【四皿目】幽霊の少年
五時間目の授業中。ぼんやりと穏やかな雲が流れる空をぼんやりと眺めながらふと、一つの疑問が頭をよぎった。
もし、外で化け物と出くわしたらどうするのだろう。最初に会った時はたまたま店の近くだったから対処できた。
だが、店から遠い例えば学校とかで出くわしたら?
わざわざ店に戻るのだろうか。学校から店までは中学生の足ならば最低二十分はかかる。
そんなことをしていたら、化け物は十分対象物を殺す時間を与えるような物だ。
明日馬は軍では何人もの料理人と霊媒師に出会って来たが、あの二人のような料理人と霊媒師に会ったのは初めてだった。
料理人と霊媒師はだいたい二人組のバディでどちらかが幽霊が一番食べたい物が見えて、どちらかが戦う、そんな関係で二人共見える力を持っているなどと言うパターンはかなり希少な存在だ。
しかも、治癒力を備えている料理人もかなり希少だし、明日馬だって軍の中でも結構上位にいる筈なのに、満月の戦闘力も自分に負けず劣らずなかなかのもので、下手したら自分以上の実力ではないかと思う程だ。
そんな二人でも成仏させられない幽霊とは、一体どんな霊なのか少し興味が沸いた。
今日帰りにまた寄ってみようか。そしたらまたあの霊について何か分かることがあるかもしれない。
そう思ったら残りの二時間程の授業かとても憂鬱に感じた。
◇◆◇
長かった授業を終えてようやく放課後になり、明日馬は足早に流星軒へ向かった。
たまたま辿り着いた場所なのに案外と覚えているものである。まぁ、明日馬は方向音痴ではなく初めて行く場所でもあまり迷わず行けるタイプだし、ましてや学校から十km程離れて電車を降りてすぐのオフィス街と言う分かりやすい立地で、ビルやお洒落な建物が並ぶ中にあれだけ異様な雰囲気を醸し出している店があれば、誰でも脳裏に強く刻まれると言うものである。
少し重みのある戸を開けると、既に流星と満月が店にいた。
流星は昨日とは打って変わって、腕組をして難しい表情をしている。
へぇ、たまにはあんな顔もするんだななどと考えていたら、いち早く自分の存在に気付いたのは、満月の方だった。
「あら、珍しいお客様ね」
満月の言葉で流星がようやく気付いて、「お、本当だ。どうしたんだよ、珍しい」といつもの調子で言った。
「ちょっと気になることがあったから…」
「気になることって?」
流星に聞かれて、ちらりとこの前と同じ場所に座っている幽霊の少年を見遣ると、少年の前には食べ終わったらしき皿が並べられていた。
「僕のこと?」
明日馬の視線に気付いた幽霊の少年は、くりくりとした丸い目を見開いて、首を傾げている。
「悪いけど何も話せることはないよ。気が付いたらここにいた、それだけだよ」
「それが不思議なんだ」
「どう言うこと?」
「なんでただの霊なのに、成仏させられないんだ?諸星…さんや、月見里さんの力を持ってしても成仏させられない霊なんて…」
言い掛けたがそれ以上言葉にするのはなんだか気が引けて、途中で尻込みしてしまった。
すると、金髪の少年が「あ、そうそう」と言葉を続ける。
「名前なら一応あるよ。琥珀琥珀って言うんだ。流星と満月が考えてくれてさ。結構気に入ってるんだ」
琥珀と言った少年の言葉は嘘がないように思えた。
「ほら、名前ないと呼ぶとき困るだろ?だから、金髪の髪だから琥珀。いいだろ?」
と、流星が得意気に言った。確かに悪いとは思わないが金髪だから琥珀とは、さすがに安直すぎやしないか?犬や猫じゃあるまいし。
「いいんだよ、別に。あまり凝った名前つけても別れる時辛いしな」
「なるほどな」
明日馬はやっと腑に落ちると改めて琥珀が食べたであろう、空になった皿を見遣る。
「ホットケーキ」
唐突に流星がぽつりと呟いた。
「ホットケーキ?」
「今日のメニューだ。九十五食目の」
「九十五食目…」
改めて聞くととても途方もない数である。
流星はおもむろに立ち上がると、棚の奥から本のような物を取り出して、明日馬に差し出した。
良く見るとそれは本ではなくノートだった。なんだ、このノート?
