10 回顧録
僕は貴族だった。
貴族は生まれながらにして人の上に立つ存在で、選ばれた人間である、そう教わった。
言葉を話せるようになると、よく召使に問うた。何故平民は平民に生まれるのか、貴族に生まれればよかったのに、と。
そんな僕は5歳の時、目を患い視力を失った。
僕は絶望した。
目が見えないことに絶望したのではない。この世界に絶望したのだ。
僕は、視力を失う代わりに「人の心」が視えるようになった。見えないのに視えるだなんておかしな話だが。
人は誰もが、心に白い板を持って生まれる。日々を生き、成長し、世界を知るたびに、板は色づいていく。
その「色」が、僕には視えた。
勿論、誰に話しても信じてもらえず、頭がおかしいと思われた。だから僕はこの力を隠すことにした。
見えなくなってからの僕は、できるだけ多くの人に会いたがった。
心の色は人によって様々で、その人の内面をよく表していた。色と性格の関係を知りたかった僕は、身分に構わずいろんな人間と関わる機会を設けてもらった。
ある貴族は、赤色だった。野心家で行動力のある彼は惚れ惚れする程の赤い心を持っていた。
ある令嬢は、桃色と少しの青色だった。常に理想の婚約相手を求めていた彼女はどんな男にでも色目を使っていた。ただ、男から迫られると臆病になり、心の奥に蔓延る青の割合が強くなった。
ある平民の女生徒は、水色の上に黄色が点々とあった。自分の店を持つという大きな夢を語る彼女は透き通る水のような心に、輝く黄色を持ち合わせていた。
人を知るたび、色を視るたび、僕の世界は広がった。その頃には身分なんて関係なく、人は人だと思うようになっていた。
僕の父親は貿易の仕事をしていて、屋敷にはよく商人が上がり込み、応接室で仕事の話をしていた。
僕は一度だけ、開いた扉の隙間から中を覗いたことがある。そこにいた人間の心はみんな、黒色だった。
黒。真っ黒。底のない闇だった。
僕が今まで会ってきた中にも黒色の心を持つ人は何人もいた。そして完璧に心が黒に染まっている人に共通していたのが、強烈な悪意を宿しているということ。
後に知った話だと、僕の父親は海外から依存性の高い薬物を密輸し、国内で密かに売り捌いていたそうだ。
父の心は一点の曇りもない黒で、父の黒さを知り結婚した母も黒一色。兄弟姉妹も、父に近い使用人たちも。
僕が成長し、悪意というものを理解した頃。恐ろしくなって鏡を見ると、そこには真っ黒な心だけが映っていた。
僕は、自分に絶望した。
いつだったか忘れてしまったが、少なくとも僕が10歳になるよりも前のこと。
父も母も使用人も、離れていた兄妹も、一夜にしてみんな殺された。当然の報いだった。
闇夜に舞い降りた殺し屋は、音もなく屋敷の人間を殺害していった。当然、僕も。
「なんだ、お前は目が見えないのか? 目の前に家族の死体が転がってるってのに動じねーとは」
「私は、5歳で視力を失いました」
「……そうか。見えてないなら、簡単に殺せるな」
殺し屋は僕を壁に押しつけ、深々とナイフで突き刺した。
……後ろの壁を。
首のすぐ真横に刺さった冷たい刃物の感触を今でも覚えている。無機質な温度に何故か温もりを感じた。
「お前は今、死んだ。これからは別の人間に生まれ変わって、新たな人生を歩むんだな」
「…………待てよ」
僕は立ち去ろうとする殺し屋の服を掴んで止めた。殺し屋は僕の手を振り払い、勢いで僕は転んだ。それでも殺し屋の足を掴んだ。
殺し屋は不思議な心の色を宿していた。
背景の白が見えるくらい雑に色が塗りたくられ、いろんな色が混在し、混ざり合っている。
しかし、人を殺す時だけは全てが黒く染まった。
次の瞬間には黒は消え、元の乱雑な色に戻る。見たことがない心だった。
「おい、離せクソガキ」
「……家を失い、家族を失い、お世話をしてくれる使用人も失った。目の見えない僕がなんの当てもなく生きていけるわけないだろ」
「あのなあ……。俺は抹殺対象以外に、俺の殺しを目撃したやつも殺すことにしてる。目が見えてないお前を殺すのは流儀に反する、だから生かした。その後のことは知るかよ」
