第12話 いったい僕が何をした?
「習いごとしたいな……」
マリアちゃんが、遠慮がちにそう口に出したのは、ある日の夕食が終わり、食器を片付けている時だった。
「習いごとって…何を……?」
思わず緊張が走る。
王族であるマリアちゃんの習い事なのだ。きっとハイソな感じのピアノとかバイオリンとか、いや乗馬とかかもしれない。
いずれにしても相当お金がかかるんじゃないだろうか?
なるべくならやらせてあげたいけど、お金のやりくりどうしようか?
そんな不安を顔に出さないよう注意しながらマリアちゃんの次の言葉を待つ。
「えっとね。学校の友だちからさそわれたの。これなんだけど……」
「ああ、なんだ、岡崎道場のキッズクラスか」
マリアちゃんから手渡されたチラシを見て、ホッと胸を撫でおろした。
岡崎道場は、近所の岡崎さんが開いている空手道場だ。この街の大地主でもある岡崎さんは、家賃収入だけで左団扇に暮らしていけるくらいの大金持ちで、空手道場は完全に趣味。
だから月謝は相当安いはず。だけどあの道場には……。
「だめ……?」
僕が渋い顔になったからだろうか?マリアちゃんが不安そうな顔で見上げてきた。
「あっ、違うよ。ダメってわけじゃなくて、僕が小学生の頃、この道場に通ってた時の嫌だったことを思い出しちゃって……」
「なに?それは聞き捨てならないわね!陛下に、そんな問題のある道場に通っていただくわけにはいかないわよ!」
食卓でしつこくビールを飲み続けていたリサが口を挟んで来た。
「違うんです。この道場に問題があったわけじゃなくて、同じキッズクラスに意地悪なやつがいて、そいつを思い出したんです。なんかジャイアンとスネ夫を足して2乗した感じの子で……」
「足して2で割るんじゃないの?それじゃ4人になっちゃうじゃん」
「いえ、そいつは1人で4人分の意地悪をしてくるような奴だったんです。会うたびにジャイアンみたいに理不尽な暴力を振るってきて、しかも同時にスネ夫のようにネチネチと人格攻撃をしてくるタイプで…。だからいつも道場に行くのが憂鬱で……」
今でも、あの頃のことを思い出すと胃のあたりが痛くなる。親にも、そいつに会いたくないから道場を辞めたいって何度も言ったけど、父の意向で頑として辞めさせてもらえず、結局、小学校を卒業するまで続けさせられた。
「でも、一郎が小学生の頃にキッズクラスにいたってことは、さすがにそいつはもういないでしょ?じゃあ関係ないじゃん」
「キッズクラスにはいないでしょうけどね。だけどそいつは……、ああでもそうか。確かに師匠のおっしゃるとおりキッズクラスにはいないはずですね。じゃあ、今度の土曜日に見学に行ってみようか?」
「やった~!」
こうして、僕たちは近所の空手道場のキッズクラスへ見学に行くことになった。
この時は、そこで憎いあいつと再会するなんて夢にも思っていなかった。
◇
「押忍!先生、お久しぶりです。今日は見学をお許しください」
「押忍!一郎くん、久しぶりだね。遠慮なく見学していってね」
土曜日、さっそく岡崎道場を訪れ、道場主である岡崎先生に挨拶した。
先生は一度も就職しないまま空手の修行に専念し、その道に半生を費やした求道者。昔は動物園で勝手に熊の檻に入って戦おうとするぐらい尖っていたらしいけど、既に70歳を越えて髪も真っ白。今ではすっかり好々爺になって物腰も柔らかだ。
「そういえば、お父さんは元気にしてるかな?」
「ずっと海外に行きっぱなしで連絡もなくて…。毎月仕送りを振り込んでくれているので、生きているとは思うんですが……」
「まったく!あいつはしょうがない奴だな!今度戻ったら説教してやるから、私に連絡をするように伝えなさい!」
それまで穏やかで優し気だった岡崎先生が急に怒り出した。
岡崎先生は、僕のお父さんの空手の師匠でもある。お父さんも若い頃は空手の道で将来を嘱望されていたらしいけど、ちょうど僕が小学校6年生あたりで、岡崎先生に黙って勝手に海外に行ってしまった。
だから僕もこの道場を辞められたのだが、武道家である岡崎先生は、そんなお父さんの不義理が我慢ならないらしい。お父さんへの不満の言葉がどんどんエスカレートして止まらなくなった。
話が終わりそうにない。ちょうど道場にキッズクラスの生徒が集まり始めたので、「邪魔にならないよう、あっちで見学させていただきま~す」とだけ言って、ほうほうの体で、道場の入口近くの板の間の方へ逃げた。
リサとマリアちゃんと三人で並んで立っていると、ちょうど道場に入って来た小学生にマリアちゃんが声を掛けた。
「あっ、龍太く~ん」
えっ?男子?友達って男子だったの?思わずリサと目を見合わせる。その男子は男子で照れたのか、「おうっ」と小さく答えただけで、何も言わないまま道場の真ん中に敷かれた畳の方へとそそくさと走って行った。
集まって来たキッズクラスの生徒は10人くらい。男女がちょうど半々くらいだろうか。
時代が変わったのかな?僕の頃は女子なんてほとんどいなかったけど……。
そんなことをぼんやりと考えていると、急に膝裏に衝撃を感じ、ガクッと腰が落ちた。
「あれれ~っ?山口一郎くんじゃな~い?どうしたの~?途中で逃げ出したのに、よ~く、またうちの道場の敷居を跨げたね~!すごい精神力~」
この聞き覚えのある喋り方。突然の暴力からの煽り。
間違いない。彼女だ。
あのジャイアンとスネ夫を足して2乗したようなあいつ、岡崎佐那だ。
黒髪のショートヘアの彼女は、何がおかしいのか、口元をにやつかせながら僕を見下ろしていた……。