タイトルには【琥珀の料理】と書かれている。
ペラリと一枚ページをめくると、そこには、一日三食分のレシピがこと細かに記されていた。
「なんですか、このノート?」
「見りゃ分かるだろ。レシピ本だよ」
確かにノート一面にはぎっしりとレシピが書かれている。
だが、ただのレシピ本にしては、何日も同じメニューが続いている。
とても奇妙だったが、ページをめくり続けていると、明日馬はある一つのことに気がついた。
そう、全く同じではなく、同じメニューでありながらも食材や調味料が少しずつ違っているのだ。
「これって…」
「俺もさ、ずっと考えてたんだよ。どうやったらを成仏させられるのかって。でも、全然見つからなくてさ」
「もしかして、ずっと試してたんですか?同じメニューでも、調味料を変えたりして、琥珀…君が、好きな食べ物が分かるまで…」
「それしか方法がなかったらからなぁ。見えないんだったら、見せればいいんだ!って思ってな。でも未だに成仏させられてねぇけどさ。もう一ヶ月近くも続けてんのにだぜ?笑っちまうよなぁ」
ははは、と自嘲のような乾いた笑い声を上げた。
ノートは十二月十八日から始まって、九月十八日までで止まっているから、おおよそ九ヶ月も続けている計算になる。
それも毎日同じメニューを、調味料や調理法などを一つずつ変える、を繰り返しておりとても根気のいる作業なのは間違いない。
自嘲する流星とは裏腹に、笑い事ではないと、明日馬は思った。こんなこと到底自分にはできないと。
そして、ちょっぴりではあるが、流星に対する嫌悪感が少し晴れた気がした。
「これ、暫く借りていいですか?」
「別にいいけど、どうするだ?そんなもの」
「自分なりに研究してようと思うんです。第三者から見たらまた違ったアイデアが浮かぶかも知れないし…」
なるほど、と流星は感心した。
「そう言うことならいいけど、でもなんで、そこまでしてくれるんだ?そこまでの義理はないだろ?」
言われてみれば確かに自分にはそこまでの義理がある訳ではない。
昨日血だらけの自分を店まで運んでくれたのも、その傷を治してくれたのも、本当にたまたまだった。
だが、なんとなく琥珀のことを放っておけなかった。
色々と理由を考えてみたが、「今日、助けて貰ったお礼です」と言うところに落ち着いた。
その時だった、ぐぅっと大きな腹の音が鳴った。明日馬は顔を真っ赤にして腹を抱える。
「いや、別にこれは…っ!」
二人がケラケラと笑い声を上げる。
「腹が鳴るってことは元気になった証拠だ、別に悪いことじゃねぇよ。何か作ってやるよ、何がいい?」
「チキンラーメン」
間髪入れずに答えた。しかも真顔で。
「うち、料理屋なんだけど?」
先程までとは違い今度は明らかに、怒っていた。当たり前である。
料理屋でインスタントを出せなど、もはや冒涜行為である。だが決して明日馬は、冗談などではなかった。何故なら明日馬は、三年前の事故以降、味覚障害になってしまい食べ物の味が殆ど分からなくなっていた。
だから自然と薄味の物が食べられなくなり、昔食べたことがある物や味の濃い物しか食べられなくなったのだ。
だが、不思議なことに流星の料理の味だけは理解できた。それが流星の特別な能力なのかどうかは分からないけれど。
「待ってろ。作ってやるから」
まさか本当にチキンラーメンを作ってくれるのだろうかと思った時、外から女性の悲鳴が聞こえた。
明日馬は瞬時に立ち上がり一目散に店から飛び出した。
まだ夕方で帰宅途中の学生達が化け物に襲われている。
「解放せよ!」
瞬時にブレスレットに号令を掛けて刀を生成する。
化け物は、細く長い舌で逃げ遅れたのか腰を抜かして、その場に座り込んでいる中学生の男子に狙いを定めて攻撃する。
明日馬はすかさず刀を振り上げると舌を八つ裂きにすると、舌は四方八方へと飛び散った。
「大丈夫か?!」
中学生の少年に駆け寄り安否を確認すると、恐怖に耐えられず目には涙を浮かべてガタガタと震えてはいるが、特に目立った怪我はなくほっと息を付いた。
化け物はその隙に八つ裂きになった舌を再生させると、明日馬の背後に近づいた。
「あ、危な…っ!」
中学生の少年に言われて振り返ろうとした時、化け物は明日馬の心臓を目掛けて舌を伸ばした。
化け物の舌は明日馬の目と鼻の先で止まった。
「だから駄目だって言ったのに」
