24 スーパーお姉ちゃん
東部国境──ここは戦場だ。
国と国が。軍と軍が。人と人が。
互いの利益や武勲のため、干戈を交える。
ここには国を愛する者もいれば、故郷に大切な人を残してきた者もいる。生活のためという者もいるだろう。
戦う理由は人それぞれだが、誰もが自国のために命を賭している。なんて素晴らしい。
皆、誇り高き戦士だ。
「……バカみたい」
つい本音が漏れ、慌てて口を塞ぐ。
運よく誰にも聞かれていなかったようだ。拠点の中は相も変わらずキビキビと動く兵士ばかり。私の小言に耳を傾ける者はいない。
再び、机の上に広げられた地図に目を落とす。
私のために作られた地図。この戦地にある建物や細かな道、傾斜や高低差まで詳細に描かれている。
それらを読み込み、まるで自分がその場に立っているかの如く地形を想像していく。
「被害状況は」
「敵側の猛攻激しく難局に直面しております!」
「くそっ! ここまで苦戦を強いられるとは……」
なぜ人は歴史に学ばないのかしら、と言いかけ口を噤んだ。これ以上余計なことは考えないようにしないと。
この戦争に意味はない。しかし戦争はお国のためだ。
国を守ることは家族を守ること。家族が安全で平和な世界で生きられるよう、私は必ず使命を果たさなくてはならない。
突然、地図の上に影がかかった。
視線を上げると、胸に夥しい数の勲章を並べた偉丈夫が私を見下ろしている。
彼はこの作戦の指揮官だ。
この場において唯一、私に命令ができる人物である。
「聖女様、そろそろご準備を」
「……ええ、いま参ります」
指揮官とともに拠点を発ち、丘陵を登る。その間、常に私たちの四方八方を兵士が囲み、敵の奇襲に備えた。
周囲を見渡せる小高い丘の上に立つ。指揮官に促されるまま、私は胸の前で組んだ手を天へと捧げた。
瞬間。頭上から雲が消え失せ、太陽の光が辺り一帯を照らす。
背後から感嘆の声が漏れる。
「こ、これが……聖女の奇跡……!」
「いいえ、まだです」
目を閉じて、頭の中で地形を展開していく。
限りなく詳細に、隅から隅まで余すことなく、この戦場すべてを手に取るように。
地図に載っていない物陰や死角にいる人は対象外となるかもしれないが致し方ない。聖女も万能ではないのだ。
座標指定が完了した。指揮官に確認を取ると、いつでも良いとのこと。
私は両の手を開き、空へ向け魔法を放つ。
光を纏った魔力が、私を中心に波動となって広がっていく。
どこまで伝わるかは目では確認できないが、おそらく山を超えた先まで届いているはずだ。
波動に触れた者は光に包まれ、忽ち英気を取り戻していく。
聖女の力で戦場にいる負傷者を癒す。これが私に課せられた使命だ。
「……終わりました。私の治癒スキルで兵士は回復しております」
「おお……! これがスキル【治癒】の力か!」
「傷が治った! 素晴らしい効果だ!」
「ありがとうございます、聖女様……!」
「私の使命は果たしました。これにて帰還します」
元来た道を戻り、拠点へ。
帰り支度をしているのは、私ひとり。
そう。兵の傷が治ったということは、戦線に復帰するということ。
離脱したはずの兵たちも再び戦力に加えられ、戦いは続いていく。
そして、私が行うのは広域魔法による無差別回復だ。つまり、敵味方関係なく範囲内にいる者は皆、強制的に回復してしまう。
敵も味方も復活し、また死んでいく。無意味な戦争だ。
私のこの力も……。
「あ、あの!」
拠点を発つ前、若い青年が声をかけてきた。
青年は上官に咎められていたが、私が上官を制止した。青年の隣に立つまだ年端もいかぬ少年が気に掛かったからだ。
ふらふらと立つ少年はぶかぶかの鎧に穴を空け、かなりの大怪我を負っていた様子だが、今や怪我も治り血色よく明るい笑顔をこぼしている。
「こいつ、私の弟なんです……。敵の砲弾をくらって、倒れて、もう死んだかと思っていました……。ありがとうございます、聖女様! 私の、唯一の兄弟を助けてくださり……! 本当に……ありがとう……!」
「……それは良かったです。これからも家族を大切にしてください」
聖女らしくにこやかに応えた。
この言葉遣いからして、彼と弟はおそらく貴族だろう。高貴なる身分で軍に召集されるとは可哀想に。
傷が治った少年はまた戦地に向かうことになる。きっとまた死ぬだろう。
しかし現実を突きつけるのは酷というものだ。
本当は、目の前にいる無垢な少年を助けてあげたい。しかし聖女である私には何もできない。
