【一皿目】諸星流星<もろぼしりゅうせい>
金髪の少年の名前は諸星流星諸星流星と言った。
大衆食堂を営む夫婦の一人息子で、とある人物と出会うまでは、ほんの平凡な中学一年生であった。
しかし、令和八年の一月二十六日の放課後、その生活は一変するのである。
午前の授業が始まる頃、バタバタと慌ただしく女性教員が教室に入って来た。
「諸星君!すぐに帰りなさい!ご両親が、事故で搬送先の病院で亡くなって!」
流星は耳を疑った。教室内にどよめきが広がり、生徒達が口々に「事故?!」「諸星のご両親が?!」「なんで?」などと言っている。
今、なんて言った…?
流星は全く訳が分からないまま、言われた通りの病院へ向かった。
父と母は早朝、仕事だからと言って、笑顔で見送った筈だ。
なのになんで、父さんと母さんが死んだんだ?事故って、なんで…?
流星は、色んなことを脳内に巡らせた。
十三歳の少年には、あまりにも衝撃的すぎる出来事で全く頭が追い付かない。
車で十五分程走ってようやく病院に辿り着いた。病院は八階建てでこの県内ではそこそこ大きい病院である。
流星は車から飛び降り、受付へ向かうべく走り出した。
その突如、全身に激しい痛みを感じた。
「は…?」
何故だか、自分の体から血が溢れ出している。
ぐらり、と身体が地面に倒れる。中学一年生のまだ百四十cmそこそこの小さい身体が、とても遅い速度で地面へ引っ張られて行く。
一体何が起こったのか?ただでさえ意味が分からないのに、更に意味が分からなくて意識が飛びそうになる。
背後…いや、上からか。何かとてつもなく禍々しい気配を感じて、ゴクリと息を飲む。
何か理解している訳でもないのに、自分より遥かに大きい物体であることだけは、空気で理解できた。
ドクンドクンと、鼓動が脈打つ。
周りがとても静かで、とてもうるさい。
ゴクリと生唾を飲み込んで、ゆっくりと振り返ると、そこには明らかに人間ではない生き物がいた。
なんだ、この化け物…?
流星には、それくらいのことしか考えることができなかった。
両親の突然の死と、いきなり化け物に襲われると言うこと。
十三歳の脳ミソでは、全く理解が追い付かない。しかし、そんな子供でも唯一理解できたことがある。この化け物は、自分を殺そうとしている。
何故殺そうとしているのかまでは分からない。
でも殺そうとしているのは確かだ。しかし、今はそんなことを考えるよりも、とにかく逃げなきゃいけない。
右足を持ち上げようとしたが、足がすくんで全く動けない。
何故動かないのか?この体は自分の物の筈ではないのか?
普段ならなんでもないことなら、すんなりと動くのに、何故いざと言う時には全く動かないのか。
背中にダラダラと冷や汗が伝う。苦しくて呼吸すらままならなくなって来た。
右足が駄目なら左足をと思って動かそうとしたが、それすらままならない。
くそっ!動けよ、動け!動け!動け!動け!
何度も何度も命令する。
だが、やはり足は思うように動いてはくれなかった。
化け物が自分を切り裂かんと、鈍い音を立てて空を斬った時、流星は、強く目を閉じた。
怖い、殺される、嫌だ、死にたくない、そんな言葉が脳内に浮かぶ。
しかし、暫く経っても痛みを感じない。
それどころか、何故か食べ物の香りが漂っている。
とても、旨そうな肉の匂いだ。
でも、なんでそんな匂いがするのだ?
