第4話
ダムダムと独特の音が響き、ボールがバウンドするたびに地面が揺れているのがわかる。
壁際に陣取り動く様子のない数人の男子は、こそこそと何かを話している様子だった。何よりも目立っているのは、応援している生徒たちだ。妙なヤジを飛ばし、ジャージを振り回している。このどこにでもある学校の体育館を、どこぞのライブハウスと勘違いしているのだろうか。
満はしっとりと滲んできた汗を手の甲で拭いながらコートを見た。
試合中ではあるのだが、すでに味方側のゴール下には数人が群がり混雑状態に陥っている。あの中に飛び込んでもろくなことにならないだろう。
そう考えている間に、味方がボールを奪い、満へと強烈なパスを出してきた。
運動は苦手な方ではないが、残念ながら球技系は少しだけ嫌いだ。サッカーよりはましだとは思うけれど。どうも手足で自在にボールを捌く感覚がわからないのだ。
「いてっ」
掌できちんと受け止めたが、ボールの硬さに小さく呟く。
ドリブルをしてゴールに向かうが、敵側だって見逃してくれるわけではない。すぐに道を塞いでくる敵側に、満はたまらず味方へパスを出した。
楽しそうにパスを受け取ったのは鳳だ。
頭はそれほどいいとは思わないが、体力馬鹿の名前が似合う。運動神経抜群で、満とは反対に球技系ならなんでも得意と言い切るぐらいだ。
とはいうものの、その運動神経の良さはクラスの全員が知るところのため、鳳には三人のマークがついている。
バスケを習っている人間を相手にする方が楽だわ―というのは鳳の言だ。
確かに、ルールも妨害も気にしていない人間を相手にするのは大変だろう。
焦ったように顔を歪めた鳳は、華麗な手さばきでボールを飛ばした。
満や鳳と同じ色のゼッケンをつけた人間がボールの先にいる。
ボールの先にいた生徒――誉は、飛んできたボールを嫌そうに見つめ、半身をずらすことでボールを避けた。
受け取る人間のいないボールはコート外に飛び出て、相手ボールになってしまう。
ゼッケンの色が目に入ったため咄嗟にボールを放っていた鳳は、壁に当たりコロコロと転がっているバスケットボールに唖然としていたが、誉がわざと避けたことを理解した瞬間に目をひん剥いた。
「なんでとらないんだよ!」
「君たちの汗が染みこんだボールに触る気にはなれない」
「お前、本当に相変わらずだな!!」
相手ボールを追いかけ走り出した鳳は、何度も誉を指さしながら叫んでいる。
それでも気にした様子がない誉は、面倒くさそうに眉を寄せていた。
ホイッスルが鳴り、残念ながら満たちのチームの負けが決まった。
「ちくしょー!」
「鳳ィ、あとでジュースな」
「があああああ!!」
また賭けていたらしい鳳は頭を掻き毟りながら呻いていた。昨日のトランプでの賭けも負けて、彼がみんなにアイスを奢ったらしい。財布が寂しいなら賭け事をやめればいいだけの話なのだが、将来的に鳳はギャンブルにハマリそうだなぁと、バカなクラスメイトを心配してしまう。
直接的には関係ないかもしれないが、それでも敗北の一因になっている可能性が高い誉は、乱雑にゼッケンを脱ぎ捨てて、すでにコートを出ている。
満も同じようにゼッケンを脱ぎ、次の試合が始まるメンバーに渡して誉の後を追った。
壁際に立っている誉は、直立不動だ。背中は壁についていない。
壁も床も汚いと思っている誉なら、壁に背中をつけて身をあずけることも、床に座ることもよしとしないだろう。
どうせ動いていないので、疲れていないのだからそれでも平気なのだ。
隣に並び、背中を壁につけた満はパタパタと胸元のジャージをあおいだ。
まだ五月だが、運動をした分、体は火照っている。
むっと顔を歪ませたのを目ざとく見つけ、満は誉から一歩分だけ離れた。
「昨日の放火の話、ちょっとクラスメイトに聞いてみたんだ」
「そうか。確か、ごみ捨て場だったらしいな」
「燃えたのは、まとめられた新聞紙の束だとさ。周りには灯油が撒かれてたらしくて、今まで発生している二件よりも火は大きかったらしいよ」
