15 王妃降臨
それはまさに青天の霹靂だった。
朝はあれだけ賑やかだった町が今や緊張で静まり返っている。
人気のなくなった石畳の道を我が物顔で突き進む豪華絢爛な馬車。そこから降りてくる人物を一目見ようと、町の人たちは皆、窓から馬車の方を覗き込んでいた。
御者が馬を止め、馬車の音が消え去ると、時が止まったかのように感じられた。些細な音さえはっきり聞こえるほど空気が張り詰める。
静寂を破り、馬車の扉が開かれた。ついに待ち侘びたその人のご登場だ。
「あれが……王妃様……!」
彼女の名はクグロフ・デ・ロワ。この国の王妃様、らしい。
わたしが社交界に参加するためのお勉強の中で王様や王妃様のことは習ったのだが、実物を見るのは初めてだった。
それはわたしの横で窓に張り付いているシューも同様だったみたいで、その燃えるような真紅と黒のドレスは目に焼きついて離れてくれない。
堆く盛られた白髪にちょこんと乗せられた黒の帽子がアクセントで、妖艶な出で立ちは指先からも醸し出されている。それでいて、ヒールの音が石畳と調和し心の扉をノックしてくるかのごとく親近感を与えていた。
流石は王妃様といった煌びやかな風貌に、わたしは見惚れていた。しかしどうやら町の人たちはそれどころではないらしい。
馬車を降りた王妃様はまっすぐ歩いていく。その行方を町の皆が注目した。
王妃様はある店の前で立ち止まり、付き人が店のドアを開いた。
「…………まじ、かよ……」
シューが一階に繋がる階段を振り返り、青ざめていた。
わたしたちは急いで階段を中程まで降り、店の方を覗いた。
パティスリー内に、どよめきが走る。
震えるシブーストさんの前には、眩しいくらいに輝くドレスを纏った貴婦人の姿があった。
「さ、妾を満足させてみよ」
王妃様のご来訪とあれば、町を挙げての大歓迎! ……みたいな雰囲気になりそうなものだが、実際は違った。
王妃様が現れる少し前。狼少年よろしく大声で王妃襲来を告げる商人が通りを走り抜けた。
町は一瞬静かになったかと思いきや、一斉にパニックを起こした。外に出ていた人たちは皆、自分の家や店に戻ってしまい、子どもたちは親に抱えられどこかへ行ってしまった。
わたしも店番を降ろされ、シューとともに二階へと避難することになった。
まるで怪獣か台風でも来るかのように身構える町の人たちの様子を疑問に思い、シューに訊ねてみた。
「王妃が町に降りてきた場合、結果は二つに一つだ」
「……どうなるの?」
「わからない……。けど、いいことが起きるか、悪いことが起きるかのどちらかだと、言われてる……らしい」
シューの説明はメレンゲ生地のようにふわふわとしていた。
町のみんなも同じことを考えており、「良くも悪くも何かが起きる」というのが共通の認識のようだ。
いいことが起きる可能性があるならいいじゃん、とわたしは軽く受け止めていたが、みんなは逆の思考をしているとしたら……まあ億劫にもなるか。
「とある町で王妃が失格の烙印を押した店がその日のうちに取り壊され、他の店も次々に潰れていき町が崩壊した……なんて話もあるんだ」
「ええ……? いくらなんでも盛り過ぎなんじゃ……」
「噂だからな、だいぶ誇張してあるとは思うが……。無から噂は生まれない、実際その話の元になるできことはあったはずだろ?」
無からデマを量産するうちの執事を思い出し納得しかねたが、国のトップが市井に現れればその影響力は計り知れない。足跡一つでさえ永久保存されその地は記念公園になりそうだ。
突然の王妃様の襲来に色めき立つ町内。シューは天に祈りを捧げていた。
「どうか、うちの店にだけは来ないでくれよ……!」
その祈り、届かず。
現在、王妃様絶賛ご来店中。
「市井のパティシエが作る絶品の菓子を食べてみたい。今すぐこの店の絶品スイーツを持ってくるのじゃ」
王妃様の注文にシブーストさんは硬直していた。そりゃそうだ。あまりに無茶がすぎる。
王妃様が宮廷で食べているのは砂糖をふんだんに使ったお菓子だろう。一方町の洋菓子店では砂糖なんて高級品を取り扱うのは貴重で、使えても少量だ。
甘いお菓子を用意しろ、と解釈するならこの店が持つ選択肢は少ない。その上、舌の肥えた王妃様を満足させられる一品ともなれば無に等しいだろう。
ショーケースを左見右見しぶつぶつ何かを呟いているシブーストさん。王妃様の口に合わなければ店どころか町ごと破滅するかもしれないため慎重にお菓子を選んでいる。なんだかデスゲームに見えてきた。
店の外では野次馬が集まり始めていた。見せ物じゃないよ。
尊大な態度で踏ん反り返る王妃様。店主の応対が遅いことに苛立ちを覚えているように見受けられる。
そんな王妃様の顔色に焦ったシブーストさんは、頭真っ白になったのかショーケースの中から無作為にお菓子を一つ取り、王妃様に突き出した。
「……なんじゃ、これは」
瞬きする間に食べ終えた王妃様は、見る見るうちに不機嫌そのものになっていく。
シブーストさんは滝のような汗を流し、筋肉質な体から血の気が引いて青白くなっていった。
外から見ていた野次馬たちは、この町の終焉を悟り、各々店じまいに取りかかろうとしている。
店の階段の中程、わたしに乗り掛かられているシューもてっきり真っ青になっているものかと思ったが、彼の顔は赤く染まっていた。
「……この店は期待外れだったみたいじゃな。タルムーズ、帰るぞ」
「はい。クグロフ様」
付き人がドアを開け、王妃様は立ち去ろうとする。
このままでは店が……、町が、終わる……!
