第368話:恥
「えっ!? ほ、本当ですか!?」
控え室でそれを知らされたロードは、あまりの驚きに目を見開いて声を裏返していた。
「お、おめっ……おめでとうございますっ!」
「ふふっ! ありがとうソフィアちゃん。これも全部ロードくんのおかげよ……本当にありがとう」
「い、いやぁ……よかったです……本当に……」
「け、けど、よくあのバイザーさんを……」
「全部言ってやったわ! この1年間溜まってたこと全部! そしたら謝り出してね!? いやぁー見せたかったわあの顔!」
「は、はは……」
"女の人って怖い"。
ロードはそれを再認識したとともに、レヴィのことを大事にしようと……そう強く思ったのだった。
そして、そこで思い出す。
「あっ! ソフィア、レヴィから連絡は?」
「そ、それがまだ……ずっと握りしめてたんですけど、1回も光ってません」
そう言って、ソフィアはロードに通信魔石を手渡した。
温もりが残るそれを懐にしまい、彼は手を顎に当てて顔を俯かせる。
「バイザーさんのことはよかったけど……今度はこっちがまずいな」
準決勝第2試合。
ブランスとコスモの試合は、もう間もなく始まってしまう。
しかし、未だにレヴィからの連絡がない以上、それは事態が好転していないことを表していた。
「やっぱりアプルちゃんがいないと、ブランスくん勝てないかな……?」
「どうでしょう……ただ、間違いなく言えるのは、今ブランスさんはほとんどやる気がないうえに、全く冷静じゃないってことです。その状態で勝てる相手かと言われると……」
コスモに対する怒りはある。
だが、やはり彼の根幹はアプルなのだ。
そこが欠けている以上、どれだけ拭っても不安は消えない。
「こっちから連絡してみます?」
「んー……したところでな……かえって邪魔になるかもしれない。待つしかないよ」
「ですよね……」
「頼むぞエクスカリバー……レヴィ」
―――――――――――――――――――――
時は遡り、闘技大会の1回戦が開始した頃――――
「こちらです」
レヴィとエクスカリバーは、ブランスの家の執事頭であるビウスに連れられ、アプルの部屋へと向かっていた。
数々の美術品が並ぶ廊下を抜けると、やがて大きな扉が見え、その周りに執事やメイドがおり、更に扉の前でアプルへと声を掛ける初老の夫婦の姿が見えた。
「アプルー! 少しでいいから話を聞きなさい!」
ずっと声を上げ続けていた所為か、その男性の声は枯れ始めていた。
対して女性の方は腕を組み、"やれやれ"といった表情を浮かべて佇んでいる。
「あれは……」
「はい。お館様と奥様です」
「なるほど……ブランス殿は母君似だな」
「はい。容姿から性格までそっくりに御座います」
「ん、あらビウス……そちらが?」
その時、ブランスの母、ナターシャが彼女達に気付いた。
「はっ……レヴィ様とエクスカリバー様です。ロード様にはお試合がございますので、こちらのお二方にご足労いただきました」
「レヴィと申します。奥様、以後よしなに」
「エクスカリバーだ。よろしく頼む」
「わざわざ我が愚娘の為に……申し訳ないわね。私はナターシャ。こちらこそよろしくね。で、ご覧の通りの有り様よ」
「アプルゥッー!」
「……もう半刻ほどあの人が叫び続けてるけど、一切応答がないの。あの子頑固だから……そこだけは私に似ちゃったのよねぇ」
「奥様、時は一刻を争います。ひとまずここはお二方に……」
応対に困る会話をスルーし、ビウスは彼女にそう進言する。
「ああそうね。なら、私達は離れましょう。ビウス、あの人を引き剥がして」
「はっ」
「アプッ……ちょっ!? なんだビウッ……はなっ……! ア、アプルゥッー!」
「よし……じゃ、悪いけどお願いね。私達は先に闘技場に向かっておくわ。ビウス! そのまま馬車に放り込んで! じゃ、またね」
「……全力を尽くします」
彼女らを見送り、2人は扉の前に並んで立つ。
そして、互いに頷いた後、まずはエクスカリバーが口を開いた。
「アプル殿、我だ。分かるか?」
「……ッ!」
彼女が息を飲む気配。
2人は、それを確かに感じた。
「フ……あれから一月は経つか。覚えていてくれて嬉しいぞ。さて、扉を開けろとは言わぬ。どうか、我が声だけでも聞いてくれ」
「……」
反応はないが、僅かに聞こえた衣擦れの音。
それを受け、エクスカリバーは言葉を続けた。
「貴公は聡明な女子だ。恐らく、今どのような状況になっているのか、全て察しているのだろう。それでも尚、部屋から出ることを選択しないのは、理性を超えた恐怖……と言ったところか」
応答はない。
だが、気配がそれを肯定していた。
「咎めぬよ……誰も」
「……ッ!」
