妹の謎
若干涙目になるというのはハッキリ言って恥ずかしいし、プライドが傷ついたようで物凄く悔しい。しかもそれを見られるというのはとても屈辱的で、しかしそんな自分を見ている冷静過ぎる自分との乖離についていけない。頭の中では全て理性的に考えているのに、感情が勝手に先走ってしまって止められない。けれど自分が確実に悪いのだから自己嫌悪にさえなってしまう。
ただ涙を堪えるのも苦しくて、横隔膜の痙攣が鬱陶しくてしょうがない。冷静な自分がそれを封じ込めようとしているというのに、身体が言うことを聞いてくれない。溢れ落ちた涙を拭うのを見られるのも本来なら絶対嫌だ。誰にも見られたくない。
しかし現状そういうわけにもいかないのだ。
今ソフィアは母に散々叱られ、泣くのを必死に堪えている。そして漸くその説教が終わったところだった。
父がこの身体に仕込んだプログラムは人間らしさを追求したものだが、こうも合理的でないとプログラムを改竄したくなってくる。泣くプログラムとか本当に要らない。
しかしこういうプログラムがソフィアという存在を創り出しているのであって、人間の遺伝的な病気のように生活に支障がなければ変えてはならないのだ。
嗚呼、本当に面倒臭い。
「はあ……。もうこれくらいにしようか。ごめんね。少し言い過ぎたね」
「……」
ソフィアはその母の言葉に無言で返した。今言葉を発したら声が震えそうで、それを聞かれるのが嫌だったのだ。もう少し落ち着かないと言葉を発することが出来ない。したくない。
「話は変わるけど、CONEDsの機密を回収しに行ったんだよね?それはどうしたの?」
ソフィアは俯いたまま涙を拭い、呼吸をしっかり整えた後、ポツリと答えた。
「……エリーに取られた」
「えっ?うそ……」
ソフィアの視界の端では母が驚きのあまり口元を押さえ、目を見開いているのが見える。ソフィアの言葉はそれほどのものだった。
因みにエリーとはクルーズ船で逢ったエヴェリンの愛称である。
「それで?今エリーはどこにいるの?」
「分からない。でも、たぶん《アサヒ》は知ってる」
「じゃあ……。あ、ううん。エリーはそういう道を選んだんだよね。……無事でよかった。元気そうだった?」
「まあ、滅茶苦茶するほどには元気だった」
実際間違っていない。あの場所に大混乱を引き起こしたのはエヴェリンとその仲間達だ。あの場所は滅茶苦茶になったわけだし、全国的なニュースにもなった。だが、恐らくそれでも敢行したのはどんな手段を使っても奪い取るとの意思表示と、警察の捜査が済んだ後は一日も掛けないで桟橋は復旧すると踏んだからだろう。けが人は数十人出たが、死者は出ていない。
つまり、問題はない。巻き込まれたヒトたちの感情を除いては。
ソフィアの言葉を聞いた母は安心したように胸に手を当てて息を吐いた。しかしソフィアから見てどう見ても寂しそうに、そして悲しそうにしているのがよく伺える。
ソフィアには母の気持ちが恐らくだが分かる。たぶん母は父と同じくエヴェリンが何をやっているのか知っているのだ。そして何の連絡もなく、帰っても来ない理由を。
もしかしたらエリーが選んでしまった運命も。
それがとても悲しいのだろう。
しかしソフィアは何も知らない。父が大丈夫としか言わなかったからいつしか興味も失くしていた。しかし今はそれが気になってしまって母に訊ねてみることにした。
「母さん。エリーは何をやっているの?私には今日のエリーがエリーに見えなかった」
ソフィアが最後に逢ったエヴェリンに対するイメージでは彼女はとても優しく、虚飾もなく文字通り虫一匹さえも殺せない少女だった。父がゴキブリみたいに素早くて足の多い小さな虫に対して不快感を覚えるようにプログラムしたにも関わらず必ず逃がそうとするほどに優しかった。無口であまり感情を表に出さないところは変わってないようだったが、それでもあそこまで冷たくはなかった。
因みにエヴェリンは家族の中では最も記憶力があり、発想力も他にはない才を持っていてソフィアでさえ及ばないことを思いつくことが多かった。それ故に芸術の面に関しては一際才能を持っており、やろうと思えばそれで食べていけたかもしれない。
まあ、厳しいことには変わりないが。
そんな彼女が人殺しをしてまで機密を奪おうとした。というよりそもそもの問題、ヒトを殺せるような技術を持っている時点で彼女らしくなかったのだ。優しすぎて色々と損をしてきたことが当たり前だったのに、今日逢った彼女は容赦なくヒトを殺していた。
それが信じられなかった。
「エリーに何があったの?」
母は少し沈黙を保った後、悲しそうに呟いた。
「私達のために戦ってる。それ以上のことは知らないの」
「どういうこと?」
「本当に知らないの。でもあの人曰く心が壊れるくらい苦しい世界に自ら行ったみたい。自らの意志で」
