58 祝福の女神
──窓の外にはいつも一面の麦畑と果てしない青空が広がっていて、世界はどこまでも続いているんだと期待させてくれます。
「わたしも、好きに外を歩きたいな」
「お前ならできるよ」
誰かがわたしの呟きに答えました。
びっくりして部屋の中を見ると、すぐ傍に見慣れた顔がありました。
「あ、クラフティ! 今日も来てたのね」
「あのなあ。ノックもしたし声もかけたのに、ぼけっと外見て黄昏てるやつがあるか」
「クラフティも一緒に黄昏る?」
「一人の時にやってくれ。それより……」
クラフティはわたしをまっすぐ見つめています。
そして、手を差し出してきました。
「この手は?」
「外、行きたいんだろ。俺が連れてってやる」
「ほんとに? ありがとう! クラフティは優しいね」
「べ、別に俺は……」
クラフティは少し顔が赤くなっています。
恥ずかしそうに、それでもわたしを見る目は変わらずまっすぐなまま。
わたしは彼の手を取りました。
ベッドを降り、自分の足で立ちます。
「どこか行きたいとこはあるか?」
「クラフティがいるならどこでもいいよ」
「お前はまた……。そんなに歩けないだろうから近くでも回るか」
「うん、わかった!」
クラフティは、ドアを開きました。
風がわたしたちを誘います。
「さあ、行こう。エウロギア」
それから毎日のように彼はわたしの手を取って外へ連れ出してくれました。
麦畑はどれだけ駆けても終わらないほど大きく、青空は呆れるほど遠くうんと手を伸ばしても届きません。
クラフティが見せてくれる世界は、ベッドの上から望む窓越しのくすんだ景色よりも一段と輝いて見えました。
「すごいな、お前は」
「クラフティのおかげだよ。わたし、自分でもこんなに動けるだなんて知らなかった!」
「それもそうだけど、エウロギアは誰にでも好かれてすごいよな」
わたしは外に出るようになってから、たくさんの人に出会いました。
初めての場所は怖くてなかなか一歩が踏み出せなかったけど、知らない人と話すたびにそこが知っている場所に変わっていく、そんな気がしました。
家の中だけだった小さな世界が一気に広がっても、クラフティは迷わないよう案内してくれました。
彼との時間は何よりも大切なものとなっていったのです。
クラフティと初めて会ったあの日。
退屈そうな目をする彼と窓越しに目が合ったあの時から、わたしの人生は動き出しました。
わたしは病弱でろくに働けず、いつも親に面倒と心配をかけてばかり。
髪が白く、これでは嫁にも出せないと嘆く両親の声がわたしの枕のシミに変わり、眠るのも怖くなりました。
そんなわたしのことをちゃんと見てくれたのは、クラフティだけでした。
親ですらわたしと目を合わさなくなっていた中、彼の透き通る瞳だけはわたしを見てくれました。
彼はわたしの歩く道を拓き、ずっとベッドの上にいたわたしに歩き方を教えてくれました。
自分の足で立った時、わたしは初めて、生きてもいいんだと思えたのです。
きっとクラフティとの出会いは神の御導きなのでしょう。
「いいな、クラフティは。きれいな髪で」
「先祖から代々受け継いできた黒髪だからな。そう言うエウロギアもきれいじゃないか」
「ううん。見て、真っ白だよ? いろんな人に会ったけど髪が白いのは歳を取った人だけ。わたしまだ十つなのに、もうおばあちゃんになったみたい」
「……俺もいつか、髪が白くなるよ。そしたらお前と同じ髪色だ」
「ほんと?」
「ああ! お前を一人になんかしない! だから、その、これからもずっと、俺と一緒に歳を取ってくれ!」
「でもやっぱり歳は取りたくないなー」
お年寄りは座ったり立ったりするだけで疲れ、短い距離を歩くにも苦労するみたい。
わたしはもっと広い世界を見たいし、もっといろんな場所へ行きたい。だからまだお年寄りにはなりたくなかったのです。
クラフティは愕然としていました。
