16 母のレシピ
「……お母さんの、店?」
足が止まる。初耳だった。
振り返ると、シューは静かに俯いていた。表情を窺うこともできない。
「なんだ、知らなかったのか? パティスリーはシューの死んだかあちゃんの店なんだぜ」
「美人だったのに可哀想になあ! 男に捨てられシューを育てながら必死に働いてぶっ倒れちまうなんて」
「そんで命をかけて育てたのがこの弱虫眼鏡だからな。親不孝にも程があるぜ!」
度が過ぎていた。わたしが不良たちに言い返そうと一歩踏み出す前に、シューはわたしの腕を掴んで走り出した。
シューは喧嘩をしないようシブーストさんと約束しているらしい。面倒を見てくれているおじいちゃんに心配をかけさせたくないという気持ちも十分理解できる。
でも今の不良たちの発言は度し難い! 王妃様に食ってかかった勢いで不良たちにも怒鳴って、ついでに殴ってしまえばよかったんだ。
そんな怒りをめらめらと燃やすわたしを見て、シューは落ち着きを取り戻したようだった。
不良たちが追ってきていないのを確認し、また二人で帰路に着いた。
「……別に隠してたわけじゃないんだ、かあさんのこと。いつか話そうとは思ってたし」
「あの店、シューのお母さんの店だったんだね」
「ああ。かあさんが死んだのは3年前……、俺が7歳の時だ。
元々体が弱かったくせに無理して働いて、倒れて寝込んでる時も『近くでお客さんの声が聞きたい』ってベッドを二階に降ろして、体調悪いのに客の喜ぶ声が聞こえたら自分もうれしそうに喜んで……。そんな、かあさんだった」
シューは遠い目をしていた。
後悔を一つひとつ噛み潰すように、話を紡いでいく。
「かあさんは、俺なんかのために身を削って頑張ってくれてたのに……。俺は、かあさんのために何一つできなかった……。
かあさんが寝込んでから、俺は必死こいて看病しようとした。でも、そんな俺の頑張りも全部意味なんてなかったんだ……」
「そんなことないよ……。シューはお母さんのために頑張ったんでしょ?」
「いや、10歳でスキル授かった時によくわかったよ。俺のスキルは【治癒】……。触れたものを癒すスキルだってさ……ははっ、笑えてくる……。
もしかあさんが生きてる間にこのスキルを授かってれば、俺はかあさんを元気にできてたかもしれないのに……。皮肉だよなあ……癒したい人がいなくなってから癒しのスキルを授けられるなんて。
俺がもっとしっかりしてれば、かあさんは死なずに済んだじゃないかってずっと後悔してる……。俺は何もできなかった……俺がかあさんのため思ってやってきたことは、全部無駄……」
「──そんなことない! 絶対っ……無駄なんかじゃない!!」
わたしの剣幕に驚いたのか、シューは目を丸くしていた。
わたしはシューの正面に回り込み、さらに言い放つ。
「スキルは『できることができる』の。【治癒】のスキルを授かったのは、シューが今までも誰かのために癒しの力を使ってきたって証拠だよ。
つまりシューはずっと、お母さんを癒してこれたんだよ! その頑張りは決して無駄なんかじゃない! シューがお母さんを治そうと懸命に看病してきたからこそ、その優しいスキルを授かったんだ!」
「…………けど、俺はかあさんを治せなかった」
「仕方ないよ。スキルも魔法も万能じゃないし、人ができることには限界がある……。でもさ、シューはできる限りのことを頑張ったんでしょ? だったらシューは何も悪くない。