「……僕を、連れてけ」
「はあ……。わかったわかった、どっかの孤児院にでも連れてってやるよ。そしたらとりあえずは生きて──」
「僕を、殺し屋にしてくれ」
懇願だった。
別に殺し屋になりたいわけじゃない。
死にたいわけではないが、生きていく目的もなかった。
ただ、この時思った。この人についていきたいと。
こんな真っ黒な僕でも、胸を張って生きていけるようにしてくれるんじゃないかと、どこかで勝手に期待してしまった。
殺し屋がどんな表情をしていたかは見えなかったが、心の色は目まぐるしく変化し、それだけでこの人の人となりがわかった。
「……お前が勝手についてくるって言うなら、俺は止めやしない」
それだけ言って、殺し屋は現場を去ろうとした。
僕は走り、死体に躓いても起き上がり、その大きな背中を追いかけた。
殺し屋は、目の見えない僕が殺し屋の速足についてこれたことに驚愕していた。「本当に見えてないのか……?」とナイフで目を弄られそうになったけど。
そして、僕に何か力があることを感じ取った殺し屋は、自分のアジトに僕を招待してくれた。
「おじさん、名前は? 呼ぶ時困るから教えてよ」
「目が見えてないなら俺がおじさんかどうかわからないだろ」
「でも声とかにおいがおじさんだし」
「おまっ、においだと……? それはおじさんに言っちゃいけない言葉第一位だぞ……!」
「やっぱおじさんじゃん」
「クソガキめ……」
殺し屋は葉巻か何かを吸い、わざわざ近づいてまで僕の顔に煙を浴びせてきた。
クソガキはどっちだ、と僕は思った。
「俺の名はニュール。千の名を持つ殺し屋さ」
「じゃあ他九百九十九の名前は?」
「うるさいガキだな……! 仕事のたびに変えてるってことだ」
「……じゃあ、本名は?」
「ないな。もしあったとしても、とうの昔に捨てた名だ」
「そうなんだ……」
「で、お前の名前は? なければクソガキと呼ぶ」
「あるよ! ……でも、生まれ変わったならあの名前は捨てたい」
「……よし! だったらお前はダリオルだ!」
「ダリオル……」
「俺の弟子になるならいずれお前も千の名を持つことになるだろう。
だがしかし、俺の前ではダリオルと名乗れ! 俺もお前の前ではニュールと名乗る!」
「わかった! ニュール!」
「師匠と呼べ! あと敬語!」
「……はい、師匠!」
こうして僕の訓練の日々が始まった。
まずは殺し屋の基礎技術として、剣術、ナイフ術、体術を教わった。
目が見えなくても心が視える。しかし、それだけで短所を補えるものではなかった。見えないなら守りに入るな、とにかく攻めろ。そう意識して訓練に臨んだが、今度は技術不足が足を引っ張った。
相手の初動の前に仕留める。それだけに集中して鍛え、訓練以外の時間は体力作りと筋力上げ、敏捷性を磨くため森の動物との追いかけっこに費やした。
基礎を身につけると、次は仕事を想定した武具、暗器を使った実戦訓練が始まった。
訓練とはいえ、ニュールは一切の手加減をしなかった。怪我や骨折どころか、死の淵に何度立たされたことか。
特に毒がつらかった。僕は貴族の生まれだったせいで魔力耐性が強いらしく、ニュールの魔法じゃ治療できなかった。おかげで闇医者の怪しい薬を何度も打たれた。
毒を以て毒を制す。いつしか僕は毒が効かない身体に進化してしまった。
ニュール師匠との訓練の日々を経て、僕は見違えるほど強くなった。
技術では劣るものの速度でニュールを圧倒し、模擬戦では十回に一回くらいは勝てるようになった。
魔法は座標指定が難しく暴走が多くて使えないが、代わりに魔力を周囲に撒くことで反射や振動で周辺の物の配置を肌感覚で掴めるようになり、ついには人混みの中でもぶつからず歩けるようになった。
依頼によっては潜入も必須なので、あらゆる分野の知識を学び、どんな場所でも溶け込める変装力を身につけた。
僕は成長した。殺し屋としても、人間としても。
