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【二皿目】月見里満月<やまなしみづき>

「今日の料理は何?」

 片付け終えた満月がカウンターへ戻ると、いつの間にか銀髪に、水色の目をした少年がちょこんと椅子に座って楽しそうに話しかけて来た。

 彼は一ヶ月前、この店に来た客で、自分のことは名前も生まれも年齢さえも何一つ分からないらしい。



 「少々お待ち下さい」

 満月は悪戯っぽく言うと、既に準備していたらしく、流星から料理を受け取り彼の前に差し出した。

「ハンバーグ定食だ」

 それは先程出された物と同じ物である。

 真っ白い無垢な皿に、丸い肉の塊と、軽く塩ゆでされたブロッコリーと人参が添えられている。



「いただきます」

 は、手を合わせて割り箸を割ると、ハンバーグを一口大に切り、火傷しないようにふぅふぅと冷ましてから、慎重に口に運ぶ。

 すると、デミグラスソースの香りが口一杯に広がった。

「んんっ!」



 あれだけ慎重に食べたにも関わらず、火傷をしてしまい、慌ててお冷やを流し込む。

 だが、美味しくて、熱くて言葉にならない声が漏れる。

 デミグラスソースも、甘すぎず且つ酸っぱすぎず程よい旨味で、先程の子供の母親がちゃんと子供の為に考え、愛情を込めて作ったのだと伺える。

 自分にとっては、少し物足りないような気もするが、これはこれで美味しい。

 


 今度はブロッコリーを丸ごと大口を開けて食べる。

 これもまた、塩気も控え目でハンバーグの濃い目の味付けには丁度よい塩梅だ。

 これならデミグラスソースと合うかも!と、ブロッコリーをデミグラスソースにたっぷりとつけて、口に運ぶ。

 やっぱり美味しい。これなら野菜が苦手な子供でも十分に味わえる。

 


 これならと、次はハンバーグを白いご飯の上にバウンドさせて食べた後、デミグラスソースが絡んだご飯を食べるとどうだろう。

 これも正解である。このデミグラスソースならなんでも合うかもしれない。

 彼は暫く黙々と、ハンバーグ、野菜、ご飯、ハンバーグ、野菜、ご飯の反復運動を繰り返した。



「ご馳走さまでした!」

 彼の食べた後の皿は、洗わなくてもいいくらい綺麗に食べ切っていた。

「くっそ、やっぱり今日も駄目かよ」

 流星は怒気にも似た溜め息を吐いた。



 実は彼は、一ヶ月前に死んでしまっている、成仏させなくてはいけない存在なのだ。

 にも関わらず、あろうことか流星は何故か彼だけは、一番食べたい物が見えないのだと言う。



 こんなことは初めてだった。本人にも色々聞いてみたのだが、自分が好きな食べ物どころか、生まれた場所も年齢すらも分からないと言う始末であった。

 


 だから二人で頭を悩ませた結果、毎日三食違うメニュー、しかも食材や調味料まで事細かに変えた料理を約一ヶ月もの間食べさせて来た。

 しかし、その努力も空しくどれも失敗に終わり、九十四食目のこのハンバーグでも成仏できないと言う結果になってしまったのである。




◇◆◇



 外は真っ暗闇にぼんやりと満月が浮かび、なまぬるい風が吹き付け、草木がざわざわとざわめいている。

 辺りに人気はなく、一つの黒い影だけが、月明かりが照らしている。

 タッタッタッタッタッと、赤い髪の少年の軽快な足音が響く。



「じゃあ暖簾下げて来るわね」

「ああ」

 ハンバーグを食べ終わった満月が店の外に出た、その刹那。

 ザン! 