……だから、さ。もう『俺なんか』なんて、悲しいこと言わないでよ。シューはすごくて立派な人間なんだって、自分で認めてあげてよ」
シューは俯いたまま何も言わなかった。
それから自嘲気味に笑うと顔を上げ、ようやくわたしと目が合った。
眼鏡越しにまっすぐ見つめるシューの瞳の奥には強い光が灯っていた。
「ああ、そうだよな……。こんな風にうじうじしてたら、かあさんに笑われちまう」
「うん。シューは前を向いてなきゃ! わたしの推しなんだからしっかりしてね」
「はあ? オシってなんだよ」
「いいからいいから、ほら! パティスリーに帰ろ!」
わたしたちはどちらからとも言わず手を繋ぎ、石畳の道を駆けだした。
店に戻ると、シューは何かを考えた様子で二階に上がっていった。
しばらくして店に降りてきたシューの手には、何枚かの紙があった。
「……これは、かあさんが遺したレシピだ」
「残ってたのか、グジェールのレシピが……」
「……生前、俺にだけ教えてくれたんだ。
俺はずっとかあさんに負い目を感じ、向き合うことから避けてきた……。でも今なら……、このレシピを作れる気がする」
作業台の上に置かれたレシピの紙を覗き込む。
材料から製作工程までびっしりと文字が書き込まれ、時々読めない文字が見られた。たまに挟みこまれたイラストが正解を手繰るヒントになりそう。
「貴族に近かったかあさんだ。もしかしたらこれで……王妃を満足させられる菓子を作れるかもしれない。……俺はかあさんのレシピで、この店はすごいって証明したい!」
「……うん、できるよ! わたしたち三人なら!」
「三人……?」
「シューはなんでも一人で抱え込んじゃうからさ、たまには頼っていいんだよ。ほら、ここには頼りになるおじいちゃんがいるし、プロの見習いパティシエもいるし」
「どこがプロだよ。……でも、そうだな。三人もいる……。俺たちで、このレシピを作ろう!」
「ったりめーよ! ここは娘が遺した店だ。王妃様だろうがなんだろうが、誰にも潰させたりなんかしねぇよ!」
「守ろう! シューのお母さんが遺した、パティスリーを!」
わたしが手を出すと、シューも察して手を出した。そこにゴツい手が合わさる。
わたしたち三人は手を重ね、一致団結を誓った。
来るは一週間後。王妃様再来に向け──。
王妃様に満足してもらえるお菓子作りのため、わたしたちはまずレシピに目を通した。
「材料は牛乳、水、卵、塩……あー、やっぱり砂糖は必要だよねー」
「パティスリエ、文字読めるのか」
「うん。これくらいなら余裕で……」
あっ、やば。わたし平民に紛れてる真っ最中だった。
とりあえず材料の準備をしなきゃと思い、自分の立場も忘れて読み上げてしまった。
平民で文字を読める方が珍しいんだから、わたしが貴族だと疑われちゃう……!?
なんとか誤魔化すための言い訳をあれこれ考えていたが、シューは特に追及してこなかった。ふう助かった。
「ん? そういえばこのレシピってシューのお母さんが書いたんだよね」
「ああ、そうだな」
「お母さん、文字書けたんだ……? 読むよりも書く方が難しいよね」
「かあさんは学園に行ってるからな」
「あいつはこの町で唯一学園に入学した努力家だ! 小さい頃から必死に勉強して、周りにバカにされてもめげずに夢を貫いた。俺の娘とは思えない立派なやつだよ」
「へー、そうだったんだ……!」
シューが学園入学を目指すのもお母さんが関係してるのかな?
