日常が動き出した日
「おはよう、お兄ちゃん」
翌朝。リビングに行くと、可織がやけにご機嫌だった。
――そういえば、今日は入学式か。
「可織も、いよいよ高校生だな」
「そうだよ。今日からついに高校生!」
声のトーンが一段高い。
「なんか、嬉しそうだな」
「だって、桜高校の制服可愛いもん。ずっと着たいって思ってたの」
なるほど。決め手はそこか。
兄妹で同じ高校に通うっていうのも、なんだか少し気恥ずかしい。
「入学式は十時からだから、九時に着けば大丈夫だな」
「うん。一緒に行けるのは明日からだね」
「……一緒に?」
完全に想定外だった。
「ダメなの? 私も直美さんと一緒に行きたい」
なるほど、そっちが本命か。
「別にいいけど……兄妹で登校って、この歳だとちょっと恥ずかしくないか?」
「二人きりじゃないんだから、別にいいでしょ?」
あっさりしたものだ。
まぁ、ずっと続くわけでもないだろうし――
「分かった。今日、直美に言っとくよ」
「ありがとう。……っていうか、お兄ちゃんそろそろ行かないとまずいんじゃない?」
時計を見ると、すでに八時を少し回っていた。
「やば。じゃ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「遅刻すんなよ」
「分かってる」
⸻
「光ちゃん、おはよう」
「お、直美。おはよう」
通学路を歩いていると、すぐに直美と合流した。家が近いのもあって、ほぼ毎朝このパターンだ。
「なんか考え事してた?」
相変わらず鋭い。
「いや、大したことじゃないよ。可織が今日入学式だなって思ってただけ」
「そっか。可織ちゃんも、もう高校生かぁ」
「早いよな」
自分でも驚くくらい、すんなり言葉が出た。
「私たちと一歳しか変わらないんだから、“早い”ってほどでもないと思うけど?」
すかさずツッコミが入る。
「いや、なんていうかさ。ついこの前中学生になった気がするのに、もう高校生って考えると……な」
「ふふ。それだけ可織ちゃんのこと、ちゃんと見てるってことじゃない?」
「別に、そんなんじゃねぇよ」
思わず否定する。
でもまぁ、可織が可愛い妹なのは事実だ。
「兄妹で同じ学校って、ちょっと不思議な感じするよな」
「そう? 仲良しって感じでいいと思うけど」
「そういうもんかね」
軽く肩をすくめる。
そんな話をしながら、俺たちはいつものように学校へ向かった。
今日から、少しだけ賑やかになる気がした。
「今日の入学式で新入生が入ってきた。お前たちもこれからは先輩だ。部活をしていない者には実感がないかもしれないが、後輩は日頃のお前たちの姿を見ている。関わりがなくても、“先輩としての風格”を持つように。……明日は委員を決めるから、各自考えておけ。以上だ」
風格って、どうやって出すんだよ。
心の中でツッコミを入れつつ、今日も無事に終わったことに安堵する。
「光ちゃん、今日はおばさん来てるの?」
「母さん? たぶん来てないな。可織も“別に来なくていい”って言ってたし」
うちは共働きだ。昔から授業参観や行事に両親が来ることは少なかった。
でも、それを寂しいと思ったことはあまりない。
「そっか。じゃあ今日は、可織ちゃんと一緒に帰るの?」
来たな。
「なんで高校生にもなって、妹と一緒に帰らなきゃいけないんだよ」
「えー、別にいいじゃん。照れてるの?」
「照れてねえよ」
――いや、ほんとに。
高校生で兄妹下校とか、周りからどう見られるか考えろって話だ。
シスコン認定は、全力で回避したい。
「光司!」
そのとき、教室の外から声が飛んできた。
救世主、登場。
「お、どうした信夫」
俺はすぐに教室を出る。
「新入生、見に行こうぜ」
……撤回。内容が最悪だ。
「お前、それ誰がいるか分かって言ってるのか?」
「え……あ、そうか」
完全に忘れてやがったな。
「まぁ、“一年二組には近づかない”って条件付きならな」
言うまでもなく、可織対策だ。
「あー、二組か。そうだったな」
「ああ。二組は完全スルーな」
「了解。じゃないと光司、後で死ぬもんな」
「分かってるならいい」
もし可織にバレたら――あとが怖い。
「そういや、光司は委員何にするんだ?」
信夫のクラスでも委員決めは明日のようだ。まぁ、どのクラスも明日決めることになると思うが。
「まだ決めてねえよ。一年の時は保健委員だったから、今年も保健委員でもいいけどさ」
「確か坂本さんと同じ保健委員だったよな」
「ああ。それがどうかしたのか?」
「今年も同じようになるのかもなって思ってさ」
信夫の言うことはちょくちょく当たる。でもこれは当たっても外れてもどっちでもいい内容だ。
「同じになったらなったときさ」
「付き合ってるようで付き合ってねえから、お前たち二人は不思議だわ」
珍しくってこともないが、信夫はたまに意味深なことを聞いてくる。直美とは幼馴染ってだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
「幼馴染なんだから、仲良いのは普通じゃねえのか?」
「それは俺にも分からねえ。これが普通なのか、普通じゃないのかなんて」
「そっか」
まぁ、傍から見れば付き合っているように見えるのかもしれない。しかし、別に俺も直美もその関係を持とうとしていないんだから、今のままでいいと思ってる。
「よし、じゃあ一年の教室に行くか」
「ああ」
そう言って一階に降りた、その瞬間。
「光ちゃん!」
聞き慣れた声に呼び止められた。
「な、なんだ直美?」
「そんなに急いでどこ行くの?」
――やばい。
どうやら信夫との会話は聞かれていなかったらしい。
逆に言えば、ここでの言い訳を間違えれば一発アウトだ。
「あー……えっと」
「今日はちょっと、俺の用事に付き合ってもらうんだよ」
信夫が自然にフォローを入れる。
ナイス、と言いたいところだったが
「用事って?」
相手が直美なのを忘れている。
「ちょっとした相談と、ゲーセン」
「ふーん……」
その“ふーん”は危険なやつだ。
「光ちゃん、今日は可織ちゃんの入学祝い、してあげなくていいの?」
――詰んだか?いや、まだだ!