「……」
そんな世界など知らなかった。この世界には裏社会という物があることは知っている。その経済規模も馬鹿できないほど大きく、表社会はそれに依存しそれがなければまともに回れないことも。20億人がそれに従事しているのが実態で、それはこの日本も例外ではない。所謂地下経済だ。
けれどほとんどの場合心が壊れるほどの苦しみが続くようなことは少ない。しかも母はエリーが戦っていると言った。それこそこの日本では見当がつかなかった。もちろんそれは日本が平和だからという理由ではなく、既にこの国で争う場所が大陸国家に奪われて一部を除いて存在しないからだ。
日本の裏社会の闘争はかつてヤクザが仕切っていたが、海外のマフィアに潰されて、若しくは海外のマフィアについて全く考慮しなかった日本の政治家が取り決めた法律のせいで壊滅状態になっている。壊しすぎたことが日本の治安が悪くなっている要因だとは誰も思っていない。
世の中には認めたくない必要悪が存在しているのだ。
だからソフィアはこの後自ら調べようと思った。こういうのは百聞は一見にしかずというように自分で調査した方が確実なのだ。
まあ、また《アサヒ》が盛大に抗議してくるだろうが、黙らせよう。
「私は何もできないダメな母親ね」
ポツリと呟いた母の言葉はとても自虐的な発言だった。まるで自分は無力だと言わんばかりに。でもそれは違うとソフィアは強く思った。
「そんなことないと思うけど?母さんがいなかったらハルカも私も絶対常識持てなかったし、ヒトとして終わってたかも」
「……ありがとう。でも、まあ、女の子の教育はあの人には無理だったものね」
あの人というのは父のことだ。父も男であるのだから女の子の教育については知識ではほとんど知っていても実践するのには色々と問題があったのだ。下手すれば普通にセクハラとかの犯罪になりかねなかった。
でもなんで髪の結び方とか、化粧の仕方とか、出来たんだろう?
ハルカのポニーテールだって最初は父さんがやったものだったし。
エレナの三つ編みもそうだ。
髪飾りや髪を結う組紐もほとんど父の手作りだったし。
そういう問題もあったから昔なぜ人工実存を皆少女にしたのかと聞いたことがある。男なら問題ないのではないか、と。その時の答えはなんとなくというものだったが、ソフィアからすると父は最初何かを目的として女性の身体を選択したようである。決してそういう卑猥な理由ではなく、未来への投資だったようだが。
結局その投資先は実ったのかは分からない。
「あっ!そう言えばご飯まだだったね。急いで作るから待っててね」
唐突に晩御飯の支度をするために母は台所に向かって走っていった。そしてソフィアも母のその発言でそう言えばまだだったということを思い出した。どうも今日は色々あって、しかも母に散々叱られたせいで空腹を自覚する余裕がなかったようだ。
因みにソフィアたちだって体内のマナリウムを生成するために食事は必須だから空腹は絶対大事な機能なのである。あと喉の乾きも。飲まず食わずでは普通に死ぬ。
母がそのまま立ち去ってしまう前にソフィアは母を呼び止めた。
「母さん」
「ん?なに?」
「私も手伝う」
「え?珍しい……」
実際ソフィアが家事を手伝うことは少なかった。いつもパソコンに向かい合っているか、どこかに旅に出るくらいしかしていないのだ。自立せずにそういう暮らしが出来るのはちゃんとソフィアがネットや株で儲けて稼いでいるから出来ることである。しかし父が死んでしまって収入が減ってしまった。だからソフィアが稼いだそれを使って家計を支えることになり、旅に出るための旅費が減ったのはまた別の話。
まあ、ほとんど自作の人工知能に稼がせているだけであるからソフィアは本当に何もしていない。ただ溜まっていく貯金で気になったものを買っていろんなものを自作したりしている。狙撃銃や音響閃光弾もその一つだ。それだけで物凄い出費だから、もしお金を稼げなかったら完全に厄介者になっていたに違いない。
犯罪だということは気にしてはいけない。
「今日はそういう気分なの」
「そう?ありがとうね。じゃあ、じゃがいもの皮むきを頼もうかな?それくらいなら出来るでしょ?」
「刻むのだってできるし……」
「はいはい。じゃあ、お願いね」
その後、ソフィアはじゃがいもの皮むきに大苦戦し、ピーラーで爪ごと指の皮を切るということもあって大変悔しい思いをするのだった。そして晩御飯に出てきたじゃがいもはどれも不格好な物だったのは彼女の名誉のために他言は無用である。
もちろん味付けは母である日和が行ったのでとても美味しかった。
家族でも分からないことはある――。
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