流星は更に混乱した。
流星は、恐る恐るゆっくりと目を開けると、目の前には身長が百八十もあろうかと言う、短い銀色の髪に甚平姿の男が、岡持ちを下げて立っている。
その中から旨そうな匂いの正体なのだろう、器を取り出して化け物に差し出している。
「これだろ?あんたが今、一番食いてぇ物。カツ丼」
流星は、耳を疑った。
は?カツ丼?何言ってんだ、このおっさん。
化け物は、す、と男に手を伸ばした。
「危な…っ!」
流星は、男が斬られると思って叫んだが、すぐに検討外れであることが分かった。
化け物は、箸を手に取りカツ丼を食べているではないか。
一口噛むと、肉汁が溢れんばかりに涌き出て来て、化け物はうっとりとした表情を浮かべている。
先程まで自分に向けていた殺意の表情とは、雲泥の差である。
化け物は一口、また一口とカツ丼をかきこむ。
化け物までも魅力する程のカツ丼とは、どれほど美味いのだろうと、流星は思わず生唾を飲み込んだ。
あっという間に丼が空になったと思いきや、次の瞬間、辺り一面に目映い閃光が広がって、流星は、目を疑った。
光の中から現れたのは、自分の両親だったのだ。
両親は流星に歩み寄り、強く抱きしめた。
「ごめんな、流星…。父さん、事故で死んじまってなぁ…。
「一人にしてごめんね…っ!」
両親は大粒の涙を溢しながら、何度も謝罪の言葉をかけた。
そして、両親の魂はすう、っと天国に旅立とうとした時、再び強い光に包まれた。
目が冷めると辺りは見たことがあるようなないような、だが先程までとは明らかに違う場所へと移動したことだけは分かった。
暫く放心状態でいると、軍服に身を包んだ銀色の髪の男が目の前に座った。
ガサゴソとポケットをまさぐると、何かを取り出し流星に差し出した。
「なんだ?これ?」
「ブレスレットだ。今日から俺と一緒に来い。
霊媒師霊媒師になれるよう、鍛えてやる」
流星は全く持って訳が分からなかったが、男に着いて行くとそこは和と洋が入り交じった厳格な建物で、皆が一様に同じ軍服に身を包んでいて、何やら訓練らしきものに取り組んでいた。
そこは何かの軍隊の屋敷だと言うことは理解できた。
自分は両親を事故で亡くし、化け物に襲われたところをこの男に拾われ、連れて来られたのだと。
男が言うことを要約すると、自分には幽霊が見えるから、霊媒師になって、この前みたいな化け物を成仏させられるようになれ、とのことだった。
いやいや、いきなりそんなことを言われても頭が追い付かない。
何か他に情報はないのかと部屋の中を忙しなく見渡した。すると、壁にかかってあるカレンダーを見つけた。
なんとそこには、令和八年一月ではなく昭和六十年の四月と刻まれていた。
ようやく全てが理解できた。自分は、令和から昭和の時代にトリップしたのだ。
その男の名前は、天道天使天道天使と言った。
子供ながらに流星は、外見に似合わず妙にメルヘンな名前だと思った。
天道に連れて来られた道場には自分以外にも何人かいて、年齢やきっかけも様々だった。
自分のように両親を化け物に殺されて身寄りがなくなった者もいれば、自ら志願して来た者もいた。
一年程毎日地獄の特訓を受けた結果、周りの主業者達は、着実に上達して行ったが、流星だけは、全く技を覚えられないどころか、刀もロクに使いこなせなかった。
見かねた天道は、流星と一緒に浄霊に参加させることにした。
その時だ。流星が他の料理人達が、全く見えなかった化け物が一番好きな食べ物を、言い当ててみせたのである。
天道の勘は当たった。流星の本当の能力は、霊媒師ではなく、料理人だったのだ。
流星の才能を見込んだ天道は、流星を霊媒師ではなく、料理人として育てることを決意したのだった。
◇◆◇
それから一年後。
夜八時を回ったくらいだろうか。
街中を、スーツ姿の女性が全力疾走で走っている。
会社帰りにランニングでもしているのだろうか?
「グオォオオオ!」
まるで人間とは思えない呻き声が轟く。
思わず振り返ってしまい、足がもつれて頭から派手に転倒した。
今だ!と言わんばかりに、巨大な手が彼女に襲いかかる。
万事休すか。彼女は覚悟したように、目を瞑る。その時だった。
ふと、美味しそうな匂いが鼻腔を掠める。
「あんた、大丈夫か?」
暫くしても痛みも何も感じることがなく、恐る恐る目を開けると、目の前には金色の三つ編みに、白いTシャツに黒いズボン、真っ赤なエプロンに身を包んだ少年が、岡持ちを持って立ちはだかっていた。
今にも自分を切り裂かんとしていた化け物の手は、少年の目と鼻の先で止まっている。
少年は岡持ちを開けて中の物を取り出すと、目の前の化け物に差し出す。
「これだろ、あんたが今一番食べたい物」
この米とスパイシーな異国の香り、その食べ物の正体は、そう、カレーである。
それはいいのだが、何故こんな時にカレーなど持っているのだろうか?
彼女は全くもって意味が分からなかった。まさか、化け物が食べるとでも言うのだろうか?
刹那、化け物は人より倍はあるであろう大きな手でスプーンを持ち上げて、まるで人間のように器用にカレーをすくって口に運んだ。
不気味な恍惚とした表情を浮かべると、味を占めたのだろうか、一口、また一口と口に運ぶ。不思議なことに、決して品のない食べ方ではない、あたかも人間であるかのような食べ方である。
あっと言う間に皿が空になった。
その時、目映い閃光が辺りを包み込んだかと思えば、中年のサラリーマンの姿へと変わった。
「なんでわかったんだ?
