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第28話 なんでその字を選んだ?

 横浜家庭裁判所。

 僕とリサは調停室の前に置かれた長椅子に座っていた。


 リサの双子の姉であり弁護士でもある里奈さんは、リサがマリアちゃんの後見人に相応しくないと主張してリサを相手に裁判所に家事調停を申し立てた。今日はその調停期日である。


「今日、何を話すかちゃんと覚えてるわね」


「わかってます。何度も練習しましたから」


 僕がネットで調べたところ、家事調停では調停委員の先生が当事者双方の話を聞いた上で調停案を示すらしい。そうであれば調停委員に、リサがマリアちゃんの後見人として相応しいことを説明し、納得してもらう必要がある。


 もちろん、基本的には、リサ自身がそれを主張することになるが、一緒に暮らしている僕が、第三者の立場からリサを強く支持すれば説得力が増すに違いない。


 そうリサから頼まれたので、平日に学校を休んで、こうして裁判所へ来ているのだ。


「それでは、お入りください……」


 調停室の扉が開き、部屋の中に呼び入れられた。

部屋の中には、年配の調停委員が二人、男女一人ずつ並んで座っている。それから、先に部屋に入った里奈さんが調停委員と長机を挟んで座っている。


「……わかってますね。調停委員の先生の信頼を得るためには第一印象が大事ですよ」


「わかってる」


 小さな声でリサに念を押すと、僕は里奈さんの隣に座り、リサが僕の隣に座った。


 今日のリサは一張羅の黒いスーツ姿。ナチュラルメイクにフレームのない眼鏡。雑誌で調べたやり手で頼りになる、しごでき女子コーデだ。

 弁護士の里奈さんと並んでもまったく遜色ない。


 僕たちが座るや否や、女性の調停委員が書類に目を落とした。


「……ええっと、真ん中が参考人の山口一郎さんで、こちらに座っている女性がマリアちゃんの後見人の、六天魔…射矢……えっと、このお名前はどう読むのかしら?」


「ロッテンマイヤー・リサです!」


 調停委員の手元の資料を見て仰天した。そこには、「後見人 六天魔射矢リサ」と書いてあった。


「なんですか!あのトンチキな名前は!!」


「しょうがないでしょ。こっちに来た時に、便宜上日本国籍を取得したんだけど、その時に苗字は漢字じゃなきゃだめって言われたから……『ロッテンマイヤー』に漢字を当てるの大変だったのよ」


「それにしたって、あんな北関東の暴走族みたいな苗字にしなくていいじゃないですか!」


 リサに囁きながら、ちらっと調停委員を見ると、二人とも不審な目で僕たちを見ている。しまった。第一印象は最悪だ。


 ちなみに書類を見ると、マリアちゃんの日本名は『山田まりあ』らしい。

 こういうのでいいんだよ、こういうので!!


「まあ、わかりました……それでは、先に中野島先生からお話を聞きましたので、六天魔射矢さんのご主張を聞かせていただけますでしょうか」


「はいっ!!」


 リサは、緊張した面持ちではあったけど、用意した原稿を見ながら、とうとうと語り出した。

 1年前、マリアちゃんが日本に来ることになった時に世話係の任に就いたこと、それで家庭裁判所に認められて後見人になったこと、それ以降、後見人としての役割を一生懸命果たしてきたこと、マリアちゃんもリサを頼りにしてくれていること……口調は静かで朴訥としていたけど、説得力を感じる。


「……その後、この山口一郎さんのお姉さんである山口愛美さんから、高校生なのに一人で暮らしている一郎さんの生活が心配なのでよろしくお願いします、と頼まれまして……。今年の4月からはマリアちゃんともども、一郎さんの家に住み込んで、一郎さんとマリアちゃん二人のお世話をさせていただいております」


 そんなでたらめを、しゃあしゃあと言い放つリサに横目でジトっとした視線を向ける。


 元々は勝手に僕の家に押しかけて強引に住み着いて、それから偶然姉さんに一回だけ会って、社交辞令で『よろしくお願いね』と言われただけなのだ。だけど、その順序を入れ替え、時系列を曖昧にして説明することにより、あたかも姉さんに頼まれて僕と一緒に暮らしているかのように錯覚させている!なんという言葉のマジック!!