「がはは! おい見ろよ、クラフティのやつ振られてやんの!」
「気取った求婚なんかするからだ!」
「う、うるさい! 振られてなんかない! 俺はこの土地の領主の嫡子、クラフティ・ノワール様だぞ!? 俺が求婚を断られるわけが……」
「クラフティ? どうかしたの、急に大声出して」
「……はあ。もういい! お前はもっと世間を学ばなきゃな」
クラフティはなんだか元気がなさそうでした。
そこでわたしは、彼におまじないを唱えました。
彼の手を取って、反対の手のひらに丸を描きます。
──幸せが在らんことを。
「……なんだ、今のは?」
「幸せの呪文だよ。クラフティが幸せになりますようにって願いを込めたの」
「ああ、そうか。ありがとうエウロギア。ちょっとだけ元気出たよ」
それから数日、クラフティはとても幸せそうにしていました。
彼の笑顔を見ると、わたしもうれしくなりました。
「なあ! エウロギアが教えてくれた呪文、あれをやったら俺の周りでいいことばかり起こるんだ!」
「そう、よかった! わたしずっとベッドの上で過ごしてきたからこんなことしかできなくて」
「何言ってんだ、エウロギアにはすごい才能があるんだよ! お前は天才だ!」
「そ、そうかな、えへへ。たぶん誰にでもできると思うよ、ほらクラフティにも教えてあげる」
わたしはクラフティにおまじないを作る方法を教えました。
クラフティは飲み込みが早く、すぐにやり方を覚えてしまいました。
「魔法みたいなおまじないもあるんだな! じゃあさ、花をいっぱい出したりできるかな」
「どうだろう、おまじないは『できることができる』の。誰にもできないことは難しいかな」
「そっか……。何ができて何ができないのか、いろいろ試してみるか!」
わたしたちは会うたびに考えてきたアイデアを話し合い、二人でいろんなおまじないを生み出しました。
やがてその噂は村中に広まり、村民みんながわたしを訪ねてくるようになったのです。
村の中では日常的におまじないが使われるようになりました。
村民の人と会うと、わたしの元へ駆け寄って感謝を伝えてくれます。
お父さんとお母さんも、わたしのことを自慢の娘だと言ってくれました。
うれしかったです。
……けど、いつしかみんな、わたしを神様のように崇拝するようになりました。
奇跡の力をもたらす神の遣いだと、信じてやまないのです。
どうして今までみたいに接してくれないのでしょうか。
わたしはもっと普通に、みんなと仲良くなりたかっただけなのに……。
ある日、わたしはクラフティにお願いして二人でお出かけしました。
二人きりになるのは久しぶりのことでした。
「こんな高いところに来るのは初めてだ……! なあ、エウロギア!」
「……そうだね」
「おい、どうした? 元気ないな」
「ううん、そんなことないよ。ただ……」
「ただ?」
「高いところからだと、麦畑の果てが丸見えだね。空も近い……。ずっと続いてると思ってた世界は、こんなにちっぽけだったんだなって」
吹き抜ける風にクラフティの黒髪が揺れました。
「がっかりしたか?」
「うん、ちょっとだけ」
「ま、そんなもんだ」
「え……?」
「見える範囲の世界なんて思ったより大したことないさ。特にお前は、家の窓から見た世界しか知らないしな」
「うん……。でも、ここ以外に世界があるの?」
「勿論!」
クラフティはまた、わたしの目をまっすぐ見つめています。
彼の目はキラキラ光り、とても力強く、思わず吸い込まれてしまいそうです。
「エウロギア。大きくなったらこの町を出よう」
「出るって……どこに?」
「決まってるだろ、いろんな世界を見て回るんだよ!」
「世界……」
「それで、二人で生きよう。俺はお前と生きていきたい」
「……いいの? わたしはともかく、クラフティは領主の息子なのに」
「どうせ兄弟の誰かが家督を継ぐんだ。俺がいなくなっても気にしやしないさ」
「……けど」