ニュールはいつも自分の仕事より僕の訓練を優先してくれた。僕が一人前になるまで面倒を見てくれた。
こんなこと言ったら照れくさそうに茶化してしまうだろうが、僕にとってニュールは親のような存在だった。
いつか僕にも一人立ちする日が来るだろう。依頼で遠い国にも行くことになるかもしれない。それでもたまには、ニュールに会いに戻ってきてやってもいいな。酒に焼けたその声を聞きに帰ってこよう。
……そう、思っていた。
その日、ついに僕にも初仕事が舞い込んできた。
依頼が来たことをニュールに報告しようとしたが、あいにく師匠はしばらく留守にしていた。
報告は、初仕事を終えてからにしよう。僕は早速仕事に出かけた。
依頼は手紙で届いた。文字が見えないため、その辺にいた貴族と仲良くなり代読してもらった。貴族と関わるのには抵抗があったが、平民だと字を読めない人が多いので仕方ない。
依頼にあった現場はかつて貴族が住んでいた屋敷。そこを根城にする逆賊ブレッツェルを殺して欲しいという依頼だった。依頼者は不明、まあそんなものかと受け止めた。
入念に屋敷周辺、屋敷内の気配を探ったが、抹殺対象以外にどこにも人の影がなかった。
不審に思ったが誰もいないなら好都合。屋敷に潜入し、目的の部屋まで突き進む。
いよいよ楽に到着してしまい、不安が過る。僕は物事が順調に運ぶと心配になる性分だとこの時自覚した。
静かにドアを開ける。中には罠の気配すらなく、人がひとりベッドで寝ていた。音を殺し、ゆっくり近づく。
抹殺対象は老人のように感じた。心は濁りを含んだ黒色だが、細い気管でなんとか呼吸を続けるだけの老ぼれだった。
こいつが何をしたのか、誰にどんな恨みを買ったのかは知らないが、これは仕事だ。僕はただ依頼通りに殺すだけ。
懐から武器を取り出す。模擬戦で初めてニュールに勝った時にもらった師匠愛用のナイフだ。
初めての殺し。だが不思議と落ち着いていた。
僕は老人の心臓目掛けてナイフを振り下ろした。
「…………合格、だ」
「え」
唖然とした。あり得ないことが目の前で起きていた。
老人の心を染めていた黒が晴れていき、見覚えのある配色に変わっていく。
僕は理解を拒んだ。だがすぐに理解してしまった。
僕が殺したのは、師匠だった。
「これ、で……お前は、立派な殺し屋……だ」
「し……師匠……? なん、で……?」
「俺は、人を殺しすぎた……。悪いやつ、だから、な……。死んで、当然……ごほっごほっ」
僕は医者の潜入任務のために学んだ知識でニュールに治療の魔法を施した。だが出血が気管を塞ぎ、吐血と咳が止まらない。
なんで、なんで、なんで……?
どうして師匠がこんなところに……?
どうして自分を殺させたんだ……?
わからなかった。そんなこと、師匠から教わっていなかった。
「…………すまん、な……」
「もう喋らないで! 治療すれば、まだ……!」
「お前は、治せる程度の…………甘い殺しは、しないだろ……」
「っ……! けど、けど……死なせたくない……!」
「……いい、か……ダリオル…………よく聞け……」
師匠の細くて弱くて冷たくてしわまみれの手が、僕の頭を撫でた。酷く頼りない、けど微かな温もりがあった。
千の名を持つ殺し屋。その本当の姿が、今ここにいる老体なんだ。
「お前……は…………好きに、生き、ろ……おま、えの……人生、だ……。
すまん……な…………。俺は……おま、え……を…………ころ……し、や……として、しか……育て……られなかっ……た…………」
「師匠……? 師匠ぉーーー!!」
僕を撫でてくれていた手が力なく落ちる。心の色が視えなくなった。師匠は死んだ。
僕は師匠を埋め、墓を作った。その際、師匠の服の懐に鍵を見つけた。鍵はアジトにある金庫のもので、中には初仕事の報酬として師匠の全財産が入っていた。
鞄に入りきらないほどの金を受け取り、アジトを出る。殺し屋の道に足を踏み入れた僕は、師匠から独り立ちした。
ニュールは世間一般からしたら人殺しの悪人かもしれない。でも僕にとっては最後まで親だったんだ。