「貴公が恐怖を覚えるのももっともだ。幻想は崩れ、信じる足場がなくなってしまったのだからな。だが、果たして……本当に全てが幻想だったのだろうか?」
エクスカリバーの凛とした声が、淀みなく彼女の心をノックする。
その度に彼女は息を飲み、まだ動くその両手が、彼女の身体を押し上げていった。
「アプル殿。我らが出会うまで、貴公の中では我もまた……幻想の中に在るものであったろう? だが、今はどうだ?」
「…………違います」
初めて聞こえた彼女の声に、レヴィとエクスカリバーは顔を見合わせ、そして微笑んだ。
「そう……我はこうして、確かに存在している。貴公の蔵書に記された英雄譚は、幻想ではなく……現実にあったことなのだ。フ……まぁ、多少脚色されている部分もあるがな」
「……ふふっ」
「アプル様……レヴィです」
彼女の笑い声が聞こえたところで、今度はレヴィが口を開いた。
「あなた様の恐怖……私には痛いほど分かります。何故なら、我が主人であるロード様は……かつて"無能"と呼ばれる存在でした」
「えっ……」
「私も実際にこの目で見ました。いわれのない中傷……悪意の暴力を。つまり……」
レヴィは深く息を吸い、核心に触れる。
「今あなた様が最も恐れていることは、闘技場で起こるであろう……ブランス様に対する誹謗中傷を耳にすること、ですね?」
「ッ! ……はい」
そう。
アプルが闘技場に行くのを拒んだのは、まさにそれが原因だった。
「分かります。誰だって、自分の愛する人が貶されるのを……見たくはない」
「……ぐすっ……うぅっ……」
ブランスが闘技大会に出ることを聞き、最初は彼女も嬉しく思っていた。
初めて兄の戦う姿が見られると。
だが、大会日が迫るにつれ、嫌なことばかりが脳裏をよぎり始めたのだ。
"嫌われている兄が、観客達に酷いことを言われるのではないか"。
"もし兄が本当に弱くて、ボロボロに負けたらどうしよう"。
そんな不安が彼女の心を押し潰し、大会当日となった今日……彼女の身体を動けなくさせたのだった。
「ですが……アプル様。"無能"と呼ばれ、蔑まれたロード様は、決して挫けることなく……その全てを乗り越えてきました。力で抑えつけるのではなく、心を通じさせ、分かり合うことで。ブランス様を取り巻く今の状況は、かつてのロード様を彷彿とさせます。そして、ブランス様もまた、ロード様と同じように乗り越えようとしているのです。その為には、あなた様の力が必要なのです」
「わ、私の……?」
「然り。我が主人ロードには、ここにいるレヴィがいたのだ。レヴィは主人を支え、励まし、共に戦った。だからこそ、彼は絶望の淵から生還し、我を振るうに値する英雄と成れた。そして、ブランス殿にとってのそれは……アプル殿をおいて他にいない」
「で、でも私は……」
"怖い"。
その声にならない言葉が聞こえ、エクスカリバーは唇を噛み締めた。
「ブランス殿は今! 貴公の為に戦っている訳ではないッ! 貴公と紡ぐ未来の為に戦っているのだッ! その場に貴公がいないでどうするッ!? 貴公ッ……己が兄を見殺しにする気かッ!!」
「ッ!!」
「アプル様……アプル様は、ブランス様の魔法を知っておいでですよね?」
初めて声を荒げたエクスカリバーとは対照的に、レヴィは優しく静かに言葉を続けた。
「お、お兄様の魔法は……勇気……」
「そうです。アプル様、アスクレピオス様のお力を使えば、治る代わりに凄まじい痛みが身体を襲うという話……覚えておいでですか?」
「え……あ、はい……」
「正直、我々は心配でした。女性で、しかもまだお若いアプル様が、果たしてそれに耐えられるだろうか、そもそも承諾されるかどうか……ですが、それを初めて聞いた時、ブランス様はこう仰られてました。"アプルなら大丈夫。この俺の妹だから"、と」
「ッ! お、お兄様……!」
「ブランス様は、最初から知っていたのです。あなた様の中にある……その勇気を」
「うぅっ……わ、わたっ……私っ……ぐうっ!」
その時、部屋の中から大きな音が聞こえ、更にアプルの呻き声が響いた。
「ア、アプル様ッ!?」
「どうしたアプル殿ッ!?」
「だ、大丈夫……です……! わ、私……自分が恥ずかしいッ……!」
アプルは自分の意思でベッドから転がり落ち、必死に床を這いずって車椅子へと向かう。
その顔を……涙で濡らしながら。
「お兄様は……私のことッ……行かなきゃ……見届けなきゃッ!」
「アプル殿ッ……御免ッ!」
聖剣の一太刀が、彼女らを隔てていた扉を切り裂く。
「ッ! お、お2人とも……どうか私をッ……!」
「ああ……! 必ず間に合わせてみせるッ! レヴィ!」
「ええ! 参りましょう!」
そうして、時は再び現在へと戻る。




