25 学びの園と仮面の女
季節は移り、暖かい日が増えてきたこの頃。
わたしは朝の支度を済ますと、手鏡を覗いた。
やばい、天使がいる。鏡面に天使が映ってる。
「前髪、流した方がいいかしら? それとも上げちゃう?」
「どちらもかわいいですよ、リエ様」
支度を手伝ってくれたダリオルは面倒そうに答えた。
今日は待ちに待った入学初日。とびっきりかわいいガストリエちゃんで華々しく学園デビューしたいからこんなに拘ってるのに……女心のわからぬやつめ。
しかしどちらも似合ってしまうガストリエちゃんにも非がある。わたしは素材で勝負することに決め、最後にもう一度だけ鏡を覗く。
かわいい三つ編みに、かわいいドレス、そしてかわいいお顔。うん、完璧。
浮かれた足取りで、勢いよく部屋を飛び出した。
学園は全寮制で、生徒はみな寮暮らしとなる。
入寮は数日前に済まし、今日からが登校日だ。
寮から学園正門へ向かう道すがら、誰か他の生徒を見かけないかとわくわくしていたが、残念ながらわたし一人だけだった。早起きしすぎたらしい。
朝の日差しを浴びながら通学していると、正門の傍に一人の少年が立っていた。
「おはよう、シュー! 来るの早いね」
「パティスリエ。お前も早起きが板についてるな」
シューとわたしは洋菓子店で働いてた影響で、早起きが習慣になっていた。
早く登校して支障はないが、他の生徒の登校時間と合わせれば出会いが増え、友達も作りやすくなるかもしれない。明日からはもう少し遅く寮を出るか。
「てか今、ダリオル先生の姿が見えたんだが……あの人も学園にいるのか?」
「うん。今度は潜入じゃなく、正式に教師になってもらったの」
「すげーな、マジで何者だよ……」
ダリオルは必要に応じて何にでもなれる。
ただ忘れてはいけないのが、ダリオルはわたしの執事であるということ。
教師として学園側にいてもらうのと同時に、執事としてお世話はしてもらう。わたしが一人で生きていけるわけないんだから。
大変な仕事だが、ダリオルに頼んだら楽勝そうに微笑んでいた。それなら遠慮せずどんどん頼もう。
初日はクラス確認と簡単な学園案内で終わった。
そして、学園生活二日目──。
朝の始業時間に合わせ、いい感じの時間に部屋を出る。
すると他にも登校する生徒の姿が見られた。わたしは先手を取って「ごきげんよー」と挨拶をかます。
みんな私を見るなり顔を引き攣らせ、苦笑いで挨拶を返してくれた。すぐに仲良くなれそうだ。
寮を出ると、男子寮の方からシューが出てくるのが見えた。わたしは大きく手を振り、シューに声をかける。
「おはよう、シュー!」
「うわあ! なんだお前!?」
「パティスリエだよ。どうしたの?」
「どうしたのはお前だよ! なんで仮面なんかつけてんだ!?」
「ああ、実は……」
わたしは訳あって仮面で顔を隠す必要に迫られていた。
昨日のクラス分けで大きく特別枠と一般枠の生徒に分けられたのだが、わたしは何故か特別枠のクラスになった。
王妃様の推薦もあり、平民だけど貴族扱いということになっているらしい。なんとも複雑だ。
それより問題なのは、わたしと同じ学年にあの人がいること……!
「きゃー! 見て、ガレット王子よ!」
「ガレット・デ・ロワ第三王子! その美しさを表現できず何人もの宮廷画家が筆を折ったという逸話が残る王子のご尊顔をこんな近くで見られるなんて眼福だわ!」
そう、王子だ。王子がいる……!
わたしは確か、前にこの人に会っている……。わたしが追放されたあの日、森の中で出会った日傘の少女のお兄ちゃん……あの茶髪の少年こそ、ガレット王子だ!
記憶が呼び起こされる……! 容姿や声以上に彼の高貴な振る舞いに既視感があった。間違いない! たぶん!
