12 少年と黒猫①
「なーにが『ようこそ』だ! 自分の店みてーに言いやがって」
「うわ、じいちゃん!」
店の前でのやり取りを見ていたシューのおじいちゃんが、シューの頭を軽く小突いた。
あのガタイがよくて笑顔の素敵なおじさんがシューのおじいちゃんだったのか。世間は狭いなぁ〜……って、おじいちゃん!?
しわは引かれているがまだ若そうなのに……。言われてみれば、どことなくシューに似ているような。髪色もブロンズだし。
「さーて、買い出しが遅くなった訳を聞かせてもらおうじゃねぇか。そこのかわいい嬢ちゃんとデートか?」
「そんなんじゃねーよ! さっき助けてもらって、お礼しようと思って話してたら長くなっちゃって、それで……」
「……おい、シュー。まさかまた喧嘩したのか」
「い、いやしてない! 断じて!」
「よく見たら毛先が焦げてんじゃねーか! 服も汚れてるしよお」
「ほんとだって! 約束は守ってる! 喧嘩なんかしてねーよ!」
シューは先程の不良に絡まれていた一件をおじいちゃんに隠そうとしていた。
理由はわからないが何か事情があるのだろう。ふっ、ここはわたしが助け船を出してあげますか、と。
「本当ですよ。シューはひとりで転んで、買い出しの品を道端にばら撒いていたんです。わたしが拾うのを手伝ったら何かお礼がしたいってここまで案内してくれたんです」
「ほう……。本当か、シュー?」
「あ、ああ……。けど、ちゃんと買ってきたよ」
シューのおじいちゃんは納得いかない気持ちを飲み込み、これ以上は追求しないでおいてくれた。
麻袋を受け取り店に戻ろうとしたおじいちゃんを、シューが呼び止める。
「なあ、じいちゃん。こいつをこの店で働かせてくれないか?」
「その嬢ちゃんをか?」
「はい! ここで働かせてください!」
「ほら、自己紹介! 名前聞いたらじいちゃんびっくりするぞ!」
「え、えっと……。パティスリエ・アンジュ……です」
「パティスリエ、ねえ……。嬢ちゃん、さっきも店に来てたよな? んで菓子買う金がねえってとぼとぼ出てった」
「は、はい。その節はどうも」
「……しゃあねえ。名前が似てるのも何かの縁だ、うちに置いてやろう。俺はシブーストだ、よろしくな」
「やったな! パティスリエ!」
「う、うん。よろしくお願いします!」
ここの店名を無断で借りたのはバレてそう……。あえて触れずにいてくれているのはおじいちゃんの優しさか。
なんにせよ、わたしはシューとシブーストさんの関係も知らずに助け、ここで働けることになったんだ。この巡り合わせは運命と呼ぶに相応しいだろう。
入店時に感じたいい匂いは、厨房に入るとより香ばしさを増した。
小さな厨房だったが、中央に調理台、壁際に焼き窯や水樽があり、残りの空間は棚でびっしり埋め尽くされている。
エプロンを装備し、かわいさが青天井のガストリエちゃん。いよいよ初仕事だ。
同い年だが菓子作り歴は先輩のシューに頭を下げ、教えを乞う。
「最初に覚えてもらうのは盛り付けだ」
「え、いいの? 盛り付けって一番大事な花形なんじゃ」
「ばーか、菓子作りで一番大事なのは生地と焼きだ。見た目ばかりこだわるのは砂糖を大量に使うしか能のない宮廷や貴族お抱えのパティシエだけ。覚えとけ」
あ、今バカって言った!
しかしなるほど、製菓はミリ単位の軽量や温度管理が大切だもんね。素人が目分量や感覚頼りで作って失敗したなんてよく聞く話だ、特にバレンタインあたりに。
盛り付けを疎かにしてはいけないが、製作工程の中でも比較的容易だから最初に教えてくれるわけだ。
わたしはシューに教わった通りの切り方で林檎を刻んでいく。
「パティスリエ……。お前、包丁の使い方うまいな」
「料理は家でよくしてたからねー」
「いや、驚いた……。貴族なのに料理するんだな」
「えっ」
驚いたのはこっちだ。危うく手が狂い、ガストリエちゃんの繊細な指が傷つくところだった。
なんで、わたしが貴族出身だとバレてるの……? 気品が漏れていたのか……?