風が吹き荒れ、白い髪がわたしの視界を奪います。
希望の灯りは簡単に消えてしまうのに、不安だけは吹き飛んでくれません。
本当に、いいのでしょうか……。
悩むわたしの手をクラフティは握り、反対の手のひらに丸を描いて呪文を唱えてくれます。
「……いいのかな。わたし、幸せになっちゃって」
「いいよ。お前にはその権利がある」
「お父さんやお母さん……村のみんなも、わたしがいなくなったら悲しむんじゃ」
「ちゃんとお別れすればいい。みんな笑顔で送り出してくれるよ」
「……わたし、いつかおばあちゃんになるよ? それでもいいの?」
「俺だっておじいちゃんになる。その時はようやくお前に近づけるな」
「…………ずっと、一緒にいてくれる?」
「ああ。いつまでも、お前の傍にいるよ」
わたしたちは約束しました。
いつか村を出て、町を出て、知らない世界を歩こうと。
わたしには、そんなとても遠い未来のことがすぐ目の前のように感じられました。
幸せだけが胸にあふれています。
世界を歩いたら、きっとまだまだ知らない人たちに出会うことになるでしょう。
そうしたら、会うみんなに幸せの呪文を唱えていきたいです。
わたしなら世界中のみんなを笑顔にできるかもしれないのです。
わたしに、夢ができました。
それからしばらく経った、ある日のことでした。
わたしのおまじないの噂は村だけに留まらず町へ、そして教会の耳にも入っていたそうです。
司祭さん、司教さん、その他お偉いさん方がたくさん村へお越しくださり、わたしを訪ねました。
わたしが呪文のことを教えると、教会の方は大変驚かれ、お喜びになられました。
次の日も、また次の日も、教会の方たちはわたしの元を訪れ、おまじないについて詳しく訊いてきました。
早朝、クラフティが部屋の窓を叩きました。
教会のやつが来る前じゃないと話せないからと、朝早くに会いに来てくれたのです。
「なあ、大丈夫か? ここんところ毎日じゃないか 疲れてないか?」
「うん、おまじないにはすごい力があるらしくて、お国のためにもなるから詳しく知りたいんだって」
「そうか……。エウロギア、嫌ならちゃんと断れよ? あんな不躾なやつら、無理に相手する必要ないんだからな」
「もうひどいこと言わないで! ……でもありがとう、心配してくれて」
教会の人が見えると、クラフティは名残惜しそうに去って行きました。
わたしのおまじないは教会の人いわく「スキル」と呼ぶそうで、それは神の祝福なのだそうです。
そのスキルを自由に作り、人に与える力がわたしにはあったのです。
わたしはこの国の偉い人たちのために役に立てている自分が誇らしくなりました。
「わたしなんかが持つには不相応な力だったんですね。できることなら国王様や教皇様にお渡ししたいものです」
「ああ、そうさせてもらうつもりだよ」
わたしは、魔法で気絶させられ、牢屋に入れられました。
それから、たくさんひどいことをされた記憶があります。
何をされたのかは、よく覚えていません。
ただ、わたしのスキルを生み出す力は、絶対に渡してはいけない人のものになりました。
わたしはごはんもまともに与えてもらえず、泣くのにも疲れ、虚ろな意識で呆然と牢屋の窓から外を眺めていました。
小さな窓から見える空は、とても美しいものでした。
その窓からクラフティが顔を覗かせ、いつかわたしを外に連れ出してくれる、そんな夢をたくさん見ました。
でも、その日が来る前に、わたしの意識は永遠に途絶えてしまいました。
監禁されてから、たまにわたしの心が身体を抜け出し、牢屋を出て他の部屋に入ることがありました。
その時に、わたしは教会の悪事の全貌を知ったのです。
わたしが持っていた力「スキルクラフト」は、教皇様のものとなっていました。
そして、恐るべきことに、教皇様はこの国の住人の記憶を書き換える力を持っていたのです。
