【三皿目】日向明日馬
くすくすと蚊の鳴くような笑い声が聞こえて、明日馬は何かに気づいたようにはっと息を飲んだ。
隣から人の気配に気付き、バッと勢い良く横を見るとようやくその人の存在に気付いた。
人なのか?それにしては気配が薄すぎる。いや、生身の人間であっても気配が薄い人間はいるがそれとはまた違うものを感じる。
「ごめんごめん、面白かったからつい」
「いや…」
別に、と言おうとした時ようやく彼が幽霊だと言うことに気付いた。
刀が納められているブレスレットに触れ号令を掛けようとしたが、それに気付いた満月に止められてしまった。
「ここで暴力沙汰は許さないわよ」
まるでこれに刀を納められていると言うことが分かっているような口振りである。
そう言えば、彼女の先程の手慣れた動きはなんだったのだろうか?ただ者ではないと言うことだけは分かる。もしかして、彼女も霊媒師なのだろうか?
だとしたら何故、二人も能力者がいて成仏させないのか。
「なんで、成仏させないんだ?幽霊だろ?」
身も蓋もない質問に、流星と満月は眉間に皺を寄せる。
「別にいいだろ。こっちにだって事情があるんだ」
事情?幽霊を成仏させないことにどんな事情があると言うのか。
「あんた料理人だろ?幽霊と分かって成仏させないのは掟やぶりじゃねぇのか?」
「掟ねぇ…。まぁ確かにそうかもしれねぇけど、あくまであいつの軍にいたら、の話だろ?」
あいつとは誰のことか明日馬はすぐ分かった。流星のかつての師匠であり、自分達が所属している軍隊の長、天道天使。
「俺達、もうあいつの軍には所属してねぇもん。だから関係ねぇよ」
「そんなの認められるか!なんで霊が成仏させなければならないのか知ってるのか?!それがこの世の摂理だからだ!それに、俺達は料理人だろうと霊媒師だろうと、霊を成仏させる為にいるんじゃねぇのかよ!」
掴みかからんばかりの剣幕に、流星と満月はまるで豆鉄砲をくらったかのような顔をしている。
張り詰めた空気が重くて息苦しい。自分で作り出した物なのに、とても居心地が悪い。
ただただ二人を睨み付けることしか出来なかった明日馬だったが、その空気を壊したのは以外にも満月の方だった。
「分かってる。分かってるけど、見えないの。その子の一番食べたい物が。でも、見えないの。だから成仏させてあげたくてもできないの。ごめんなさい」
息が詰まった。先程まで気丈に振る舞っていた彼女が、今にも泣き出しそうな声で言うから。
「わ、悪い…。怒鳴るつもりはなかったんだ…」
そう言うのが精一杯で、我ながら情けないと思った。
そもそも、料理人と霊媒師の違いはなんなのだろうか?
簡単に説明すると、
【料理人】とは、幽霊を食べ物で成仏させる人
【霊媒師】とは、幽霊を刀で成仏させる人である。
一見どちらも霊を成仏させるのが目的と言うことは、何も変わらない。
しかし、そこには明白な違いがあった。
そう、【痛みが伴うか、伴わないか】だ。
それは到底善悪などで図れる物ではなかった。
だが、明日馬は料理人の存在を知ってから、漠然とした疑問を抱くようになった。
明日馬もまた、流星達と同じように、天道天使との出会いによって、霊媒師になった。
ただ幽霊が見えて、ただ天使と出会ったと言うそれだけの理由で。
だからその時の日向は、天使の存在は絶対的で、イコール霊媒師と言う存在そのものになんの疑いも持たなかったし、そもそもそれ以上のことを考える余地などなかったのだ。
◇◆◇
学校の帰り道、明日馬は化け物と戦っていた。化け物が公園で遊んでいたのだろう、子供に襲いかかったところに偶然出くわしたのだ。
「解放せよ!」
号令を掛けて刀を生成すると、化け物を目掛けて熱い切り付けようとしたが、昨日の出来事が脳裏によぎり、急所を外してしまった。
血潮が化け物の肩から溢れ出すと、子供は化け物の手から放れ落ちた。
地面に激突する寸前で受け止め、なんとか子供は無傷で済んで、ほっと安堵の息を付いた。
恐怖で泣き叫んでいる子供を宥めていると、化け物の傷はすぐに塞がり、今度は口から液体を吐き出した。
咄嗟に子供を庇おうと覆い被さると、その液体は自分に降りかかって来た。
「…っ!」
油断した。その液体は、硫酸のようで、掛かった箇所が焼けただれた。
こんな奴、いつもならすぐに成仏させてるのに…っ!
