第9話
黎明高等学校は、町の中心よりもわずかに北東に在る。そこから、奏楽智が転落したビルと、三件目の放火が行われたごみ捨て場は一直線上に建っている。
三件目の放火があった場所は、二人の家に近いため、迷うことなく辿り着いた。
メールに書かれた情報を読み上げようと、無意識のうちにポケットから携帯電話を取り出した満だったが、誉に手で制されその動きを止めた。
「相変わらず、タイミングがいいな花形」
「褒めてもなんもでないよぉ」
うはーと笑いながら近づいてくる花形も、今日は私服だ。
ひざ丈ほどある白いレースのスカートに、丸首の白いシャツを着ている。その上にはピンク色のギンガムチェックシャツを羽織り、小さなベージュのリュックを背負っていた。
靴はスニーカーだが、そのかわいらしい服にスニーカーを合わせるのは彼女の活発さを表すようで、満は自然と頷く。
髪の毛はゆるく巻かれ、その顔はわずかに違和感を覚えた。
「花形、メイクしてるのか?」
「うん? そりゃあ、メイクは女の子の嗜みだよー」
「若いんだから、すっぴんでいいだろう」
「きっと誇色は本気で言っているんだろうけど、なんだか枯れたおじさんみたい」
「おじさっ……」
間延びした声ではなくはっきりと真顔で言われた満は、言葉を失い口を開いた。
開いた口がふさがらない。
勝手に自爆した満を捨て置き、誉はため息をついた。
「それで?」
「ここにいるってことは、現場検証ってやつー?」
「違うが……まあ似たようなものだ」
「じゃあ、おばあちゃんに話聞いてみる? すぐそこの家だよ」
彼女が指をさしたのは、本当にごみ捨て場から二件ほど隣の家だった。
この距離ならば特に問題はないだろう。突然訪問するのもどうかと思ったが、そこはコミュニケーション能力が高く、その『おばあちゃん』やらとも仲がいいらしい花形に任せておけばいい。
二つ返事の二人に、花形は駆け足で先ほど指していた家に駆け込んでいく。
外壁で見えないが、「おばあちゃーん」という声が聞こえてきた。後を追い、門から覗き込んでみれば、玄関を開けっぱなしにして入り込んでいる花形を見つける。
そこで誉は嫌そうに顔を歪めた。
代わりに満が門を開けてやると、触れないようにビビりながら、なんとか誉は門を通過する。うっそうと草が生い茂った道に、老人がこの家に暮らすのは大変だろうなぁと、木造建ての一軒家を仰ぎ見た。
少しして、のろのろと出てきたのは白髪の老人だった。
目なのか皺なのかわからず、口はすぼめられて梅干しのようだった。
杖を突きながらやってくる姿はとても遅く、曲がった腰は人体の不思議を感じさせた。
「この人がおばあちゃん」
「ボケてないのか?」
「足腰は悪いけど、これでも目と耳はいい方だよー。それに、今でも編み物を人に教えるくらいボケてない」
「なるほど」
玄関に入ることもなく、誉と満はその老婆と対面した。
その目はやはり見えないが、なんとなくこちらは監視されているような、奇妙な視線を感じる。老婆はゆっくりと腰を曲げた。
それを挨拶だと、数秒遅れて気付いた二人は慌てて頭を下げる。
「それで……何が聞きたいんだい?」
「火が燃え上がった瞬間のことを」
短く言い放った誉の声はいつもより大きく、どこかはきはきしているように聞こえる。この態度でも、一応は老人に気を使って聞き取りやすいようにしているらしい。
老婆はずるずると丸椅子を手繰り寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。
長い溜息のあと、三人とは全く違う場所に顔を向ける。
「瘉ちゃんに言ったことが全部だよ……買い物に出かけようとしたら、目の前でごみ捨て場から、急に火があがったんだ」
「人影は?」
