第二章 覇権なき闇の世界
前回のあらすじ
大戦争にてドイツ率いる中央同盟国が勝利した。この結果は参戦した国のみならず発展途上国や植民地にも激震が走る結果となり、世界の覇権を事実的にドイツが掌握したようなものだった。しかし、この結果は協商陣営だけに悪影響があったわけではない。オスマン、オーストリアでは民族独立を掲げる反乱軍が疲弊した政府に対して牙をむいており、ドイツ国内でもこれに乗じて政権を奪おうと暗躍する者たちが立ち上がっていた。
そして世界は前大戦を遥かに凌ぐ混沌に入ろうとしていた...
1919年、世界のほとんどを巻き込んだ大戦争は中央同盟国陣営の勝利に終わった。しかしその戦争が終わってから5年たっても世界のほとんどでは大戦の傷が深く残っていた。オーストリアやオスマン帝国では民族反乱が絶えず発生し二か国はかつて、大戦争で中央同盟国を支えたとは思えないほど崩壊寸前に陥っていた。その心配は見事命中し1928年6月、イスマイル・デミルバシュという人物率いるトルコ統一党のクーデターを受けコンスタンティノープルが陥落したことでオスマン帝国が崩壊した。そしてその地にはトルコ共和国が建国され、以前の親ドイツ政権から親アメリカ政権へ移行し国内では急進的に民主化が進んだ。この結果に対しドイツ現皇帝のフリードリヒ3世は憤慨しただちに外交官を派遣し遺憾表明したが、あまり良い返事はなかった。さらにフリードリヒ3世が憤慨する事件も続いて発生していた。1928年8月、ドイツ帝国軍の一部が突如オーストリア地域、ズデーデン地域に対し進軍をしたというのだ。これはどの国が見ても軍事侵攻であり、これを事前に把握できなかったのはドイツ帝国軍の状況がもはや暴走に近い状態になっているということが世界に見せつけることとなった。
ドイツ帝国軍はオーストリア、ズデーデンに侵攻すると彼らはドイツ系民族を守れと旗を掲げながら攻撃を開始していた。さらにドイツ帝国軍は侵攻を続けていく中でドイツ系民族の住んでいる地域だけにとどまらずハンガリーやバルカン半島への侵攻まで開始していた。そしてその地域全体に展開している反乱軍を圧倒的な砲撃と新型兵器「戦車」を用いて制圧していた。そして1928年10月、オーストリア政府は降伏しドイツとの統合を了承した。これに対しフリードリヒ3世は否定し、国際連盟もこれを占領であるとして認証しなかったが軍部が民間人の保護を成功したうえ、長年続いた民族反乱を鎮圧したことで民衆の多くは軍部を支持していた。
ドイツ国内では新党「ドイツ労働者国民党」と「ドイツ共産党」と皇帝派「王統党」が議会にて三つ巴を続けていた。しかし、その均衡をこの事件の後崩壊することとなる。ドイツ労働者国民党の新党首としてとある人物が就任した。彼の名は「ラーガ・ヴァルター」大戦争では東部戦線で南部戦線を管理する将軍であり、戦後は軍隊の改革を公約に政治家となり現在は一部軍部と連携して政権を狙う一人となっていた。そして彼は1930年に行われるドイツ総選挙にて勝利するために軍部を利用して演説を行っていた。「全民衆へ。かつてのドイツは大戦に勝利した後何をしたか。同じ同盟国であった多くの国の支援をしながらも民族反乱を無視していた。それが何を招いた?オスマン帝国は完全に崩壊し今や貴族でも何でもない一般人が政権を持ち、あろうことかかつての敵に胡麻をするほどに落ちぶれたではないか!軍部がオーストリアを進行したのはその生き地獄からドイツ民族を救うためである!」その言葉に多くの民衆が拍手し、歓声を上げた。それを聞く外国人は顔を青くして恐怖し、この国の転換期を全世界がただ待つことになった。そして運命の1930年4月、ドイツ総選挙が行われた。この選挙で全体の議席の約40%がドイツ労働者国民党が持つこととなり王統党が34%、共産党が22%となった。また、親アメリカ主義のヴァイマール党も新たに出現し彼らが4%の議席を獲得した。