僕を僕にしてくれたのは、師匠だった。
それから僕は淡々と仕事をこなしていった。任務中、なんの感情も湧かなかった。
気づけば新米ながら実績を評され、千の名を持つ殺し屋とまで呼ばれるようになっていた。
裏の世界に身を置きしばらくして知ったのだが、国に仇なす者を始末する依頼では必ず「その者の親類縁者」まで抹殺を命じられる。
僕の家族が殺されたあの時。本当は僕も抹殺対象に含まれていた。
師匠は適当な理由を繕い、依頼を無視してまで僕を生かそうとしてくれたんだ。
心が視えるのに見えなかった師匠の想い。涙は出なかった。ただ、一つの決心をくれた。
殺し屋は辞めよう。
これからは、好きに生きよう。
最後の依頼は、貴族の令嬢の監視だった。
ケンジャと名乗る男が引退した僕をわざわざ教会まで呼びだし、直接依頼してきた。彼女はいずれ国に仇なす存在となるため、必要と判断したら処分して欲しいとのこと。
詳しい内容は聞かされなかったし、こちらからも訊かなかった。依頼を詮索するのはこの業界の禁忌だから。
何故監視が必要なのか。何故家族を皆殺しにせず娘一人だけを狙うのか。そんな疑問は任務に不要だから捨てた。
ガストリエ・ノワール、5歳。調べによると彼女は生まれつき病弱でいつも寝込んでおり、外の世界も知らぬ深窓の令嬢らしい。
そんな少女が国敵になるとは到底思えなかったが、依頼は依頼だ。僕は執事ダリオルとしてノワール家に潜入した。
初めて彼女を見た時、僕は言葉を失った。
ガストリエは相当かわいらしい少女だと使用人の間でも評されていたが、見えない僕にはそんなことどうでもよかった。彼女の心は、師匠の色に似ていたのだ。
大きな白を中心に様々な色が渦を巻き、目まぐるしく回り続けている。
師匠と異なるのは、色がくっきりしているのに色同士に境界線がなく、多種多様に混在しているところだ。
たまに黒色が生まれても、あっという間に他の色に掻き消されてしまう。彼女が10歳になり手鏡を持つようになってからは桃色が幅を利かせ広範囲を侵食することが多くなった。
見るたびに変わる心模様は面白く、いつしか僕はガストリエに会うのが毎日の楽しみとなっていた。
僕は──いえ、私は……。執事として、ずっと彼女の傍にいたいと願うようになった。
自分の人生をガストリエの境遇に重ねたのだろうか。
天授の儀を受けられず、スキルを持っていない。それでもなりたい自分に向かって直向きに頑張る姿に心奪われたのだろうか。
ケンジャ曰く、いつかガストリエの持つ力がこの世界を破滅に導くかもしれない。
それでも……。もし、こんな真っ黒な私でも誰かのためになれるのなら……。
私は彼女のために生きたい。そう思った。
かつて師匠が私にしてくれたように。
今度は私が、ガストリエ様へ──。
「ダリオルは名前、変えなくていいの?」
貴族の身分を捨て下野し、新たな人生を歩み出すことになったガストリエ様。町を歩きながら改名案をお探しになられている。
「私は……このままにしておきます。私を知る者が、私の存在と貴方様の生存を結びつける可能性はありますが……勘づいた者は葬ればいいでしょう」
「ダリオルって意外と脳筋よね」
「…………それに」
こんなことを言うと、師匠に笑われてしまうかもしれない。
だけど本当は千の名なんていらない。たった一つでよかったんだ。
「名乗るなら……ダリオルがいい」
「そうね、親からもらった大切な名前だもの。失くさないようにしなくちゃね!」
ガストリエ様は私の顔を覗き込んでそう言った、気がする。ガストリエ様の笑顔が眩しくて私はつい目を逸らしてしまう。
彼女の名は、いつかノワール家に帰るその日まで封印されるというのに、彼女はいつもみたいに明るく笑っていらっしゃる。
いつかがいつになるのかなんて、そんな先のことは見通せない。来年か、再来年か、はたまた年老いてからか。
それでも……私はガストリエ様との未来をともに歩こう。
たとえ世界が破滅したとしても、彼女とともに。




