扉の向こう側
船内に入るとハヤトは思わず呟いた。
「豪華だな」
船内は思ったより開放的に造られ、真っ白なな壁面に設けられたお洒落な有機照明の電灯やキラキラ光を受けて輝くガラス製品、繊細な模様の入った大理石の天井、ガラス板には電子的な光を放つ文字が浮かび上がる案内掲示板がまるでどこかのお城のごとく飾り付けられている。上階の方は海の景色も広々と見渡せて、プール沿いにはビーチチェアが置かれ、プールから眺めれば払った金に見合った贅沢な光景が見られるに違いない。
兎に角高級な空間にハヤトは知らない別世界に来た気分になっていた。
「お金があれば乗ってみたいですね。世界一周とか楽しそうですし」
「いつか行けるんじゃないか?お金貯めて」
「そうですね。その時は国籍を取らなければなりませんが」
そう話しながら上階へと急ぐ。今まで記述してこなかったが船内は外とは違って混乱してはいてもパニックにはなっていなかった。自分たちには直接の危険がないため桟橋にいる人よりも幾分かは冷静だったのだ。しかしそれでもこちらにも被害が出るのではないか、桟橋の群衆が押し寄せて暴徒にならないかという不安の声で騒然としていた。
そして野次馬の如く彼らは各々部屋から出てきて桟橋側の廊下に集まりつつ合った。もしハヤトたちの侵入がもう少し遅かったらその様を見られていたかもしれない。
外にいる人は桟橋側の廊下に全員出払ってしまい、船内の静かな廊下をハヤトたちは駆け足で進んでいく。この事態のためか、それとも中はそれほど監視していないからか時折擦れ違う人の誰もが気にしてこない。まさか不法侵入しているなんて思ってもみないのだろう。
まあ、流石にソフィアの容姿には注目されているようだが。
内部客室の廊下を進んだところで一つの部屋に辿り着いた。ここまで来ると全く誰にも会わない。遠くから悲鳴や怒号が聞こえてくるくらいだ。そして目の前の部屋からマナリウムの碧い線が放射状に伸びている。《アサヒ》が示してくれた矢印もその部屋を指していた。
「ここですね。ハヤト。中に誰かがいるかもしれません。私がどうにかしますので、何もしないで下さい」
「なんだか、不安なんだが?」
「失敬な。ちゃんと穏便にやりますよ」
「穏便……」
これまでのいろいろを見るとハルカとは違った意味でソフィアは何をしでかすのか分からない。そもそも狙撃銃とか爆薬とか、なんて物を造っているんだか。しかもそれを躊躇なく使うなんて。一体どんな風に父に育てられたのか疑問でしかない。というかよく今まで無事だったな、と別の意味で感心してしまった。
そしてそうこうしているとソフィアは何の合図もなしに扉をノックした。
しかし返事はない。誰もいないのだろうか?
もう一度ノックしても何の反応もなかった。ソフィアとしては向こうから鍵を開けてもらう手筈だったらしいが、これでは無理やりやるしかない。
相手は用心深いようだ。そうハヤトは思った。
しかし――。
「〈眼〉」
そうやってソフィアが魔法陣を描き、何か見渡すような仕草をした。しかしその眼は見えているものを映していないようで、ここにはない何かを見ているようだった。
そして。
「ッ!?」
ソフィアは突如吃驚したように眼を見開いた。
「どうした?」
一体何をしているのか、何に驚いているのか分からず、ハヤトはソフィアに声を掛けた。すると彼女は険しい表情で眼の前の扉を睨めつけて、ハヤトの問に返した。
「中を覗き込んだんですけど、中を確認する前にその眼を破壊されました。気づいたということは相手が科学魔法を使い慣れているからです」
「え?」
そんなことがあり得るのだろうか?機密を奪った相手が科学魔法を使っているなど。その内容がわからないから奪ったのではないか?それとも――。
「それにおかしいですね。見張りが誰もいない。普通はいくつか部屋を取って警戒するはずなんですが……」
確かにおかしい。機密を奪ったのならそれを再び奪われないように見張る人間がいても良いはずだ。なのにそんな人がいないというのか。
しかも科学魔法を使いこなすなんて……。
まさか裏切り者がいる?もしかして父を殺した犯人が?
そう思うと自然と自分の拳が握られているのに気づいた。今自分がどういう気持ちなのか、分からない。もしこの扉の向こうにいる誰かが父を殺した犯人なら、自分はどうするのだろう。
少なくとも平常心ではいられないだろうが、具体的にどうなるかは予測もつかなかった。
ただ、得体の知れない感情が湧き上がってくる。
「?」
ソフィアが手を伸ばして、ドアのレバーハンドルに触れる。そしてそれを回すとなぜか容易に扉が開いた。それでソフィアは眉を寄せる。
しかし次の瞬間。
「ッ!!?」
扉が突然勢い良く開かれ、ソフィアのメガネ端末が吹き飛んだ。派手な音を立てて端末が廊下に転がっていく。ソフィアの頬から僅かに血が散った。
なぜそんなことになったのか。それはソフィアが咄嗟に上体を逸したために部屋から出てきた相手の腕が僅かに彼女に届かずに、目にも止まらぬ速さで弾き飛ばしてしまったからだ。そしてその手にはナイフが握られていた。
その相手はソフィアに追撃をかけようと一歩を踏み込んだ。それに対してソフィアも身構えて魔法陣を描く。
しかし両者は共に相手の顔を見て固まった。
ハヤトも突然の事態に驚いて動けなかったが、ソフィアとその部屋の中にいた人物の方がよっぽど驚いていた。そして僅かな間両者は固まり、互いの見開いた目を見つめ合う。
「なんで……あなたが……」
ソフィアが無意識に後ずさり、ハヤトにもその人物の姿が視界に映った。
初夏の優しい木漏れ日を創る翡翠色の若葉のような色合いのボブディに、左右と後ろ二房ずつの腰まである髪。黄色に近い夕陽色の色彩。そしてどこか見覚えのある顔を持つ少女。
なぜかこの季節にも関わらずトレンチコートとマフラーに身を包み、彼女が微かに動けばそれが擦れて乾いた音が妙に耳に付く。
ふと違和感を覚える。ハヤトの目に普通はない、見たくもない物が映り込んでいたのだ。
そしてハヤトはその違和感に直ぐに気がついた。さらにその少女の手元を見て絶句した。その手には黒光りするカランビットナイフが握られており、真っ赤に染まっている。
それは言うまでもなく真っ赤な血だった。
現れたその少女は一体――。
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