この選挙では野党第一党として立ったドイツ労働者国民党だけでは法律制定に進めないことにラーガは少し頭を悩ませていた。そこにとある人物達が訪問する。「そろそろ始めるべきではないか?ラーガ...いや、新総統ラーガ・ヴァルターよ」その言葉にラーガは前を向きなおし彼らに命令を下した。「これもドイツのためだ。計画はすでに完成しているのだろう?では、始めよう。皇帝の死がこの国を大きく動かす!」その言葉に彼らは右腕を大きく上げ敬礼をした。そして選挙が終わった日から数か月後1930年7月、フリードリヒ3世が暗殺される事件が発生した。この事件は世界的な大事件となり、多くのものはまた大戦争が起きるのではないかと懸念を持つこととなった。しかしそれとは裏腹に真っ先に動いた組織がある。それもドイツ労働者国民党であった。彼らは軍部と連携してベルリンを即座に包囲し、徹底的に調査を始めた。そしてこの事件の犯人が共産化を進めようと過激な工作を進める者たちによって暗殺されたものとして発表された。これを受け、王統党はドイツ労働者国民党と連携し反共主義としてとある法律の制定に賛成することとなった。それは全権限委任法であり、新皇帝のフリードリヒ4世に権利を集中する内容であった。しかし、ラーガはここで議会でとある演説をした。「フリードリヒ3世がいま共産主義に暗殺された今、新皇帝が前に立って活動するのは極めて危険である。そのためこの権限を王統党と我々で合併し適切に利用するべきである。」これに対し、皇帝の権利収縮であると一部議員は非難したが多くのものがフリードリヒ4世の暗殺を警戒し、ラーガの案に賛同し王統党の一部議員は反共による連携のもとドイツ労働者国民党に合流した。これによってドイツ労働者国民党は前議会の過半数を超える議席数を獲得し、皇帝に変わる新党首としてラーガ・ヴァルターが着任した。彼は着任した直後にまずは国内の問題解決を掲げ、ドイツ以外の民族支持者の逮捕、さらに共産主義者の逮捕を軍部、警察に指示した。そして1年後の1931年8月、ドイツはオーストリアと正式に合併することになり国名を「独墺帝国」と改名した。これに対しブルガリアなどのバルカン諸国は将来的な侵攻を恐れ、バルカン大同盟という新陣営を結成し、バルカン大同盟評議会議長として「ミラン・コヴァルチェヴィッチ」が就任した。彼は「バルカン半島は常に平和を求め、国と争うことも協調して戦争に参加することもしない。このバルカンこそがこれからの平和の中心にする」と宣言していた。しかし、その宣言に対し独墺帝国は「この宣言は今我々に対して独立戦争を助長しているのに傲慢である」と非難声明を発表し、バルカン半島では大戦争以来の緊張に包まれていた。さらに独墺帝国国内での共産主義粛清に対してソ連も「同志が思想の違いだけで一方的に迫害を受けている」と国内で反独墺帝国感情が広がっていた。さらにフランス、イギリス、アメリカでもこの独墺帝国の規模と軍事力を無視することができなくなり、新陣営「民主連合」を結成することとなった。
そんな中で1936年、東アジアで大規模な戦争が起きた。日本と中国国民党で以前から問題となっていた「満州国」にて銃撃事件が発生したのである。これを両国は相手からの攻撃であると表明し戦争が始まった。この戦争では日本支持の独墺帝国、それに対抗するべく中国国民党支持の民主連合が代理戦争の舞台となった。しかし、両支援国は相手国に対してあまり好意的なものはなくお互い武器を支援する程度で本格的な支援はしなかった。これによって1939年時点で中国は沿岸地域のほとんどの都市を失陥し、日本軍はさらに進軍を進めていた。そんな状況で中国共産党が突如国民党に対して宣戦布告しさらに国民党は後退を進めることとなった。この状況に蒋文衡は日本に対し様々な条件を提示することで降伏することとなった。その中の条件では1.中国国民党を中国の唯一の政府と認める2.沿岸地域南部を日本の仮借地として50年統治すること3.中国国民党は「日華共和国」として日本の傀儡政権として99年従事するが国内政治は自国で定めること。などが定められた。日本政府としても損害が多くこれ以上の戦争を望まなかったためこれを了承した。中国国内では反発が大きく一部地域では内戦の兆しがあったものの国民党は共産党との戦争を優先することと相手はソ連も後ろ盾として持っているため我々も正式な後ろ盾が必要だという声明に反発は次第に収まっていった。日本もこの国民党の姿勢を最大限尊重し、当初組み込む予定であった「蒋文衡の処刑」や「国家機関に日本人を組み込むこと」などの破棄することにしていた。さらに日本政府はこの戦争を起こした政府体制を改革するとして西側陣営に協調姿勢を強め、黒田正義率いる「民主党」が政権交代に躍起になっていた。しかし、日本政府でも、満州国の体制を変換することはできず、辻春明が国家元首として満州国を統治していた。
