侵入
「ソフィア!これ、どういうことだよっ!?」
「知りませんよ!でも、まずい!」
ソフィアが辺りを睨みつける。ハヤトも見渡して理解した。ここは袋のネズミだった。逃げ場は全て爆発後の炎上で通ることが出来ず、逃げることのできる先は船か、海か、或いは桟橋の安全な場所である駐車場、もしくはその先端か……。
兎に角逃げ場がないことに混乱した人々はパニックを起こしかけていた。パニックの要因に爆発の規模も関係しているだろう。その規模はソフィアが準備していた爆薬の何倍もの威力があり、その被害も、派手さも尋常でないと思わせるだけの物だった。
テロ。そんな言葉が頭に過ぎったが、直ぐにそれは疑問に変わった。こんな場所でテロを起こす理由があるのだろうか?やるならもっと横浜の中心地でやるのではなかろうか?それにここから東京まで遠くはない。テロなら東京の方が効果的だろうに、なぜ横浜の入り口とも言えるこんな端っこでやったのか。
まさか機密を狙って?
「仕方ない。機密の回収を急ぎますよ」
「でも、このままだと――」
ハヤトの言葉を遮り、さらなる爆発が生じた。桟橋を囲むように小さな爆発が次々に起きたのだ。それによってついに人々はパニックに陥った。半狂乱の群衆はあちらこちらに逃げ惑い、転び、踏み付け、そして恐怖した。そんな人々を見て、幾分冷静だった者も危機感を募らせていつしか恐慌状態に陥ってしまう。まさにそこにあったのは混沌だった。
そして誰かが叫んだ。
あの船なら安全だと。
さらにそれは波紋の如く広がり、ほとんどの人が安全な方向を求め、目指して走り出した。
実際爆発はしていない。唯一の逃げ場であろうクルーズ船が誰からも見えている。もはや恐慌状態の人々は理性が飛び、いかなる危険性をも顧みず船に向かい始めている。特にここは国際船客ターミナルということで外国人も多い。人種が違うという状況もここでは火種になりかねない。
「急ぎますよ。準備は良いですか?」
「でもあの人達がっ!」
「私達に出来ることはありません!死にたいんですかっ?今私達はやるべきことをすべきです!」
「……わかった」
確かにあの状態の群衆に飛び込むの自殺行為だ。一度パニックに陥った人間は極度の興奮状態にあると聞いたことがある。今まさに怒号が飛び、あと少しで暴力沙汰になりそうな雰囲気がそこにはあった。そんなところに何の解決策もなしに、しかも正論を並べても誰も聞く耳を持たないだろう。寧ろ苛立っている心を逆撫でするだけに違いない。
「エレナもいいですか?」
「……」
「エレナ?」
振り返ればエレナはハルカにしがみついていた。怖さを隠しきれず、ハルカの胸に顔を押し付けている。その肩を見れば僅かに震えているのが見えた。
そしてハルカもエレナを守るようにしっかりと抱き締めていた。
「大丈夫か?」
ハヤトがそう声を掛けるとエレナは顔を上げた。その眼には涙が浮かんでいる。
「だ、大丈夫……。ちょっと……吃驚した、だけ……」
大丈夫なようには見えない。何かに怯えるように遥かにしがみついていた。それが心配でハヤトは彼女の背中を擦ってあげた。
「トラウマに触れましたか……。これは無理そうですね。ハルカ。エレナを頼めますか?」
「うん!任せて!」
「待ってっ!」
そこでエレナがソフィアに訴えた。
「私も行く。私だって力になりたい!」
「足手まといです。死にたくなかったらここにいなさい」
「でも――っ!」
しかしそれ以上ソフィアはエレナの言葉に耳を貸さなかった。
「ハヤト。すぐに行きましょう」
「でも……」
ハヤトはそのソフィアの冷たい態度に少々混乱していた。エレナの言うことくらい聞いてあげればいいのに、どうしてエレナを置いていくというのだろうか。
しかしソフィアはハヤトの肩あたりの服を掴んで、強引に引っ張った。そして強い眼差しでハヤトの目を睨みつける。
「冷静さを欠く者は簡単に死ぬんです!特にこんな状況では!だから私たちだけで行きますよ!」
「ああ。……わかった」
ハヤトはまだ泣き続けるエレナを肩越しに振り返りながらソフィアの後を駆け出した。そのこちらをずっと見つめるエレナの目と合って、そこでハヤトは口元を不敵に笑ってみせた。
大丈夫だ。
何も心配ない。
必ず帰るから。
そんな気持ちを乗せるように。
エレナにそれが伝わったのか、彼女は小さく頷いて何かを呟いた。周りが煩くて聞こえなかったが、彼女の感情だけは伝わってきた。恐怖を感じていながらもその目からはハヤトたちを心配する気持ちと、自分が行けないことに対する申し訳無さがありありと伺えた。
怖いのは当たり前だ。ハヤトだって予想外なことに不安がないわけではない。その不安が募って怖くて堪らない。それでも父のやり残したことをしなければと思うのだ。
「行ってくる」
ハヤトは頭を切り替えて、前を向く。そしてソフィアが急ぐ理由を考えた。
もしこの爆発が機密を狙う誰かの仕業だとしたら、機密を奪うためにここを混乱させた可能性がある。そうなれば機密を保持している側は迂闊には動かなくなるだろう。自らも安全を確保するはずだから。
そこを狙っているのかもしれない。
本当ならハヤトたちだってこの状況下では動くことを止めた方が良い。自らの安全のためならパニックを起こした群衆から距離を取るべきだ。だが、もともとこうなることは想定済みだったはずだ。
