第8話
よくミステリーで、犯人は現場に戻ってくるという。
その現場を押さえるのなんて張り込みでもしなければ無理だし、そもそも学生の身分である誉たちにはできないことだ。
もっとも、そもそも犯人である仁江颯介は自宅謹慎を言いつけられており、専業主婦である彼の母親がずっと家にいるのだから、出かけることなど無理だろう。
「で、なんで放火現場に行くんだ」
「とある警官はこんな言葉を残している。『犯人は現場に三十個の証拠を残す。隠しても五個くらいのものだ』。まあ、言ったのは殺人事件のことだし、放火の現場にそれほどの証拠が残されているとも思わない。加えていうなら、証拠を残されてもそれを分析する技法は僕たちにない」
「そうだな」
「が、まずは現場に行って周囲の状況を自分の目で確認する。何事もそれが重要だ」
潔癖症のくせに、すべてを把握したがる誉に、そういうものかと頷く。
二人は制服ではなく普段着だった。
ベージュのズボンに白いパーカーを着た誉におしゃれっ気はない。洗濯が多くなってしまう彼にしてみれば、装飾がたくさんついた服よりも無地の方が繰り返し洗濯をしても長く着続けることができるらしい。確かに昔、誕生日にマフラーを送ったことがあるが、毎日洗濯していたせいで三週間ほどで完全に伸びてしまっていた。
一方満は、ダメージジーンズに黒のワイシャツとベストを身に着けシックにまとめた。ダメージジーンズに胡乱な目つきをする誉は、里帰りをした際に小うるさく注意してくる田舎の祖父母のようだ。これは一種のおしゃれである。
二人は花形から届いたメールを頼りに、一件目の放火場所である公園にやってきた。
こじんまりとした公園は、休みとあって子供の姿が多い。遊具も充実しており、子供を遊ばせながら主婦同士で話し合う姿も見かけられる。
いくつかの集団に分かれた主婦は公園に散り散りになっており、死角を探す方が難しいのではないだろうか。
その公園の一角、いまだにブルーシートがかけられた場所に近づき、満は携帯電話に目を落とした。
「夕方六時ごろ、ここで放火が起きたみたいだな。古びた遊具……えっと、スプリング遊具? あれか、下にバネがついた、動物を模した乗り物のことな。あれがあったらしい。近々撤去する予定だったんだけど、その前に放火が起きて、今はこの有様」
ブルーシートを勝手にめくるわけにもいかず、そう説明している間、誉は周囲を見渡していた。目を細め、隅々まで見渡す。
すべて説明し終わり、携帯電話をポケットに戻すと誉に向かって首を傾げた。
周囲を見渡し終わった誉は、親指でブルシートを指さす。
「勝手にめくるわけにはいかないだろう」
「他の場所から見えないか確認するだけだ。しかしこの木々の下……蜘蛛の巣があったらどうする。お前が先行しろ」
「それ俺が蜘蛛の巣に引っかかるけど」
「引っかかったら半径一メートルには近づくなよ」
ぶつくさと文句を言いながら、満はブルーシートの周囲を回る。後ろから少しだけ間を開けて、誉がついてくるのがわかった。
ほぼ真後ろまでやってくると、ブルーシートが途切れている。ひもで括られてはいるが、その間から燃えた後の様子は見えた。
「誉」
「ああ」
静かな返事に、満は再び携帯電話を構えて写真をとった。保存された画像を確認してから、まだ別の角度で写真を撮る。
その間、誉はじっと現場を見つめた。
スプリング遊具はところどころ焦げていた。古い遊具だったこともあり、動物を模している部分は木製でかなり燃えやすいようだった。
その脇の地面は黒く焦げ、そこが発火源であることがわかる。範囲はごく小さく、燃えた遊具も動物の腹部あたりだけだ。撤去予定だったこと、そして放火されたため、すべてにブルーシートをかけ、子供たちが近づかないようにしたのだろう。
燃えたのは段ボールに入れられた枯草と紙だったらしく、煙が立ち上り、火がついたところで発見された。
発見は早かったが、ここにいるのは基本的に主婦、そして子供がいる『母親』ばかりだ。火に気付いた瞬間、行ったのは消火ではなく、自らの子供を連れて非難することだった。
湯具に引火して燃えてしまったのは、その時間が原因だろう。
先ほどと同じように、満を先頭に木々の下から抜け出て公園を見渡した誉は、そこで一度だけ頷いた。
