具現化を上手く熟しいていると書かれている。環境が整えば数も簡単に増やせて処理能力を挙げることは容易いと。
う〜ん。
「やってみるか」
ハヤトは試しに科学魔法を使ってみることにした。先程花楓の科学魔法を見てソフィアに使えるようにしてもらったのだ。流石にあれを見て実戦しないなんてありえない。
まず科学魔法を行使する上で必要なのは安全装置たる魔法陣だ。しかしそれは科学魔法専用のプログラミング言語をファンタジーのそれっぽく描き出したものであるから、最悪学校でも習うようなコマンドプロンプトのまま書いても大丈夫と手帳には書いてある。
そしてそれはあまりかっこよくないと。
果たしてかっこよさは利益を求めない技術に必要なのか?
気にしないようにしよう。
一応魔法陣を想像してみる。普通のプログラミング言語と違うことは一文字くらいのミスは許容されるところだ。ミスはあっても想像力がカバーしてしまう。しかし難しいのはしっかり集中して想像できなければ魔法陣すら描けないことである。【8】と描こうとして【蜂】を連想すればそれだけで文字が歪む。
集中してハヤトが描いたのは手帳に書いてあった〈発光〉という魔法の魔法陣だった。
そして呟く。
「〈発光〉」
しかし僅かに魔法陣が光を強めただけでそれらしいものは何も起きなかった。手帳に描かれた魔法陣と見比べても特に間違っているわけではない。
「んん?」
もう一度手帳を熟読してみる。暫くしてあることに気づいた。手帳には【想像したものと魔法陣で設定した事象が乖離しすぎていると何も起きない】とあるのだ。つまりそこから推察できるものはハヤトの想像が〈発光〉と異なるものだということ。
少しずつ魔法陣を解読して、何が起きるのかを探っていく。見慣れないプログラム言語であったから苦労はしたが、手帳に書いてあることを参考にして解読していけばなんとなく理解できた。
なるほど。
そういうことか。
もう一度魔法陣をイメージする。そして再度呟いた。
「〈発光〉」
次の瞬間、暗い部屋に光が舞った。キラキラ輝く青い光はまるで星のようで、デスクライトの電気を消してみればそこにはプラネタリウムのような空間が広がった。
「おおっ!」
その星々はハヤトのイメージするように動き、瞬き、時には流れ星のように流れ、天の川が生まれ、気づけば月が現れ、彩雲が空間を彩り、そよ風が吹いた。
そこに具現化したのはハヤトの綺麗だと思う夜空だった。〈発光〉により生まれた綺羅星が動いて空中を動いたマナリウムが空気の流れを作る。〈発光〉という魔法から逸脱しない範囲でハヤトの心を具現化していた。
仮にもし彼が蛍の光や街の灯を想像していればまた違った景色が見られただろう。
しかしその景色は唐突に消えた。いきなり真っ暗になってハヤトは吃驚するも、その原因をすぐさま理解した。それはハヤトがあの綺麗な景色に見惚れてしまって魔法陣を想像するのを忘れてしまったからである。魔法陣が消えてしまったから、光も一緒に消えてしまった。
意外とこれは難しい。一つ魔法を使いながら別の作業をすれば集中力が欠けてしまって魔法は使えなくなりそうだ。
それは流石に不便だったのでデスクライトを点けて手帳を読み込んで見る。するとちゃんとそれへの対策は書いてあった。それによれば事前にマナリウムで作った魔法陣を何かに刻んでおけば、あとは想像力だけで十分だそうだ。簡単な話だった。
ふとハヤトは時計を見やって思わず目を見開いた。手帳を読むことに集中しすぎて気づけば日付が変わり、もう1時に差し掛かっていたのだ。流石にもう寝ないといけない。
そう思って手帳を閉じようとした時だった。手帳に何かが挟まっているのが見えた。気になってそのページを開き、その紙を手にしてみる。それはハガキくらいの大きさの紙で、どちらかと言えば少し古っぽく少し黄ばんでしまっている。
「?」
その紙を裏返してみた。
「!」
そこにあったのは美しい女性の写真だった。その美しさに思わず息を呑んだ。そして一瞬、彼女がエレナに見えた。なぜなら彼女は長い銀色の髪を持っていたから。しかしよく見ればエレナではないことは明白だった。
まずその銀色の髪だが、エレナとは違って少しウェーブがかっている。それに肌の色も銀世界を思わせるそれで、色彩すらも煌めく銀色だった。髪飾りも身につけていて、両サイドに鋭く青い結晶のそれをつけている。イヤリングも同様の結晶からできているようだ。
そして彼女の名前だろうか。片隅に月の神の名と同じローマ字が四文字書かれている。
「誰……?」
見たこともないヒトだった。外見がソフィアたちにどことなく似ているから彼女もやはり人工実存なのだろうか?しかしそれだと不思議な事実がある。なぜ彼女だけ写真が手帳に挟まっていたのだろうか?ペラペラと手帳を捲り続けても他には何もない。写真はこれだけだ。
「《アサヒ》。これ、誰か分かるか?」
パゾコンのモニターに備えられたカメラにその写真を向ければスリープ状態のパソコンが起動し、パソコンの画面に《アサヒ》が映った。しかし面倒くさそうに濡れ羽色の髪をいじりつつ、横目でこちらを見てきた。
『なんですか?そろそろ寝ましょうよ。疲れました。ふぁ〜……』
《アサヒ》は態々欠伸までして、ハヤトを寝かせようとしていた。しかしそれを無視して写真を向け続ければ、仕方なくといった感じで彼女は応えた。
『知りませんね。というより分析したところ恐らく存在しない人物であると思われます。もしくはかなりの整形を加えているか』
「そうなのか?」
『ヒトには判別できないほどですが、加工した形跡が多数見受けられます。しかしこれは整形の範疇を越えていますから存在しない人物なのでしょう』
存在しない?
ならなぜそんな写真をわざわざ父さんは作ったんだ?
なにか意味でもあるのか?
「推測でもいい。これが誰か分かるか?」
『さあ?情報が少なすぎて推測も出来ません』
「そうか」
彼女の存在も気になったが、流石に寝ないといけない。明日も学校に行かなければならないのだ。朝起きるためにも早く寝ないと。
写真を元あった場所に戻し、手帳を閉じた。
「じゃあ、おやすみ」
『はい。おやすみなさい』
そうしてハヤトはデスクライトを消し、ベッドの中に潜り込んだ。
それは父が残したもの――。
本日も本小説をお読み下さりありがとうございます!
さて今回ハヤトが父の手帳を読み込んでいく話でした。ちゃっかり魔法もささやかですが使っています。でも最初は誰でも簡単なのから始めないと何も出来ません。勉強然り、スポーツ然り、武道然り。
ただ思うのですよね。この〈発光〉、結構面倒臭いプログラムではないかと。まあ、プログラミング言語を複数修得する必要のある(なんなら受験にも使う)30年後の学生ならこれくらいは理解できるでしょう。
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