閑話 リサの優雅な生活~働くリサはちょっと違う~
「消灯時間になりました。消灯します」
午後10時、館内放送で無機質な音声が流れると、わずかな非常灯と常夜灯を残し、廊下の電気が消されて一気に暗くなった。ここから明日の朝8時までが私の勤務時間だ。
私、ローデシア王国の侯爵であるリサ・ロッテンマイヤーは、やむを得ない理由により、ドラッグストアでの仕事を辞めなければならなくなった。
なんで辞めることになったのかって?……それはまだ話したくない。
だけど捨てる神あれば拾う神あり。ドラッグストアで同僚だった清美さんの紹介で、すぐに新しい仕事を見つけることができた。
新しい職場は有料老人ホーム。私と清美さんは、ここで夜の宿直勤務をしている。
宿直の仕事はそんなに大変じゃない。決まった仕事としては、お風呂場とかの掃除や朝ごはんの準備くらいだ。
その他の時間帯は待機である。先輩の話だと、何か事件が起きた時は救急車を呼んだり、警察に連絡したり、ご家族に連絡を取ったりと色々大変らしいけど、幸いなことに私が勤務を始めてからはまだ、一度もそんな事件は起こっていない。
「リサ、じゃあこれで掃除も終わりだわね。私は次の準備があるから失礼するわ」
掃除も一通り終わった午前3時。清美さんが手を拭きながらそそくさと姿を消す。
これから朝食の準備を始める午前5時くらいまで待機時間だ。待機時間とはいえ、この時間から施設はすこし賑やかになる。早くも目を覚ましたアーリーバードたちがぞろぞろと起きてきて、食堂に集まってくるからだ。
「は~い。みなさ~ん。こちらに集まって下さ~い」
食堂の真ん中で清美さんが声をかけ、集まった利用者を、空き部屋へ誘導する。清美さん調べによると、あの空き部屋には防犯カメラが設置されていないらしい。
「たまにはリサも一緒にどう?」
「い、いや……。まあ、また今度……」
ご年配の皆様を空き部屋に集めて一体何をしているだろう?また違法な賭場を開帳しているのだろうか?巻き込まれたら大変だと思い、慌てて距離を取る。
「さて、じゃあ朝食までやることないし一寝入りでもしようかな……?」
休憩室に向かおうとすると、清美さんに付いて行かず、ぽつんと一人で食堂の隅で新聞を広げているおじいちゃんが目に入った。いや、目に入ったのはその男性ではなく、広げている新聞の方だ。
「あっ、ファイアサイレンス!!」
見覚えのある馬の写真に思わず声をあげてしまった。忘れもしない。清美さんに初めて競馬に連れて行ってもらった時、さんざんやる気を見せていたのに、最後の最後に隣の馬に噛みついて失格になり、私の馬券をすべて紙切れにした憎いお馬ちゃんだ。
「いや~、あの後どうしたのかと思ったけど、ちゃんと活躍してたんだ~。よかった~」
突然、声をあげて新聞を覗き込んできた私に、そのおじいちゃんは不機嫌そうな顔を向けた。
「ああ、急にごめん。前にこの馬を信じて全財産を突っ込んで負けたことがあったから思わず。ごめんね~」
「なんだ、あんたも競馬をやるのか。このファイアサイレンスは、儂がかつて所有していたフェアリーファイアーの孫なんだ。あいつも気性が荒くて何度煮え湯を飲まされたか……」
「へ~っ、おじいちゃん馬主だったんだ。お金持ちじゃん!!」
それを機に、そのおじいちゃん、津田山平吉さんとちょくちょく競馬の話をするようになった。
◇
「じゃあ、みなさん集まってくださ~い。今日のイベントを始めますよ~」
今日も今日とて、何かのイベントにたくさんの参加者を集客している清美さんを尻目に、食堂の端で平吉さんと二人で向かい合う。
「平吉さんは、あっちの方に参加しないの?」
競馬も好きなわけだし、清美さんの賭場に興味があっても不思議じゃない。だけど平吉さんは、清美さんのイベントには決して参加しない。そもそも施設の他の利用者と話している姿を見ることもない。
他の利用者の話によると、平吉さんはプライドが高くて、明らかに他の利用者を見下しているのだとか。しかも、たまに話しかけてあげても信じられないようなほら話ばかりするらしい。
だけど、平吉さんは、清美さんの声が掛かる度に、いつも少しだけうらやましそうな顔をする。本当は仲間に入りたいのだろうか?
「よければ、私の方から清美さんに話をしとくよ?」
しかし、平吉さんは少しだけ逡巡した表情を見せた後、首を横に振った。
「いや、儂はあんなケチな奴らの仲間に入りたくない。儂は世が世なら貴族なんだぞ」
平吉さんは少し遠い目をした後、自分の過去を語り始めた。
まだ大学生の頃、平吉さんは、空手の修行のため海外を放浪した末、小さな国に辿り着いた。その国は外国との交流を制限していたけど、平吉さんは王様に気に入られ特別に入国を許され、やがて貿易を通じてその国で莫大な財産を築くことに成功した。
その後、日本に戻り、その国で築いた資産と人脈を使ってビジネスに成功し、我が世の春を謳歌したけど何度目かの不景気を乗り越えられず、結局日本では破産してしまった。その時になって、その国へ帰ろうとしたけど、その国は鎖国をしていて、入国を許されなかったらしい。
ちなみに平吉さんは忘れているようだけど、この話を私にするのは今日で七回目だ。しかも毎回長く、いつ終わるとも知れない。
「……その国には儂の領地があり家来もいて、大富豪。しかも王様から叙爵されて、なんと伯爵様だぞ。しかも儂は私財を投じてダム建設という巨大プロジェクトにも着手して……」
「へ~っ、それでその国は何て名前の国なの?」
「…………」
私が国の名前を聞くと、いつも平吉さんが黙り込んでしまう。おそらく、これが噂になっていた平吉さんのほら話なのだろう。
あえて細部にツッコまない方が親切なのだろうけど、平吉さんの話はいつも長い。だから、話を終わらせたい時はいつも国の名前を聞くことにしている。
そろそろ朝食の準備をしないといけないしね。
◇
ある日、出勤すると、施設に平吉さんの姿が無かった。私が非番の夜に急に体調を崩して亡くなられたらしい。
……そっか、こんな急にお別れが来るんだ。わかってたら、平吉さんの長いほら話ももうちょっとちゃんと聞いてあげたのにな……。
わずかな後悔を覚えながら、いつも平吉さんがいた食堂の隅の椅子に座っていると、清美さんが近づいてきて、封筒を差し出した。
「これ、平吉さんからリサ宛だってさ」
少しこぼれそうになった涙をこらえて、中を開くと、『遺言書』という文字が飛び込んで来た。
「すごいっ!!リサに財産を残してくれてるじゃないの!!いくらあるの?」
清美さんが食いつくように紙に顔を近づけ、それから落胆したようなため息をついた。
「なんだ~。結局、これも平吉さんのほら話だったわね。こんな国なんか聞いたこともないし……」
そう言い残すと、清美さんはいつものイベントの参加者を募るため離れていった。私は硬直したまま動けなかった。そこにはこう書いてあったからだ。
『私、津田山平吉は、ローデシア王国の伯爵としてのすべての財産と権利をこの遺言状を持っている者へ譲り渡す』