余計なことを考えてるせいだ。眉間の皺が二つ程増えた。金髪のヘラヘラしたうざったい笑顔と、黒髪のニコニコした穏やかな笑顔ちらつく。
鬱陶しい。やり方はどうであれ、成仏させることは変わらない。痛みを伴うか伴わないか、ただそれだけの違いでしかないのに。
斬らなければ誰かが死ぬだけなのに。
何を迷う必要があるのだろう。
今までだってどんなに傷を負ったところで、化け物を成仏させて来た。
視界がぼやける。そんなに血を流しすぎたのか。液体がかかった箇所に激痛が走る。だんだんと意識が遠退いて行く。息遣いも荒い。子供は無事だろうか?無事ならそれでも構わない。例え、自分が死んだとしても…。
化け物になった霊…いや、それに限らず霊を刀で成仏させる。
それが自分の役目であり、そこになんの疑いもなく、今まで戦って来た。
朦朧とする意識の中で、遠い記憶の断片が脳裏を掠めた。
父が、泣きながら自分を抱き締めて謝罪している記憶。そうだ、それがきっかけで自分は霊媒師になることを決意したのだ。
化け物の気配に気付き重い足を持ち上げて立ち上がると、再び刀を握り直してただ化け物を斬ることだけに集中する。
何も考えるな、と言い聞かせながら。化け物がこちらに向かって来る。
必死の思いで腕を振り上げると、刀が綺麗に弧を描き、化け物が叫び声を上げる。
それと同時に閃光が辺りを包み込んだかと思えば、痩せ細った老婆の姿が現れて、目にはうっすらと涙を浮かべながら、「ありがとうー…」 と言った。
安らかな声は天に昇って行った。成仏したのだ。
それを最後まで見守ると、急に視界が反転した。
いつの間にか視界には、夕焼けが広がっていて、ギャアギャアと数匹の烏が鳴き喚いているし、遠くで誰か自分を呼ぶ声が聞こえる。
聞いたことのある声だが、思い出せない。それよりも今はただ眠りたい。
明日馬は、ゆっくり目を閉じるとそのまま意識を手放した。
◇◆◇
明日馬が目を覚ましたのは、それから二時間くらい経ってからだろうか。
うっすらと目を開けると、天井が見える。
一体ここはどこだろうか。
先程までは確かに外で化け物と戦っていたのに、景色が変わっている。辛うじて室内だと言うことくらいは分かった。
「あ!やっと起きた!」
先程どこかで聞いたことがあると思った声で、やっとその主が満月であることに気付いた。
「なんで…」
起き上がろうとしたが、全身に激痛が走り再びベッドへと引き戻されてしまった。
「化け物の気配がしたから行ったんだけど、あなたが戦ってたのよ」
「そう、なんだ…。そうだ、子供…子供はどうした…っ!」
はっと、子供のことを思い出して反射的に起き上がろうとしたが、再び激痛が走ってうずくまる。
「無理しちゃ駄目よ。酷い怪我なんだから!」
満月の気迫に押されて思わず怯んでしまう。だが、心の底から自分を心配していることだけは伝わり、素直に聞き入れることにした。