焦るわたしを尻目に、シューはただただ感心していた。
「どうして、わたしが貴族だと……?」
「そりゃ名前だろ。貴族には家名があるからな」
そうなの!? 確かに思い返してみれば、この世界には家名がある人とない人がいた。
特に疑問には思わなかったけれど、家名の有無が身分の差を表していたのか……!
じゃあ平民の服を着て家名を使っているわたしは亡命貴族と認識されていたのか。これは神情報。早めに知れてよかった……!
わたしはかわいいからアンジュと名乗ってるだけだとシューに説明し、平民の称号と変なやつの称号をもらった。これからは天使封印! シブーストさんにも話しておかないと貴族バレ待ったなし!
それからわたしはシューに盛り付けを指南してもらい、シブーストさんの仕込み作業を見学し、長いようで短い初仕事を終えた。
今日のお給料をもらい、売れ残ったお菓子をわたしとシューで分けて一緒に頬張った。うまい!
洋菓子の匂いを漂わせて宿屋に帰り、待ってくれていたダリオルにパティスリーでの話を語り、酔っ払いたちに絡まれながら酒場で夕食を取り、部屋に戻ると眠りに落ちた。
新しい町での生活は初日から慌ただしく、自分が置かれている状況も忘れそうになるほど充実していた。
こんなに楽しくていいのだろうか……。今頃お父様やお母様は心配してないだろうか……。
浮かんだ不安も、甘いお菓子が溶かした。
明日もせっせと働いて、おじいちゃんのお菓子をいただこう。
町に来てから一週間。
わたしはすっかり町に溶け込み、パティスリーまでの道のりを駆けていくと町のみんなが挨拶してくれる。
すっかり町のアイドルになったガストリエちゃんに鼻が高いわたし。だがあまり目立つとダリオルに怒られてしまうのでかわいさアピールは控えめにしておこう。
パティスリーに着き、ドアを叩く。普段のお店は早朝からシブーストさんが仕込みを始めているが、今日だけはお休みとのこと。
シューとシブーストさんが出てくると、三人で連れ立って歩いていく。
今日は日曜日。人々が働く手を止め教会の礼拝に集う日だ。
「諸君等に、女神エウロギアの祝福を」
礼拝が始まると、いつしかの司教や教徒と同じ衣装のおじさんたちが祭壇をうろうろと徘徊しだした。
ダリオルは礼拝には来なかった。念のためわたしの守護に集中してくれている。
わたしが仕事に出ている間、ダリオルは独自の情報網を使っていろんな裏工作を行なってくれていた。教会内では「ガストリエは死んだ」とか「東の国に亡命した」とか情報が錯綜し、捜索は難航しているらしい。
礼拝はなおも続く。相変わらず何が行なわれているのか見ていてもわからない。
しかし10歳の誕生日の時に来れなかった教会にこんな形で訪れるとは思わなんだ。わたしは宗教的儀式には目もくれず教会の内装を眺めていた。
あのステンドグラスに型取られている白髪の女性がスキルをくれるという女神様か……。ガストリエちゃんには遠く及ばないが、女神らしい風貌だ。
「退屈か?」
「そういうわけじゃないけど……。初めて教会に来たからちょっと気になっちゃって」
「初めてって……今までどこで生きてきたんだ。というかパティスリエは10歳だから儀式で来てるだろ」
「わたし、いろいろあって儀式は受けてないの。シューはスキル授かったの?」
「普通は持ってんだよ、普通は」
「ふーん、どんなスキル?」
わたしの問いかけにシューは答えなかった。ダリオルもそうだったけど、スキルを隠そうとするのは何故だ。恥ずかしいことでもあるの?