せめて慈愛の言葉でもかけてあげたいが聖女にできるのは彼を戦地に駆り立てることだけ。
こんなにも希望に満ちた目をする少年が、またも悲惨な末路を遂げてしまうなんて。
私は居た堪れない気持ちになった。
護衛の兵士を引き連れ、迎えの馬車が待つ地点まで向かう。
その道中だった。私の前を歩いていた兵士二人が示し合わせたかのように顔を見合わせ、瞬く間に私の背後にいる兵士たちを切り捨てた。
木々に囲まれ人気のつかないこの場所では、兵士たちの凶行は誰にも気づかれることはない。
下卑た笑みを浮かべ私に乱暴しようとする二人の兵士。その姿は最早、誇り高き戦士とはかけ離れていた。
「あんたが来てからよぉ、俺らずっと我慢してたんだぜ」
「出兵中は女に飢えて仕方ねぇんだ。一肌脱いでくれや」
「……お国のために戦ってくださることを期待しております」
咄嗟に出た言葉は、この場にそぐわない定型文だった。
私は昔から口下手で、自分の気持ちをうまく伝えることができなかった。そのせいで学園では揉めたこともしばしば。
聖女と呼ばれるようになってからは、聖女がよく使うであろう定型文を覚えた。だが定型文だけでは不測の事態には対応できない。
彼らを正気に戻す言葉を考えるも、正しい言葉が思いつかなかった。
「……女神の御加護があらんことを」
「なんだ? 俺らのこと祝福してくれてるぞ」
「聖女様にも破滅願望があるみたいだな! だったら望み通り、めちゃくちゃにしてやんよ!」
私がうまく言葉を扱えないせいで、兵士たちを助長させてしまった。
逃げようとするが、手首を掴まれ木に押し付けられてしまう。身動きが取れない。
「…………危険です」
「ああ? いま何か言ったか?」
「だからぁ……。わたしに触れると、危険ですって」
「おいおい聞いたか! この舐め回したくなるすべすべな肌が危険なんだとよよよよよよよよよ」
私を掴んでいる兵士の手が痙攣を始めた。そこから腕、胴体へと、痺れが伝播していく。
もう一人の兵士は異常を感じ取り、私から距離を取った。この咄嗟の行動だけは実戦経験が活かされていた。
「な、何をした! 今、そいつになんかしたな!?」
「わたし言ったよね? 触れると危険だって。あ、でも今のは事後報告になるのか。うわあ、どうしよう……お父様とお母様に叱られる……」
「お、おい! 何をぶつぶつ言ってやがる……! いいからそいつを離せ!」
未だに私の腕を掴んだまま痙攣している兵士の指を、一本一本開いて外していく。腕から離れた兵士は身体を震わせながら地面に倒れた。
まるで私が悪党のような物言いは癪だが、まあいい。
周りに誰もいないことを確認し、私は久方ぶりに自分の言葉で話し始める。
「わたし、どうにも話が下手なんですよねー。言いたいことがうまく伝わらなくて難儀してるんです。でも今はあなたと一対一だからうまく伝えられる気がします。はー、楽しいですね、人間との会話って」
「な、なんなんだよ、あんた……」
「ご存知、聖女です。自分ではそう思わないけど周りがそう呼ぶもので、じゃあわたしもってことで聖女を自称してます。ところで聖女ってなんでしょうね?」
「はあ……? いきなりなんの話だよ」
会話が成立したことに感動を覚え、私はさらに饒舌になっていく。
「わたしがさっきパーッとやった広域回復あるじゃないですか。あれ実は、スキルじゃないんですよねー。なんかわたしのスキルは【治癒】だと思われてるみたいだけど、そんな大層なもんじゃありません。みんなにはわたしの魔力暴走をぶつけただけなんですわ。回復したように感じたかも知れないけど、正確にはわたしの魔力を分け与えただけ。みんなの自己回復力を促進したに過ぎないわけです」
兵士は何も言わずに傾聴してくれている。どうやら私の話術に舌を巻いているようだ。
自分では口下手だと思いこんでいただけで、実は話が得意だったらしい。滔滔と言葉を紡いでいく。
「え? なんで救護所や個人にでなく戦場全域のどデカ範囲に回復魔法を与えるのかって? ふっふっふ、わたしは他人の気持ちを察するのが特技なものであなたの考えもすぐわかっちゃうんです。ええ、お答えしましょう。
理由はいま足元で震えている彼を見れば一目瞭然! わたしの魔力は膨大で、それを分割して与えるから、対象の人数が少ないと魔力の過剰摂取が起きるんです。自身の許容魔力量を超えた者はこんな風に、魔力に身体を支配されビクンビクンしてしまいます。なので大勢を巻き込むことでいい感じに回復させてたわけ。
