復活編6-3<案ずるより死ぬが易し>
余りいい気分じゃなかった。
それは復讐に対するものとかそんな大層な人間規格の感覚じゃない。
もっと単純な、獣が獲物を仕留め損ねる程度の動物規格。
手応えは確かにあった。
白い微光を放つアクシオンには確かに光を遮るように赤い液体が小縁付いている。
だが、目の前に立つ死神は倒れていなかった。
時間が止まろうが、黎明の鴉羽衣を纏おうが、不意打ちだろうが、純粋な死神を殺せるのは、恐らく同じく純粋な死神だけなのだ。
中途半端な僕では腕一本もぎ取って終わりだった。
跳ねた左腕が落ちるよりも速く、拙い仕返しへの本物の仕返しが待っていた。
視界の奥で無数の赤い刃物が宙を舞っている。
その光景に僕は絶望した。
赤羽は笑っていた。
脳天に振り落とされた赤い大鎌が僕に触れることはなく、空を切る。
爆音とほぼ同時に僕は後方に吹き飛ばされ、いつの日か蹴り飛ばしたフェンスにぶち当たった。
ゴロゴロと地面を転がりながら、腹部に激痛が走るのをなんとか感じ取る。
黒色に銀の装飾が施されたステッキが脇腹を貫いていた。
何の因果か菊理に刺されたとこと全く同じ場所を抉られていた。
痛みをもって思い知る無力。
爆散した煙の奥に人形のように転がる二人の影から眼を背けることはできなかった。
そんなことは許されないと思った。
ああ、これが現実だ。
一体これで何度目だ。
僕は何回救われれば、何人踏み台にすれば、次に進めるんだ。
「最後の最後で自らの命を顧みず、主を刺すことで僅かな延命。泣けてくるぜ」
わざわざ僕と速度を合わせてくれたのか、赤羽の言葉と動作は五感で追える程度の速度になった。
「雑魚にしかできない最高の演出だったな。ガキの学芸会に似た感動だ」
ゆっくりと近づいてきた赤羽の足跡を辿る血痕は、赤羽自身の出血よりも鎌から滴る方が多かった。
所詮はその程度だった。
玄川や菊理が作ってくれた隙を突いて浴びせた一太刀とて、赤羽が今まで裂いてきたものには遠く及びはしない。
人間辞めたって僕一人じゃ神殺しなんかできないのだ。
学校辞めたってネトゲの世界ランカーにすら成れないのと大して変わらない。
飛んだ妄想で大言壮語も甚だしい。
「少年」
せっかく玄川のくれた猶予も無駄にして、赤羽の白いグローブに黎明の鴉羽衣の襟を引き上げられる。
転がる赤羽の収穫機を見て僕が必至にアクシオンを握っているのが馬鹿らしく感じた。
「君には世界を変えてもらう」
長身の赤羽の腕が僕の身体を彼の目線より上に掲げる。
すると同時に自然と赤羽のフードが下がり、完全に目が合った。
何もかにもが正反対だった。
女と間違えられる性倒錯的な僕が羨む理想像のような、短髪の似合う男らしい顔立ち。
赤髪やら左耳に付けられた赤い宝石のピアスやら、何からなにまで癪に障った。
そして一番腹が立ったのは、今この瞬間を全力で楽しんでいるかのような、死神のくせに活力のある黒い瞳。
「君の記憶操作を使えば我々光照死星の描く最高の世界が作れるんだ」
どうでもいい。
「まあ、いいさ。君の意見なんか聞いてないしね」
仲間を犠牲にしてまで守る自尊心や張る意地なんて存在しない。
わざわざこんな舞台を用意してくれた二人の思いを踏み躙ってしまった。
既にバッドエンドを見ている僕はプレイヤーとしての人間を辞めたんだ。
だからどうでもいい。僕の命とか記憶とか。
「力は俺がくれてやる。さあ強く望め、かつての記憶を!」
どうでもいい。もうどうでもいい。
コイツさえ殺せれば!