「スキルクラフトの記憶は当然消すとして、既に出回っているスキルはどうする?」
「今からスキルの存在を消すことはできない。なので違和感を持たせないよう国民全員が一人一つスキルを持つように配るのはどうだろう」
「では、10歳になったら教会で儀式を行う決まりを作り、神からスキルを授かるという形にしようか」
「それは名案だ。だが、神からの祝福となれば教典を書き換えんといかんな」
「面倒だ。彼女を教典に出てくる女神ということにしよう」
「ははっ、祝福の女神エウロギアか! 素晴らしい」
この国からスキルを作るおまじないは忘れ去られ、スキルだけが残ることになりました。
そのスキルも、わたしの名前が付けられた女神様から国民に配られるそうです。
しかしその実態は、教会によるスキルの独占……。スキルクラフトの隠蔽でした。
教会の陰謀に気づいても、わたしには何もできませんでした。
牢屋から出るスキルを考えましたが、そんなことはできません。何故なら……。
スキルは、「できることができる」ものだから。
……わたしが死んだ後、教会にクラフティが乗り込んできました。
わたしの身体を離れた心は消えかかっていましたが、まだ少しだけこの世界に残ることができました。
クラフティに声をかけようとしますが、聞こえてはいません。触ることもできません。
わたしは彼が無茶をしないよう、祈ることしかできませんでした。
教会内部でわたしを探すクラフティ。
牢屋で倒れるわたしを見て、何度も呼びかけ、そして膝をついてしまいました。
彼は信徒たちを蹴散らし、教皇様に会いに行きました。
しかし、教皇の放つスキルを前に、呆気なく捕らえられてしまいます。
「……俺が必ず、エウロギアの恨みを晴らしてやる」
「ほう、貴様に何ができる? 私に傷一つ付けられぬ貴様に」
「俺には、力が足りない……けど! 何十年……何百年、何千年……どれだけ時間がかかっても、お前の野望を打ち砕いてくれる救世主が現れるまで、遠い未来へと繋いでいく……!」
「貴様……まさか!」
「たとえ世界を敵に回してでも……必ず、エウロギアの想いを遂げる……! 待ってろ、エウロギア……」
そこで、わたしの心も完全に消え果てました。
クラフティの命と共に──。
……さあ起きて。
ここからは、あなたの物語…………。
──真っ先に抱いた感想は、「ここどこ?」でも「何故こんなとこに?」でもなく、「頭いたい」だった。
なんだか、とても長い夢を見ていた気がする。
「スキルクラフト……」
狭い石壁の部屋、一面だけ鉄格子をはめられ、遠くの灯りがほんのり差している。
すぐに自分が牢屋にいると理解した。
ここどこ……? なんでわたし、こんなところに……。
それらの疑問は、彼女の登場で一瞬にして解決した。
「おはよう、ガストリエ・ノワール」
「あ、ゴーフルちゃん……!」
赤い髪を靡かせた少女が、光の魔法を携えてわたしを見ていた。
そうだ、わたし……ゴーフルちゃんから依頼を受けて、彼女にスキルをあげて、それで──。
「ゴーフルちゃん、なんで……! 信じてたのに……」
「残念だが、ゴーフル・ボーテなどという人間はこの世に存在しない。奴らは私を模した人形だからな」
ゴーフルちゃんの顔をしたその人は、ゴーフルちゃんとは違う雰囲気を纏っていた。
なんだろう、ついさっき、この人を見かけたような……。あ、そうだ、夢の中……!
教会で一人仰々しい服を着て、クラフティと呼ばれていた男の子を殺した、あの人だ……!
「あなた、誰……!」
「私は教皇ウーヴリ。ようやく会えたな、クラフティの末裔よ」
「末裔……? なんの話……」
「知る必要はない。これから貴様はすべての記憶を失い、教会の一部となるのだからな」
ウーヴリはその小さな手をわたしに向けた。
放たれた光が、わたしの胸を貫いた。
「さあ行こう、ガストリエ。上階でケンジャたちを待たせている」
「…………はい、ウーヴリ様」