「次に行くぞ」
「聞き込みは?」
「僕の母親が現場にいたと言っただろう」
「ああ、そうだっけ」
二人は公園を出て、次の現場に向かう。
公園から、次の放火場所である駅前までは、歩いて五十分ほどほどかかる。
その間、誉と満は二人の間の認識に相違がないか、少しずつすり合わせていく。
「当時の状況は?」
「聞いてる限り、今日と同じらしいな。住んでいるマンションや、同じ会社に勤める夫の妻だったり、あのグループには区分があるらしい」
「うへぇ、泥沼……」
「まあ、ないとは言えないな」
「なんでそんなところに千秋さんが?」
「あの公園近くのスーパーで安売りがあったんだ。知り合いを見かけて話し込んでいたらしいな」
「へぇ……気付いたの、その千秋さんなんだろ」
「ちょうど、あの遊具とは反対側で話していたそうだ。最初は気付かなかったんだが、相手が子供の話しをして、『ここで遊ばせてるの』『へぇ、どの子』なんて会話があったらしい。そこで顔をあげてみれば」
「煙がたっていた……」
そんな二人の耳に、がやがやと喧騒が届いてくる。横断信号で立ち止まり、満はそっと隣を盗み見た。
現場に乗り出すことを厭わない誉だが、やはり人ごみに揉まれるのは嫌なのか、いつも以上に顔を歪めている。
とはいっても、休日の昼ごろだ。喧騒といっても、小さな町の駅ならたかが知れている。せいぜい、学生がお昼から遊びにいこうだとか、主婦がはやめの買い物をした帰りだとかその程度だろう。
駅に行けば満の予想は外れていなかったようで、人通りはそこまで多くない。
気を付けていれば人に当たらない程度にはすいている。
そのまま真っ直ぐ、駅前にある広場の一角へ二人は向かった。
すでに燃えたごみ箱は撤去され、ごみ箱があったはずの場所には長い間ごみ箱が置かれていた証拠か、日焼けの跡と、足の部分が当たっていた部分が黒ずんでいる。
誉はそこで、先ほどと同じように周囲を見渡した。
「二件目の放火はここに設置されていたごみ箱から。夕方五時半ごろで、ちょうど学生の帰宅ラッシュとぶつかってる。ごみ袋に包まれていた点を除けば、燃えた中身は一件目と同じ。煙が上っているのを歩行者が発見して、駅員が消火したんだとさ」
携帯電話に保存されているメールを読み上げ、同じように写真に撮る。これといって写真を見返すことはなさそうだが、探偵役の相棒となれば、それなりにサポートしてやろうとなるもので、こうして現場の写真をとったり状況をまとめておくのは彼にとって普通のことだった。
あたりを見渡していた誉に目を向けると、その表情は険しい。
ある一点、駅への入口を見続けていた誉は、ふと興味をなくしたように歩き始める。
「次に行こう」
「ん、ああ……えーっと、次はごみ捨て場か」
「いや、それは最後でいい。先に、四件目に行こう」
「……お前、電車乗れるか」
「嫌に決まっているだろう。歩きだ」
「だよなぁ」
諦めたように肩を落とし、満は誉の後をついていく。
電車どころかタクシーもダメな人間だ。床に座らないのはもとより、どんな人が、どれだけ座ったのかもわからない椅子に座れないというのが誉の言い分だ。
当然、人との接触もあり得る電車はタクシーよりもあり得ない。遠出をするときは自家用車でなくてはならないのだ。
歩いて三十分ほど、少しだけ面倒になってきたころに、二人は川原についた。
川幅は五十メートルで、平均よりは少し広い。河川敷が左右に広がり、そこではよく子供たちが遊ぶ姿も見える。川から離れたところには道も整備され、そこはジョギングコースとしても有名だ。
三キロほど離れて橋が二本かかっており、隣町とはこの川を境に分かれている。
二人がいるのは、鉄道の線路に近い方の橋である。
ゴウゴウと橋の上を車が通る音を聞きながら、橋の下に立っていた。
「ここだな」
「……かなり見つかりやすいな」
わずかに橋の影にはなっているが、しかしどう考えてもここは見つかりやすい。もともとキャンプやバーベキューの禁止されてる河川敷ということもあって、煙には敏感だ。その川で放火をすれば、すぐに見つかる。
そもそもこの橋の近くには、放火があった駅とはまた別の駅があり、その駅前には駐在所もある。通報されればすぐに警察官が駆けつけるのだ。