問い質そうとシューの横顔を見ると、シューは苦い顔を浮かべている。その視線を追った先、少し離れた席ではシューをいじめていた不良たちがこちらを睨みつけていた。
この一週間、わたしは町の人たちと交流を深め町民全員の名前を把握している。不良三人の名前も知ってはいるが、どうせ常に三人行動なのだから区別の必要はなさそうだ。
礼拝を終え、教会から出ようとしたシューに不良たちが絡んでくる。
「シューのくせに礼拝にまで女連れ込んでるとはな」
「家でも外でもかわいい女といちゃつきやがって」
「どうせ父親と同じで飽きたら捨てるんだろ」
「ちっ……!」
シューは何も言い返さず、足早に去っていった。わたしはご近所さんとの話に花を咲かすシブーストさんを引っ張り、シューを追いかける。
不良にいじめられ、お金を取られても抵抗せず、酷い目に遭っていることをおじいちゃんに隠している。
シューの背景は知らない。シューも何か事情を抱えていて、あまり詮索しない方がいいのだろう。首を突っ込むのは余計なお世話で野暮ったいかも知れない。
それでもわたしは、シューのために何かしてあげたかった。お菓子作りの先輩だし、一緒に猫を撫でた仲だし。
ダリオルを呼べば不良たちなんて瞬殺だけどそんなの意味がない。わたしたちがずっとこの町にいるとは限らない。だからこれはシュー自身が解決しないと。
パティスリーに戻ると、シブーストさんにシューの様子を見てきてほしいと頼まれ、わたしは店の二階に上がった。
二階はリビングがある居住空間で、不自然にベッドが一台あること以外はよくある家の内装といった感じだ。
シューは通りに面した窓の傍にある机に向かい、何やら筆を動かしている。
わたしは音を殺して近づき背後から覗き込む。そこに書かれていたのは、この国の文字だった。
ふと小学生の頃やらされた宿題を思い出した。シューがやっているのもまさにそれだ。
「文字の練習?」
「うわあ! い、いつからいたんだ……!?」
「ごめんごめん。シュー、字が書けるようになりたいの?」
「……まあな」
とりあえずシューが腐っていないことに胸を撫で下ろした。
シューは居住いを正し、こちらに目もくれず一心不乱にペンを走らせている。
わたしは座れそうな台を引きずってきて、シューの隣に陣取った。休日の町は穏やかな風が吹く。
「この町の南東に王立の学園があるんだ。俺はその学園に入りたい」
「じゃあ受験勉強してるんだ。誰か勉強教えてくれる人とかいるの?」
「こんなところにいるわけねーよ。普通の平民は学園とは無縁だからな、教わりたきゃ貴族か学園卒業者と親しくならないと」
「へ、へぇ〜……。貴族とねぇ……」
他意はないのだろうが、わたしのことを言われている気がしてどきりとする。
独学で勉強を頑張るシューを応援したい気持ちは山々だ。しかしわたしは病床に伏せてきた期間が長く、普通の貴族なら習っている教養をあまり身につけていない。わたしに教師役は難しい。
「ごめんね、役に立てなくて」
「はあ? 元から頼るつもりなんてねーよ。俺は一人で勉強して、一人で入学金稼いで、一人で学園に行くんだ」
「入学金も……? お店のお手伝いはそのため?」
「まあな。計算だと、あと一年以内には必要な額に届くはずだ。学園は10歳からだから俺は一年遅れちまうけど」
「おじいちゃんには頼らないの? シューのためならお金の工面くらいしてくれそうだけど」
「……受験のこと、じいちゃんには内緒にしてる」
「え、なんで!? 大事な進路の話なのに……!」
「言えるわけ、ねーだろ…………」
そう言って、シューはまた勉強に意識を戻した。
彼なりのプライドなのか、はたまた事情というやつか。シューはなんでも一人で解決したがる。
適切な時に適切な人に頼るのも生きていくのに欠かせない能力だ、頑張り過ぎないでほしい。でも、シューが頑張りたいのならわたしもできる限り応援はしたい。
眼鏡キャラは刺さらないわたしだが、シューの頑張りには推したくなる魅力があった。彼には夢を叶えてほしい。
それとお金が大事という話を聞いたらなおのこと、あの不良たちのカツアゲが憎くなってきた。不良がいなければもっと早く受験できていたんじゃないか?
……わたしの金貨をあげれば、シューは喜ぶだろうか。
「にゃーん」
窓辺にいた一匹の黒猫が待ち遠しそうに鳴いている。
シューが窓を開けると、猫はするりと身を通し、机の上で丸まった。
シューは何も言わず片手で猫を撫でながら、反対の手で勉強を続ける。器用だ。
黒猫プロフィトロールとの関係も訊きたかったが、これ以上勉強の邪魔をしたくないのでわたしは退散させてもらった。
階下には心配そうな面持ちのシブーストさんが待ち受けていた。受験のことはおじいちゃんには内緒なら、シューが勉強しているのも隠しておいた方がいいか。
シューは大丈夫そうとだけ伝えると、あのにっこりスマイルが返ってきた。