「あと、子供は大丈夫よ。特に怪我もなかったから」
それを聞いて明日馬は、ほっと胸を撫で下ろした。
「でもなんで分かったんだ?俺があそこにいるって」
「別に、お前を探しに行ったんじゃねぇよ」
不意に流星の声が聞こえて、明日馬はそちらに視線を向けると、流星が何やら不機嫌そうに、ドアの前で立っている。
「諸星、流星…」
「霊に飯持ってってやったら、たまたまお前があそこで血だらけで倒れてたんだよ」
その声はいつものような軽い物ではなかった。
どことなく怒ってるような気がして、動揺する。
「なんで怒ってるんだよ。別に悪いことした訳じゃねぇだろ」
食いかかって来る明日馬に、流星は深く溜め息をついた。
「あのなぁ、俺は幽霊の料理人。相手の食いてぇ物さえ分かったら成仏させられるんだ。なのに、なんで斬っただよ」
ズキン、何故か胸が傷んで、それ以上は何も言い返せずに俯いた。
だが、その時は到底流星達が来るなんて知るよしもない上に、ましてや来ることも随分後のことだったではないか。
「それで?」
「え?」
明日馬は、困惑した。質問の意図が全く読めない。
「なんで、斬った?」
同じことを言われて、明日馬はますます困惑してしまうも、なんとかして言葉をひねり出す。
「なんでって…。それが俺の役目だから…」
それ以上に答えようがなかった。
それが当たり前で、霊媒師と言うものなのだからー…。
流星は深い溜め息を付くと、両手に持っていた料理を明日馬に差し出した。
盆の上には雑炊が乗っていた。これも恐らく、流星が自分の為を思って作ってくれたものだろう。
レンゲを手に取ろうと手を伸ばし掛けたが、あっさりと満月に奪われてしまった。
「駄目。食べさせてあげるから、じっとしてなさい」
「な…っ!」
顔から火が吹くほど恥ずかしかったが、満月は気にも止めずレンゲを明日馬の口元に押し付けた。
「早く治りたいでしょ?だったら、食べなさい」
躊躇ったが体の痛みには適わず、屈辱的ではあったが、仕方なく満月の行為を受け入れた。
◇◆◇
キーンコーンカーンコーン…。昼休憩の時間を告げる合図が校内に響いた。
生徒達が少ない屋上で、明日馬は一人、購買部で買ったコーヒー牛乳を片手にあんパンを頬張る。
昨日戦いの中で負った傷は、流星と満月のお陰ですっかり完治した。
しっかり咀嚼して飲み込むとふいに昨日の出来事が甦った。
幽霊の料理人、諸星流星と自分を看病してくれた月見里満月のこと。
そして、成仏させることができない幽霊の少年、月のこと。
「俺にできるのはただ、あくまで一番好きな食べ物が分かる霊を成仏させるだけだ」
彼はそう言っていた。
そもそもこの世に好きな食べ物がない人間などいるのだろうか?
ラーメンやハンバーグなど具体的な物でなくても、お菓子みたいな粗末な物だったとしても、一つくらいはある筈ではないのだろうか?
