8 執事と二人きり、何も起きないはずがなく
「お嬢様、この辺りで少し休憩しましょうか」
屋敷を出て小一時間ほど経っただろうか。人で賑わう町に着いたわたしたちは、通りにある店に入りお茶をいただくことにした。
本来なら寄り道せずに追放先のボーテ家へ向かいたいのだが、初めての外出、初めての馬車移動でグロッキーなわたしをダリオルが気遣ってくれたのだ。
教会に追われる身のわたしはローブで全身を覆い身バレに震えていた。ただ逆に悪目立ちしたので結局顔は出すことに。
町に入ってから好奇な目で見られる。店内でもその視線を浴びせられ少し不快に感じてきた。
やはり身バレしたのかと怯えていたが、どうやらわたしの後ろにいる長身執事のせいらしい。存在するだけで華になるダリオルは周囲の目を集めてしまっている。
わたしはダリオルを目立たなくするため隣に座るよう命じる。椅子に座るダリオルを見るのは初めてで、面白くてついじろじろ観察してしまった。
「私がガストリエだってこと、意外と気づかれないものね」
「お嬢様は深窓の令嬢ですから。顔を知っているのは屋敷の者か、先日の社交界に参加されていた方だけですので」
昨日の社交界が侯爵令嬢ガストリエちゃんお披露目の会だったから、知られていないのは当然か。
しかし、司教が発した密告というあの言葉が気になる。わたしのスキルを目撃したのは、社交界のメンバーだけだよね。じゃあ、あの場にいた誰かが教会に密告した……?
湧き出てきた疑心をお茶で流し込み、わたしは勢いよく立ち上がる。
「私はもう平気よ。さあ、先を急ぎましょう」
「御意。お嬢様」
それからしばらく馬車を走らせたところで、ようやくノワール領を出たらしい。
随分と遠くまで来たことに寂しさを覚えつつ、わたしたちは進み続けた。
途中、尾行対策で馬車を乗り換えたり、「病弱令嬢は西に向かった」なんてデマを吹聴したりしながらボーテ家を目指し、気づけば日が傾きかけていた。
お父様の話だともう到着していてもいい頃合いなのだが目的地は未だ見えてこない。ダリオルはわたしの体調に配慮しゆっくり馬車を走らせてくれているみたいだ。
「……先程から尾けられていますね」
「ほんとに? 全然気づかなかったわ」
「遠回りにはなりますが、一度森に入って追っ手を巻いてもよろしいですか?」
「わかったわ。私にできることは何かある?」
「いえ、お嬢様の手は煩わせませんよ」
これ以上寄り道すると今日中の到着は絶望的だ。まあダリオルが守ってくれるし一泊くらい問題ないだろう。
木々の合間をすり抜け、馬車は走る。獣道か馬車道があるのか、森を走っている間も思ったより揺れは少なかった。
わたしは後方を覗いてみたが、やはり追っ手どころか人っ子ひとり見えなかった。完璧執事はきっと視力10くらいあって、普通は見えないものが見えているんだろうな。
さて、今夜は初めての外泊だ。宿に泊まったらダリオルと枕投げして恋バナして……いやダリオルは別部屋か。じゃあ、一人でするかあ……。
馬車が停止した。何事かと思い外を覗くと、ダリオルは馬から降りていた。
「……尾行はかなり手練れのようですね。キリがないので、私が直接始末してきます」
「始末……? え、ええ、任せるわ」
「馬車には魔法結界を張っておきます。……いいですかお嬢様。決して馬車から降りないでくださいね?」
「当然よ! こんな薄暗い森を一人で彷徨ったりしないわ」
それを聞くと、ダリオルはいつもの微笑を浮かべ颯爽と姿を消した。
ダリオルを待つ間、特にすることもないので目の保養をしようと、わたしは手鏡を覗き込んだ。
そこに映るのは追放されたガストリエちゃん。背景の巨大熊とのコントラストで一段とかわいい──。
……え、熊がいる。鏡越しに目が合っちゃった。
重低音で呻く熊はダリオルの結界に爪を立てている。大丈夫だよね、壊れないよね……?
戦々恐々と怯えながらも執事の帰りを待っていると、どこからか女の子の叫び声が聞こえた。
こんな森の中に女の子が……!
自分でも何故そんな行動をとったのか説明できないが、とにかく助けなきゃと思い、気づけば馬車を飛び出して声のする方へと駆け出していた。
木漏れ日が差し込む森の中。
日傘を差した少女が、ごろつき三人組に囲まれていた。
「危ないなあ、危ないよお。こんな薄気味悪い森にお嬢ちゃん一人だなんて」
「身なりのいいガキだ、貴族の令嬢か。親を強請ればたんまり金を絞れそうだな」
「ほーらお嬢ちゃん、怖くないよ〜。さ、おじさんたちと一緒に安全なところへ帰ろう」
言葉とは裏腹に、ちらちらと刃物をちらつかせる賊たち。日傘の少女は恐怖のせいか言葉も発せずにいる。
そんな現行犯の犯行現場にわたしは突撃した。
作戦も勝算もなかったが、なるようになれ!
