13 少年と黒猫②
わたしが町に来て一ヶ月ほど経っただろうか。
早朝からパティスリーに出かけお菓子作りを手伝い、休憩にお菓子を頬張り、仕事が終わったら宿で過ごす毎日を繰り返した。
宿屋は一週間の宿泊の予定だったが延泊できることになった。パティスリエが来てから売り上げが伸びたので、部屋を貸す代わりに新看板娘になってほしいとボンボンさんから頼まれ、快く承諾した。やはり見る目があるな、この人。
繁盛し過ぎて一部屋しか使えなくなったが、ダリオルは寝なくても無問題とか言い出し、結局わたし一人で宿泊を続けることになった。ダリオル、人間だよね……?
日曜日の礼拝も、わたしがガストリエだとバレていないおかげで平和に参加できた。スキルクラフトのことがなければ司教さんもお菓子をくれるただのいい人だ。
教会の中では「ガストリエは新国を立ち上げた」とか「ガストリエは月に帰った」とか、情報が迷走しデマに尾ひれがつきまくっているらしい。ダリオルさん、やりすぎでは?
パティスリーで働いて一ヶ月、わたしはたくさんの仕事を覚えた。
盛り付けは一通りこなし、あの厳しいシュー先輩からもお褒めをいただけるまでに成長した。
あと店番もできるようになった。お勘定の計算が早いことを買われ、接客は全部わたしの担当になった。こっそり始めた笑顔0円サービスも好評を博している。
……まあ、売上のほとんどが礼拝で配る用のお菓子で、普段はお客さん全然来ないけどね。祝事の発送だけで生計を立てるお花屋さんみたいなものだ。
店番といえば、一度だけ面白いお客さんが来た。サングラスをかけたその女性は、なんと金貨で支払おうとしたのだ。
「ふふっ、お客さん。金貨一枚あればここの商品全部どころか店ごと買えちゃいますよ」
わたしがかつてシブーストさんに言われた台詞をアレンジして言うと、そのお客さんは本当に全商品を買い占めていった。店は買われなくてよかった……。
見た感じは普通のマダムだったが、立ち居振る舞いにどこか上品さを感じさせた。
あと、少し目を離した隙に購入したお菓子がすべて消え去っていた。魔法なのか、一瞬で食べ尽くしたのか……謎は深まるばかり。
慌ただしくも、ただ楽しい。そんな町での日々。
ダリオルには体調の心配をされたが、すこぶる元気だった。このまま病弱とはおさらばして生きていけそう。
「よし! 今日から嬢ちゃんには生地作りを教えよう」
「いいんですか!?」
「力のいる作業だし大変だろ。パティスリエにできるのか?」
「やります! やらせてください!」
「よく言った嬢ちゃん! これからどんどん仕事を覚えてシューを追い越しちまえ!」
「はあ!? 俺がこいつに負けるわけねーだろ! おいパティスリエ、生地捏ね対決だ!」
わたしはついに、お菓子作りの骨子となる生地作りを教えてもらえるようになった。
しかしこれが想像を超える重労働で、何日やっても最後までやり通せなかった。
一回捏ねるだけで一日分の疲労がどっと押し寄せてくる。すぐヘロヘロになり、休むよう言われてしまう。
でもわたし、最近めちゃくちゃ元気だし! 元気なうちに元気を消費しないともったいない!