悲しいかな、わたしは昔から不器用でした。火魔法を使えば天を貫く火柱が立ち、水魔法を使えば辺り一面洪水が起こり、風魔法を使えば嵐を呼び、土魔法を使えば地形が変わる──そんな伝説があるとかないとか。まあほぼ事実だけど。要するに魔力操作が苦手なんですよ。
しかしご安心を。あなたのお仲間も数日すれば、体内の魔力量が許容量を下回り復帰できるはずです。……あらまあ、芋虫みたいに蠢いちゃって。ふふっ、かわいい」
共感を求め兵士を見るが、震えて物も言えない状態だ。私の弁舌に感動したらしい。
帰ったら私の話術を活かし講演会でも開いてみようか、あるいは教師になるのもいい。まあ聖女の使命があるので叶わぬ夢だが。
「そうそう。あなたたちが殺した護衛兵たちは回復しておきましたよ。数時間は芋虫状態ですが、お許し願いたいところです。
──とはいえあなたたちが仲間を殺害したことには変わりない。わたしは聖女です、裁判官でも教皇様でもありませんが、口封じも兼ねてあなたを芋虫にします。わたしの魔力調整がうまくいけば芋虫化は一日二日で済むはず。あなたが殺した兵士たちの方が先に復帰するので報復に痛めつけられる可能性はあるけど、まあわたしの魔力がある限り死にはしませんので安心してボコられてください」
「ま、待ってくれ! お願いだ、許してくれ……!」
「おっと、最後に大事な話を。なぜわたしに触れられただけで魔力を注ぎ込まれてしまうのか、それは……」
私はしゃがみ込み、尻餅をついている兵士の頬に優しく手を添えた。
兵士は白目を剥いて痙攣し、悪魔にでも憑かれたように身体を逸らしながら振動している。
「──わたしのスキルだったりして」
話の要を聞いてもらえず残念だったが、スキルの件について聞かれては困るので已むを得ない。
私のスキルは【治癒】などではない。触れた者に魔力を与えるというのも少し違う。
生涯、誰にも打ち明けることはないだろう。このスキルのことは隠し通さなければならないのだ。
特に、私の愛する妹には知られぬように…………。
少し歩くと迎えの馬車が見えてきた。
待っていた従者は、私に付き添いがいないことに驚いていた。
しかしすぐに状況を察し、何も言わず馬車の扉を開いて私を迎えてくれる。
二人を乗せ、馬車は走り出す。
「お疲れ様でした、コンフィズリ様」
「ほんとよ。あー大変だったわ、二度と戦場なんて行くもんか」
「そのお台詞も何回目でしょうかね」
従者のダックワーズは初老の女性だ。お団子に纏められた白髪混じりの髪が愛おしい。
私が聖女と呼ばれるようになってから、名前で呼んでくれる人はほとんどいなくなった。
そんな中、私をコンフィズリと呼ぶ数少ない人間の一人が、このダックワーズだ。
数週間ぶりに名前を呼んでもらえ、感情が昂り抱きつきたくなったがなんとか気持ちを抑える。彼女は魔力量が多い方だが、それでも芋虫になるのは避けられないだろう。
「はぁ……。あ、ごめん。でも溜め息も出るわ。ねえダックワーズ、わたしもいつか結婚できると思う?」
「コンフィズリ様はお美しい。その美貌に釣り合う者はそういないでしょうね」
「そういうことじゃないんだけど……はあ〜。妹と結婚できたらなあ〜」
「…………そう、ですね……」
ダックワーズは神妙な面持ちで私を見たかと思えば、俯いてしまった。
私が妹の話を始めたらいつもの彼女なら微笑みながら何度も相槌を打ってくれるのに。明らかに様子がおかしい。
「何かあったの?」
「……すみません。わたしの口からは、とても……」
「気になるから言いなさい。それであなたのこと怒ったり、理不尽な目に遭わせたりしないから。わたしと何年の付き合いよ?」
「すみませんコンフィズリ様。嗚呼、なんてこと……」
ダックワーズは何かを隠そうとしている。
彼女にも考えがあるのだ、きっと追求すべきではないのだろう。しかし気になってしまったのだから聞くしかない。
彼女の目を見つめ続けていると、ようやく観念したようだ。
「……コンフィズリ様。どうか落ち着いて聞いてください」
「わかってるわかってる」
「とても悲しい話です。あなたの心が乱れると、魔力暴走でこの国が地図から消える可能性があります。どうか平静を保って聞いてください」
「大袈裟だって。それに悲しい話なら本でたくさん読んできたから大丈夫。早く話して」