 細長い銀色に輝く刃物が、何かを斬る音と同時に、目の前に鮮血が広がった。

 満月は悲鳴を上げるでもなく、ただ立ち尽くし、目を見開き赤々と飛び散る鮮血を見つめていた。

 そこには三つの影があった。

 どうやら斬られたのは満月ではなかったようだ。



「やっと追い詰めた」

 自分と同じくらいの背丈の人物にしては、意外と低い声色だった。

 少年ではあるが、声変わりする途中の、子供でもなく大人でもない中途半端な声。

 本人は大人びて見せようと、精一杯努力しているようだが、残念ながら満月にはそれが伝わらず、ただ目を見開いて意識を集中させている。



 髪と同じ燃えるような、真紅の鋭い目が満月を捉えた。ギラリと化け物の血がついた、銀色の刃が満月の光を反射し鋭く光る。

「安心して成仏させてやる!」

 ブン!銀色の刃が勢いよく空を斬る。

「ダメっ!!」



 ようやく満月が口を開き、止めに入ろうと叫ぶと、寸手のところで真剣白羽取りで刃を止めた。

「な…っ!」 

「もう分かってるから、それ以上は駄目」

 とても冷静な声色で制すと、紅い髪の少年は呆気に取られてつい刀を握る手を緩めてしまった。

「分かってるって…」



 満月はその一瞬の隙を逃さなかった。

 白羽取りをした手を離すと紅い髪の少年の刀を奪い取り、逆に持ち替え刃ではなく、峰の方で化け物を切り裂いた。

 自分では斬るなと言っておきながら、なんたる所業だろうか。

 しかし、何一つ無駄がなくとても鮮やかな動作で思わず魅入ってしまった。



 満月は、厨房に向かって「豚骨ラーメン一つ!」と叫ぶと、奥から「あいよ!」 と威勢のいい返事が聞こえた。

 一瞬頭が真っ白になった。何故か、この場の雰囲気に全く似つかわしくない、トントンと包丁で何かを切るような音が響く。

「グオォオォオ!」

 上空から化け物の咆哮が轟くと、大きなまがまがしい手が自分達二人を目掛けて襲ってきた。



「くそっ、離せ!」

 抵抗しようとするが、満月の力はか細い腕からは想像できないくらい強く、動けば動く程腕に痛みが走るだけだった。

 満月は状況を素早く察知して紅い髪の少年の手を解放してやると、「解放せよ!」と右手に嵌めてあるブレスレットに号令を掛け、刀を生成した。



 先程は自分に斬るなと言っておいて、斬るつもりか。

 そう思ったが、満月は鞘を抜かない状態で化け物を真っ二つに切り裂いた。

 すると化け物は、苦痛の雄叫びを上げて地面に這いつくばりもがき苦しんでいる。



 どういうことなのか。刃ではなく鞘で斬っただけでこんなにも苦痛を与えられるものなのだろうか?

 彼女は一体何者なのか?

 色んなことが脳裏をよぎった時、「これだろ?あんたが今一番食べたい物」と、いつの間にか、自分の後ろから少年の声が聞こえた。

 少年は口許に余裕たっぷりの笑みを張り付けて言うと、白い赤い紋様が刻まれた丼の中身、は小麦色の麺と、白濁のスープを差し出した。

 丼の中身は豚骨ラーメンだ。



 化け物はたじろぎながらも、口を開けてみっともなくダラダラと涎を垂らしている。

「食えよ、腹減ってんだろ?」

 言われて急激に腹が減って来たのかゆっくりと、手を伸ばす。



 「あ、危ねぇっ!」  

 流星の身を危惧して、すかさずもう一度刀を降ろうとしたが、すぐにそれは無意味な行動だと分かる。

 伸ばしたその手が掴んだのは他でもなく、流星が差し出した箸だった。



 箸を受け取った化け物は、器用に箸を使い、ズルズルと音を立てながら食べ始める。

 少し太めのストレート麺に、濁った豚骨スープ、具はチャーシュー、煮卵、もやしと言ったシンプルな豚骨ラーメンだ。



「食ってる…」

 普通死んだら飯なんて食えない筈なのに。

 だから、刀で成仏させる自分達霊媒師が存在する筈なのに。

 最後のスープを飲み干し、丼を盆に戻すと、それが合図のように、カッ!と突然暗闇を白い光が包み込んだ。

 そして、中から四十代くらいのスーツに身を包んだ、サラリーマンの男が現れた。



 サラリーマンの男は、目を細めてまるで思い出を馳せるかのように、架空を見つめている。

「このラーメン、俺が初めて働いた時に食べたラーメンなんだ。それまでは飯なんてまともに食ってなくてさ。それで、初任給だったから格別でなぁ。死ぬ前にもう一度食いてえと思ってたんだ」



 死ぬ前に、と言うことは自分が死んだと言うことをまだ理解できていないのだろうか?