「……規模が大きくなったのか」
顎に手を当て考え込んだ誉に、満も少し考えてみる。
今日、朝からせっせと情報を集めてみた結果が先ほどの報告だ。
現場は誉の家の近くにあるごみ捨て場。曜日を無視して出された新聞紙の束に、引火したらいい。灯油が撒かれていたようで火は一気に燃え広がり、煙と火に驚いた住民が通報したそうだ。
今までの規模とは全く違う。そもそも灯油が撒かれていた時点で、前よりも火を大きくしようとしていたのだろう。
そう考えると、誉が言っていた『目立ちたがり屋』という評価も間違いではないのかもしれない。
今までの火が小さかったのは犯人にとっても想定外だったのではないだろうか。
そこまで考えた満は、うーんと唸りながら首を傾げた。
これでも誉からいろいろ教えてもらっている身で、この考えに大きな矛盾はないように感じる。
だが、誉にはまた別の言葉も教えられていた。
すなわち、セオリー通りに考えても、決めつけるな。
異常犯罪なんてものは滅多に起きるものではないが、かといって決めつけてしまうことはよくない。視野は広く持たなければどこかで間違える、と言っていた。
だが、視野を広くといわれても、現状では満にはこれ以上の答えは出せなかった。
誉なら、また別の考えがあるのかもしれない。
そこで満は、情報を整理することも、放火魔について考えることも止めた。
考えても出てこないものは仕方がないし、そもそも考えるのは誉の仕事であって、潔癖症である彼のために手足となって奴隷のごとく動くのが満の仕事だ。
自分でそう考えながら、奴隷かぁと落ち込む。
二人の間に漂う沈黙を払うように、授業終了を知らせる鐘が鳴った。
「誉、ちょっと飲み物買っていいか?」
「構わない」
そのまま体育館を出て、二人は外に設置されている自動販売機へと向かった。
はじめから買う気だった満はポケットから財布を取り出して、小銭を漁る。
その様子を腕を組み、ぼんやりと見つめていた誉は呆れたように口を開いた。
「お前、よく外に設置された自販機から帰るな……暖かな自販機にはたくさんの」
「あ、なんとなく先がわかったから言わなくていいから。さすがに俺も気持ち悪くなる」
手をだし『待った』をかけた満に、誉も口をつぐむ。
阿吽の呼吸なんて高尚なものではなく、ただ単に勘である。
「相変わらずだねぇ」
響く声に、取り出し口に手を差し入れていた満は、曲げていた腰を伸ばした。
誉は面倒そうに目を淀ませている。
べたべたと人へのボディータッチが多い彼女の相手をするのは、人に触れられると発狂しかねない誉からすれば神経をすり減らすのだろう。
満も時と場合によってはかなり疲れるので、わからなくもない。
「やほー、君たちの情報屋がやってきてやったぜぇ」
「機嫌よさそうだな、花形」
「イエルちゃんと呼んでくれてもいいよ。かなりのどきゅんネームだから、ハンドルネームみたいでかっこいいじゃん」
「自分の名前をそこまで格好よく卑下できるの、花形くらいだな」
思わず苦笑して、満は少女を見た。
自称情報屋、花形瘉。
誉や満と同じ学年で、隣のクラス。中学生の時からの知り合いで、こうして事件や事故が起きると集めてきた情報と教えてくれる。よくある対価は彼女には必要がない。『楽しませてくれる間は無償だよ』と言われたが、タダより怖いものはないぞという誉の言葉には満も深く同意できる。
彼女はそれほど目立つタイプではない。
肩甲骨まで伸びた髪は黒く、日の光を浴びれば少しだけ茶色に見える程度だ。白いシュシュでポニーテールにしているその後ろ姿は、ぴょこんぴょこんと髪を揺らしながら歩くのも相まって馬のようだと満は常々思っている。
小柄な彼女の身長は満の胸よりも低い。誉は満よりも低いが、それでも誉の顎よりは下に彼女の頭はある。コンプレックスなのかと思っていたが、つい最近、「この身長はチャームポイントだよ」と言われたため、満の彼女に対する評価は『根っからのポジティブ』だ。