俺が今いちばん食べたい物がカレーだって」
金髪の少年は、笑みを浮かべた。
「見えるんだ。あんたが一番食べたい物が」
サラリーマンの男は一瞬、目を見開いたが、すぐに目を瞑り、そうか…、と呟くと虚空を見つめて語り始めた。
「俺の家はさ、小さな食堂だったんだ。物心着いた時から、親は忙しく働いてた。でも、年に数回だけあるかないかの休みの日には、絶対カレーだったんだぁ…」
少年は目を細めた。
「次、生まれ変わって来る時は、もっといっぱい美味いもん食えよ」
サラリーマンの男は、一瞬目を見開いたが、すぐに細めて、「あぁ…。また、母ちゃんのカレー食いてぇなぁ…」と言った。
そしてサラリーマンの男性は、すう、と一筋の光が天に昇って行った。成仏したのだ。
金髪の少年改め、諸星流星。
彼は、死んだ人間の【今一番食べたい物】を食べさせて成仏させることができる、幽霊の料理人なのである。
◇◆◇
彼女はぽかん、と口を開けて一部始終を見ていた。
まだ何が起きたのか、理解が追い付かない。
「大丈夫か?」
声をかけられようやく正気を取り戻した。
「はっ、はい!あの、ありがとうございました
助けて下さって!」
彼女は差し伸べられた手を握り返して立ち上がると、深々と頭を下げた。
「あんたも腹減ってんだろ?」
「え?」
「あれ、俺の店なんだ。寄ってけよ」
少年が指差す先には、築百年は経っているだろうか、年季の入った大衆食堂である。
この辺りはオフィスビルが立ち並び、店はテナントになっているものばかりで、独立した店はこの一軒だけと言う、なんとも似つかわしくなく、異様だと彼女は思う。
藍染の暖簾には白い文字で、【諸星亭】と書かれていた。
暖簾をくぐって店内に入ると、五人くらいが座れるカウンターに、四人がけのテーブル席が一つあるだけで、それ以外の物はなく、客商売の店ならば必ずやと言っていい程ある、だるまや招き猫などの縁起物すらない、簡素な店内である。
居酒屋のような雰囲気ではあるのだが、言葉では言い表せない雰囲気のように思えた。
「どうぞ」
この店のウエイトレスだろうか、黒髪の少女がお冷やを持って来てくれた。
彼女は出されたお冷やを一口飲むと、少し気が落ち着いて、ようやく料理を頼もうかと店内を見渡す。
しかし、すぐにメニュー表は見当たらないことに気付いた。
カウンターも見てみるが、やはりメニュー表らしきものは全くない。
いよいよあためふためいていると、美味しそうな匂いが鼻を掠めて、目の前に料理が出てきた。
「からあげ定食お待ちどう様」
顔を上げると、先程のウエイトレスが自分の目の前に料理を置いた。
「えっ、私、何も頼んでませんけど…」
「これでしょう?あなたが食べたかった物」
ウエイトレスがにこにこと、笑いながら言う。
言われてみれば確かに、彼女が今まさに注文しようとしていた料理はからあげ定食そのものだ。
「なんで分かったんですか?!私、まだ何も頼んでないのに!」
たまたま言い当てたのか、はたまたエスパーなのかと困惑の色を隠せずにいる彼女を、ウエイトレスは笑みを浮かべながら、 「さっきも言ったでしょ?見えるのよ、あなたの一番食べたい物が。あの人は」と言った。
あの人とは、店主のことだろうか?厨房の奥を見やると、にこにこと穏やかな笑顔でこちらを見守っている。
彼女は何度言われても全く意味が分からず、首を傾げる。
少女は、その様子をおかしそうにクツクツ笑う。
「まぁまぁ、細かいことはいいから、冷めないうちに食いなって!腹減ってんだろ?」
香ばしいからあげの匂いに、たまらずゴクリと喉を鳴らす。
割り箸をパキッと音を鳴らして割り、からあげを挟む。
ふうふう、と冷ましてからゆっくりと口へ運ぶと、サクっと揚げたての衣が口の中から肉汁が滴り落ちる。
「美味しい…」
彼女は感極まって思わず、一粒の涙を溢した。
それからは、箸の勢いが止まらなかった。
それまではそんなに腹が減ってた訳ではない筈だったのだか、一口食べてからはこんなにも腹が減ってたのかと思うくらい、獣のようにむしゃぶりついた。
「ご馳走さまでした」
その一言を放った瞬間、彼女を包み込むように柔らかい光が現れた。
「なっ、何これ?光がっ、急に…っ!」
「お迎えみてぇだな」
厨房の奥から少年の声が聞こえた。
「お迎え…?」
「成仏できるってことだ」
「成…仏…?」
その時、彼女はようやく全ての事を理解した。
自分がいつの間にかここにいた理由。
自分は今から一時間前、マンションから飛び降りて自ら人生を閉じたのだ。
「次生まれ変わって来る時は、もっと美味いもん食えよ」
彼女は少し驚いた顔をしてから、小さく「はい…」と答えて、消えた。