 確かに基本的に霊と言うのは、自分が死んだことを自覚していない場合が普通ではあるが。



 何かを言おうとして、紅い髪の少年が口を開きくけた時、「次に生まれ変わって来る時は、もっと美味いもん食えよ」、と流星の哀れむかのような、慈しむようななんとも言えない声色に遮られた。



 男は、一瞬目を見開いたが、すぐに目を閉じ、この世の未練を絶ち切ったような、晴れやかな笑みを浮かべて、「ああー…」 と、短く返事をすると、すぅっと天へと旅立って行った。



 成仏した証である。

 呆然と立ち尽くしながら、紅い髪の少年は一部始終を見ていた。

 初めて見る光景ではないのに、いつ見ても不思議だと、紅い髪の少年は思う。

 ふと、横目で見た流星の表情は口許こそ笑ってはいたが、どこか悲しそうな表情をしていた。



「さー、帰るぞ満月!」

 流星は何事もなかったかのように、頭の後ろで手を組みながら、店の方へと歩いて行く。

「待て!お前、料理人だな?」

 紅い髪の少年に聞かれて立ち止まるが、流星は振り返ろうとはしない。

 少年は続ける。



「俺はあんたを認めない!料理で霊を成仏させるなんて間違ってる!正しいのは、刀で霊を成仏させる、俺達霊媒師だ!」

 そう言うなり刀を振り上げた瞬間、先程化け物に追わされた傷が激しく痛み、その場にうずくまった。

「大丈夫?!あなた、酷い怪我してるじゃない!」



 満月に言われて初めて気がついた。先程、化け物の攻撃を喰らったことを、すっかり忘れていた。

「別にこれくらいなんとも…」

 ない、と言おうとしたが、想像以上に出血が多かったのか、べしゃりと地面に両足をついてしまった。

「ほら、だから言ったのに!流星、手当てしてあげて!」

「え」

「え、じゃないでしょ!ほら、早く早く!」

 


 満月に急かされて、流星は面倒くさそうに溜め息をつくと、しゃーねーなぁ、と悪態をつきながら、紅い髪の少年の腕を自分の肩に回した。

「はっ、離せ!なにすんだ!」

「何って手当てだよ、手当て!暴れるとぶん殴るぞ!」

「なっ…!」

 出血量が酷くてフラフラの人間に対してなんて言い草なんだと文句を言おうと口を開いたが、満月の笑い声によってはばかられてしまった。



「大丈夫、流星物凄く弱いから殴られても赤子に撫でられたようなものだから」

 言われた瞬間図星なのか、流星は茹で蛸のように顔を真っ赤にさせ、「う、うるせぇ!悪かったな、弱くて!!だから霊媒師じゃなくて料理人になったんだよ!!」と天も突き破りそうな程の声で怒鳴り散らした。



 全く、今何時だと思っているんだか。

 紅い髪の少年は、心底呆れて深い溜め息をつく。同時に張り巡らしていた警戒心は、少し和らいだのだった。



◇◆◇



 店に入ると、紅い髪の少年はカウンターの真ん中へと通された。

 「え?」

 意表をついて、声が出てしまった。すると流星は、「ちょっと待ってろ。飯作ってやるから」と言った。

 どう言うことだろうか?手当てすると言って店に招き入れたのだから、手当てをしてくれるのではないか?



 不思議に思っていると、満月が救急箱と水が入ったコップを紅い髪の少年の前に置くと、タオルで優しく血を拭った。

 包帯を巻かれている様子を大人しくじっと見つめる。

 手慣れている。今まで何度か経験しているのだろうか?



