第6話
あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
仁江颯介は、誉や満と同じクラスに所属する生徒だ。
休み時間はじっと一人で本を読んで過ごすような、大人しい生徒。成績は文系に限って言えば上位だが、理数系は苦手なようだった。基本的に声を荒げることはなく、行事の際には女子側と男子側という対立に加わらず、困ったように笑うような。
仁江家は至って平凡な家庭だ。優良企業に勤める父親と、同僚だったが寿退社した母親、そして最近は少しだけ反抗期気味の妹に囲まれて暮らしていた。兄妹喧嘩はまあまああったが、冷蔵庫のプリンを勝手に食べただとか、先にお風呂に入ったとか、見たいテレビのチャンネル争いだとか、基本的にはそういったかわいいものだ。
親との関係も良好で、成績について口うるさく言われることもなく、それでも、大学について真剣に話し合うような幸せな家庭といえるだろう。
少なくとも、例えば厳しい親との関係が悪く不満を抱えているとか、修復不可能なくらい兄妹の仲が悪いだとか、そういったことを聞かない生徒だ。
ついでに言えば、クラスの立ち位置からしても、彼がなんらかの不満を持っていたとは考えにくい。それは彼と同じクラスに所属する誉も満も同意見だ。
クラスで虐めが起きていたとも考えられない。さすがに、クラス内でそんなことが起きていれば二人のうちどちらかは気付いていただろう。
「不起訴?」
放火犯の発見から十日ほどが経った土曜日。
特にすることもなかった満は、誉の部屋の隅、自分専用の座椅子に座ってのんびりと過ごしていた。持ち込んだミステリー小説は佳境を迎え、すでに犯人と探偵が対面している。
そこでふと、今朝方に花形から届いていたメールのことを口にすると、誉は怪訝そうに眉を寄せた。小説から顔をあげた満は、自分の携帯電話をポケットから取り出し、メールボックスを開く。
「えーっと、どうも警察が働きかけてるみたい。今までの放火は小さな規模だったし、新聞紙の時に灯油を使ったのはその方がよく燃えると思ったらしいけど、あそこまで一気に燃え広がったのは、本人にとっても想定外だったんだって。どれも人が死ぬようなものじゃないし、高校二年生ってことも『未来のある子供だから』らしいよ」
「へえ……そういうのもアリなんだな」
「人的被害がなかったっていうのが一番のポイントかもね。それに、仁江は大人しくって成績も悪くない、近所付き合いもよかったみたいだし」
クラスメイトの山崎が図書館で起こしたあの一件以来、満も考えてみた。
放火魔の犯人として補導された仁江颯介は、満のなかでは真面目な部類に入る。おそらく、満や鳳とは全くタイプが違うのだ。感情を高ぶらせることはなかったし、バカ騒ぎする姿も見たことがない。
似ているというなら、鳳よりも温厚な八良の方がより『近い』。彼もいつもにこやかに笑って、本当の感情を表には出さないタイプだ。
その点で言えば、仁江が放火していたことも納得できなくもない。
学校内、あるいは家庭内で特別何か問題があったということが、決して犯罪の動機にならないことは古今の犯罪事情から理解できる。
なんとなくだとか、誰でもよかったとか――そうであるなら、普段、感情を抑え込んでいた仁江が憂さ晴らしのために放火していたとしてもおかしくない。
それこそ、山崎が万引きをしたり、本を破こうとしたように。
けれど納得ができるゆえに、満はため息をついた。肩も自然と下がる。
どうも不甲斐なかった。
クラス内で優等生といわれる二人が、普段の憂さ晴らしをするために犯罪に手を染めていた。
そのことに……あえて言うのなら、何かの負担を抱えていたと気付けなかったことに、満はやるせない気持ちになる。
体を重くさせるその感情がとんだ勘違いだっとしても、それでも『探偵』なんて冗談でも口にした身だ。
「それで、仁江はどこで放火して見つかったんだ」
勝手に落ち込んでブルーになっている満に、何か考え込んでいた誉は少しだけ鋭い声をかけた。
右手で顎に触れている誉は、じっと自らの足を見つめている。
