第35話 その表情は?
「師匠。あの、お伝えしたいことがあるんです。師匠の婚約者のジャン伯爵のことで……」
稽古納めの日の夜、忘年会からご機嫌な様子で帰って来たリサにそう伝えると、彼女は一瞬表情を変えた後、すぐにきゅっと顔を引き締めた。
「座ってゆっくり話を聞こうじゃないか」
「は、はい……」
ダイニングテーブルで向かい合い、僕は昨日からこれまでの経緯を説明した。
僕が商店街で会った謎の男がリサの婚約者を名乗るジャン伯爵であること、そのジャンが突然岡崎道場に現れたこと、僕がジャンと空手の組手をして打ち負かしたこと、それから、ジャンからリサと話をさせて欲しいと手をついて頼まれたこと、を順を追って説明していくと、どんどんリサの表情が険しくなった。
「……それで、ジャンのやつは何を話したいと言ってるんだ?」
「はい……ジャンさんは、タジオ公爵の使いでこちらに来ているようで……」
そこまで話したところで言葉に詰まってしまった。リサがくわっと目を見開き、僕を睨みつけたからだ。
「……話を続けて」
「はい……あの、ジャンさんが言うには、タジオ公爵は、王族であるマリアちゃんに危害を加えるつもりはなく、ローデシア王国へ戻ってくれば相応に敬意を持って遇するつもりがあるとか……。あと師匠についても、元の通りの爵位も保証するし、接収した領地も返す、伯爵へ降爵させられたジャン伯爵もいずれ元の爵位へ戻してくれると約束してくれていると言って……まして……」
そこまで話したところでまた言葉に詰まってしまった。リサが腕組みをしたまま、僕の目をじっと見つめている。その眼光は鋭い。
「フフッ、ジャンは人が良かっただろう」
リサが少し口元を緩めた。だけどまだ目は笑っていない。
「はい。見た目とか挙動はおかしかったですけど、話してみたら、マロードとかフーシェ兄弟とか、これまでの刺客とは違って紳士的で、すごくいい人そうでした」
少しほっとしながらそう伝えると、リサは「ハッ!!」と鼻で笑った。
「確かにジャンはいい奴だけどね。でも私は人が良いって言ったのよ。陛下を国に返したら、王族として敬意をもって遇する?私の爵位と領地を復活させる?あのタジオ公爵がそんな甘いこと本気で考えてるわけないでしょ!!」
リサの吐き捨てるような強い口調に僕は怯えてしまい何も言えない。
「そんな甘言に騙されてのこのこローデシア王国へ帰ったら、陛下も私も、それからついでにジャンも、枕を並べて処刑される。火を見るよりも明らかだわ」
「マリアちゃんや師匠だけではなく、ジャンもですか?」
「そうよ。ジャンは、元々は陛下を支えるために、反公爵派として戦ったと聞いている。使者で来てるってことは、今はタジオ公爵に降伏したんだろうけど、陛下や私を釣る餌としての利用価値がなくなったら処刑されるのは当たり前。釣りの生き餌が、魚を釣り上げたからって逃がしてもらえるなんてことはないわ」
「そうですか……」
僕もリサの言うことは正しいと思う。僕だって、マリアちゃんとリサを帰国させたら危ないというのは最初からわかっていた。だけど、ジャンの必死さと誠実さに押されて、そのままリサに取り次いだのだ。
「それでは、せめてジャンに会ってあげてもらえませんか?婚約者として師匠のことを心から心配してるみたいですし……」
「だめだ!!」
僕の願いは、断固とした一言ではねつけられた。
「なんでですか……?婚約者ですよね?」
「もう私はジャンの婚約者じゃない!!陛下と一緒に日本へ来た時、未練を断ち切るために婚約を解消したんだ」
「でも、ジャンさんはそう思ってないみたいですよ。まだ師匠のことを想っているようですし、一度くらい会ってあげても……」
「とにかくダメだ!!この話はもうおしまい!!陛下も私もローデシア王国へは帰らない。私はジャンに会わない!!以上!」
そうピシャリと言って、リサは席を立った。その背中は断固とした拒絶の意思を見せていた。
だけど、僕は気づいていた。今日、ジャンの名前を最初に出した時、リサの顔が一瞬だけ、嬉しそうにほころんだことを……。