ハヤトは停泊するクルーズ船を鋭く見つめた。そしてソフィアと二人で周りの人たちに注目されないように注意しながら船尾側に走る。そこは小規模な爆発が起きたこともあって手すりなどが少し吹き飛んでいた。しかも人々の不安を煽るように未だ可燃性の何かが燃え続けている。ここから渡ってもこの黒煙がカモフラージュになってくれるはずだ。しかも皆冷静さを失くしている。誰も気づかないだろう。
まさかここを渡るヒトがいるとは思うまい。
「〈爆破〉、〈架橋〉、〈煙幕〉」
再び花火のような音が響く。しかしそれはソフィアが作っていた火薬を適当にクルーズ船船首の上空で爆破しただけだ。しかし合成が上手くいってなかったからか、かなり小規模だった。それでもそれだけで気が立った人々はそちらを仰ぎ見た。というより恐怖で見ざるを得なかった。
さらにソフィアは手すりを飛び越えて十メートル以上の高さのある桟橋下部に躍り出る。それにはさすがのハヤトも瞠目せざるを得なかったが、ソフィアは問題なく何もないところを走り続けていた。よく見れば碧い結晶の骨組みがハニカム構造となって橋を形成している。それはソフィアの〈煙幕〉と炎の黒煙で非常に見えづらいものになっていた。
そこで一際風が強くなり、煙がハヤトを包み込む。油が燃える嫌な臭いと何故か大量に生き物が燃えた時の、鼻が曲がりそうな異臭が鼻についた。思わず吐き気を催してしまい、一瞬足を止めてしまった。
それでも彼はソフィアの後を追った。
ソフィアと同じようにその手すりを飛び越えて、その高さに本能的に身を竦めながらハヤトは彼女の後を追って中空を駆け抜けた。しかしクルーズ船との距離が遠いせいか走る度に即席の橋が撓み、今にも結晶が砕けて真っ逆さまに落ちてしまいそうな感覚を覚える。
「ハヤト。落ちる想像はできるだけしないで下さい。今造ったので、ハヤトのイメージの影響を受ける可能性があります」
「なっ!?」
それには流石に慄然とした。これはソフィアの魔法であるから直ぐに壊れるわけではないが、どちらにしろこの橋を造っているのは恐らくマナリウムだ。ハヤトの想像を具現化しようと動く可能性がある。
だからハヤトは必死に前を見た。そしてこの橋を全力で走り抜けることだけを考え続け、我武者羅に走った。途中夢中になりすぎて目を瞑っている自分に気がついた時は本当に心臓が止まりそうだったが。
だって、この橋に手すりもなにもないのだから。
そして目を瞑ったせいかクルーズ船に着いた時にソフィアを追い抜かしていたことに気づかなかった。
「あれ?追い抜かしてた?」
「そうですね。私は2回ほど落ちかけましたよ。やっぱり急造のプログラムはダメですね。バグが多すぎます」
実際橋を渡っている時、ソフィアは床が無くなって2回も落ちかけていた。その度にイメージを強くして走り続けた結果なんとか辿り着いたのである。
因みにハヤトは橋から少しはみ出て走っていたのだが、ソフィアの言うバグのおかげで彼の下にマナリウムが橋を形成して落ちなかった。これはかなり幸運だったと言えよう。
「というか追い越したことも眼中にないくらい必死に走るなんて、ハヤトは平行思考を他に割かない才能があるんですね」
「並行思考?」
「並行に違う思考をすることです。ほら音楽聴きながら勉強して、その間に今後の予定と、夕ご飯のメニューを考えるとかそういう話です」
「んん?」
一瞬分からなかったが、たぶん脳を並列に複数使っているという話なのだろう。普通の人間でも話しながら歩く時、歩く仕草を意識せずに――正確には意識せずに脳を使っている――話しているのだから、誰でもやっていることなのだろう。
「じゃあ、行きますよ。端末を掛けなさい」
「わかった」
ハヤトたちが端末を掛けるとそこには見たことがない光景が広がっていた。《アサヒ》がそうなるように設定してくれた光景なのだが、まさかこんな景色だとは思わなかった。
目の前に広がるのは碧く輝く糸が縦横無尽に奔る不思議な光景だ。それはまるで地蜘蛛の巣の糸のようにこの船全体を薄く覆っているのである。桟橋の方に目を向ければ今渡ってきたハニカム構造の橋も碧く輝いているのがよく見えた。
さらに遠くを見れば碧い線が横浜の街に向かって伸びているのが分かる。こんなものが身近にあっただなんて正直に驚いてしまった。
『このマナリウムが濃くなっている場所に向かって下さい。そこに機密があります』
《アサヒ》が言葉を耳の軟骨に伝えると景色に矢印が浮かび上がった。その方向に向かえば良いらしい。その方向にハヤトたちは走り始めた。
「これは《アサヒ》の授業ですね。ハヤトにマナリウムがどのように動いているのかを理解させるために見せているのでしょう。本来なら矢印だけあれば良いはずですし」
なるほどとハヤトは納得する。確かに今まで科学魔法の抽象的な話ばかりで実際はどのようになっているのか知り得なかった。だからこんな物を見ると科学魔法が超常的なものではなく理屈あるものだと実感できた。これらのマナリウムがヒトの思考を読み取って世界に影響を与えているのだ。
しかもよくみればこのマナリウムたちは常に形を変え、移動しているのが分かる。まるで粘菌だ。その中には風に飛ばされて塵と化すものもあって、それは光の粒子が舞っているようだ。少し幻想的でこんな時でなかったら、例えば夜にでも見ればとても綺麗に違いない。でも端末と《アサヒ》の力がないと見れないのだからいつでも見れるものではない。
そうしてハヤトたちはクルーズ船内に侵入した。
その先には――。
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