「ん、川原だったらしいよ……なんでも橋の下で、火を起こしてたんだって。巡回中の警察官が、煙に気付いて現行犯逮捕したみたい」
「橋の下……」
ぽつりと、心のこもっていない声で呟かれた言葉に満は首を傾げる。
すると、足元を見つめたままだった誉も、同じ方向に首を傾げた。その行動の一致は偶然ではあったのだが、満は眉を寄せる。
誉の表情は基本的には無表情だ。
あとは大半、不機嫌そうに眉をしかめている。潔癖症の彼は、目に見えるすべてが穢れているように感じると聞いたことがある。目に見えない空気すらも嫌悪するのだから、多分世の中のすべてが彼にとっては忌避する要素だ。
生きているだけで不機嫌にもなる。
無表情でいることにもそれなりに理由はあるのだが、それに関して、満はなるべく思い出さないようにしていた。その話を聞いたからこそ、彼に『探偵』を勧めたものだが、あまり心地よい話でもない。
だが、今の誉はそのどちらとも違った。
表情がないという点では無表情ともいえるのだが、それとは何かが違う。あえていうのなら、感情が抜け落ちた顔。
そして、三度、瞬きをした誉は鼻から長い息を吐いた。
体を弛緩させて、座っていた椅子に身を預ける。
何やら勝手に彼の中で完結されたようで、満はつい口にしていた。
「どうして仁江は、放火なんかしたんだろうな」
「警察が答えを出すだろうさ」
「そうだけど……大人って、勝手に解釈するだろう。もし仁江が、居心地悪くなっちゃったら困るだろ」
「お前はお節介だな」
呆れたように、面倒くさそうに目を細めた誉は、そこで口を閉じだ。その先に言葉が続かない。
その態度に、満はもう一度、声をかけた。
「でも、俺はあいつが放火をした本当の理由がわからない」
もし後々にこのときのことを反省するのなら、満は苦々しく顔をしかめることだろう。
その時、あくまでも動機について言及していた満は、間違いなく、自分の罪悪感によって口を開いていた。
近所で噂されている『犯行動機』は、同じクラスメイトとして気付いてやれなかったことを後悔させる。もし、捜査によって他の動機がわかれば、あるいは、この伸し掛かってくる嫌な感情から抜け出せるかもしれない。
そんな邪な思いは、確かに満の中に在った。
「ふむ……」
手を組み、腹の上に乗せた誉は天井を見上げた。
一点だけを見つめる誉は、コリを解すかのように、ゆっくりと首を回した。
「では、お前がそんなに気になるというのなら、彼がどうして放火をしたのか、推理してみようか」
◆◆◇◆
休みが明けた月曜日、安直に言えば、誉と満はクラスメイト全員に聞き込みをしていた。
もちろん、それは聞き込みと悟られないように、それとなく会話を誘導した結果だ。鳳は「あー、仁江? そういえば逮捕されたんだってな。いつかやると思ってたぜ」とテレビに出てくるような典型的なコメントだったし、八良には「真面目な彼が放火なんて、考えられないよね」とこれまた使い古されたコメントを返された。
特に期待していたわけではないが、時間の無駄だったとしか言えない。
結局、聞き込みをしてもいい情報は得られなかった。
かつて満は、誉に警察にとって一番重要なのは『足』と言われたことがある。クラス全員に聞き込みをしても、いい情報は得られない。ましてこれが町の住人規模となれば、確かに『足で稼ぐ』という表現があっている。営業の言葉だろうが、本質は同じだ。
「ああー、だめだ、全然わかんない」
「まあ、所詮はこんなものだろうな」
「諦めよすぎだろ……」
ペットボトルの水を仰いでいた満は、階段に腰かけながらぐったりと項垂れた。床に直接座り込む姿に誉が嫌そうに口を引きつらせているが、それを気にしている余裕はない。
なにせ本当に情報が得られないのだ。
巧みに情報を抜き出そうと会話を誘導していたのは、実質、誉だけだ。満はその隣で相槌をうったり、時には適当な情報を率先して流し、その後の会話を誘発しようとしたけれど、その程度のことだ。
だから満よりも誉の方が疲れているはずだし、この程度で根を上げるのはどうかと本人も思うのだが、けれど、それでも精神的な疲れは肉体も重たくする。
