閑話 ジャンの選択~僕が選んだ許嫁~
僕が、親に決められた許嫁と初めて会ったのは、まだ10歳になったばかりの頃だっただろうか。場所は、彼女の邸宅だったと思う。
この日、僕は生まれて初めて舞踏会に連れて来られ、その華やかで騒がしい空気に圧倒されていた。
「ジャン様、我がロッテンマイヤー家の娘を紹介させてください」
舞踏会のホステスである侯爵夫人が紹介してくれたその女の子は、ちょこんとドレスの裾を持ち上げて控えめな挨拶をした後、恥ずかしそうに顔を赤らめてはにかみ、母親の陰に隠れた。
大人しそうな子だな……。
彼女の第一印象はその程度だった。
この後、侯爵夫人が一方的に彼女のことを紹介してくれた。やれ、読書が趣味で10歳にして図書室の本をすべて読破した才女だとか、スイーツ作りが得意だとか……。その間、彼女自身はほとんど口を開かなかった。
ああ、僕の結婚相手はこんなに大人しいんだ。だったら、きっと静かな結婚生活になるんだろうな……。そんな風に思ったのを覚えている。
僕の名前は、リ・ギョーヌ・ジャンククリストフ・フランソワジャクリーヌ・モレーヌ。
長いので家族や親しい友人にはジャンと呼ばれている。モレーヌ侯爵家の長男で、いずれは侯爵家を継ぐことが決まっている。
あと、僕には、もう一つ決まっていることがある。産まれた時から、同じ年に生まれたロッテンマイヤー家のご令嬢-おそらく僕の目の前にいる彼女-と婚姻することが決められているのだ。
つまり、仕事と結婚相手という人生で最も大きく、最も期待と不安に満ちた選択が僕にはもう残されていない。
いや、他にも僕が自分で選べることなんてほとんど思いつかないけど……。
つまり、僕は一生、人が選んだ道を歩むわけだ。
「はぁ……」
思わずため息をつくと、目の前の許嫁が少し不安げな表情になった。
おっといけない。未来の花嫁を不安にさせてしまったか……。
その後、僕は彼女の機嫌を取ろうと必死で頑張った。最近読んだ本とか、おいしかったお菓子とか、いろいろと彼女が興味を持ちそうなことを話しかけた。
その甲斐あって、ずっと、彼女は機嫌良さそうにはにかむような笑顔を見せてくれていた。ただ、僕が一方的に話すだけで、彼女はほとんどしゃべってくれなかったけど……。
◇
「……あ~あ、疲れた……」
一方的に話すのに疲れ、人ごみにも酔ってしまった僕は、耐え切れなくなり舞踏会を抜け出していた。
人のいないところで一人になって冷たい空気に当たりたい。ちょっとくらいならいいだろう。
そう思いながら邸宅を出て、庭園を歩いていると、庭園の中央の大きな池が目についた。暗く大きな水面が不気味だ。
「なにか棲んでるのかな……?」
池を覗き込むと、中で何か大きなものがゆらりと動いた気がした。
この池の主か?
いや、主じゃない。動いたのは僕の方だ。そう気づいた瞬間。僕は、ザブンと池に飛び込んでいた……。
「ごめんごめん!ちょっと押したら池に落ちるかもって思ったら、押したくなっちゃってさ~!!」
ずぶ濡れになってガタガタ震える僕の前で、屈託なく笑う彼女は……さっき舞踏会で紹介されたロッテンマイヤー家のご令嬢?僕の許嫁?