わたしが顔を晒して学園にいられるのは、ガストリエちゃんの顔を誰も知らないという前提があるから。
しかし! 王子はガストリエ時代のわたしと会った。自己紹介したわけじゃないが、顔を見られてる……!
確かこの人、シャルロットちゃんの婚約者なんだっけ。だったらガストリエちゃんのこと知られててもおかしくはない……。
ガストリエが生きてると知れたら教会に密告されるか、なんとか罪で即座に殺されちゃうかも……! 絶対見つからないようにしないと!
わたしはシューの背後に立ち、王子から身を隠す。
「お前の能力の件で逃げ回ってるのか。けど仮面してる方が目立つだろ?」
「たとえ全校生徒から変な奴だと思われたとしても、王子にバレない方が最優先なの!」
「難儀だな……」
こんなことになるとわかってたら学園に入学してなかったよ……。
いや、ちょっと考えたら回避できた事態か……。今更言っても仕方ないけどさ。
王妃様はこうなることを悟って仮面をくれたのだろうか。だとしたら先見が凄まじい。
もし揉め事になったらダリオルが助けてくれると信じて、一先ずは怪しまれないよう普通に学園生活を送ろう。
「うわなんだその仮面……。君たち新入生だよね。私はフロランタン・シャグラン、君たちは?」
「初めまして、パティスリエです。ごきげんよ〜」
「シューだ」
「なんだよおい! やっぱり平民じゃねえかよ! 正門は貴族しか通れないのが学園の伝統だ! 消えろ!」
正門の手前。わたしたちは執事やらメイドやらを連れた貴族たちの冷ややかな視線を浴びせられる。
何その伝統!? 身分差別があるのは知ってたけど、正門使っちゃダメなの? 昨日普通に通っちゃったよ。
「このフロランタン様は親切だから教えてやる! 平民は裏口に回って学園に入るんだな」
「はあ? 裏口ってどこだよ」
「裏口は学園外周をぐるっと回っていけば着くはずだ。ここからだと大体30分くらいかかるだろうな」
「はあ!? そんな遠回りさせられるのかよ!」
「それじゃ遅刻しちゃう……。あの、今回だけ正門を使うのを許してもらえませんか?」
「私は止めないさ。しかし、あの人たちが黙っているかな?」
意味深な言葉を残し、親切な貴族は従者に見送られ正門を抜けていった。
さて、どうしたものか……。
平民が正門を通るのはよくないことらしい、目立つ。
裏口まで回ってたら授業に遅刻する、目立つ。
ただでさえ仮面で目立ちまくってるからこれ以上目立つのは避けたいのに……。
「シューは貴族を名乗るの、抵抗ある?」
「……別に。どっちでもいいけど」
「じゃあ正門から行こう! 堂々と、胸を張って!」
「お、おい! 俺はともかく、パティスリエは大丈夫かよ」
「わたしは貴族クラスに入れられてるし、平気平気!」
わたしも実は貴族でした! ……なんて言えないけど、平民がどうとか身分がどうとか煩わしい。
わたしたちは正面突破で正門を跨いだ。
周囲のお貴族様たちからは嘲笑の的にされる。いや、気にするな。
きっとこれからの学園生活、こんな差別は日常茶飯事なのだろう。一々気に留めていたらキリがない。
わたしとシューは正門を抜け、校舎に入ろうとした。
その時、誰かが叫んだ。
「み、見ろ! 生徒会だ! 生徒会が来るぞ!」
正門側から校舎に入ると、真っ直ぐと伸びた長い廊下が続く。
そんな長廊下の奥から、他の貴族とは別格の風格を漂わせた集団が歩いてくる。
生徒会長らしき人物の両翼に、役員が二人ずつついている。
妖艶な美女、ガタイのいい大男、糸目で裏切りそうな男、華奢な少女……。
そして、真ん中に君臨する眼鏡の男。マントをひらひらさせ、顔つきは自信に満ち溢れている。かなり高位の貴族であることを伺わせた。
「あなたたち? 平民の分際で正門を通ったお馬鹿さんは」
「自分の地位も弁えぬ下賤の者め」
「入学しただけで貴族の仲間入りできたと勘違いする輩、毎年湧いてきますねえ。仮面なんてつけちゃって……ぷぷっ、さては貴族気分ですかな?」
「ど、どうなされますか……? カヌレ様」
「決まっている。有罪だ」
勝手に話が始まり、勝手に判決が出た。まだわたしたち何も喋ってないのに!