「見てないねぇ……これでも、まだ目はいい方でね。見えなかった、というわけじゃあないよ」
「そうですか……では、あなたが買い物に出かけた時間を、なるべく詳しく教えていただけますか」
「時間かい……?」
不思議そうに繰り返す老婆だが、その疑問には答えない。その様子に満は肩を落とすが、すぐに老婆は悩むように頭をひねった。
「そうだねぇ……いつも楽しみにしているテレビが、五時に終わるんだよ。それから出かける準備をして……いつも三十分、私は準備に時間をかけるんだ」
「つまり、家を出たのは五時半、ということですか?」
「ああ、そうだね」
誉は、じっとその場に立ち尽くした。
瞬きが減り、足元を見続ける。
話をしなくなった誉に代わり、花形がうまく話を持って行った。「そういえば、今日は編み物教えに言ってたんでしょうー?」から始まり、「今日は何食べるのー?」まで話している。
老婆は気持ちよさそうににこにこ笑いながら話しているのだが、一方で花形は質問する以外はずっと相槌をうつばかりだ。聞き上手もここまで来ると恐ろしい。
しばらくして、誉は急に顔をあげると、次の瞬間には頭を下げていた。
その姿に唖然とするも、すぐに満も同じように頭を下げる。
「……もう、聞きたいことはないかい?」
「はい、ありがとございました」
頭をあげ、もう一度だけ、小さく頭を下げる。
そしてさっさと敷地から出て行ってしまう誉と、そのあとを慌てて追いかけていく満を見て、花形はくすくすと笑い声をあげた。
二人の後ろ姿を見つめる老婆も気分を悪くした様子もなく、孫を見るような表情を浮かべている。
「瘉ちゃんは、面白い友達がいるんだねぇ」
「そうでしょう?」
門を出ると、誉はごみ捨て場の前に立っていた。その隣に並んでも、こちらを見ることもない。
満も目線をごみ捨て場に向けた。
わずかに地面が焦げているが、もともと下はコンクリートでできているため公園の遊具のように使用不可になるわけでもない。
すでに燃えるごみは捨てられていたが、流石に雑誌や新聞紙などのごみは捨てられていなかった。
「解けたのか」
端的に、満はそう述べた。
「いや、これはあくまで僕の想像だ」
「そういえば、さっき言ってたな」
「ああ」
深く、ゆっくりと頷いた誉は、そこでやっと満を目に映した。
「今の状態は僕の想像でしかない……これを僕の推理に格上げするためには、次に必要なのは証拠だ。さあ、明日も動くぞ」
◆◆◆◇
黎明ビルは今でもそこに残っている。
奏楽智が転落した場所には花が添えられており、いくつかの花はしおれ、いくつかは瑞々しく風に揺れている。
二人はその花を見つめた。
先に誉が視線を逸らし、ビルへと向かっていく。満はそれよりもわずかに遅れ、苦しそうに目を閉じてから、誉の後ろをついていった。
『立ち入り禁止』と書かれた錆びれた鉄板を無視して、汚い鎖を乗り越え、そのまま非常階段を上っていく。今回は急ぐ必要もない為、その足音はごく小さい。
五階まで登り終えた二人は、階段から下を覗き込んだ。
ちょうど、そこには色とりどりの花が見える。転落場所に添えられた献花だ。
「人の重心は、へその下あたりだと言われている」
唐突に、誉は切り出した。
「この手すりは、僕の胸あたり……転落死した奏楽智の身長は僕とそれほどかわりないから、重心の位置だってそうだろう」
「でかい俺でも、その点で言えば重心は手すりより下だ」
「ああ……事故死の場合、この手すりに寄りかかっていたが後ろに体重がかかりすぎたという可能性が考えられる……が、人は、重心より高い位置を軸にして、バランスを崩すことはないんだ」
重心というものがある。
その点を中心にすると双方のバランスが取れる部分だ。天秤の柱とでも思えばいい。