「…………教会から連絡がありました。一月程前、ガストリエ様が屋敷から追放され……その道中に亡くなったそうです」
妹の訃報を聞いた私は気絶し、そのまま半年以上眠っていたらしい。
目覚めてからも失った記憶を取り戻すのに時間がかかり、最近ようやく思い出せた。
私はコンフィズリ・ノワール。侯爵オスティと侯爵夫人スフレの娘、つまり侯爵令嬢だ。
8歳の時、当時の婚約者である公爵令息を芋虫にしてしまい婚約破棄される。その後何度も婚約をするが手すら繋げず全員に逃げられ、最終的に婚約を禁止された。
10歳で学園に入学。模範的優等生だったにも関わらず生徒会に目をつけられてしまい、要注意人物に指定される。
しかし在学中に私の魔力が教会の目に留まり、歴代最年少で聖女の称号を与えられる。卒業後も国のために尽くしてきた。
現在はノワール別邸で休養中。回復するまでの聖女の役目は一時的に免除されている。
これが私、コンフィズリの略歴。歩んできた人生だ。
そして私には、妹がいる。妹の名前は…………。
「ガストリエ……」
六年ぶりに帰ってきたノワール家。
屋敷も、従者も、何も変わっていない。……妹以外は。
お父様とお母様は涙ながらに事の経緯を聞かせてくれた。叔母のミルフィーユ様が支えてくれているそうだが、二人とも前に見た時よりやつれていた。
失意のまま屋敷を彷徨い、気づけば妹の部屋の前に来ていた。
中を覗くも、当然誰もいない。
いつもベッドで寝込んでいたガストリエ。そのベッドには窓から光が差し込み、神秘的な空間を演出していた。
感情を吐き出して泣き叫びたかったが、私が泣くと屋敷とお父様の領地がすべて灰になる。
気持ちを抑えるため、わずかに残るガストリエの匂いの残滓を鼻腔を通じて体内に吸収していく。
妹が着ていたドレスや、髪を漉くのに使っていた櫛、ベッド脇に並ぶくまのぬいぐるみと、部屋の至る所にガストリエの痕跡が残っている。特にベッドの匂いは興奮した。
遠い思い出に浸っていると、ふと強烈な記憶が頭に想起された。
あれは、確か……。私が記憶喪失だった頃だ。
お世話をしてくれていたダックワーズが、王妃様の勲章を貰ったという市井の店で買ってきてくれたお菓子……。
プロフィトロールだったか。あのお菓子から、ほんの微かに、ガストリエの匂いがしていた気がする……。
いや、確実にガストリエの匂いだった。そうに違いない。ガストリエは、生きている……!
「お父様、お母様。ガストリエを探して参ります」
「お、おい! コンフィズリ!?」
「ガストリエを探すってどういうこと!?」
ガストリエは生きている、と思う。しかしお父様たちをぬか喜びさせないよう、確証を得るまでは黙っておく。
私は屋敷を飛び出し、馬車を爆走させ、ダックワーズから聞き出したパティスリーに直行した。
パティスリー店内は笑顔の素敵な殿方と、馬車馬のように働かされている少年が三人。ガストリエの姿はない。
だがこの店からはガストリエの匂いを強く感じた。追放された後、妹はこの店を訪れているはずだ。
店主に話を聞こうとしたが、うまく話せずお菓子を買うことになった。金貨で支払おうとしたら店主は大笑いしていた。
「ガストリエ? って子は知らねーな。ついこの前までならパティスリエがいたけどよ」
「パティスリエ……。その子はどこに?」
「今は学園に行っちまったよ。『貴族相手に大立ち回りしてる』なんて噂も聞くな。まったく大したもんだ!」
あの病弱なガストリエがそんなことできるのかは甚だ疑問だが、私には確信があった。
馬車を走らせ、学園との距離を縮めるほどに匂いは増していく。
この中だ。学園内にガストリエがいる。
喜びを噛み締める。漏れ出した魔力で周囲の草木が急速に成長し、枯れていった。
……まさか、またここに戻ってくるとは思わなかった。
学園にはあまりいい思い出がない。しかし、この目でガストリエの姿を確かめるまでは帰れない。
教会から追われ、家から追放され、情報が錯綜して色々な説が囁かれた後、死んだことにされた妹。
しかし彼女は生きている。
私にはわかる。私にだけわかる。
だって私は、ガストリエのお姉ちゃんなのだから。
学園に突入しようとして警備員に止められた。いくら卒業生でも貴族でも聖女でも、入校許可を得ないと中には入れないらしい。
そう簡単には会えない……か、なるほど。壁は高ければ高いほど乗り越えた時の喜びもひとしおだ。
どんな手を使ってでも、学園に潜入してみせる!
「今、会いにいくからね……!」