近くには高層マンションがいくつか並び、一軒家も多くある。
人目にはつきやすい環境だろう。
周囲を見渡せば、マンションのベランダには布団がきれいに並べられ、天日干しされていた。時間にもよるだろうが、人が出たり入ったりすれば自然とここに視線は向けられる。
「夕方の五時ごろだったな……学校が終わって直行すれば間に合う」
「みたいだな……実際、この近くのマンションの住民が通報して、巡回に来た警察官に現行犯逮捕されたし」
「奇妙だな」
「ああ…………ん?」
紡がれる静かな声に相槌を打っていた満はそこで首を傾げる。
「どういうことだ?」
「お前は……はぁ」
「ため息をつくほどか!?」
「今までの現場を見て何も思わなかったのか」
「とくには」
「…………」
むっすりと黙ってしまった誉に唸りながらなんとかあら捜しをしてみるが、特に不審に思ったことなどない。
しいて不思議に思ったことは、最後の犯行があまりにも雑なことだが、考えてもだからなんだとしか思えない。
だんだんと痛む頭にイライラしてきた満は、誉と同じような表情を浮かべた。
「もういいだろう、教えてくれても、お前は頭で考えて、俺が足で稼ぐ。役割分担だろうが」
「そうか。まあいいだろう。予想が正しければ、お前にはあとでたっぷり動いてもらうからな」
「……それはそれでアレだけど、まあいいや。それで?」
「一軒目から三件目までの犯行は完璧だ。そのくせ、四件目だけがあまりに杜撰すぎる」
「でもそれは、油断かもしれない」
「それはないだろう。三件目で『想定外』の炎を出した人間だぞ。そこで油断すると思うか。しかも、あの仁江颯介が」
「……いや」
「犯罪には三つの要素が必要だといわれている。すなわち、『潜在的な犯罪者』と『潜在的な被害者』と『犯罪を行いやすい環境』だ。このうちの何れかでも欠けていれば犯罪は起きない。防犯対策というのは、このうちの一つをなくす動きだ」
「えーっと、犯罪者と被害者っていうのはわかる。環境ってのは?」
「監視性と言い換えてもいい。たとえば、商店街などの人目が多い場所、監視カメラが設置してある場所などは犯罪が起きにくいと言われている。人目が多ければ多いほど、顔を見られる可能性があるからな。まあ、何事も例外はあるが」
「犯罪者をなくすことはできない……だから、被害者をなくすために護身術などを身を守る術を、環境をなくすために、防犯カメラなどを設置する、ってことか?」
「おおむね正しい。それを今回の放火に当てはめると、犯罪者は言うまでもなく仁江颯介だ。被害者はいないが、まあ放火した場所といってもいいだろう。つまり鍵になるのは――」
「――監視性」
「そうだ」
誉が周囲を見渡したのに合わせて、満も周囲を見渡してみる。
はじめ抱いた感想と同じだ。ここはあまりにも見えやすい。ここで何かをしているなんて、まるでわざと見つかろうとしているみたいだ。
「一軒目から三件目までの場所……いや、厳密に言えば三件目はまだ見ていないが、どちらも監視カメラがなかった……あっても、ちょうど放火場所は映らないような角度で監視カメラは設置されていた。おそらく、何度も足を運び、監視カメラの角度を調べたうえでの犯行とみて間違いない」
「……だけど四件目だけは、あえてその監視下に身を晒した」
「不自然極まりない」
そう言われて、満は腕を組んだ。
確かにおかしい。ストレスがなくなったのなら、放火を止めればよかっただけだ。監視カメラの映像が残らないように計画をたてていた人間が、こうして橋の下で煙を上らせた意味がわからない。
そのうえ、よくよく考えれば現行犯で捕まったのも不思議だ。
今までは火のついたものをその場に置き、自分はさっさと隠れたか、あるいは逃げていたはずなのだ。それなのに、通報されてから警察が駆けつけるまで、その場に残っていたとは変すぎる。
わざと見つけてほしいから橋の下で火をつけて、捕まりたいからその場で待っていたと考えられる。
その可能性に、満は自分の体を抱きしめるように、組んでいた腕に力を込めた。
「とにかく、三件目の現場に行こう」
誉の冷静な声に返事もできないまま、そのあとを追った。