もちろんそれは人の体にも存在しており、へその下あたりがその重心だと言われている。重心からズレるほど、ズレた方とは反対に傾くのだ。
今回の場合、手すりの位置は二人の胸あたりで、へそからは程遠い。つまり、重心の位置よりも、手すりは頭の方に近いのだ。
この位置に重心があるとき、仮に強く手すりにぶつかってバランスを崩すことがあったとしても、体が投げ出され、非常階段から落ちてしまうことは絶対にありえない。
「つまり、自分から飛び降りたか、誰かに落とされたか、ってことか」
「ああ。転落死には自殺、事故、事件の三つの可能性があるが、事故の可能性は極めて低いということだ」
二人が女性の悲鳴を聞いてから駆けつける間にわずかなタイムラグはあったが、周囲には男子生徒以外に落ちている不自然なものはなかったはずだ。
もし事故だというのなら、大切なものが落ちそうになった、あるいは風に飛ばされそうになって慌てて取ろうとしたなどの要因で、彼自身が手すりから身を乗り出す仕草が必要になる。
絶対にないとは言えないが、もし事故というのなら、彼にとって手すりよりを乗り越えるだけの大切な何かが周囲に落ちているはずなのだ。
もっとも、紙切れ一枚というのなら、風に吹かれて見えなかったかもしれない。
「満、ドアを開けてくれ」
満は言うとおり、非常口の扉を開けた。
転落時と同じように、鍵はかかっていないのかすんなりと扉が開く。警察がカギを閉じたものだと思っていたため首をひねるが、そこで鍵が壊れていることに気付いた満は納得したようにうなずいた。
建物の中からひんやりとした空気が抜けていく。
転落時にここに飛び込んだときは興奮していたため気付かなかったが、ここまでひんやりとした空気は、満の背筋を震わせるには十分だった。
長い廊下の左右には扉が並び、その扉の前には、荷物が前と同じように積み重なっている。
「おい、この扉全部、開けてみてくれ」
「建物の中なんだから、自分で開けろよ」
「こんな埃の被ったドアノブなんか触れるか」
ポケットに手を入れ、抜く気配のない誉にため息をつく。
確かに、普段は手袋をはめていればいくつかのドアノブは触れるが、その手袋はごみ箱に直行だ。安物のゴム手袋とはいえ、無駄遣いはよくない。
自分がいるときくらいは節約しようと、満は駆け出す。
右に四つ、左に三つの扉があり、満は一つ一つのドアノブを回していく。
そのうち二つには鍵がかかっており、残りの五つの扉には鍵がかかっていなかった。しかし、鍵がかかっていない部屋の扉は僅かに開くものの、前に置かれた荷物が邪魔をして、人が通れるほどには扉は開かない。
無理やりに力を込めれば開くとは思うが、ずっしりと重い荷物はズリズリと地面をこすり、埃を寄せていく。荷物が引きずられた場所は妙に綺麗だ。
「もういいぞ」
誉の静止に、満はドアノブから手を放した。
埃が被ったドアノブを握りしめていたためか、手がざらざらしている。鼻に近づけてみると、かなり鉄分の臭いがついてしまっていた。
眉をしかめ、鼻からフンフンと鉄くさいような気がする空気を吐き出しながら、満は手をこすり合わせた。
「で? 何の意味があったんだ」
「……僕たちが女性の悲鳴を聞いてから駆けつけるまで、十数秒のタイムラグがあった。その上、彼女に簡単に事情を聞いて、しかもここを開けるまでにはかなりの時間がかかっている。もし転落死が『事件』で犯人がいたとすれば、すでに逃げ出していた可能性もある。今、行ったことは、どこかの部屋に隠れていた可能性を潰すための作業だ」
「ああ、なるほど」
未だにどこか砂っぽい手をこすったり叩いたりしながら満は頷く。
妙に焦っていた誉は、犯人が廊下にいた可能性を潰すために扉を開けさせたのだろう。
