第529話:収縮
「もう頑張らなくていいよ……今、終わらせてあげるからッ!」
言うや否や、ティアは開いた両手を閉じ始める。
『ッ!!』
その直後、バフォメットが感じたのは、あまりにも強大な圧力であった。
閃光を放つどころか、己の形を保つことすら困難なその力。
うめき声1つ上げられず、身じろぎ1つ出来ないという、まるで何かに身体中を握りつぶされているような、そんな感覚に、彼の中にまた1つ、新たな感情が芽生え始めていた。
「分かる? あなたは今、自然の一部になったんだよ」
ティアはだんだんと力を強めていく。
それに合わせ、バフォメットの全身を覆う氷が、内へ内へと収縮を始めた。
やがて、振り上げたまま固まっていた腕や、大きく開いていた足が、徐々に胴体へと強引に近づけられていく。
無理矢理捻じ曲げられていく身体はその力に耐えきれず、身体中の至るところから血飛沫が溢れ出した。
だが、バフォメットは魔力ある限り、身体が勝手に修復される。
『ッ!?』
しかし、もはやそれに、何の意味もありはしなかった。
再生した身体はすぐに氷によって押し潰され、そしてまた再生し、再び破壊される。
何度でも何度でも、バフォメットはティアの力の前になす術なく、同じ結末を繰り返し続けた。
そうして、30メートルはあった巨大な氷の塊が、ティアの身体と同じ大きさの球体となった頃、彼もまたその中央で、小さく丸められていた。
もはや戦う意志も何もかも失った彼の心の中は、ただ1つの感情によって支配される。
「じゃあね。次は戦う相手を……間違えちゃダメだよ」
『……! …………ッ………………』
最後に得た"恐怖"というその感情。
もっと早くそれを知っていれば、彼はもう少しだけ、長く生きられたのかもしれない。
遂に氷塊は、ティアの手のひらに収まるほどに収縮し、彼女はそれを引き寄せると、そのまま優しく握り潰した。
暴れに暴れ回った神獣、山羊頭の超越者。
その最期は、実に静かなものであった。
「……凄い。あのバフォメットを……」
ルカは驚きを隠せなかった。
確かに、ドラグニス、ルカ、そしてティアと、バフォメットは3人の強者との連戦であり、魔力の使い方が下手な彼は、ティアと戦う前から既にかなり消耗をしてはいた。
だが、それを差し引いてなお、ティアの強さは圧倒的であった。
それ故に彼女は、その力が自分たちと比肩するか、それ以上であると、そう感じていた。
「ティアは強いですよ。あの子は全部を力に変えるんです」
「全部?」
「ええ。境遇も、環境も、想いも、何もかも全部。この1年ほど、私たちは凄まじい鍛錬を重ねました。ほんとに泣きたくなるというか、まぁ実際泣いてたんですけど……とにかくそれくらい辛かったんですが、ティアは泣き言1つ言吐かない。全部飲み込んで消化しちゃうんですよ彼女は。だから、ティアは最強なんです」
誇らしげに彼女を語るアスナに、ルカは笑顔を見せる。
「……少し、羨ましいですね彼女が。それだけ想ってくれる、あなたのような友人がいて」
それを聞いて、アスナもにっこりと微笑んだ。
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「……よし。さぁて、次はあっちだね」
ティアの視線の先。
眼下に広がる50万人の操られた民。
ゆっくりと、確実に、彼らはベンディゴへ向けて進軍を続けていた。
「ティア!」
アスナに呼ばれ、ティアはいったん彼女たちの元へと向かう。
そのまま地面に降り立つと、親指を立てて笑顔を見せた。
「お疲れ様。まだいけるよね?」
「当然! まだまだ余裕だよ!」
「分かった。私たちはいったんベンディゴに行くね。ディーさんとルカさんを休ませてあげたいし、現状を詳しく知りたいから」
「了解! こっちは任せて!」
「うん、任せる。じゃ、また後でね」
「はーい!」
「やばそうだったらあたいらも手伝いにくるわ」
「ティア、やり過ぎないようにね。あと、通信魔石はすぐ取れるようにしておいて」
「わーかってるって! じゃ、行ってきまーす!」
風を纏い、ティアは再び空へと向かう。
仲間たちは彼女の背中を少しだけ眺めた後、ベンディゴへ向けて歩き始めた。
「さて……どこから始めようかなぁ」
ティアは大軍の正面に移動し、改めて上空から全体像を把握しにかかった。
それはまさに異様な光景で、一糸乱れぬ行軍を再開した彼らは、ベンディゴを覆う正方形に造られた壁の一辺、約10キロに広がり、ただ黙々と足を前へ運び続けていた。
緑の絨毯のようだった平原は、彼らが進む度に土の色へと塗り替えられていき、舞い上がる土埃と、全く同時に鳴り響く行軍の足音と相まって、それがまたその光景の異様さを際立たせていた。
「これをよく止められてたなぁ……やっぱりSSSランクはすごいね。よしっ! 私もがんばろっ! やるぞぉー!」
しかし、そんな光景をみてもなお、ティアは笑顔を崩さない。
以前の彼女ならば慌てふためいていたところであろうが、今の彼女にそれはない。
身につけた圧倒的な実力は、彼女に強靭な精神力をもたらした。
そして、それは間違った自信ではない。
「ぬんっ……ぬぬぬぬぬぅ……!」
両手を広げ、ティアは魔力を解放する。
やはり大気が震えるほどのそれは、この戦場にいた全ての人間が、思わず一瞬手が止まるほどの強大な力。
そして、比喩でもなんでもなく、大軍の数百メートル先の地面が、大きく震え出した。