わたしは元気だから、元気なお菓子を元気に焼いて、それから元気が元気を元気して…………。
「……ん? おい、パティスリエ?」
「はあ……はあ…………。わたし、元気だもん……」
「お前、熱あるぞ! 無理すんな!」
「…………でも、まだ頑張れる……」
「ばか、何言ってんだ! 病人は働かなくていいから休んでろ!」
今……バカって言った……。
わたしはシューにおんぶされ、宿屋まで運ばれた。すぐさま現れたダリオルがわたしを受け取り、体調が回復するまで部屋に軟禁されることになった。
この感覚、前に森の熊さんに魔法を使って倒れた時と同じだ。魔力量がわたしの限界をギリ下回り、病弱が再発した。
でも今回は魔法使ってないんだけどな……。もしや生きているだけで魔力は消耗するの? だったらここ最近、休みが少なかったのかも……。知らない土地でストレスも多かったかな……。
一通り自省を終えると、わたしは眠たくはないが眠りについた。回復には寝るのが一番、病弱人間の一家言だ。
病でふらふらしている時は悪夢しか見られないのだが、この時見たのはまともな夢だった。
長い黒髪を垂らした少女が、寝込むわたしの頭を撫でている。
ああ、知ってる。前にも夢で遭ったことあるよね。
顔がうまく思い出せない……。確かに知っているはずなのに……。
夢の中の少女は立ち上がると、風となって消えていく。吹きつける風にわたしは思わず顔を覆った。
肌に触れる風の感触がやけに冷たく、わたしは目を覚ます。
月が出ている。知らぬ間に夜の幕が上がっていた。
部屋の窓が知らぬ間に開け放たれていた。ひんやりとした風が部屋に上がり込む。
異変を感じ身体を起こしたわたしは、枕元に立つ黒髪の少女に釘付けとなった。
少女は、あどけない顔でにやりと笑ってみせた。
「にゃーん」
……わたしはまだ夢を見ているのだろうか。
黒髪の少女は立ち尽くし、わたしのことを見つめている。二つの月を思わせる双眸は闇の中で怪しく輝き、どこまでも透き通っていきそうなくらい純粋だった。
互いに見つめ合い、時だけが流れていく。
……少女は特に何も言わないし、何もしてこない。つまり害はないとわたしは判断した。妖怪とか妖精とかおじじとか、そういう類だろう。
まだ夜も深い。明日わたしが元気になった姿をみんなに見せて安心してもらいたいので、わたしは二度寝についた。
「にゃーん」
枕元に立つ少女がわたしの頭を小突いてくる。いや、撫でているつもりなのか……?
わたしが目を開くと、少女は気づいてもらえてうれしいのか喜色満面に笑顔をこぼし、やはりこちらをじっと見てくる。
夢の中の黒髪少女と同じ人かと思ったが、顔を見ると全然違う。頭の撫で方も雑だし、こんなに猫っぽくないし──。
え? 猫……? 我ながら突拍子もない連想だったが、まさかと思いつつ少女の垂れ下がった黒髪を撫でてみる。
この上品な毛並み、艶やかな黒色……。間違いない……!
「夜に会うのは初めてね、パティスリエ。いつもは猫の姿だったから」
「あなた……プロフィトロール……!?」
「ふふっ、驚いてる!」
プロフィトロールは子どもみたいに笑った。その無邪気な姿でさえ気品を感じさせた。
見れば見るほど息を呑む美しさだ。ガストリエちゃんの美貌に惚れたのとはまた違ったベクトルで、わたしは虜になっていた。
黒猫の少女は部屋の中を物色したり、くるくると回ったり、伸びをしてその場でくつろいだり、自由気ままに動いている。
その様子を観察していると、わたしはある重大なことに気づく。人間に化けているのに猫耳がない……!
尻尾は彼女の纏うドレスに隠れている可能性はあったが、猫耳は明らかに存在していなかった。シュレディンガーの猫耳などではなく観測された事実! これは由々しき事態だ。
別にわたしはケモ耳好きというわけではないし甘噛みしたい欲求を持っているわけでもない。書道の半紙を触り心地で表裏判別するようにケモ耳裏のもふもふと内側のさらさらを同時に堪能したいなんて考えたことすらない。でもあって損はないだろう。なんならあればあるだけいい。全身からありとあらゆるケモ耳が生えててほしい。……いやそれは流石に気持ち悪いか。
わたしが一人でケモ耳の是非について頭を悩ませていると、プロフィトロールは含みのある笑顔で手を差し出してくる。
「ねえ、わたしと踊らない?」