「怜悧ッ!」
それは、いじめられている友達を救うために自分で立ち向かったが、それも虚しく返り討ちにされたから、仕方なく教師にチクるような気分だった。
そんな屈辱に力の限り唇を噛んだ。
掲げたアクシオンに光が凝集する。
辺りに冷気と灰と煤が立ち込め、霧になる。
(だから、吾を殺せと言ったのに……)
愕然とする赤羽の顔は実に絵になった。
まるで教師にいじめの主犯だとバレた優等生みたいな面だった。
だがこの面にざまぁみろと言ってやれる程僕も子供ではなかった。
復讐に取り憑かれている時点で、大人ではないかもしれないけど。
「黒死舞踏……君がなんでそこに居る!? 何故僕の中に居ない?」
怜悧がこの場に居る時点で、玄川はここまで想定していたわけだ。
悔しいよ、悔しい。
ここまでお膳立てしてもらって僕が失敗することが想定内だなんて屈辱だけど、それが事実だ。
それを受け入れるくらいの器量は僕にだってある。
赤羽は焦燥に駆られ、黎明の鴉羽衣から手を外して転がった収穫機を拾い上げる。
そのまま加速させて僕目掛けて振り抜く。
「吾が主君の恨みを買ったことを冥府の果てで悔い続けろ」
赤羽の収穫機はいとも容易く吹き飛んだ。
「あの時……あの悪魔かっ!」
今更玄川を睨んだところでもう遅い。
アクシオンが赤羽の首筋に刃を宛行われた。
それが、天使だろうと悪魔だろうと死神だろうとなんだっていい。
それでも今の僕は、自殺する勇気よりも、誰かに助けを請う勇気を讃える。
それが僕ら弱者がゴールに辿り着く為に取れる惨めで醜い、最悪で最強の選択肢だ。
身体の内側から溢れ出てくる血の味を怜悧に身体を貸した今はもう感じることはできない。
殺す苦しみも死にかけた痛みも全部肩代わりさせる自分の不甲斐なさが悔しくて悔しくて、視界が揺らぐ。
どれだけ強く噛みしめても実体のない唇からは痛みを感じられなかった。
(怜悧、頼む。そいつを……殺してくれ)
「……任せろ」
神を呪いつつ、僕はそう願った。
極限まで研ぎ澄まされた感覚は怜悧の振るうアクシオンを捉えた。
惜しくも白い閃光は赤羽の鼻を掠めただけだった。
赤羽は仰け反るようにして躱してそのまま気障にバク転して距離を取ってから左腕で収穫機を拾い直す。
「大義名分をこの身一つで得られるのなら安い物だな。ルネサンスの始まりを歓迎しよう」
焦りは諦めに変わったのか何かを覚悟したように赤羽は言った。
「死神の癖に命より価値あるものを語るか。ふふふ……死神儀礼を破るだけはある」
怜悧の余裕は一瞬で結果となって像を結ぶ。
一瞬だった。
寧ろ時間そのものが止まっていたようにも感じた。
赤羽が拾い上げた収穫機を脇に構え、再度怜悧に突進しようと一歩踏み出した足は血飛沫を上げて地に落ちた。
「行動の速さに意味など無い。死に必要なのは決断の早さだ」
気づけば怜悧の足元で赤羽が横たわっていた。
怜悧が黒死舞踏と呼ばれる理由。
それはまるで踊りでも舞うように多種多様な移動方法、それを可能にする転移三式。
個体名の由来になるくらいだから死神の誰もが使えるわけでは無いとは思っていたけど、まさかここまでとは思わなかった。
「ほざけ」
赤羽は収穫機をそのまま屋上の床に突き立てるように振り下ろす。
同時、頭上に赤い光線で描かれた陣が浮かぶ。
(怜悧ッ!)