何気なく訊こうとしたけど、シューは受験のことをシブーストさんには内緒にしてるし今はやめとくか。シュー君は秘密主義だな。
「おいパティスリエ。ここの部分、読めるか?」
「んー……? んんー…………ごめん、わかんないや」
「やっぱダメかー。この材料だけ読めねーんだよな。たぶん町では見かけないような高級品だと思うけど」
「え、砂糖よりも高級なの……?」
「砂糖は希少だが町にも流通してるからな」
「つまり、貴族……もしくは宮廷でしか取り扱われないような超高級品……!」
「いける! このレシピを完成させれば王妃なんていちころだ!」
「おいおい。威勢はいいが、そんな高級品どうやって手に入れるんだ。材料すら買えねぇじゃねぇかよ」
「もうシブーストさん〜!」
「今盛り上がってるとこなんだから水差すなよなー」
「何!? 俺が悪いのか……?」
高級食材を手に入れる当てもなく、そもそもなんて読むのかすらもわからず、わたしたちは途方に暮れた。
とはいえ何もしないわけにもいかないので、わたしは町で仲良くなった皆々様に聴き込みをすることにした。
あのレシピを遺したシューのお母さん。その人となりを知れれば何かヒントになるかもしれない。
聴き込みの結果、あの子は天才だの、あの子は町の誇りだの、お菓子作りには関係なさそうな情報ばかり集まった。
ただ一つ気になる話があった。どうやら昔──お母さん時代のパティスリーはお客さんも多く、大変賑わっていたらしい。
シューママ目当ての客も多そうだったが、みんな口を揃えて「あの頃のパティスリーは絶品だった」と言っていた。
今のシブーストさんのお菓子も美味しいけどなあ……。何か決定的な違いがあるのだろうか。
「おかえり。何か収穫はあったか」
「何も……。そっちは?」
「レシピの解読中。準備が万全でも作れなきゃ意味ないし」
「おーいいね。材料問題もそうだけど、この厨房にある器具で作れそう?」
「たぶん大丈夫だ。しかし細かいメモ書きも多いな……なんだ? 製作には三つの構成……青、白、赤……」
「トリコロール……?」
レシピの解読に難航し、結局その日は特に進展もないまま終わってしまった。
わたしは宿に帰り夕食を済ますと、部屋に戻りダリオルを呼び出した。
ダリオルは解いたさらさらな白髪を漉いてくれている。
「レシピの件、大変そうですね」
「ええ、そもそも文字が読めなくて……ってなんでダリオルが知ってるの」
「すでに話は町中に広まっていますよ。王妃様が下す評価は店どころか町全体に波及するのでは、と。リエ様がこの町の命運を握っていると言っても過言ではありません」
「過言よ、過言。それにあのレシピはわたしだけじゃなく三人で作るんだから」
「お困りでしたら私がお力添えいたしましょうか?」
「……遠慮しておくわ。なんか、ズルい気がするし」
「ふふっ、リエ様ならそう仰ると思っていました。私は影ながら応援しております」
きっとダリオルの力を借りればこの騒動も一瞬で解決するんだろうな。
でもこれはパティスリーを認めてもらうための試練なんだ。なるべくわたしたちだけで解決したかった。
とはいえ、問題は山積みだが……。
夜も更け、町が眠りについた頃。
部屋で寝ていると、一筋の冷風が肌を撫でる。
……なんか体が重い。というか熱い。
また体調を崩してしまったのかと自分の病弱さを嘆き、虚ろな目を開く。
「にゃーん」
そこには、わたしの上で眠るプロフィトロール(人型)がいた。
掛け布団の上、ではなくわざわざ掛け布団の中に潜り込みわたしに乗っかっている。そりゃ重いし熱いわ。
「溶かした飴に沈んで溺れる夢を見たよ……プロフィトロール……」
「こんばんは、パティスリエ」
まさか彼女に再び会えるとは思わなかった。あの夜のことはあまりに幻想的で、現実味を欠いていた。
人の姿のプロフィトロールは夢ではなかったのだ。それはつまりだ……シューの猫吸いシーンはモザイク必須ということになる……。教育によろしくないものをガストリエちゃんに見せてしまった罪悪感で胸が苦しい……。
さらに熱くなったわたしは居た堪れなくなって、誤魔化すように彼女に話を振った。
「ぷ、プロフィトロールはどうしたの? またわたしと踊りにきた?」
「ううん。この夜はちょっと真面目な話をしようかな」
「へー。わたしも好きだよ、真面目な話。どんな話する?」
「シューの話。わたしはシューが好きだから、シューが困ってるなら助けてあげたいの」
「困ってるって……もしかしてパティスリーのこと?」
「うん。シューのお母さんのレシピ、作るんでしょ? わたしも協力したい!」
プロフィトロールもよくパティスリーに入り浸ってるし、実質お店の仲間みたいなものだ。猫の手も借りたい今、協力してくれるならありがたい。
猫のまま宮廷に侵入して情報を集めてもらうか……? いや、危険すぎるか。他に彼女の能力を活かす方法は……。
「チョコレートだよ」
「……え?」
「あのレシピに書いてある材料。シューたちが読めないって言ってた食材。あれはチョコレート」