一方で国民党と共産党の内戦では日本との戦争を生き抜いた英雄たちが共産党攻撃に加わることで形成を一気に逆転することに成功し、共産党首都「延安」や北部都市「太原」の陥落によりモンゴルに撤退していくこととなった。国民党もこれ以上の進軍はソ連影響下でありソ連軍との衝突も危惧しここは数十年国境問題として残ることとなった。
日中戦争が終結した1939年12月、欧州では独墺帝国の独裁化が進み、国内の多くの民族主義者が逮捕された。その多くは処刑され、存在自体を隠されることになった。そんな中で南トランシルヴァニアでとある人物が憲兵隊から逃げていた。彼は息を切らしながらひたすら東に向かって逃げていた。彼が向かっている先にはルーマニアがあり、彼はハンガリー民族主義者であり、国内の弾圧を世界にあらわにしようと画策していた。後ろから銃声が鳴り響く。彼は近くの建物にひとまず身を隠し脱出の機会をうかがう。「もう少し、もう少しでこの地獄から出られる」その声を小さくつぶやきゆっくりと顔をのぞかせた。憲兵隊がゆっくりと近づいてくる。彼はとっさに近くのごみ箱に身を隠した。その横を憲兵隊が通る。しかし、その時に憲兵の一人がゆっくりと横を向いた。「この辺でいなくなったなら路地裏とかもいると思わないか」その言葉に近くの憲兵が答えていた。「逃げるのに必死なのにこんなところで隠れるやつがいるか。それこそ路地を抜けてもっと逃げてるかもしれないのに道草を食う時間はないぞ」その言葉を聞き、気が付けば周りにいた憲兵はろくに確認もせず移動してしまった。彼はその姿を確認するとばれないように静かに道を迂回して無事脱出した。彼はルーマニアに到着すると息を切らしながらバルカン大同盟ルーマニア局に走りこんだ。この光景に警備兵は驚きを隠せず急いで取り押さえた。そして取り押さえられながら彼は大きな声で叫ぶ。「俺はハンガリー人だ!あの国の地獄を世界に話すためにその手を放せ!」その言葉に警備兵は思わず目を合わせる。かつての敵がここまで助けを乞う姿に疑問が絶えないからだ。だが、警備兵はもう一度冷静さを取り戻して彼を拘束した。「独墺帝国で何が起こってるんだ...」多くの警備兵が拘束したハンガリー人を監視しながら話し合っていた。あるものは「何か粛清のような政策をしてるんじゃないか」というものもあり、「これはバルカン大同盟を破壊しようとするスパイが来たのでは?」と疑いの目を向ける者もいた。そんな話が続きながら1週間がすぎ、ようやくルーマニア局の責任者に彼は会うことができた。彼は手錠をかけ、腰に縄を付けられた状態で全力で体を前に倒して懇願した。「私はあの国で起きていることを世界に伝えるために逃げてきたんだ。このままでは家族も友人も全員死んでしまう」泣きながら頭を下げるハンガリー人に思わず慌て気味に責任者は手を差し伸べた。「ひとまずあなたの気持ちは分かった。いったい何があったんだ?」その言葉を聞きハンガリー人はゆっくりと話し始めた。はじめは冗談半分に聞いていた後ろの警備隊も聞いていくうちにみるみる顔色が悪くなっていた。そしてすべてを話し終えた後、少しの沈黙の後ルーマニア局の責任者は声を震わせながら話し始めた。「もしそれが本当ならとんでもないことだぞ。ひとまずこの話は評議会に相談してみよう。結果はかなり先になるうえ、最悪戦争になる可能性もあるだろうからこちらとしても慎重に扱わなくては」その言葉の後、ハンガリー人は独墺帝国からの難民としてルーマニア軍の監視下の元生活が保障され、1941年4月にルーマニア首都「ブカレスト」に移住した。
そして評議会にてこの議題がルーマニアから出されるとギリシャ、ブルガリア政府でも同様に世界に公表するか伏せるか問題になった。かつて協商国として敗北したギリシャ、ルーマニアとしては「この愚行は公表するべきであろう。どの国よりもひどく、今すぐこの国を解体しなければより多くの被害が出るぞ」とはなし、公表に対して消極的なかつてのドイツ、オーストリアとの同盟関係であったブルガリアでは「あの国の秘密を話すことで裏切り者として戦争になるのではないか?もし戦争になればそれこそ平和の象徴としてのバルカン半島は実現しないぞ」と戦争への危惧を理由に拒否していた。そんな議論が続き、1943年、ついにブルガリアも戦争の可能性を危惧しながらも賛成の意向を示し、ついに1945年バルカン大同盟評議会議長ミラン・コヴァルチェヴィッチが世界に向けて発信をした。その内容に世界は驚愕し独墺帝国は予測通りに世界にあることを宣言した。
to be continued...




