復活編4-2<不浄な悪魔の不条理>
ピーンポーン。
朝七時前の刈谷家に響く玄関先からの呼び出し音。
「か、刈谷くんっ!」
(霊智っ!)
――ああ、玄川か。
モニターに映る長い黒髪の少女の人影を見て、僕は二人の焦燥感漂う制止を無視してインターホンの受話器を取る。
「もし――」
『柱格寵を、』
「その件だけど、何回聞いても僕の意見は……え? 今、なんて――?」
神格蝶じゃ、ない……?
轟音が空気圧を伴って耳を劈き、玄関のドアが突然吹き飛んだ。
歪んだ鉄扉がそのまま廊下を直線軌道で通過し、受話器を持ったまま廊下を覗こうとした僕の視界を覆った。
「奪いに参りました」
玄川の姿から発せられたその言葉は玄川のそれとは言い難く、気味が悪い程歯切れのいい流暢な言葉で、血の通わない声だった。
「刈谷くんっ!」
昨夜もみたような木材や埃が舞い飛ぶ中、白峰の悲鳴が聞こえたが途中で聞こえ方が変わった。
空気の振動ではなく、声や想いをそのまま直接脳が受容するような感覚に切り替わった。
「ふむ。そういうことか……霊智の言う通りだったな」
(これでも会話の不足は洞察力で補ってきたつもりだよ)
破られたドアがリビングに到達して霊智の頬を掠める寸前、怜悧の独断で神格装填された。
しかし、僕の了解を得ない霊蝶装填には神経伝達よりも短いながら、タイムラグが発生する。
「クロちゃん、血が!」
そのため、砲弾と化したドアを躱し切れなかった怜悧の白い頬に一筋の赤い液体が垂れる。
(ごめん、怜悧)
「吾の血ならば構わん。死神は骨さえ有れば問題無いからな」
(怜悧、柱格寵って?)
――ふむ。この似非天使のことだろうな。
「おい、居候、死にたくなければ早く刈谷の敷地から出ろ」
「は、はい!」
刈谷家への配慮なのか、昨夜の一戦から回復しきれていないのかはわからないが、白峰は両手を伸ばした程度の翼を背中に生やして庭から飛び立つ。
因みに怜悧も居候です。
「無駄です。纏縛を解いたのは貴方でしょう黒死舞踏」
(怜悧、どういうこと?)
――ふむ。長年、刈谷家は吾を封じていたが為に、多少のマナのブレは許容量として看過されるのだ。
(何言ってるかサッパリわかんないけど。とにかく二人共死なせないでね)
――霊智、死神に殺すなとは無理な相談だぞ。
死神が存在する時点で道理が引っ込んでいるのだから、無理に通ってもらう他ない。
(じゃあ白峰を守って玄川を救ってくれ)
玄川の瞳は翡翠色に変わり、まるで怜悧に取り憑かれた僕のようだった。
「全く、死神使いが荒くて困る」
僕もどうしてこんなことを言ったのだろう。そう思った。
(できないの?)
「フフ、見くびるなよ!」
一体僕は二人の何に対して同情しているのだろうか。
自分だけは安全な所に居ながら、怜悧をこれだけ煽り、焚きつけ、鼓舞するだけの理由があるのだろうか。
「偽造された使格蝶魂を砕かれた今、白峰菊理からは既に使徒としての価値は失われました」
「他所様の敷地に不許侵入など神と言えどもご法度! その上、素通りしようとはいい度胸じゃないか」
正面から入ってきた分、昨夜の訪問者に比べればマシではあったが、そんなことは怜悧に関係無い。
怜悧を突き動かす理由はきっと別にある。
「囮はもう用済みです」
「色即是空。生きて還れると思うなよ」
白峰がここを離れたのを見計らって怜悧は簡易結界――空色を展開する。
(いや。駄目だよ、殺しちゃ)
――わ、わかっている!
怜悧が本気で啖呵を切るなんていうのは恐らく、珍しいことだろう。
恐らく今のも玄川の気を引くためだけの挑発に過ぎない。
でも怜悧が手を抜いたのが解ったからこそ解る。
彼女はきっと言葉一つで玄川を殺せる。
「封鎖型結界ですか。死神の結界なんて聞いた試しがない。程度が知れますね」
「仮にも一度は吾を手中に収めようとしたからには、それはそれは、さぞーかし、高貴なお方なのだろうなぁ!」
怜悧にとって素性のしれない相手に対して身を隠すことは相当なストレスであった。
更にその相手が、自分を捕まえようというのだから、怜悧の自尊心は我慢の限界だったはずだ。
死神はそもそも一に暗殺、二に追撃である。
それがまさか追われることになるなんて思っても見なかったのだろう。
「其の神格寵に傷を負わせるわけにはいかないのですが」
「奇遇だな。吾も汝の寵魄を壊すわけにはいかないらしい」
「それでしたら――」
「いいや、それは無理な相談だ。吾は汝の蝶魂だけを殺すこともできるのでな」
怜悧は玄関までの長い廊下を一歩で進み、玄川の皮を被った何かを出迎える。
姿勢を低くして居合いで仕留めるつもりか収穫機を脇に構える。
「光の裁断」
玄川は人差し指の長く尖った青い爪を虚空に突き立て、ペキペキと関節から音が鳴らしながら空間を引っ掻くように引き裂いた。
そこに高速で飛び込む怜悧の眼から見れば、それはゆっくりとした挙動だった。
「フフフ、嘘八百もいいところだ」
玄川のその動きを見て怜悧は更に加速するように収穫機を振り抜く。
「貴方にだけは言われたくないです」
偽玄川の人差し指一つで世界がベリベリと音を立てて剥がれ落ちる。
裂け目からは何が見えるわけでもないが、素人の霊智にも解る程、確実に何か境界のようなものを破壊している。
怜悧の剣閃もとい鎌閃の後には何も残らなかった。
崩壊していく簡易結界の中を斬撃が虚しく飛ぶ。
「矛盾から目を逸らす――観測の拒絶。封鎖型はこれだから嫌いなんだ……」
(逃げられたのか?)
「黒いのの正体はやはり悪魔だ」
収穫機を虚空へとしまい、苦虫を噛み潰したような表情で怜悧は唐突に呟く。
(玄川が悪魔?)
「内部構造は把握できないが、身を直隠しにしておきながら、いざとなれば高純な黒魔術の使用。そしてあの虚言癖は悪魔かそれに準ずる存在だ」
――特に悪魔の証明を応用した不許侵入はやり過ぎたな。あのデタラメは諸刃の剣だ。まあそれだけ黒いのは似非天使が欲しいらしい。
(悪魔……)
「あの悪臭に加え、形だけでも呼び鈴を鳴らす隣人気取り、そして狙いは天界から顕現せし柱格寵魄。メフィスト・フェレスで間違いない」
(え、メフィスト・フェレスってあのファウストの?)
「それそのものとは限らんがその系統で間違いない。臨天隣魔の道化師メフィスト・フェレス」
(現代悪魔の原点メフィスト……コイツのことか? 今の偽玄川がコイツなの?)
僕は例の古びた図鑑のようなものを開いて示す。
「そいつだそいつ。追うぞ、霊智」