まず二人が気になったのは、本当に彼には大きな『問題』がなかったのか、ということである。言い換えるなら、『悩み』がなかったのか。
普段からため込んでいた鬱憤はその『悩み』ではないのかと問われれば頭を悩ませるが、他に何かしらの要因がなかったとも限らない。
ところがこの聞き込みには、すべての生徒が「ないだろう」と答えた。
あくまで人当たりの良かった仁江は、やはり多くの生徒が『大人しく、いつも苦笑している優等生』という評価らしく、その影に何か問題があったとは考えられないらしい。
それについては満も同じ評価を下していたので文句はない。
だが、本当に何も問題がなかった。
思い返してみれば、仁江が一番仲良くしていた生徒は誰だという問いに、誰も答えられないのだ。そうなると、彼のプライベートや密な会話の内容など誰も知らない。
頭を抱えた満は、持っていたペットボトルを揺らした。
中で不安定に水が荒れている。
「そもそも、どうして放火だったんだろうな」
「……どういう意味だ?」
相変わらず壁にも手すりにも触れず、背筋を伸ばしたまま直立していた誉は不思議そうに目を向けた。
「いやさ、他のことでもよかったんじゃないか、って思うんだよ。ほら、山崎が万引きとか、本破こうとしてただろ」
「ああ」
「放火みたいに、一歩間違えれば誰かが死ぬような危険なことじゃなくて、こういっちゃアレだけど、万引きでもよかったんじゃないかと思うんだ」
「万引きを馬鹿にするな。所詮は窃盗罪……本一冊が盗まれたら、その書店ではその月にどれくらい売らなければ元が取れなくなると思ってるんだ」
「いやいや、万引きを軽く見てるわけじゃないよ。本一冊、ペン一本、安いものでも盗まれれば、店はその分を取り戻すために大変っていうのはわかってるんだけど……でも、人は死なない。でも、放火は、それこそ三件目なんかは、放っておけば家屋に引火したかもしれない」
言わんとしていることを理解したのか、誉は満から目をそらした。
考えてみれば不思議である。
憂さ晴らしの方法なんてたくさんある。ゲームセンターに入り浸ったり、酒やタバコの類は優等生の彼は忌避したのかもしれないが、放火というのはいささか逸脱している。
万引きの方がまだ、憂さ晴らしといわれて納得できるというものだ。
放火魔の特徴として、誉が『性癖』と称したように、確かに炎を見ることが好きという輩もいるらしいことは、満も調べて知っている。
仁江颯介がその類ではないという保証はない。むしろ今の状況から考えれば、わざわざ放火を選んだのにはそういった理由があったとしてもなんら不思議ではないのだ。
優等生で誰にでも優しい仁江が、誰かを害する可能性があった放火をわざわざ選ぶなど――という一方で、そうした八方美人の性格に不満があって、憂さ晴らしのために放火を選んだとも考えられる。
結局、考えれば考えるほど穴にハマりそうで、満の気分は先ほどから落ちたままだ。
落ち込んでいる満を横目で見ていた誉は、腕を組みながら、右手の指先で左二の腕を数回叩く。
「なら、やめるか」
「え?」
「別に僕たちが調べる必要なんてないだろう。前から言っているが、事件の調査は警察の仕事だ。僕たちがでしゃばる必要なんてどこにもない」
その言葉に、満の心が揺れたのがわかった。
前に『事件』を解決できたのは、聞き込み――というよりは証拠と犯人が明確だったから、と誉は言っていた。今回とは前提が違う。
しかし、満は歯を食いしばると、意識をして体に力を入れ、立ち上がった。
「いや、調べよう」
もしかすると、ため息をつく誉は調査を続けたくないのかもしれないが、言い出したのは満だ。ここでやめたいというのは、男として少し恥ずかしい。
階段を降り、聞き込みを再開しようとしたところで――――二人は階段を上ってくる足音を聞いた。
示し合わせたように顔を見合わせた二人は、視線を階段に向ける。
四階から五階に続くこの階段は、お昼休みに人が通ることは少ない。五階には美術室や音楽室など、特別教室と言われる部屋しかないからだ。
そろそろこの小説も折り返し地点までやってきました。
完結まで駆け抜けたいと思います。