――心配ご無用だ。
アクシオンの刃に灯る光が白から橙色に変わる。
ただ、それだけだった。
黎明の鴉羽衣を纏った怜悧の身体に切り出し小刀が降り注ぐ。
その赤く光る刀身は全て怜悧をすり抜けた。
「爆炎系に限ってしまえば、陽炎を使うだけだ」
「ははは。そうだったな、でも簡単に言うなよ黒死舞踏、君が摩利支天を殺るまでに何柱の屍の山を築いたと思っている?」
怜悧の足元で爆炎が起こる。
しかし、そこにはもう赤羽の姿は無く、また少し距離を取られていた。
右手右足をもがれて尚、赤羽は笑っていた。
「今なら連続移動術式でも行けるだろ」
赤い円陣の元、赤羽は再び脇に収穫機を構えてその爆炎の中に飛び込んでくる。
今度こそ衝撃波が飛ぶ高速で鎌が交錯し、刃の光が揺れて血が飛び散る。
当事者である怜悧の内側に居ながら刃がぶつかり合う音が遅れて響いてくる。
「何にせよ。ナレは遅い」
街で無数に怜悧が振るっていた鎌とは一線を画す刃。
まるで炎のそのもののように揺らめいて、赤羽の収穫機が怜悧に触れる前に首を落とす。
跳ねた首は笑っていた。
咲夜の命も僕の死んだ心も返って来ることはない。
噴き出る鮮血は空気を生暖かく生臭く変えたが今更全く気にならなかった。
風船を割った後のような虚しさ。
唐突に、その虚無感を埋めるように身体の内側から何か強い衝動が湧いてくる。
今直ぐにこの赤羽の首を咲夜の墓の前の地面に打ちつけたい。
髪の毛の一本一本を引き抜いてしまいたい。
目玉を抉り取って踏み潰してやりたい。
コイツの血が枯れるまでナイフを全身に突き立ててやりたい。
臓物を引きずり出してやりたい。
頭の中で勝手に無数の猟奇的なシミュレーションが行われる。
止めようにも止めようという気すら起こす余裕のないほどに、次々と残虐的な行動プランが脳裏に浮かんでいく。
怜悧はにぃ、と笑ってもう一度振り上げたアクシオンに触れて消失させる。
――ここから先は人間のすることだ。
そう丁寧に前置きしてから、怜悧はわざわざ声に出して僕を諌めた。
「人間、辞めたんだろ?」
怜悧を宿した今となっては、現し世に身を留めるのはただ一つの執念だけ。
それとは関係のない感情を抱くことは許されないのだ。
その執念の派生系から生まれた憤怒や憎悪や怨恨といった感情の一つが今ここで終わろうとしている。
誰かに頼って終結させておきながら引くに引けないその未練がましい感情とは、ここで決別しなければならない。
内側から込み上げる達成感も飢餓感も全ては砂上の楼閣だった。
僕自身の真の未練はここには無いからだ。
確かに敵は撃った。
勿論そのことに後悔なんて無い。
しかし、この程度で喜ぶことは許されない。
そしてコイツを恨み続けて固執することも許されない。
一つのケジメを付けただけである。
(――あぁ)
今度こそ断ち切るべき感情を殺して、声にならない声で答えた。
壊されたから壊した。
殺されたから殺した。
プラスにはならない。
清算して0に戻したわけでもない。
失ったまま。
賠償能力を持たぬのであるならば同じ苦しみを与える他に無い。
《やられたらやりかえす》
僕の掲げる唯一絶対の悪の正義。
なぜ悪なのか。
正義が悪にあるのか。
善悪の区別は難解のようでいてその境界はとても明解だ。
正義という言葉がそれを有耶無耶にしているに過ぎない。
善とは無私無欲であり、悪とは私利私欲である。
どこにも正義が関与する余地は無い。
ヒーローが正義でなく正義の味方を名乗るのは、無私無欲の善の仮面を被るため。
動機を他人に押し付けることで得られる体裁的な善の仮面は人々を評価を変える。
僕が望む咲夜の仇討が、咲夜自身の望んだものかどうかで僕の善悪は簡単に切り替わる。
しかし咲夜を悪とすれば僕は、いや僕らはいずれにしても悪だろう。
だから、本当の善は全てに対して善でなければならない。
真の善は悪をも許す。
刑法とその制裁も善の手には無く、他人の行き過ぎた私利私欲に対する同じく私利私欲からなる法律と言う名のドス黒い鉄格子と刑罰という名の全自動照準射出の凶器でしかないのだ。
それでも善だと言うなら偽善だろうか。
それをそうと人々が認識しない理由は、自らには見えない檻とギロチンを予め罠のように仕掛けておくことで、檻に触れない自らを善とし酔い、檻を破りギロチンのサビに成る者達を自業自得であると無責任に見過ごすからであり、結局は罪悪感から逃れたいだけなのだ。
凶器を握った者はどれだけの正義を成そうと善ではなく悪にしか成りえない。