 「はい、終わり」

 あっという間に治療は終わった。幸いにも怪我をしたのは利き手ではない左腕だったので、コップで水を飲むくらいはなんとかできた。

 ほっと一息ついていると、いい香りが鼻を掠めた。



 これは、なんの匂いだろうか?痛みで判断が鈍って何の匂いか分かるまで、数分かかった。



 これは、カレーだ。スパイスの香りが店内に立ち込める。でも、何故カレーが?頭の中でハテナマークが飛び交っていると、満月が料理を運んで来た。

「チキンカレー、お待ちどう様」

「チキンカレー…」

 ほら、やっぱりカレーで正解だった。でも何故カレーなのか。



「いやさ、怪我酷ぇからなるべく食べやすく、且つ栄養価が高い方がいいだろ?あと、すぐ作れる」

 いや、聞きたいのはそういうことでもないのだが。尚も眉間に皺を寄せる紅い髪の少年の態度に流星はただ笑って、「食ったら分かるよ」と言った。

 まるで自分が何を考えているか見透かしたかのような口振りである。



 腹も減っていたので諦めてスプーンを取り、いただきますと合図をしてから恐る恐る一口口の中に運んだ。

「あ、美味い」

 その言葉は自然と漏れた。本当に美味いと思ったのだ。

 流星は、「だろ?」と満足げな笑みを浮かべている。



 紅い髪の少年は、もう一口口に入れる。今度はじっくりと味わいながら噛み締める。すると、肉の旨味がダイレクトに伝わって来る。最初は何の肉かさえ分からなかったが、二口目でようやく鶏肉だと分かった。



 ゴクンと食堂に流し込んだ時、先程怪我した左腕がドクドクと脈を打ち始めた。

 そして、傷口も塞がって行き、痛みも徐々に引いて行く。



 なんだ?怪我が治って行く。なんでだ?特に治療された訳でもないと言うのに。 

 何気なく顔を上げると、流星が何を言う訳でもなく、ただただニヤニヤといやらしい笑顔をこちらに向けている。非常に不愉快で、思わず眉間に皺を寄せる。

 こちらから聞いて欲しいから、わざと何も言わないと言うことが見え見えなのが余計腹立だしい。



 面倒くさいので、無視を決め込み、カレーを味わうことだけに集中することにしようと下を向いた。

「なんだよ、何か言うことあるんじゃねーの?」

 痺れを切らしたのか、流星が自ら聞いて来た。この料理人、案外と気が短い奴のようだ。それともただの構って欲しいだけなのか。

 期待に応えてやろうか否か、暫し思考を巡らせると、溜め息を一つついて、「美味いよ」とだけ言った後、流星の反応を伺うことなく、またカレーに舌鼓を打つ。



 流星は気に食わなかったのか、不機嫌そうな顔をして「なんだよ、他に言うことあるだろ」と催促した。

 紅い髪の少年は、ぶっきらぼうに「ねぇよ」と返すと流星は近付いて来て、「ねぇってなんだよ。あるじゃん。なんでカレー食っただけで怪我が治るんだよとか、俺はなんて言うのかとか、はたまた自分の名前とか!」などとまくし立てて来た。

 なるほど、最初からそれが聞きたかった訳である。



 だが、聞かなくても全て分かっていた。何故なら自分はそれを全て知った上でここへ来たのだから。

「諸星流星」

「へ?」

「聞かなくても知ってる。だって俺は、あんたに会う為にこの店に来たんだ」

 カレーを食べていた手を止めて、体をゆっくりと流星の方へと向けた。



「ある人物から、料理で霊を成仏させることができる料理人がいることを聞いたんだ。それで、どんな奴かとこの目で確かめようと思った、それだけだ」

 そう言うと、紅い髪の少年はまたゆっくりと体を戻し再びスプーンを握った。

 流星は暫くきょとんとしていたが、すぐにへらへらした態度に戻った。

「そっか。知ってんだ、俺のこと。でも俺はお前のこと知らねぇぞ」



 だったらどうした、と言おうとした時、流星が遮るように「名前」と口を開く。そして、「名前くらい教えてくれてもいいんじゃねぇの?」と続けた。

 正直面倒くさかったが、この場にいては何度も問い詰められそうで、そうなってはせっかくのカレーが不味くなってしまう。それは避けたいところだったので、紅い髪の少年はぶっきらぼうに、「日向明日馬」とだけ答えた。 

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