「まあ……その若さで高校生男子と小学校低学年の女子のお世話をするなんて、大変でしょう?」


 年配女性の方の調停委員が心を打たれたのか、同情するような表情になった。


「でもさっき、中野島先生から、あなたは生活能力がなくて、食費や酒代すら高校生の一郎さんに依存してるって聞いたけど、本当なの?」


 対照的に男の方の調停委員が鋭い疑惑の視線を向けて来る。痛いところを突いてきた!


 しかしリサはひるまず。自信ありげな顔で微笑み返した。


「ええ、一郎さんが生活費や食費はいらないとおっしゃって受け取ってもらえないので……ただ、それでは心苦しいので、代わりに一郎さんとマリアちゃんを遊びに連れて行ってあげたり、二人の習い事の月謝を払ったり、今年の夏に旅行に行った時にはその費用を負担させていただきました。こうやって機会があるごとに穴埋めいただいています。ねえ、一郎さん」


 急に話を振られて、慌ててうなずく。しかしこれも言葉のマジックじゃないか?


 一緒に動物園に行った時、リサは自分の入園料を払っただけだし、空手の月謝は二人合わせても月1万円だ。夏の合宿費用に至っては、もともと僕が貯めていたお金を使い込んだ経緯があるじゃないか!!


 しかし、ここでそんなことを言い出すと調停が不利になることは重々承知している。僕は唇を噛んでぐっとこらえた。


「家事はどうしてるの?リサさんが全部やってるの?」


「そうですね……お料理を作ってあげたり……。特に我が家の伝統料理は一郎さんもマリアちゃんも気に入ってくれて。ねえ、一郎さん」


「グラン・ドゥ・ロッテンマイヤーですね。マリアちゃんが大好きなので僕も週に1回は作るようにしてて、痛っ!!」


 テーブルの下でリサに足を踏みにじられた。


「ほほっ、あんまり気に入ったので作り方を知りたいと言われて、一緒に作りながら教えてあげたんですよ。ねぇ、一郎さん?」


「は、はい……。教えてもらいました」


 リサがグラン・ドゥ・ロッテンマイヤーを作ったのは1回限り。それ以外、リサは自分の酒のつまみを作る以外に台所に立つことはないのだが……。

 さっきから不本意なことを言われているが、我慢だ。我慢!


「じゃあ、参考人の山口一郎さんにおうかがいしたいんですが、リサさんと一緒に暮らされてどうですか?一郎さんやマリアちゃんに不満はありませんか?」


「は、はい……」


 チラッと横を見ると、リサが失敗を許さない鬼軍曹みたいな目でこちらを見ていた。思わずごくりと唾を飲み込む。


「あの……僕は早くに母親を亡くして、父親も遠くに行ってしまって、姉さんが転勤で大阪に行ってからはずっと一人暮らしで……正直、不安でした。この不安な気持ちは、ご両親と離れて異国へ来たマリアちゃんも同じだと思います」


 顔をあげると調停委員二人が真剣な表情で僕を見ている。ここは勝負所だ。失敗はできない。


「でも、ししょ……リサさんが一緒に暮らしてくれて、すごく安心できるようになりました。ずっと忘れてたけど、お母さんと一緒に暮らしていた頃を思い出しました。マリアちゃんも、リサさんがいてくれることで、すごく安心して、しかも毎日が楽しそうです。だからお願いします。リサさんとマリアちゃんを引き離さないでください。後見人を続けさせてください」


 僕が頭を下げると、調停委員から、「ほぅ…」というため息が漏れた。


「リサさん、すごく慕われてますね」


「うん、ちゃんと後見人としてのお仕事もされているようですね」


 調停委員の先生にわかってもらえた。最初はどうなることかと思ったけど、どうやら信頼を勝ち取ることに成功したらしい。


 ほっと胸を撫でおろそうとした時だった。


「異議があります!!」


 里奈さんの冷たい声が、調停室に鳴り響いた。


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