そのことは無意識下でありながら周知の事実である。
《やられたらやりかえす》
この言葉に反感を覚える人も多いことだろう。
それもまた当然のことである。
何故ならこんな考え方は悪を裁くという悪の心得なのだから。
それ故に透明な罠の内外を彷徨く復讐者や処刑人、下手をすれば刑務官や警察官からも咎人に次ぐ悪を感じとるのだ。
必要悪と受け取る者もいることだろう。
だが、僕はこの言葉はあまり好きじゃない。
何故なら必要悪を必要としている存在もまた善では無いからだ。
偽善者が必要とする悪など必要悪ではない。ただの悪だ。
悪が求める悪が秩序である社会と知りながら、それでも社会の維持に努めようという意味では、必要とする人々の悪の集積地として理解できるけれど。
それなら寧ろこの必要悪とされる存在こそ、偽善者共の悪の身代わりとなった滅私奉公の偽悪者達であろう。
偽善は悪なのかもしれない。
じゃあ偽悪は善だろうか。
字面だけ見れば悪以上に悪そうだ。
そもそも偽りは悪なのか。
優しい嘘は時折、第三者の心を大きく動かす。なんでだろうね。
いやいや、この問題は今の僕には関係なかった。
ああ、また咲夜のように止めどない思考が僕の時を止めていた。
感情を落ち着かせて、目を背けて、殺すのに思考は持ってこいだね。
僕の行為は悪そのものだ。
悪の偽善者による善行ですらない。
悪の中に善は無い。
でも正義の一つや二つくらいは有ってもいいはずだ。
復元できないのならば報復を受けてもらう。
神を呪ったその日から思い、考え、悩み、苦しんで、そう答えを出した。
死ぬ覚悟もちゃんとできていた。アイツが死ねば今度こそ死んでも良いと、校舎で怜悧に会うまでは思っていた。
でも、引き継ぐべきものがある。
ここまで悪行に手を染めても、罪から逃れるだけの死はもう受け入れられない。
禁忌を禁忌にした操影師って奴の不始末なんだ。
落とし前は付けさせてもらう。
手段は選ばない。
そんな保身は許されない。
どんな悪にでもなってやる。
――霊智。電話だ。
(あ、うん)
――今回の件、借りはあるが、アレとコレとは話が別だからな。メフィストに喰わせてやるわけにもいかんのでな。
怜悧はその少し骨ばった細い腕を赤羽の真上にだらりと伸ばす。
赤羽の身体から蒸気のような煙が怜悧の手に向かって立ち上る。
怜悧の手元で蝋のように収束した後、粘性のある液体となって怜悧の内に取り込まれていく。
電話を掛けるために、完全に赤羽の骸殻を内に取り込んだ怜悧に身体を返してもらう。
全身を纏う灰が霧散した途端、僕はその場で膝から崩れ落ちた。
(霊智ッ!)
――大丈夫。ちょっと気が抜けただけだから。
肉体的疲労は少ない。
それなのになんだろうこの不自由な感覚は。
身体が重いわけじゃない。寧ろ軽い。
ただただ全身の筋肉に力が込められない。
込めても込めても反対側から抜けていくようなそんな感覚だった。
実際血が抜けていくし著しい貧血は否めないが。
スマートフォンを取り出し、とりあえず何も考えずに、血に塗れた指だけどうにか動かして、6を九回叩く。
通話ボタンを押したところで、僕の中の全てが止まったような気がした。
(借りるぞ)
――ああ、承認。
僕の身体はもう一度白い霧に包まれる。
「もし」
『もっしー』
僕にとっては少しだけ慣れてきたはずの、怜悧が僕以外に向ける背伸びしたような声は出ていなかった。
この前と同じ元気で幼気な女性の声で返答が返って来る。
「泉界門五番を指定、収穫地東京、現地時間一八〇〇にて御霊の冷炎一つの回収を依頼する」
怜悧の取り繕った声がか細く不安定で、そんな声を聞いて気付いてしまった。
怜悧が何をここまで僕に気負っていたのか。
単純なことだった。
怜悧は僕に対する負い目として直接的な何かがあるのなら、その事実を素直に打ち明けてくれるだろう。
でも、何も聞かされていない。
何か思うところが有りつつ、それでも何も言わないというのはつまり、怜悧自身のことだ。
そう、怜悧は僕同様に疲弊しているのだ。
いいや、フィードバックに近い何かが有るのだろう。
きっとそんなのは片鱗に過ぎない。
そこから辿れる根っこのところを怜悧は僕に話したくないのだ。
確実に怜悧はまだ僕に何か隠し事をしている。
今度は全く僕には後ろめたさのない、寧ろ僕に伝えることの方が後ろめたいことのような、彼女にとって僕に言う必要のない怜悧自身の事情だ。
好奇心なんてものは今の僕には無い。
だけど、怜悧のひた隠すそれが何であるか、今少しだけわかったような気がした。