自分だって一番好きな物が何かと聞かれたらすぐには答えられないが、じっくり考えてみると、カレーうどんや、プリンや、コーヒー牛乳など案外出てくる物である。
そんなことを考えていると、ふっと上半身が陰り聞いたことのある声が降って来た。
「あれ、お前昨日の奴じゃん!お前もここで飯食ってたのか?全然気づかなかった!」
「げ…」
明日馬は、あからさまに嫌な顔をする。
声の主は言わずもがな諸星流星で、その横には月見里満月が弁当箱と水筒を手に立ちはだかっている。
「げ、とは酷ぇなぁ!あ、隣座っていいか?俺達もこれから昼飯なんだ」
言うが早いか、聞いておきながら答えも待たずにさっさと隣に座る。
お喋りな上に図々しい、明日馬が一番嫌いなタイプの人間である。
いや、嫌いと言うか苦手と言うのが妥当だろうか。
ふと流星が、弁当箱の蓋を開けながら、明日馬の手にあるあんパンの存在に気が付く。
「て、お前、昼飯それだけ?」
「そうだけど、なんか文句でも、あ…っ!」
言いかけて、今気がついた。バレーシューズの色が赤い。つまり、二年生、一つ年上と言うことを。
この学校では、バレーシューズの色で学年を区別していて、一年生が青、二年生が赤、三年生が緑、と言った具合である。
「す、すみません!年上だったんですね!全然気付かなくて失礼なことばかり…っ!」
明日馬は慌てて、今までの無礼を謝罪する。
しかし流星は、全く気にも止めてない様子で、
「はははっ、気にすんなって!俺とお前の仲じゃん!」 などと言っている。
昨日会ったばっかなのに、どんな仲なのか。ついつい突っ込みたくなった言葉を、心の中に押し殺す。
「先輩達は弁当ですか?」
明日馬が弁当の中身を覗き込むと、白飯にからあげ、タコさんウインナー、卵焼き、肉団子、きんぴらごぼうと、健康的な定番のおかず達が、ところ狭しとひしめき合っている。
「タメ口でいいって。そういうの気にしねぇし。そうそう弁当、毎日作ってんだ。お前は毎日そんなんばっかか?」
流石は料理人だと感嘆したが、それは言わず「俺、料理できないんで…」とだけ答えた。
タメ口でいいと言われも、やっぱり敬語になってしまう。
こういう時、自分は真面目なのだな、と痛感してしまう。
「同じね。私も料理は全くできないの。だからいつも流星に作って貰ってるの」
そういうと、流星とお揃いの弁当を自慢げに見せて来た。夫婦か!とつい突っ込みたくなる。
「料理できねぇって、もしかして、家でもコンビニ弁当とかばっか食ってんのか?」
ギクリ。図星だ。だが、だからなんだと言うのだ?
あんパンだって立派な食事だし、別に流星みたいに料理の腕が全く無いことに、卑下するつもりもないと、明日馬はただ黙って聞いている。
「これだから最近の若者は~。ダメだぞ、ちゃんとした物食わねぇと!病気になるんだからな!」
このいちいち説教染みた物言い、昭和の母親みたいで、なんだか居心地が悪い。
これ以上この話題は分が悪いと判断し、明日馬は話題を無理矢理変えた。
「あの…。月見里さんのことが気になって…。ずっと考えてたんです…」
「なんだ?一目惚れでもしたのか?」
「そうじゃなくて!」
こちらは真面目に話ているのに、一々茶化すような口振りに苛立ってつい声が荒々しくなる。
「そうじゃなくて…、昨日のあの戦いぶり、もしかして、霊媒師なのかなって…」
満月が卵焼きを取ろうとした手を止めた。図星だろうか?
「バレちゃったわね。そうよ、私は霊媒師よ。あなたもでしょ?」
案外素直に肯定したので少し拍子抜けしてしまった。
「はい。自分も霊媒師です。あなたと同じだと思ってました」
「思ってた?」
含みのある言い方に、満月は小首を傾げる。
「この前も言いましたが、霊媒師とは霊を成仏させる為にいるんです。でも、あなた達と俺は違うんですね」
一瞬、回りが静まり帰った。しかし、それはすぐ満月の声で破られた。
「別に違わないわ。私達も幽霊を成仏させる為に存在していることは同じよ。ただ、やり方が違うだけ」
「やり方…」
「あなたがどういう理由で刀で成仏させる霊媒師になったかは知らないわ。でも、私は見える力と戦う力があったから、霊媒師になったの。霊を成仏させる為と、あと…」
そこまで言い掛けると満月は体を明日馬の方へ向けて、じっと真剣な眼差しで見つめた。
「流星を守る為」
「え?」
「言ったでしょ?流星に殴られても赤子に撫でられたようなものだって。それくらい流星は弱いの。でも、私にはない見える力を持ってる。だから私は流星のパートナーになって、流星を守ると決めたの。それが私の役目よ」
そう言った満月の言葉は一言一言とても意思の強さが伝わり、青い目も穢れがなくとても綺麗で、吸い込まれそうな感覚に陥りそうになり、暫く目を反らせなかった。