わたしが階段を駆け降り、策もなしに王妃様を止めようとするよりも前に──。
シューは、王妃様の元へ駆け寄っていた。
「…………勝手に店に来て、勝手に期待して、勝手に失望しやがって……なんなんだよ……」
「……なんじゃ、何が言いたい」
「迷惑だって言ってんだよ! 王妃だか貴族だか知らねーけど、家でたくさん勉強できて賢いんだから自分に影響力あることくらいわかるだろ!」
「やめろ、シュー!」
「離せよじいちゃん! 店をバカにされて黙ってられるかよ!!」
「……そうか、すまなかったな。二度と市井とは関わらぬ」
王妃様直々の謝罪を受け、怒りの矛先を失ったシューは呆気に取られ押し黙ってしまった。
王妃様は店を出ようとする。期待外れという評価だけを残して。……このまま手ぶらで帰らせてはいけない。
シューと比べたらわたしの想いは浅いだろうけど、わたしにとってもこの店は大切な場所なんだ。がっかりさせて終わらせたりなんかしない。
今度は、わたしが王妃様を静止させた。
「……お待ちください、王妃様」
「次から次へと……。今度はなんじゃ」
「先程王妃様がお召し上がりになったお菓子ですが、あれは見習いの私が作ったものです。
まだ修行中の身ゆえ、店に並べるような出来ではない品でしたが、店主のご厚意で置いて頂いておりました。お口を汚してしまい大変申し訳ございません」
「ほう。して、何が言いたい?」
「……他のお菓子であれば、王妃様のお口が蕩けること間違いなしだと保証致します。
ここパティスリーは、町一番の洋菓子店ですので!」
我ながら、よくもまあ適当なことをべらべら言えるものだと感心する。
だが嘘ではない。最近はわたしが手伝った生地を使ってお菓子を作っているし、盛り付けにも関わっている。製作過程をすべてシブーストさんが担当すればさらに美味しいお菓子になるはずだ。
とは言え、今からシブーストさんに王妃様特化のお菓子を作ってもらったとして、数時間はかかる……。それまで王妃様を待たせるなんてできるのか……?
「大層な自信じゃな。しかしよくぞ言い切った! では早速食べさせてみよ」
「……少しだけ、お時間を頂けないでしょうか」
「何……? 妾はいま食べたいのじゃ」
「……はい、承知しております。王妃様のお気持ちを汲んだ上で、お待ち頂きたいのです」
「ほう……。妾を待たせると、な。では一週間だけ待とう」
「二時間ほどお待ちいただき……えっ、一週間?」
「来週の月曜日に再び訪おう。ただし、一週間も待たされた妾の口を満たせるだけの至極の絶品スイーツでもてなすのじゃ」
「うっ……はい! 王妃様にご満足頂けるお菓子を用意し、お待ちしております!」
王妃様につい乗せられ、とんでもない啖呵を切ってしまった。
元貴族のわたしでさえ、王妃様が満足するお菓子なんて想像もつかないけど……。それでもこれはチャンスだ。
どんなお客さんにも笑顔で帰ってもらいたい。それは王妃様だって同じだ。この人も笑顔にしたい!
……と、わたし一人で勝手に熱くなっていることに気づき、恐る恐る後ろにいるシューたちを見やる。
すると、シューの表情もやる気に満ちていた。
「其方も、それでよいか?」
「……ああ。必ず『美味い』って言わせてやるよ」
シューも勇ましく王妃様に宣言した。これで後戻りはできない。
王妃様は不敵な笑みと馥郁とした香りを残し、町から去っていった。
馬車が見えなくなったのを確認すると、町のみんながぞろぞろと外に出てきた。わたしたち、特にシブーストさんが心配されていたが、こうなってはやるしかないと覚悟を決めてくれた。
わたしの口八丁のその場凌ぎで結果を後回しにしただけだが、なんとか一週間の猶予をもらえた。
この短い期間で、最高に美味しいお菓子を作ってみせる……!
「嬢ちゃん、ありがとう。シューもな。情けねぇ……俺は震えて何もできなかった」
「そんなことないですよ! わたしたちだって本当は怖かったですし」
「俺は怖くなかったけどな」
町に賑わいが戻った頃、パティスリーの店内では店主とその孫と美少女従業員の三人で膝を突き合わせて話し合いが行なわれていた。こういうのを鼎談というのだろうか。
王妃様が好きそうなものをあれこれ考えてみたが、そもそも宮廷菓子がどんなものか誰も知らなかった。
議論が滞る。勿論、火付け役のわたしに案なんてあるわけない。
「にしても王妃様はなんでわざわざうちの店に来たんだ? 菓子が食いたいなら他にも店はあるだろうに」
「どうせ嫌がらせか冷やかしだろ。まったく暇なこった」
「んー……。あの香り、前に嗅いだことあるような……」
「どうしたパティスリエ。何か案でもあるのか?」
「あ、ううん。なんでもない」
案ずるより産むが易し。考えても埒が明かなかったので、とりあえずいろんなお菓子を試作して今作れる一番美味しいものを決めることになった。
早速シューと並んで買い出しに出かけた、その帰り道。どこからか町の不良三人組が現れ、シューに小言を浴びせ始めた。
これまではわたしが横にいれば不良たちはシューに近づいてこなかったのに、形振り構わず嫌がらせに来た。
シューは不良たちに抵抗する気がなく、やられる一方だ。仕方がないので、わたしはシューの腕を掴み足早にその場を去ろうとした。
「おいおい、王妃を呼び込むなんてとんだ疫病神だな」
「大丈夫かあ? このままじゃお前のかあちゃんの店、潰れちまうぞ」
「……お母さんの、店?」