「こらー! かわいい女の子に近づくな!」
「なんだあ? またお嬢ちゃんが増えやがった」
「こいつも小綺麗だな。後ろのガキ程じゃないが金のにおいがする」
「まとめて攫っちまおうか……!」
わたしは賊に向けて両手を突き出し、魔力を込める。
これまでの魔法練習で何度も気絶したおかげで自分の限界は把握していた。大人三人くらいなら気絶なしで吹き飛ばせる。
座標を定め、ダリオルから習った風魔法の呪文を唱えようとした、その時だった。
「な、なんだ!? でけえ熊だ!」
「あ……。そっか、わたしの後を追いかけてきたんだ」
「なに連れてきてんだよ! ばかやろー!」
巨熊はすたこらさっさと突進し、賊三人を遥か彼方へと飛ばしていった。
次はわたしたちがやられる番だ。わたしは日傘の少女の手をとってその場から逃げようとしたが、少女の足は微動だにしない。
ぐうぐうと白い呼気を漏らす熊は徐ろにこちらに振り返る。巨大な体躯で仁王立ちし、わたしたちを見下ろした。
この子を守らなきゃ……。でも、わたしの魔法で倒せるのか……?
熊はまだこちらの様子を伺っている。わたしは意識を保てるギリギリの魔力を手に集め、熊のどデカい体に目掛けて魔法を放つ。
「風よ強く……!」
熊の腹毛が螺旋状に渦を巻き、森に強風が吹き荒れる。地を揺らすほどの咆哮は風に乗って木霊する。
わたしは日傘ごと飛ばされそうな少女を抱きしめ、なんとかその場に踏ん張る。やったか……?
風が止み、恐る恐る後ろを確認すると……まだ熊はそこに立っていた。
わたしは地に伏せてしまう。意識は保てていても、立っていられない程の怠さに全身を襲われた。
ダリオルを呼ぼうとするも声が出ない。気管が細くなったかのように息が苦しい、うまく身体に力が入らない。
それでも……せめてこの子だけでも守ろうと、わたしは死物狂いで少女に覆い被さった。
「……ごめん。驚かそうとしただけなの」
少女が何か言った。わたしに謝っている……?
そういえば、熊の上にはくるくると日傘が浮いていた。この子が差しているのと同じ日傘だったような……。熊は大人しくしてるし、もしかしてこの子、飼い主とかだったのかな……。
頭がくらくらする。咳が止まらない。助けようとした女の子に寝かされ森の中で介抱される始末だ。
ああ……わたしバカだな……。一人で盛り上がって、助けた気になって、それで結局誰かに助けてもらっちゃって…………。
「フェーヴ……! ようやく見つけた」
「お兄さま」
「またこんな遠くまで一人で……。影で遊んでいたのか」
「遊んでない、特訓」
草を掻き分けやってきた茶髪の少年。この子の知り合いだろうか。
眼力で熊を追い払うと、駆け寄ってきた彼はわたしのおでこに触れる。やけに冷たい手だった。
「森を抜けた先の町に医者がいたな。そこまで走るか」
「助けていいの、この子?」
「フェーヴを助けたんだ、悪い奴じゃない。それにシャルロットからも頼まれたしな」
「……うん」
「しかし、こんな病弱なやつが一人で森を歩けるはずがない……。こいつの従者はどこだ」
「いない。馬車には一人だった」
「そんなわけが────誰だ、そこに隠れているのは」
意識が虚ろで話は頭に入ってこなかったが、ここで聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「失礼しました。私、そちらで倒れている方の従者でございます」
「嘘ではない……か。なぜこいつを一人にしたかは問わないでおく、気づいたらいなくなっているものだからな」
「……なんでわたしを見るの」
「お嬢様を介抱していただきなんと礼をすれば良いものか……ありがとうございました。後のことは私が引き受けます」
「礼はいい、早く医者に診せてやれ。帰るぞフェーヴ」
「……ばいばい」
わたしはダリオルに抱き抱えられ、馬車へと戻った。
近くで見た完璧執事は、珍しく冷や汗を流していた。
「全く……。お嬢様は自分大好きなくせに、自分よりも他人を優先してしまうんですね」
「ごめんなさい……」
「……いえ、お嬢様はそのままでいいんですよ」
夜が空に広がり、星々が無数に輝く。冷え込んだ森を馬車は走る。
馬車が止まると、馬のいななきを合図に周囲からは音が消え去った。
「町までは遠いですし、ここで一夜過ごしましょう」
ずっと夢を見ている気分だった。意識はぼんやりとし、体は鉛のように重いのにふわふわしている。
ダリオルに運ばれ、わたしたちは森の高地にある小屋へと入った。
古い木造の外観で、雨風は防げそうだが宿としては心許ない。ベッドや箪笥などの家具以外には生活感のない室内だった。