会長と思しき真ん中の男は、足元で死にかけている虫でも見るかのようにわたしたちを見下してくる。
「生徒会の方々ですね。初めまして、わたしはパティスリエと──」
「貴様らは学園の伝統を穢した。よって、生徒会の名の下に刑を執行する!」
「ま、待ってくれ! 俺もこいつも貴族と繋がりがあるんだ! だから──」
「関係ないな。刑の内容は後日言い渡す。これ以上惨めったらしいカスになりなくなければ、それまでに退学しろ」
「な、なんだよそれ……! 俺らまだ入学して二日目だぞ。知らねぇよ、そんな伝統とかよ!」
「知らぬ存ぜぬは通じぬ。学園では生徒会が法だ」
聞く耳を持たず、会長は淡々とわたしたちの存在を否定する。
いくらルールを破ったからといって、あまりに横暴だ。
周りを野次馬たちが囲っているが、誰も彼もみな貴族らしい。口を手で隠しお上品にわたしたちを見下してくる。
まるで、平民は人間扱いしなくても許されるような異質な空気に包まれていた。
ダリオルを呼ぶか? ……いや、ダメだ。
会長の口ぶりから見て生徒会は学園を掌握している。きっと学園の教師よりも生徒会の方が立場は上だろう。
ダリオルならここにいる全員を無力化できるが、力で制しても意味がない。
最終手段のガストリエちゃんスマイルがまだ残ってるが……。でも、この仮面を外したら、王子が──。
「なんだ、この騒ぎは」
心臓が跳ね上がった。
窮地に現れたのは、ガレット王子だった。
周囲の野次馬が突然道を開き、王子の通り道を飾る。
王子は冷徹な表情でわたしたちを睨めつける。その視線だけで射ころされそうだ。
「これはこれは、ガレット第三王子。私はボルドー辺境伯が令息カヌレ・ド・ボルドー、お目にかかれて光栄です」
「挨拶はいい。それより朝からなんの騒ぎだ」
「身の程知らずの平民共に罰を与えておりました。……そうそう、王子にお伝えしておきたいことがあります。この学園では生徒会が絶対です。たとえ王子といえど、我々の活動に異を唱えることはお控えいただきたい」
「元よりそのつもりだ。…………しかし」
「ぎゃああああ!?」
シューを盾にし、王子の死角にこそこそ隠れていたのに見つかってしまった。
王子は早足で迫り、わたしの肩を掴んでくる。鷹に捕えられた野兎の気分だ。死を覚悟しぎゅっと目を閉じる。
「ころされる……ころされるぅ…………」
「この者は、私の母上クグロフの推薦で学園に入学している。できるだけ丁重に扱ってもらいたい」
「何……ですって! 王妃様が、推薦を……!? お、おいお前ら! 何故そのことを言わなかった!?」
「すみません! 平民には興味がないと思いまして……」
「くっ……! ……じきに授業が始まる。行くぞ!」
「あ、カヌレ様! 待ってください〜!」
生徒会の面々が去ると、野次馬貴族たちも散り散りに消えていった。
わたしも便乗して去ろうとするが、王子は肩を掴んで離さない。
「その仮面、母の物だな? パティスリエといったか……貴様、一体何者だ」
「い、いやぁ……わたしは見習いしがないプロパティシエですよ……?」
「母上が贔屓しているんだ。並の人間なわけが──」
「おい、離せよ。嫌がってるだろ」
シューは王子の手を払い、青冷めているわたしを助けてくれた。
睨み合う二人。わたしはシューの背中を押し、脱兎の如くその場から逃げ出した。
ちらりと振り返ると、王子はまだこちらを見ている。
生徒会にも王子にも目をつけられてしまった……。この先、うまくやっていけるかな……。