だからか、目立つ容姿ではない彼女には友達が多い。しかも、一番の友人というより、五番目、六番目に仲がいいと思われているくらいの友人。
率先して彼女を遊びに誘ったりはしないけれど、人数合わせの時には彼女の名前がふと出てくる、それくらいの立ち位置をキープしているのが彼女だ。
だからこそ、こうして町で事件が起きた時に彼女の行動は迅速だ。
彼女の『友人』に会いに行き、虱潰しに情報を集めに行く。
彼女の友人の多さから考えれば、必ず誰かは情報に詳しい人間がいるはずだ。
「それで、何の用だ」
「冷たいなぁ。どうも二人が、最近騒がれている放火のこと気にしているみたいだしさ、情報流してあげようかなーって思ったのにさぁ」
「それは満に聞いたぞ」
「ふーん? ひとりでに火がついた、って話も?」
「……どういうことだ?」
組んでいた腕に力を入れ、身を固くさせた誉に花形はうふふと笑いかける。
そういう態度が誉の機嫌を落とすのだが、今回に至っては話題が話題だからか、誉の意識は逸れない。
「第一発見者、実は私の知り合いのばあちゃんなんだよねぇ。その人、放火が起きたごみ捨て場の近くに住んでいて、たまたま買い物に出かけたんだって。それで道を歩いていたら、ごみ捨て場から急に火が上がったって。ボッって燃えたらしいよ。本当に急だったからびっくりしたって言ってた。おばあちゃん、すぐに動けないし叫んでも声が届かなかったらしくって、とにかく近所のピンポン押しまくって、どうにか消火したらしいよぉ」
「なるほど……細工をしたのか」
「あとー、昨日の転落事故の話ね」
「そっちは警察の分野だろう」
「そんなことはないよー。今度は私の友達の話」
「とんでもない情報網だな」
「井戸端会議をするのはおばちゃんだけじゃないんだぜー」
もたらされる情報に、眉間を揉みながら誉は続きを促した。
笑いながら人差し指を下唇にあて、思い出すように花形は顎をわずかにあげた。
「昨日飛び降りた子、どうやら四組の奏楽智らしいよ」
「はやいな……」
「学校側は急なことで、どうしようってなってるみたい。連絡来たのもついさっきらしいし。顔が潰れていたから、身元が判明しにくかったのかもぉ」
「身分証などはなかったのか? 生徒手帳くらいならあるだろう」
「なーんもなかったらしいよ」
花形は肩をすくめた。首を横に振りながら、「生徒手帳くらい、ちゃんと持てばいいのにねー」と言っているがそれ以上の感想はないらしい。
満はその様子に少しだけ違和感を覚えたが、その考えに至った時に自分も同じ状況であることを察し、唇と引き結んだ。
誉は潔癖症だ。
その症状を治すため、というのは表向きで、当時の満は少しだけハードボイルドな物語に憧れていたのだ。探偵になってみたらというアドバイスも、そういった計算が多分に含まれていたのは否定できない。
しかしそれは所詮憧れだったし、そもそもこの黎明という小さな町の中では誉が動くような、そんな都合のいい事件が起きるわけがないと思っていたのだ。
よくて迷い猫探しだとかがあって、少し汚れた場所を探すうちに克服できたらなと考えていたのだ。
それが思った以上の計算外で、誉か満のどちらかがきっと強運ならぬ凶運を持っているのだと考えたのは、出会ってから少しして、殺人事件に関わってしまった時だった。
あの時の衝撃は今でも覚えているし、眠れなかったし、食事も喉を通らなかったし、満はストレスからなのか学校を三日ほど休んだくらいだ。
慣れた、とは言えないだろう。
落下してきたあの生徒――奏楽智の遺体を見たときに感じた、地球が壊れる感覚は、やはり人の死に触れた時の衝撃なのだ。
その感覚に『あてられた』のは間違いない。
けれど、中学時代のように数日も引きずることはない。
それはたぶん、誉も同じだ。遺体は見ていないが、そういったことに同じように関わってきた花形も、思っている以上に冷静だ。
他の生徒はきっと不安でいっぱいなのだろうが。
案外、慣れてきてしまっているのかもしれない。
そういえる現状に、満は胃の中にどすん、と何かが落ちてきたような錯覚を覚えた。