わたしはダリオルが屋敷から持ってきた薬を飲み、ベッドで横になる。ここが家の外だと思うといつもの体調不良がより一層心を蝕む気がする。窓から望む月明かりだけが安らぎをくれた。
ダリオルは町で調達した食材を取り出し、魔法でお粥を調理する。わたしが口を開けて待っていると、ダリオルは破顔しスプーンで食べさせてくれた。
「甘くておいしい……。これはなんていう料理?」
「お嬢様もご存知のお粥ですよ。お口に合ってよかったです」
「本当に? いつも食べるのと違う……。なんというか、温かい味がするわ」
「……師匠の味付けで作りました。私が体調を崩した時、師匠はよくリオレを作ってくれたんです。甘すぎて食べられたものではありませんでしたが」
「とってもおいしいわ。その師匠にも感謝しなくちゃ」
ダリオルが自分のことを話すのは初めてだった。わたしへの親密度が高くなってきたのかもしれない。
わたしは彼が心を開いてくれた気がしてうれしくなった。
ダリオルが馬の手入れで外へ出ている間、少し元気を取り戻しつつあったわたしは暇を持て余し、町で買ったこの国の地図を眺めることにした。
ベッドの上に広げた地図を手持ちのランプの灯りで照らす。見たいところに合わせて灯りを動かした。
ノワール領は南の方にあるって聞いたっけ。太陽が昇る方角に大きな山脈があったから……南西のあたりか。で、目的地のボーテ家があるのは東の方角…………。
……ん? ノワール家から東に行くなら、山を越えるか山脈に沿って迂回する経路になるよね。ここまで山に近づいてすらいないけど……。
というか、わたしが今いる森ってどこだ……? 山に近づかず、川を何度か超えたとなるとこの辺りか……あれ、もしかして北上している……?
休憩を挟んだり追っ手を巻いたりしたとはいえ、明らかに目的地から離れているような……。実はダリオル、方向音痴だった……?
わたしは室内を見回す。ハンガーに掛けられた黒の燕尾服、その懐に白い何かが隠れていた。
ランプを持って近づき、燕尾服に隠された三つ折りの紙を手に取る。
見てはいけないと心が訴えかけている。だが、これを見ないことには心に渦巻く疑念が取り払えなかった。
ダリオルの怪しい行動の数々。何もなければそれでいいんだ、これも彼の師匠との交換日記かもしれないし。
申し訳ないと思いつつ、わたしは中を開いた。
「──お嬢様」
「ぎゃあ! だ、ダリオル……」
「何を、されているのですか?」
戻ってきたダリオルが小屋の入り口に立っていた。唯一の出入り口を封じられてしまう。
じわじわと距離を詰められ、年季の入った床板が不気味な音を立てて軋む。
手元の灯りが照らすダリオルの表情は、いつものように微笑を浮かべている。
「……ねえ、ダリオル。私たちって本当にボーテ家へ向かっているの?」
「はい、勿論です」
「地図を見たけど、目的地とは反対方向に進んでいるんじゃないかしら」
「……問題ありません。少し遠回りしましたが明日には着くでしょう」
「……それじゃあ、この手紙は……何? 教会からの手紙みたいだけれど……」
「それは……」
「わ、私はダリオルのこと、信じたいの……! ダリオルは私を守ってくれる……のよね……?」
疑心は確信へと変わりつつあった。でも、信じたくなかった。
わたしが──ガストリエちゃんが生き残るには、ダリオルに守ってもらわなくてはならない。わたしはあまりにも弱い。
もしダリオルが裏切ったら……。わたしに勝ち目はない。
……これは杞憂なんだ。初めて家を出て不安になっているだけなんだ。……そう思いたい。
お願いダリオル。わたしを守るって言って……!
「…………困りましたね。もう少し隠せると思っていたのですが」
ダリオルはわたしの肩を掴み、乱暴にベッドへ押し倒す。落ちたランプの灯りは呆気なく消えた。
そのまま馬乗りになり、わたしを見下ろすダリオル。
どこからか取り出したナイフは月の光を浴び艶を帯びていた。
「だ……ダリオル、さん…………?」
死が、目前に迫っていた。
うまく状況が飲み込めない。恐れていた最悪の事態が現実に起きてしまっている。
ダリオルが教会に密告し、わたしが追放されるような展開を作った……?
わたしを遠くの森に連れ込み、殺す機会を伺っていた……?
腑に落ちない点ならいくらでもあるが、そんなことを考えている場合ではなかった。
「隠していてすみません。実は私、殺し屋なんです」
「へ、へぇー…………。あのぉ、殺し屋のダリオルさんにお願いなんですが、わたしのこと見逃してくれたりしませんかね……? ほら、かわいいガストリエちゃんスマイル……!」
「ふふっ。面白い方ですね」
ダリオルはいつもの微笑のまま、淡々と言い放った。
「お嬢様には死んでいただきます」