満月の声だ。振り返ると、刀を持った満月が化け物の心臓を貫いている。
貫いていると言っても相変わらず逆刃刀で攻撃力はあるとは思えないが、それでも化け物は全く身動き一つ取れないで固まっている。
やはり、かなりの実力者だ。改めて認識していると香ばしいケチャップの香りが鼻腔を掠めた。
「これだろ?あんたが今食べたい物。ナポリタン」
声がした方を見ると、流星がナポリタンを片手に立っている。熱々の鉄板に半熟の目玉焼きが上に乗ったシンプルなナポリタン。
満月が刀を下ろすと化け物はやっと自由になり、手を勢い良く突き出した。
また攻撃するのかと明日馬が刀を構え直した時だった。化け物の手は三人の横を通過して、流星が差し出したフォークを取った。
だがまだ気は緩めることなく明日馬は息を殺してじっと化け物を観察する。
化け物は器用にナポリタンをフォークにくるくると巻くと口に入れると、ほぅ、と溜め息を吐いた。
ケチャップの酸味と甘味の調和素晴らしく、後から来る黒胡椒の辛さも絶妙である。
次は、半熟の目玉焼きの黄身を崩して麺に絡ませて、目玉焼きとナポリタンを一緒にくるむようにして口に入れる。
今度はしっかりと噛み締めて食堂に流し込むと今度はたまねぎとピーマンとナポリタンを一緒にすくって頬張る。
すると、ケチャップの酸味とたまねぎの甘味がピーマンの苦味を緩和させてくれるのだ。
なんだか少し子供のような食べ方に思える。
明日馬は暫くただただ美味しそうに大人しく黙々と食べている様子を見守った。いつ攻撃されても反撃できるようにだけはして。
やっと食べ終わると化け物の体は白い閃光に包まれて数秒くらい経つと、中から中高生くらいの少年が現れた。
「翔太?!」
真っ先に反応を示したのは狙われていた中学生の少年だった。
「なんで翔太が?!この前、海で溺れた俺を助けて死んだんじゃ…っ」
翔太は、少年に近付くとふわりと優しく抱き締めた。
「無事でよかった。ずっと心配だったんだ。俺だけ死んだこと、ずっと気にしてるんじゃないかって」
それは一年前の出来事だった。部活の林間学校で川遊びをしていた時、溺れた友達の少年を助けに行った時、二人とも溺れて翔太だけが死んだのだ。
その事故はニュースでも取り扱われ暫し世間を騒がした。
それから、助けに行った翔太ではなく少年だけ生き残ったことで周りから非難され、辛い思いをしてきたことを翔太はずっと気に病み成仏できずにいたらしい。
「恨んでるんだろ?俺を。助けに行ったのに、俺だけ生き残ったから」
翔太は首を横に振った。
「ばかやろ。恨んでる訳ねぇだろ。恨むくれぇなら最初から助けになんか行くかよ」
その言葉は嘘偽りがないものだと言うことは初対面の明日馬達にも分かった。
「もうそれ以上気にするな。お前は俺の代わりに生きろ。死んだりしたら許さねぇからな」
「お迎えの時間だ」
暫く二人のやり取りを見ていた流星が口を挟んだ。
とても優しい、諭すかのような声色で。
「お迎え…?」
「成仏するってことだ」
「成、仏…」
「次生まれ変わったらもっといっぱい美味い飯食えよ」
「うん…」
翔太は、一筋の涙を流しすうっと天へ昇って行った。
一安心してやっと張り詰めていた緊張感が解れた明日馬は、急に目が回りだしその場に転倒した。
「日向っ?!」
慌てて流星と満月が駆け寄る
「大丈夫、ちょっと目眩がしただけだ」
「空きっ腹で動き回るからだ。飯作ってやるから大人しくしろ」
言うが早いか流星は立ち上がるとさっさと店へと入って行った。
「大人しくって、うわっ?!」
反論しようとしたが突然体が宙に浮いて明日馬は思わず声を上げた。こともあろうか、満月にお姫様抱っこされているではないか。
動けないからと言ってさすがにこれは恥ずかしくて、顔から火がふきそうになる。と言うか、四十kgはあろくあと言う男を軽々と持ち上げるなんて、満月の腕力はどれだけのものなのか。
「はっ、放せ!」
「駄目よ。一応病人なんだから」
「病人っつったってただの目眩だ!自分で歩ける!」
必死に抵抗してみせるがまるで歯が立たない。
「いいじゃない。助けられるの初めてじゃないんだし。それになんだか弟の面倒みてるみたいじゃない」
弟…。確かに一つ年下ではあるがそれにしてもあんまりな位置付けである。と言うか、とても楽しそうで完全に遊ばれているようで、明日馬は諦めることにした。