さっきのおしとやかな様子とは全然違う。こんな大口を空けて笑うような女の子じゃなかったはずだけど……。
「ねえ、名前を教えてよ」
「……さっき舞踏会で紹介された時に名乗ったと思うけど……」
彼女は一瞬キョトンとした後、膝を叩いて爆笑し始めた。
「あれだ、それはリナだよ!!私の双子の姉。私は妹の方、リサ・ロッテンマイヤー。よろしくね」
彼女がケラケラ笑いながら手を差し出してきた。だけど、僕は握手する気になんかなれず、おずおずと小さな声で名乗った。
「リ・ギョーヌ・ジャンククリストフ・フランソワジャクリーヌ・モレーヌです」
「いや、なげ~よ、覚えらんないし。ハハハッ」
どこが笑うポイントだったのかよくわからないが、また彼女は腹を抱え始めた。よほどツボにはまったのか体をくの字に折り、息をするのも苦しそうだ。
「ジャンでいいよ……」
「ああ、ジャン。よろしくね!!」
「あっ、うん。ハ、ハックション!!」
くしゃみが出てしまった。池に落ちたから身体はずぶ濡れだし、季節は冬だ。早く着替えないと風邪をひいてしまう。
慌てて邸宅の方へ戻ろうとすると、リサが僕の肩と掴んだ。
「待って、そんな格好で家に戻ったら、私が池に突き落としたって誤解されちゃうじゃん!!」
「誤解も何も、それは事実では?それに、このままだと風邪ひいちゃうし……」
「……もう、仕方ないな~」
リサは木の下に掃き集めてあった落ち葉の方へ歩み寄り、それからグイッと腰を落とし、虚空に向かって手を伸ばし、なにやら大仰なポーズを取り始めた。
「我が名は、リサ・ロッテンマイヤー!由緒あるロッテンマイヤー家の令嬢にして、将来侯爵となる者!火の精霊よ!我が名のもとに、その落葉にその力を宿せ!!」
リサの一喝の後、落葉から煙が一筋、二筋と立ち昇り、やがて炎を上げ始めた。
「ほら、この焚き火で服を乾かすといいよ!」
「すごいっ!!リサって、火の精霊を使役できるんだ!!」
「フフン、まあね~。ジャンもやって見なよ。あんな感じで精霊を威圧して、精霊に認めてもらえれば言うことを聞いてくれるからさっ!!」
「えっ、そうかな!じゃあ、あっ……でも……」
僕はリサのポーズを真似ようとして手を振り上げ、しかしすぐに躊躇い、手を下ろした。
「どうしたの?やってみればいいじゃん!」
「いや、お父様から精霊に関わっちゃダメだって言われてて……」
ローデシア王国の貴族は、今、開明派と精霊派に分かれている。開明派に属する父は、昔ながらの精霊の使役は曲芸のようなもの、文明人は精霊ではなく科学の力に頼るべきだといつも言っていた。だから、僕もモレーヌ家の後継ぎとして、精霊使いの真似事をするなんて許されない……。
「なに言ってんのよ。お父様がどう言ってるかじゃなくて、ジャンがそれを選ぶかどうかでしょ?」
リサは腰に手を当て、僕を見下ろしてきた。
「ジャンの人生、ジャンがやりたいことを選べばいいじゃない。ジャンはやりたいの?やりたくないの?」
「や、やりたい……」
実はずっと前から精霊には興味があった。ずっと僕はそっちを選べないと思い込んでたけど……。
「じゃあやってみなよ。コツは、恥ずかしがらずに、堂々と名乗りとポーズを決めること。それだけ!さあさあ」
リサがニヤニヤと笑っている。それを見ながら、僕は腰を落とし、さっきのリサのポーズを真似て腕を突き上げた。
「わ、我が名はリ・ギョーヌ・ジャンククリストフ・フランソワジャクリーヌ・モレーヌ!侯爵家の嫡男にして、やがて侯爵となることが約束されしもの!さあ、雷の精霊よ!その姿を我が前に示すがいい!!」
僕の張り上げた声が空に響いた時、天から落ちた一筋の雷光が目の前の銀杏の木を切り裂き、やがて炎を上げ始めた。
すごい……これが精霊の力なんだ……。こんな力が僕にあったんだ……。
「すげ~っ!えっ、いきなり雷の精霊?すごすぎるじゃん!!」
リサが目を丸くしながら腕を広げて、僕に近づいた。
えっ?抱きつかれるの?まだ心の準備が……。そう思って身を固くすると、リサは僕の背後を見て、動きを止めた。
「こら~っ!!またリサだな!!まったくお前はろくなことをしないな~!!」
邸宅から髭のおじさんが顔を真っ赤にしながら、こちらに駆け寄ってくる。
「やべっ、お父様に見つかった!ほらっ!逃げるよ!」
僕はリサに手を取られ、その後、暗くなるまで一緒に庭中を逃げ回った。
息を切らし、それでもリサが手を離してくれないので、ずっと走り続けながら考えた。
僕の人生には生まれながらに選択肢がない。ほとんどのことは決められてしまっていると思っていたけど、実はさっきみたいに自分で選んでいいんだ!
だったら、結婚相手も自分で選ぼう。お父様とか他のどんな方が反対しても、何に変えても、これだけは絶対に自分で選択しよう。僕の前を走る彼女の背中を見ながら、僕は固く決意した。