「帰ってからでもいいだろ?」
「せっかく午前中で終わるんだし、みんなでお祝いしようと思ってたんだけどなぁ」
完全に外堀を埋められた。
信夫の方を見ると、「無理だなこれ」という顔をしていた。
「光司、今日はそっち優先しようぜ」
「……だな」
こうなったらもう抗えない。
「じゃあ決まり。みんなでファミレス行こ」
「待ち合わせは?」
「校門」
こうして俺たちは、可織たちと合流するため校門へ向かった。
まぁ、変なことしてるのがバレるよりはマシか。
⸻
校門で待っていると――
「直美さーん!」
可織が手を振りながら駆け寄ってきた。
「可織ちゃん、入学おめでとう」
「ありがとうございます!」
その隣には、見慣れない女子。
「可織、その子は?」
「この子、七海。中学からの友達だよ。……って、前に家来たことあるけど覚えてない?」
「……ごめん、あんまり記憶にない」
「お兄ちゃん、去年はバイトでほとんど家いなかったもんね」
もう辞めたけど。
「は、はじめまして。山本七海です。よろしくお願いします」
丁寧すぎるお辞儀。
めちゃくちゃいい子だな。
自己紹介を終えたところで
「……何の集まり?」
新たな声が割り込んできた。
全員がそちらを見る。
「沙樹!」
彼女は芦田沙樹。小学校からの付き合いで、陸上部のエース的存在だ。
「高橋君以外、久しぶりだね」
「沙樹、何組?」
「四組」
「あー……なるほど」
信夫と同じクラスか。
「今日は部活ないの?」
「新入生の対応だけ。あとは自主練。たまには休息も必要だから自主練は休みにしたの」
なるほど、それでここにいるのか。
「初めまして、山本七海です」
「芦田沙樹です。よろしくね」
再び、丁寧なお辞儀。
やっぱり礼儀正しいな、この子。
「これからファミレス行くけど、沙樹も来る?」
「いいね、時間あるし行こうかな」
即答だった。
こうして俺たちは、六人というちょっとした大所帯でファミレスへ向かった。
入学祝いという名目ではあるけど、
きっと今日は、それ以上に賑やかな一日になる。
⸻
「みんなでこうやって外食するの、久しぶりだね」
直美がふと呟いた。
言われてみれば、最後にいつ行ったのか思い出せない。
「四人そろう日なんて、年に数回あるかどうかだったよね」
「……一年ぶりくらいか?」
適当に言ってみる。
「うん、夏休みが最後だから、だいたいそれくらいだね」
即答だった。相変わらず記憶力がおかしい。
「合宿終わりで、次の日がオフだったときだよね」
沙樹まで覚えている。
俺以外覚えてるやつかこれ?と思ったが、信夫は。
「もうそんな前なんだな」
覚えてなかった。さすが我が友。
「そういえば、可織ちゃんと七海ちゃんって、いつから友達なの?」
直美が話題を変える。
言われてみれば、俺もちゃんとは知らない。
「仲良くなったのは中三からです。修学旅行で同じ班になって」
「転校してきたのは中二のときなんですけど、そのときはあまり話してなくて」
なるほど、そういう経緯か。
「転校生なんだ」
「はい。父が転勤族で……」
そこから七海ちゃんの話が続く。
そして。
「今は、一人暮らししてます」
「え?」
全員の声が揃った。
「高校生で一人暮らし!?」
「家事は元々好きなので、大丈夫です」
七海は照れたように笑った。
さらっと言うが、普通にすごい。
可織とは大違いだな。
(これは口に出したら確実に殺されるやつ)
「そういや、明日委員決めだよな」
信夫が話題を変える。
「みんな決めてる?」
「私はまだかな」
「私も」
直美と沙樹は未定らしい。
「先輩たちは何の委員だったんですか?」
可織が食いつく。
「俺と直美は保健委員」
「私は体育委員」
「俺は文化委員」
「どれが楽ですか?」
完全にスイッチ入ってるな。
「文化委員は普段楽だけど、文化祭で死ぬ」
「体育委員は体育祭以外は楽」
「保健委員は基本平和」
「じゃあ、体育か保健かな」
即判断。
「私は体育やるから、七海は保健にする?」
「いいの?」
「私、運動嫌いじゃないし」
「じゃあ私は保健にするね」
ここまでは一年組の話。
で、ふと思った。
「なぁ、俺らも今決めとくか?」
すると信夫がすぐに乗る。
「光司と坂本さんは、今年も保健でいいんじゃないか?」
「ああ、それでいい」
「私も問題ないよ」
即決だった。
「じゃあ、私と高橋君は体育で」
「流れ的にそうなるよな」
こちらも決まり。
「経験者いるし安心でしょ?」
沙樹が笑う。
たしかに、それはでかい。
「これなら可織たちにも教えられるし、ちょうどいいな」
「お願いします!」
可織が嬉しそうに頷いた。
気づけば夕方。
たわいない会話だけで、時間はあっという間に過ぎていた。
――こういう時間も、悪くない。
そう思いながら、俺たちはそれぞれの帰路についた。