あの時、確かに廊下を見回したが犯人の影はなかった。荷物たちは重いし扉を開ける際には邪魔をするほどだが、人が隠れられるほど量が多いわけではない。影に隠れようと思っても、小さな子供でもない限りは体がはみ出てしまうだろう。
ふと、少しだけ強い風が吹いた。
二人が視線を向けると、非常階段の出口から風が入ってきている。光が入りにくい為、扉を開けっぱなしにしていたのだ。
誉が面倒くさそうに閉めに行く。
意外だなと思ったが、彼は手を使わず足で器用に扉を閉めていた。行儀は悪いが、扉はしっかりと閉まる。
このまま下まで行くのだろうと、背を向け歩き出した満は、自分以外の足音が聞こえないことに目を瞬かせて振り向いた。
誉は、閉まった扉――――というよりは、廊下の隅をじっと見つめている。
「……誉?」
「……ああ。今いく」
動かない誉に声をかけると、数秒間を開けてから誉が返事をした。
そのまま何事もなかったように廊下を歩き、満を追い越していく。
「とりあえず、犯人と僕たちがすれ違わなかったのだから、建物の中の階段を降りて外に逃げたと考えるべきだ。その逃走経路を見つけてみよう」
「ん、ああ」
何も変わりない誉の声に、満は一度だけ振り返り、彼が見つめていた廊下の隅に視線を投げる。しかし、その目を無理やり、前に向けなおした。
二人は廊下の突き当たりを左に曲がり、階段を降りていく。
四階、三階、二階も確認するが、その様子は五階と特に変わりなかった。厚い埃が妙に薄くなっているところも見られない。
正面玄関の前には乱雑にソファーなどが置かれ、乗り越えていけても扉は開きそうになかった。職員たちが使うような裏口に向かったが、その扉は鍵が閉まっていて、ご丁寧に鎖もまかれている。南京錠の状態から、つい先日の転落死を原因につけられたわけではないだろう。
正規の出入り口がないため、二人は抜け道を探すことにした。窓を開たか、あるいは割って外に出て行ったのだろう。
探してみると、その『痕跡』はすぐに発見できた。
応接室の窓の下枠部分には茶色の埃が溜まっているが、それが靴跡の形で綺麗になっている。
一足分なら奏楽智が中に入った靴跡とも思えるが、それが何度も出入りしている靴跡だった。とはいえ、下見の可能性も捨てきれないため、決めつけはできない。
「ふむ、無理だな」
「何が? 犯人がここから逃走したことが?」
「いや。僕がここから出ることが、だ。二階の非常階段から出る」
「ああ、そう……」
埃だらけの窓と、雑草が生い茂った外に真顔で呟いた誉は、返事を聞くこともなく部屋を出ていく。満も逡巡したものの、わざわざ汚れる必要もないだろうと後を追った。
「なあ、誉」
「なんだ」
「俺たち、放火について調べてたのに、なんでここに来たんだ」
「お前、それは本気で言っているのか?」
呆れたように振り返った誉は、片眉をあげ、心底面倒くさそうにため息までついている。
「三件目の、ごみ捨て場での放火と、ここでの転落死……ほぼ同じ時刻で発生し、その犯人と被害者が黎明高校の生徒だったこの二つは、容易に結びつく。あとはそれを、どう切り崩すかだ」
「……この場合、仁江の『アリバイ』ってことか?」
「そうなるな」
「じゃあここに来たのって……仁江が、奏楽智を突き落した証拠を集めに?」
「……間違いではないな」
「マジかよ……」
予想以上のことに、満はうめいた。
非常にどうかとは思うが、転落時のことも含め、人の死にはそれなりに耐性ができているとは思う。だが、実はクラスメイトが殺していたとは考えたくなかった。
そんな満は放っておき、誉は二階へ続く階段をどんどん上っていく。
「だが、まだ証拠が不十分だ」
「……証拠」
「早くしろ。お前には最後のピースをかき集めてもらうぞ」




